千生《1》
ユウヒが部屋を去った後、理事長ファーガス=リトリディアは、小さく笑いを溢す。
「カッカッ……なるほど、大した小僧だ。お前がそうやって警戒する程とはな」
「……お恥ずかしながら、やらねばやられると、身体が勝手に動いていました。後程、レイベークには謝るとしましょう」
ユウヒに呼応し、攻撃魔法が発動する前段階にまで持って行っていた魔力を霧散させたガルグが、言葉通り自らの行動を恥じるような顔でそう答える。
「あぁ、そうするのがいい。あの小僧は、今後確実に化けるぞ。ただ力があるだけの生意気な餓鬼という訳じゃあ、なさそうだ。どれだけ、実戦慣れしていることか。もしかすると、人でも殺しておるかもしれん」
ガルグは、表情こそ変化させなかったが、しばしの間押し黙った後、言葉を返す。
「人を、ですか」
「俺は魔法技能に関しちゃあ大したモンは持っておらんから、そっちはわからん。だが、奴の言葉には確かな殺気が乗っておった。お前が警戒する程だ、少なくともただのガキにあの威圧感は出せんだろう」
「……今まで才ある子供は何人も見てきましたが……あれ程の傑物を相手に、今後教師としてどう対応したものか、悩ましいところです」
「カッカッ、お前には今後、奴の担任として頑張ってもらわにゃ困る。ま、小僧の人柄は大体わかった。味方にしておきゃあ、一生徒としてこの学園に貢献してくれよるだろうよ」
「例の、彼が海底から引き上げたという『エンシェント・ウェポン』らしき武器に関しては、どうなさるので?」
「あれだけ言い張ったのだ、奴に任せておけば問題なかろう。――対抗戦までに、出来る限りあの小僧を仕上げておけ」
「ハッ、畏まりました」
* * *
「よし、じゃあ千生、順番に聞くぞ。いいか、これと、これと、これの名前は?」
我が家にて、新たな住人となった剣の幼女――千生に俺は、椅子、皿、電話を順々に指差す。
すると、彼女もまた同じように順々に指を差し、鈴のような綺麗な声で口を開く。
「いす。さら。でんわ」
「そうそう、正解だ。じゃあ、俺は?」
「ゆー」
うーむ、お前は本当に可愛いな。
「フィル、俺、『ゆー』に改名するわ」
「はいはい、ゆー君。その調子で色んなことを教えてあげてね」
笑って、そう言葉を返すフィル。
あれからこの幼女は、カラカラのスポンジが水を吸収するかの如く次々と言葉を覚えていき、今では単純な単語でなら、会話が交わせる程になっている。
彼女と共に暮らすようになってから、まだ一週間も経っていないのに、大した進歩である。
恐らく、精霊種だからこその成長なのだろう。
次々と言葉を覚えてくれるので、教えている側としては楽しい限りである。
――少し前の、理事長室での会談。
あの理事長のジジィは、俺が海底からこの子を引き上げたことを知っていたらしい。
そして、海が荒れていた原因がレヴィアタンではない、ということも薄々ながら気付いていたのだろう。
海から千生を連れ帰る際、なるべく隠すようにしていたのだが……やはり、どこかで見られていたか。
流石、このセイローン王国において有数の学園を経営するトップというだけはあり、非常に厄介なジジィだった。
あのタイプは、少しでも気を抜けば言葉でやり込められ、何も言い返せなくなってしまうことだろう。
どうにか、「手出しするな」という意思を伝えることは出来たが……ただ、奴の懸念も、俺としてはよくわかるのだ。
向こうからすれば、生意気なクソガキが、とんでもない爆弾を抱えているように見えているのだろうから。
その危険な状況を改善しようとするのは、普通の大人であれば当たり前の話だ。
こっちからすれば、むしろ俺達に預けておくべきだと言いたいくらいなんだけどな。
フィルも一緒にいる以上、俺達でどうにもならないようなことは、誰にもどうにも出来ないと思うし。
――と言っても、それは、あくまで問題が起こった時の話だ。
この子は賢い。
ちゃんと言えばそれを理解してくれるし、何もなければ自らの力を抑えることも出来る。
一緒にいてやることが出来れば、何も問題はないのだ。
と、そうして千生に言葉を教えていると、フィルが声をあげる。
「ん、出来た!」
「お、マジか!」
「はいこれ、装着してみて」
俺は、彼女に手渡されたソレ――シンプルな造りのブレスレットを、左腕に嵌める。
「魔力を流せば、魔法陣が浮き上がるはずだから、そこに千生ちゃんの本体を入れてみて」
「了解」
俺はブレスレットへと魔力を流し込むと、すぐに内部の魔術回路が起動し、ブゥンと空中に魔法陣が浮き上がる。
