ブレイク・スティープルチェイス
イルジオンはね、あんまり大きな声じゃ言えないけれど、フレームアームズ・ガールとか、武装神姫とか、インフィニット・ストラトスとかで調べてもらえると、大体のイメージが掴めるかと……(ボソリ)。
早朝、イルジオンの整備所を兼ねた控室にて。
「――よし、調整完了! けど、いつもより若干だけど魔力の制御率が落ちてるわね。昨日、険しい顔して夜まで何かやってたみたいだし、あんまり寝れてないんでしょ」
今日の俺のコンディションに合わせ、機体調整をしてくれているデナ先輩が、俺のデータを確認しながらそう言う。
俺が乗ることになるイルジオンには、すでに大まかな個人設定がしてあるものの、大会中は毎日のバイタルデータに合わせ細かく調整を施してから乗ることになる。
故に、調整を担当してくれる整備士には、機龍士は体調を何一つ誤魔化せないのだ。
「……すんません。ただ、これくらいなら大丈夫っす。眠れなかったから実力を発揮出来なかった、なんてことにはしませんから」
昨日夜が遅く、そして朝も早かったため睡眠時間がかなり短くなってしまい、そのせいで本調子じゃないことは自分でもわかっている。
だが、そういう時の身体の動かし方もまた、心得ている。
フィルと何日掛けたのかわからないくらい殺し合った時に比べれば、これくらいは何も問題ないのと同じだ。
「ん……確かに君なら、大丈夫かもしれないけどね。でも、ほら、こっち来て」
「あ、う、うす」
控室に置かれたベンチをポンポンと叩く先輩に促され、俺は調整を終えたイルジオンから降りると、そこに座る。
「じゃ、うつ伏せで横になって」
言われた通りにうつ伏せになると、先輩は俺の背中に両手を添え、そしてマッサージし始める。
どうやら手に魔力を込め、俺の身体の魔力循環を解してくれているようだが……。
「……あの、先輩、これ、かなり恥ずかしいんすけど……」
身体を這う彼女の手の感覚が非常に心地良く、こう……あんまり言いたかないが、微妙な気分になってくる。
間近に漂う女性の甘い香りと、俺の首筋辺りをチクチクとくすぐる髪の毛。
「我慢するの。君がちゃんと休まなかったのがいけないんだから」
ニヤリと、いたずらっぽく笑ってそう言うデナ先輩。
……この人、わかってやってるだろ。
「いつきも、やる」
「ん、フフ、それじゃあ一緒にマッサージしてあげよっか、イツキちゃん」
と、俺達と共にいた千生もまた、その小さな手を一生懸命に動かし、俺のマッサージを始める。
「ゆー、きもちい?」
「……お、おう。ありがとな、千生」
俺の幼馴染や友人達もまた、新人戦の準備があるためこの場にはいないのだが……それでも、視線が痛い。
幼女と先輩にマッサージされ、何してんだアイツ、といった感じの視線を同校の生徒達からひしひしと感じるのだ。
そうして、大分気恥ずかしさを感じながら休んでいた時、ふと壁に設置されたモニターが目に留まった。
「お、レーネ先輩」
そこに映っていたのは、魔法競技でちょうど演技を行っている、生徒会長レーネ先輩だった。
あれは、学園魔導対抗戦のイルジオンに乗らない競技の一つで、『マギ・フェスタ』と呼ばれるものである。
魔法の純粋な技術を競うものであり、決められた発動数の中で魔法を組み合わせ、その美麗さ、精緻さ、発動までの滑らかさなどを点数化し、そのポイントで優劣が決まる。
イルジオンでの競技の花形が『ドラク・フェスタ』だとすれば、魔法系競技の花形が、あの『マギ・フェスタ』であると言えるだろう。
「おぉ……すげぇ」
「きれい」
どういう魔法を使っているのかはわからないが……顕現された、美麗で壮大な大自然の中で両手を広げ、躍るように悠然と魔法を発動させているレーネ先輩。
さながら、大自然と乙女、といった感じの光景がモニターいっぱいに映し出され、それは芸術など欠片もわからないような俺ですら、魅入ってしまうような光景だった。
観客席の歓声が、音声として伝わってくる。
競技のスケジュール上仕方のないことだが……是非とも俺も、千生を連れて生で見てみたかったものだ。
「フフ、あとで感想言ってあげなよ。きっとすごい恥ずかしがるから」
「? 恥ずかしがるんすか?」
「うん、アレは格好付けてる状態だから。元々美麗さなんかを競う競技なんだし、別にいいと思うんだけど、そういう自分に入り込んでいるところを後から見たり感想言われたりすると、恥ずかしくて逃げたくなるんだって」
……なるほど。
その感覚は、まあ、わからなくもないが。
小悪魔みたいな人なのに、意外と可愛いところもあるもんだ。
「――っと、そろそろ時間っすね。先輩、ありがとうございます。千生も、ありがとな」
モニターの隣にあった時計に目をやり、競技の時間が近付いていることに気付いた俺は、礼を言ってうつ伏せの体勢から起き上がる。
「ん、ちょっとは元気になった?」
「うす、勿論っす。これで元気にならなかったとか言ったら俺、刺されても文句は言えないっすよ」
「フフ、そうね。――それじゃ、頑張んなさい!」
俺は、笑ってサムズアップし、イルジオンに再度乗り込んだ。
* * *
