海《1》
「――あははは、顔の紅葉の理由はそれか。私はてっきり、フィルネリア君のお尻でも触ったのかと思ったぞ。ま、グーではなかっただけ、温情だろうさ」
さも愉快そうに笑うのは、レツカ先輩。
彼女が着込んでいる水着は、かなり煽情的なビキニで、ぶっちゃけ直視し辛い。
何と言うか、小柄なのに色気がすごいな、この人。
やはり胸の大きさ――失敗したばかりなので、もうやめておこう。
ちなみに、俺達よりも早く来ていたはずなのに全く海に入っていない様子だったので、どうしたのかと聞いたところ、「私は泳げん」と自信満々に言われた。
よく海水浴に来ましたね、と返したところ「こんな楽しそうなイベントに、一人だけ寂しく参加しないなんて選択肢はあり得ないだろう」とのこと。
うん、まあ、その通りだな。
「ホントですよ、ユウヒは僕の理性に感謝してもいいくらいですね」
「……ありがとうございます、フィルさん」
「全然言葉に誠意が籠ってないよ? 内心じゃ自分は悪くないって思ってるのかな?」
「えー……すみませんでした。フィルさんのためならば何でもしますんで、お許しいただけないでしょうか」
俺の言葉に、彼女はニヤリと笑みを浮かべる。
「ふーん、言ったね? じゃあ――日焼け止め、塗ってもらおうかな」
「えっ」
「日焼け止め。塗って」
そう言って彼女は、クリームの入った容器を俺に渡す。
「……ふぃ、フィルさん、マジで言ってます?」
「何、ダメなの?」
「塗ってあげなよ、ユウヒ君。今、何でもするって言ったことだし」
「ほら、レツカ先輩もこう言ってるよ」
俺達の状況が面白くて仕方がないらしく、ニヤニヤと笑って煽るレツカ先輩。
ぐっ……こ、この人、絶対俺達を出汁にして楽しんでやがるな。
「…………」
何を思ってこんなことを言ってきたのかは知らんが……観念した俺は容器からクリームを手に取ると、それを手のひらに薄く伸ばし、寝そべったフィルへと触れる。
一瞬くすぐったそうに、ビク、と跳ねる彼女の身体。
滑らかな肌。
男とは違う、柔らかな肉の感触。
体温。
自らの鼓動が、いつもより強く感じられる。
幼い頃からずっと一緒にいるため、普段は全然意識しないのだが……触れる『少女』の身体に、心臓が早鐘を打つ。
……さ、さっさと終わらせよう。
いったい俺は、何をやらされているんだ。
おかしな空気感に頭がやられそうになっていたその時、俺は、俯いたフィルが耳まで真っ赤にしていることに気が付く。
「……お前、自分も恥ずかしいんだったら、変な提案すんじゃねーよ」
「う、うるさい、いいの! 早く塗るの!」
もはや意地になっているらしいフィルに、苦笑を溢し――俺は今、彼女のオーダー通りにやっている訳だし、つまりその範疇なら好きにやっていいってことだよな。
「…………」
「ひゃぁっ!?」
さわっと、くすぐるような手つきで脇腹に触れると、可愛らしい悲鳴をあげる我が幼馴染。
「ゆ、ユウヒ、どこ触って――」
「おっと、どうした、フィル? 俺はお前のために、日焼け止めを塗っているところだぜ? ほら、大人しく寝っ転がれって」
「…………」
我が幼馴染は、それはもう恥ずかしそうな顔でキッと俺を睨んだ後、再度寝っ転がる。
その無防備な姿にニヤリと笑みを浮かべた俺は、さらにクリームを手に取る。
「ひっ、うっ……」
「おやおや、どうしました? おかゆいところでもありましたか? 何なら私が掻いてあげますが」
「うぅぅ……バカぁ」
「バカとは心外ですなぁ、こちらは要望通りにやっているだけなのに」
俺はニヤニヤと笑い、隠し切れない嬌声を溢すフィルが日焼けしないよう、真心を込めて日焼け止めを塗っていく。
――いったい、どれだけそうしていたことだろうか。
だんだんと俺は、遠慮が無くなっていった。
彼女の身体を、触る。
まるで我が物であるかのように、無造作に、念入りに。
フィルは、時折身体をよじらせながらも、しかし一度も拒否はせず、全てを受け入れる。
すでに周囲のことなど欠片も頭になく、ただ俺とフィルだけが存在する世界。
もはや、背中や腕、脚などに塗り残しは存在しないだろうが……それでも俺は手を止めず、フィルもまた動かない。
「…………」
「…………」
やがて彼女は、その場でゆっくりと転がり、うつ伏せの姿勢から仰向けの姿勢となる。
火照った頬。
潤んだ瞳。
今まで一度も見たことがないような、その顔。
彼女の甘い吐息は熱く、俺を芯から熱していく。
間近から、見詰め合う。
