公爵
「……まさか、護衛ではなく本人に気付かれるとはな」
「……あぁ」
追跡を振り切り、逃走に成功した男達は、人込みに紛れながらそう言葉を交わす。
監視対象であった学生に気付かれたのも予想外だが、彼らの脳裏にこびりついて未だ離れないのは――放たれた、あの圧力。
今思い出しても、冷や汗が止まらない。
幾度か戦場に出たこともあり、命のやり取りは経験しているが……これだけ、死を間近に感じたのは、初めての経験だろう。
寒気がする程の殺気だった。
あの時、自分達の命は、もう無いものなのだと思った。
もう、自分達はここで殺され、死ぬのだと。
普通に考え、そんなことが可能な状況ではなく、そんなことが出来るとも思えないのだが……確かに、一学生からそれだけの圧力を感じたのだ。
「シオルから気を付けろとは言われていたが……少し、甘く見過ぎていたか。もう少し詳細なデータが欲しかったが……」
彼らの任務。
それは、調査である。
一つも想定外を残さないための、調査。
来たるべきその日に備えた、徹底的な情報収集。
「……要警戒対象ということがわかっただけで、十分としよう。あとはシオルに任せる。俺達は次に行くぞ」
「了解」
そして彼らは、胸に抱いた信念の下に、次の行動を開始した。
* * *
ある、官邸にて。
「何……? 取り逃がした?」
その報告に、壮年の男――ブロウ=エリアルは、眉を顰める。
エリアルの名が示す通り、彼はレーネ=エリアルの父であり、政府中枢で活躍する公爵家当主その人であった。
「申し訳ありません、私の指示です。我々の仕事はお嬢様の護衛である故、あまりに離れるようであれば追跡を切り上げろと申し付けておりました。人数の差もありました故」
そう答えるのは、レーネの護衛達のまとめ役である、公爵よりも歳を食っているであろう初老の男。
彼らの仕事は、あくまで護衛である。
対象を守ることが契約内容であり、不審者を捕らえるのはその内に含まれていない。
言外に「自分達の仕事ではない」と主張する彼の方が正しいことを認めたブロウは、多少思うところはあったものの、それを抑え言葉を続ける。
「……わかった。その尾行者達の特徴は」
「恐らく軍関係者かと。少なくとも、どこかしらで訓練を受けているであろうことは確実で、ただの犯罪組織の組員などではありませんでした」
「国籍はわかるか」
「いえ、顔立ちや髪色などはこちらの国でもよく見るものだったと言っておりました。あとで模写はさせますが、それでどこまでわかるかは微妙なところでしょう。――ただ、使う魔法には見覚えがあったと」
「ふむ?」
「逃走の際使用していた、攪乱の魔法に見覚えがあったそうです。帝政崩壊前の、ルシアニア軍人が使っていたものと酷似していたらしく」
使用する魔法には、その者の国柄が顕著に表れるものだ。
特に逃走用のものとなると、ダミーの術式を挟む余裕もないため、より判別がしやすいと言えるだろう。
「……ルシアニア軍人か」
険しい表情を浮かべる、ブロウ。
――ルシアニア連邦。
政府関係者の、悩みの一つとなっている国である。
帝政が崩壊したことで、以前よりも付き合いやすい国になったことは確かだが、しかしあの国では未だに混乱が続いており、それに付け込んだ不正や違法商売、政治組織の癒着など腐敗も数多くあることがわかっている。
特に厄介なのは、帝政時代に使われていた兵器が、闇市場へと大量に流れ込んでいる問題だ。
銃器や刀剣などの武器類に始まり、果ては戦車やイルジオンまで。
この国、セイローン王国にも少なくない数が流入していることが確認されており、国防の観点からその対策に力を入れているところだったのだが、さらについ最近、爆弾のような報告が一つ、ルシアニア連邦から入ってきていた。
それは――飛行型戦艦が一隻、消失したというもの。
元々潜在的敵国であり、帝政崩壊後も混乱が続いているため、あの国には多くの諜報員が滞在しているのだが、彼らが得た確かな情報としてその一報が政府中枢にもたらされたのだ。
仮にそれがテロ組織等に渡ったとなれば国の信用が失墜するため、どうやら必死にもみ消しを行ってはいるようだが、確認した限りではその戦艦を格納していた格納庫の、整備人員ごと無くなっており、恐らく部隊が丸ごと離反したのではないかと言われている。
戦艦が消えるなど、通常の国家ではあり得ない事態である。
だが、今のあの国ならば、そんなことがあってもおかしくないと思えてしまうだけの混乱があるのだ。
そんな国の軍人が、密かにこの国に忍び込み、学生の監視を行っている。
何か、厄介ごとが舞い込んでいることは間違いないだろう。
時期的に見ると、学園魔導対抗戦に関連する可能性が高いが……。
ブロウは、頭の痛い思いで一つため息を吐き出すと、言葉を続ける。
「それで……尾行がいることに最初に気付いたのは、娘と共にいた男子学生だったと?」
「えぇ、彼がいなければ、我々は誰一人気付かなかったことでしょう。どうやら、お嬢様とお嬢様のご友人を守るために追い払ったようですが……あの威圧感。こちらに向けられたものではなく、周囲に対してはかなり抑えられておりましたが、寒気がする程でした」
娘に付けた護衛達の能力は、公爵自身が最もよく理解している。
決して無能ではなく、この者達で気付けなかったのならば相手が余程潜入に特化した精鋭なのだと断言することが可能で、むしろ尾行に気付いたその少年の方が異常だとすら言えるだろう。
「……なるほどな。確か、レイベーク子爵家の長男だったか。色々と噂は聞いていたが、どうやら本物であるらしいな」
「レヴィアタンを討伐した、とのことですが、その片鱗は確かに感じましたな」
「ふむ……」
あそこの家は、代々無難に領地を治めていると記憶している。
今この時代にあっても、貴族として爵位を有している時点で有能であることは間違いなく、その息子がすでにこれだけの頭角を現している。
――今後、あの家には注視するべきか。
「ご苦労だった。下がっていい」
「では、これで失礼いたします」
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