――ブレイク・スティープルチェイス。
円を描くコースの全長は、二キロ。
飛ぶ訳なので当然レーンなど定められておらず、道中には魔法的、もしくは機械的なトラップが仕掛けられており、さらに選手は、他の選手の妨害を受けながらゴールを目指すことになる。
また、コースには至る所に審判スタッフ、医療スタッフがおり、何かあった場合はすぐに駆け寄ることが出来るような態勢が取られているようだ。
一度のレースで走る選手は、全部で七名。
今回俺は、ブレイク・スティープルチェイスの方は新人戦に出場するため、出場選手も当然全員一年であり、本戦と違って男女別なので、男のみ。
見ると、皆顔に緊張と気負いを覗かせ、闘志を滾らせている。
選手として選ばれたという自負があるのだろう。
そんな彼らと共に、俺はアナウンスで呼ばれるのに合わせ、コースのスタート地点に向かう。
こういうレース系の競技は、スタートの合図が重要になるため応援等は禁止されているのだが――ふと視線を向ければ、先程までいたイルジオンの整備室兼控室から俺を見守っている、デナ先輩や千生、そして同校の生徒達。
――俺も、やれるだけやるとしよう。
「オン、ユアマークス!」
スターターピストルを構えた審判の声に、場の空気がヒリ付くのを感じながら俺達はブワリと空中に浮遊すると、それぞれ決められた位置に着く。
「セット!」
そして、スタートの準備をし――ドン、という合図がレース場全体に響き渡った。
刹那、俺はいつもの如くイルジオンにしこたま魔力を流し込むことで、一気にグンと加速する。
この機体は、以前レヴィアタン討伐時に乗った機体と同じように、デナ先輩が俺用に組んでくれたものだ。
今回の競技では、長く戦えるような継戦能力はいらないため、消費魔力がかなり増している代わりに加速性能が非常に高くなっており、流石彼女が組んでくれただけあって、レスポンスも他とは比べ物にならない程に良い。
恐らく他の選手達もスピード寄りの構成にしたイルジオンに乗っているだろうが、俺にはこの機体と、そして好きなだけぶっ込める魔力がある。
爆発するような加速。
一人前に抜け、一秒もせず後続との間に距離が出来る。
機体に感じる風圧。
唸る可変式ウィングと、激しい風切り音。
ただ、これだけの速度となると、突如出現するトラップにヒト種の反射神経で反応するのは無理が出てくるが――まあ、正直、避ける必要もないのだ。
「なっ――」
「嘘だろ!?」
後ろの方の選手から、そんな声が聞こえてくる。
俺がトップであるため、当然後続よりも多く発動するトラップ群。
その中で、反応出来る範囲のものは本能が命ずるままに避け、そして反応出来ないものはそのまま突撃し、切り抜ける。
この競技で設置されているものは、全てが足止めを目的としたもの。
殺傷能力のないトラップでは、俺が自らで強化した魔力障壁を阻むことは不可能であるため、無視してぶち壊しながら進んでしまえばいい。
――ま、仮に殺傷能力があっても、関係ないだろうがな。
トラップに掛かってコンマ数秒以下のロスが生まれても、ソレが発動したら回避、などという余分な動作を挟む必要がないため、むしろ他選手との距離はどんどんと開いていき、おかげで妨害を気にする必要もない。
競技性を無視した、完全なるゴリ押しだが――この競技で求められるものは、ただ一番にゴールすることのみ。
トラップに引っ掛かったら減点、などというルールはないのだ。
ブレイク・スティープルチェイスは、俺にとってドンピシャと言える程に合った競技であった。
「――うし!」
それから数十秒後、俺は他選手を大幅に引き離し、観客席のどよめきと共に一等でゴールした。
* * *
「あー……完全に杞憂だったか」
そのあまりにも圧倒的な差を見て、デナは喜ぶより先に、呆れ混じりの苦笑を浮かべていた。
詳しくは知らないものの、いつも快活な彼にしては珍しく、昨日気落ちした様子を見せていたので、何か励ましてあげられないかと慣れない真似なんかをしてみたのだが……これだと、彼の気分がどうであろうが結果はあまり関係なかったかもしれない。
――全く……私も相当恥ずかしかったのに。
普段なら、あんな風に男の人をマッサージなど絶対にしない。
格好が付かないので余裕ぶってはいたものの……見た目よりも筋肉があるらしく、彼のゴツゴツとした男らしい身体付きの感触を思い出して、少し頬が赤くなる。
「ゆー、つよい!」
と、すぐ隣で、可愛らしく両手を万歳させる彼の妹。
デナはクスリと笑うと、彼女の頭をポンポンと撫でた。
「君のお兄ちゃん、やっぱりすごい人ね」
「ん。ゆー、すごい」
コクコクと頷く幼女の姿に和んだ後、デナは意識的に気持ちを切り替え、「よし!」と気合を入れる。
あれだけの出力で加速を行っていたのだ。
流石に機体はまだへたってはいないだろうが、異常がないか各部を隅々まで見ないといけないだろう。
他に担当している機龍士の生徒もいるため、そこまで一人に時間が割ける訳ではない。
効率良く、仕事を進めなければ。
そうしてデナは、すぐにこちらへと戻ってくるであろう彼のための、整備の準備を始めたのだった。