この魔法陣はブレスレットを起点に発動するものであるが、しかし一度出現すれば空間の方に固定される仕様らしく、俺が腕を動かしても魔法陣の方は動かないようだ。
体感としては、二メートル程離れるとリンクが切れて消えてしまう感じか。
俺は、千生の本体である大太刀を掴むと、その空中に固定された魔法陣に近付け――すると、大太刀の切っ先が消え、俺が押し込むとそのまま刀身が飲み込まれてゆく。
完全にこの場から大太刀が無くなったところで俺は千生を見るが、彼女の姿は消えておらず、ただボーっと俺達のことを見ていた。
「良かった、千生ちゃんも大太刀の方に戻されてないね。上手くいったみたい。他のもので試してはいたけど、ホッとしたよ」
「流石だな、フィル。俺、こんな精密な魔法は使えねぇぞ」
「フフ、器用さにはちょっと自信があるからね。こういうのは任せて。千生ちゃんの圧力も……うん、感じないね」
「あぁ、大丈夫そうだ」
彼女とそう話しながら、俺は数度大太刀を出し入れして感触を覚える。
千生の刀身が非常に長いため、少し慣れは必要だが、これくらいなら問題なく活用出来るだろう。
ちなみに、彼女の崩れかけだった柄は、すでに綺麗なものに交換してある。
手先の器用なフィルが、パパっと道具で形を整え、用意してくれた。
俺の妹並、いや妹よりも感情が表に出てこないので、その内面を読むのは難しいのだが、綺麗になった自身の柄をまじまじと見詰め、延々とにぎにぎと触っていたので、恐らく相当気に入ったのだろう。
――このブレスレットには、空間魔法を発動可能とする魔術回路が、フィルによって刻まれている。
これは、千生を外で持ち運ぶための媒体だ。
脅威度『Ⅹ』の魔物が恐怖する程の力を有する彼女は、たとえ力を抑えていたとしても、絶えず圧力――プレッシャーを放っている。
故に意図しておらずとも周囲に悪影響を与えてしまう可能性があり、何も魔法技能を持っていない一般人などが近付いた場合、気絶までは行かずとも、その魔力に当てられて吐き気を覚えたり恐慌を来したり、ということがあり得るのだ。
なので、鞘を造るなりなんなりして対策をする必要があるのだが、しかし普通の革鞘や木鞘や鉄鞘では、刀身が納められないことはすでにわかっている。
鉄、斬れるのだ、この幼女。簡単に。
恐らくミスリルでも無理だろうし、それ以上の希少鉱石であるアダマンタイト製の鞘ならもしかすると、といったところなのだが、そんなものを用意出来る程の金もコネも存在しない。
希少鉱石は、もはや戦略物資と同等の価値があるため、流通を国が完全にコントロールしており、一般には出回らないのである。
だからもう、開き直って鞘に納めるのはやめ、こうして空間魔法に納める方式にした訳だ。
空間魔法は、『四次元を含む空間』というものを理解するのが非常に難しいせいで、扱える者も才能のあるごくわずかに限られるのだが、流石元勇者様といったところか、フィルは当たり前のようにそれを覚えていたので、こうして特殊なブレスレットを製作してもらったのだ。
今、ブレスレットにしまった千生の本体である大太刀は、俺達と同じこの場所に存在する。
だが、見えず、触れない。
俺達のいるところと、一つ座標がズレている、といった感じだろうか。
存在している空間軸が違うから、彼女からどうしても漏れ出てしまう力も俺達のいる空間軸に流れ込んで来ず、カット出来る、ということらしい。
ぶっちゃけ、俺はこの魔法を使えないので、よくわからない。
「千生、どうだ? 今、刀の方に戻れるか?」
彼女がコクリと頷いたかと思うと、その身体が幾つもの光の粒子となり、そして俺のブレスレットへと吸い込まれる。
ちなみに、幼女形態の彼女は分身体のようなものである訳だが、ある一定の距離までならば大太刀から離れることも出来るものの、それ以上となると身体が引っ張られ、今のような感じで本体の中に戻されてしまうようだ。
精霊種は不思議な生態をしていることが多いのだが……やはりこの子も、その仲間であるということか。
彼女の姿がなくなったところで、俺は問い掛ける。
「俺の声、聞こえるか? 何か、不自由なことがあったら教えてほしいんだが……」
『きこえる。みえる。かいてき』
「はは、そうか、快適か。なら良かった」
海の中でもすすり泣く声が俺に届いたように、千生は『念話』のような魔法を直感的に使用出来るらしく、声ではない言葉が俺の頭の中へと聞こえてくる。
――これで、一緒に外に出ても、大丈夫そうだな。
「よし、それじゃあ千生、俺と一緒に出掛けようか。フィル、ちょっと行ってくる」
「ん、行ってらっしゃい」
そうして俺は、千生と共に家を出た。
――彼女の、試し斬りを行うために。