どちらも決して視線を逸らすことなく、そして俺は、彼女の柔らかそうな淡い唇に、左手の親指でそっと触れ――。
「――あー……その、何だ。学生故、色々と持て余すのはわかるが、公衆の面前でそういうことをするのはどうかと思うんだ。何なら、私は退散するが……」
「「ち、違います!!」」
レツカ先輩の言葉に、反射的に否定する俺達の言葉が被った。
* * *
「……ずるいわ」
シオルのちょっと拗ねたような視線から、俺とフィルは顔を逸らす。
「ず、ずるいって、何がだ、シオル? 俺達はただ、海水浴の前に軽い準備をしてただけだぜ?」
「そ、そうだよ、ただの準備だよ」
そう言いながら、俺とフィルは互いを見て――そして、再度顔を逸らす。
……今、まともに顔を見れる気がしない。
この話題は危険であるため、とにかく離れるべく、俺はジトーッとしたシオルの視線に気付いていないフリをして、浮き輪でプカプカと浮いていた千生へと話し掛ける。
「オホン……い、千生、どうだ? 泳ぐの、楽しいだろ?」
「ん……きもちい。ここ、こわくない」
と、刀の幼女が泳ぐのを見ていてくれたらしいネイアが口を開く。
「どうやら千生ちゃんは、水の深いところがダメなようね。でも、この海水浴場の深さなら問題ないみたい。すぐに慣れたわよ」
「そっか……ネイア、ありがとな。助かった――って、ラルはどこ行った?」
「ラルなら部活の先輩方に連れてかれたわね」
「了解。それじゃあ……俺らも遊ぶか!」
そうして、泳いだりビーチバレーをしたり、潜ったりして女性陣と海を楽しんでいると、ふと声が聞こえてくる。
「くっ……ユウヒの奴、いっつも綺麗どころを連れて歩きやがって。滅べばいいのに」
「人気のある先輩達とも仲良いしよ……女誑し野郎め……」
「おのれ、下級生のくせにモテやがって……」
見ると、憤怒と嫉妬と憎しみの込められた視線をこちらに送っている、それなりに親しい男友達や男の先輩方。
――こういう時、正しい反応とは、いったいどういうものか。
彼らに対して、曖昧に笑い、「いやいや、全然モテてないぞ」と謙遜するのが正しいのか。
いいや。俺は、断じてそれは違うと思う。
否定することは、自分を慕ってくれている女性を馬鹿にすることに繋がる。
一時のために事実を捻じ曲げる愚かな真似をして、謙遜などはするべきじゃないのだ。
だから――こういう時の正しい対応は、こうである。
まず、彼らに向かって両腕を前に伸ばす。
次に、両手の中指を立て、笑顔を浮かべ。
最後に、言ってやるのだ。
「どんまい(笑)」
――ブチ、と何かが切れる音が、確かに俺には聞こえた。
「テメェら、あの野郎を海の藻屑に変えてやれッ!!」
「沈めろッ!! 二度と陸に上がって来れねぇよう、深海に沈めろッ!!」
「誰か、ドラム缶とコンクリ、魔法で生成しろッ!!」
「ハッハーッ!! 来てみやがれ、哀れな野郎どもッ!! 俺はブレイク・スティープルチェイス最速の男、捕まえられるものなら捕まえてみろッ!! 捕まえられるものならなぁッ!!」
逃走を開始した俺は、瞬時に術式を組み上げ、魔法を発動する。
使うのは、風魔法の一つ、『エアホバー』。
足裏に浮力を発生させることで、水上歩行を可能にする、という魔法である。
ぶっちゃけ、高等魔法に分類されるくらいには、難易度が高い。
術が難しい訳ではないのだが、水上歩行の効果を維持するのが難しいのだ。
というのも、この魔法は少しでも姿勢が崩れれば簡単に転んでしまうのだが、それに加えて海では揺れる波のせいで常に重心が変化するため、非常に精密な身体コントロールが必要になるのである。
浮力の範囲を広げれば難易度は下がるのだが、そこまでやると進むのが遅くなり、普通に泳いだ方が速くなって魔法の意味がなくなるしな。
恐らく、フィルが使う幻術の分身くらいには難しいだろう。
まあ、アレと違ってこっちは肉体に依存する技術なので、俺でもそれなりに使えるのだが。
「なっ……あ、アイツ、海上を走ってやがる!?」
「な、なんて高度な魔法を、無駄に使いやがるんだ!!」
「クッ、今ここにイルジオンがあれば……ッ!!」
「何でもかんでもイルジオンに頼ろうとするのは、良くねぇなァッ!! オラ、早くここまで来てみろッ!!」
そして俺と彼らは、海で楽しく死の鬼ごっこを開始する――。
「男って……」
「ネイア、男性は、幾つになってもあんなものよ」
「あはは、そうだね……千生ちゃん、あっちで一緒に遊ぼっか」
「ん、あそぶ」




