精霊
海から、帰還を果たした後。
「――それで……その子が?」
予め決めておいた、学園近くの合流場所で待ってくれていたフィルは、そう言って俺の背後へと視線を送る。
そこにいるのは、俺の陰に隠れ、ピタッとくっ付いている――一人の、幼い少女。
背丈は、五、六歳の頃のリュニと同じ程。
おかっぱの髪は黒で、瞳は深い青。
穏やかな深海を思わせる、美しい瞳の色だ。
一切の狂いのない、その非常に整った左右対称な顔立ちから、どことなく造り物めいた、人形のような印象を受ける幼女である。
今は、俺の戦闘服の上のみを着ているので、帰り道にでも彼女の服を買ってあげないといけないだろう。
「あぁ。どうやら、この刀にこの子が宿ったことが、ことの発端だったらしい」
フィルへと見せるのは、俺が肩に担いでいる、海底で発見した大太刀。
――前世において、原初の生物は魔力の中から生まれたと言われていた。
高まった魔力が、何らかの拍子に変異を起こし、生み出されたものが生物になった、と。
そのように魔力から自然発生する生物は前世では実際に存在していて、それらは『精霊』と呼ばれ、地域によっては亜神とされることもあった。
俺も魔王時代に幾度か精霊種と遭遇したことがあるのだが、流石神の一種と呼ばれるだけあって例外なく強大な力を有しており、ヒト種とは一つ違った世界観で生きていたのを覚えている。
この幼女は恐らく、それと同じもの――刀を核として生まれた、刀の精霊である。
まず最初にあったのは、この大太刀の方だ。
どうやらこれには魔力を吸収する能力が備わっているらしく、非常に濃密なソレが渦巻いていることが、一目見て理解出来る。
今はこの子が抑えてくれているようだが、それでも漏れ出ている圧力の強さからして、百年や二百年、もしかすると千年やそれ以上の間、この大太刀は吸収を続けていたのだろう。
普通の刀剣ならば、とっくに自壊していてもおかしくない魔力量だが――この、黒の刀身。
まず間違いなく、素材に『神鉄鉱』と呼ばれることもある世界で最も希少な鉱石、『オリハルコン』が使用されている。
全てを飲み込む、原初の黒。
その色こそが、オリハルコンが使われている証だ。
そして、これ程までの美しい黒をしている以上、ただ使われているだけでなく、鉱石の性質を十全に引き出した、素材が良いだけではない非常に完成度の高い造りになっているのは一目見て理解出来る。
オリハルコンで作り出された武器は、永遠に形を残すと言われている。
だからこそ、長い年月の中、ただひたすらに魔力を吸収し続けても壊れることがなく、ついには臨界点を迎え、精霊であるこの幼女が生み出されるまでに至った、という訳だ。
恐らく、前世の俺の愛剣である禍罪や、フィルの聖剣などと並び立てるだけの、隔絶された力をこの大太刀は有していることだろう。
――この子の苦しみは、ここからだ。
そうして意識を得た彼女がいたのは、深海。
誰もいない、孤独だけが存在する世界である。
逃げ出したくとも、核が刀であるために自らだけでは動くことが出来ず、その場から離れることが出来ない。
いつから意識を確立し、いつから自らに宿る力を行使出来るようになったのかはわからないが……あの脈動は、悲鳴だ。
自分はここにいる。
誰か気が付いてくれと、必死に助けを求めていたのだ。
今回の異変、海が荒れていたのは、この子の力に恐れをなし、周辺の生物が一斉に逃げ出したのが原因だ。
この子に満ちる魔力は、もはや脅威度『Ⅹ』の魔物が持つ魔力を凌ぐ程のものとなっている。
そんな圧力に、通常の生物が耐えられる訳がないのである。
今思えば、俺が入学式の際に遭遇した鳥どもも、この子の力を感じ取ったがために、あれだけ焦ったようなハイペースで飛んでいたのだろう。
途中で進路を変更したとかいう話だが、元々の進路上にこの子がいることを感じ取って、方向転換した結果、それがたまたま学園方面だったという訳だ。
「そっか……それで君、何か考えてることがありそうだったのに、わざわざレヴィアタンが原因だって、強調して報告してたんだね」
「ん、何だ、気付いてたのか?」
「幼馴染だからね。それくらいわかるよ」
俺は、「お前に隠しごとは出来ねーな」と笑い、言葉を続ける。
「ま、実際、あのウナギ野郎が王都近海なんて危ない場所にいたことは確かだしな。奴が原因だった部分もあるだろうさ」
レヴィアタンは最初から体内魔力が著しく乱れ、弱っていた様子だったが、恐らく深海を揺蕩っていたところに、自らよりも圧倒的格上であるこの子の魔力の波動を食らったことで、そうなっていたのだろう。
魔力の乱れは、そのまま肉体のパフォーマンスに直結する。
それを解消するには、休むなり何かを食すなりする必要があるのだが、しかし周辺生物はこの子の力を恐れ、軒並み逃げ出した後である。
だから俺達を襲ったのは、栄養補給、というのが目的だったのではないだろうか。
イルジオンの魔力バッテリーを含めれば、俺達全員の魔力は、それなりの量になっていたはずだからな。
ま、あのイライラした様子からすると、もっと単純に、腹立ち紛れの側面もあったように思う。
レヴィアタンは、覇者だ。
海という領域内に限って言えば、自らが生態系の頂点であり、他の生物はエサでしかない。
そんな、海の支配者である奴は、だが自らを上回る力を感じ取ったことで、さぞ混乱し、恐れ、そしてプライドを傷付けられたことだろう。
ただ、これらはあくまで俺の想像だ。
この子の魔力の波動を受けたことで恐慌を来し、理性を失って暴れていただけ、という可能性も重々にあり得るだろう。
どうであるにしろ、哀れな奴である。
「それで……一つ、相談があんだけどよ」
「その子を、ウチで引き取りたいって?」
「……あぁ。俺が見つけた訳だし、ここでほっぽり出すのは、違うだろ? おいそれと、他の誰かに事情説明も出来ないしな」
よくわかってなさそうな様子で、俺を見上げる幼女の頭を、ポンポンと撫でる。
全ての元凶は、言ってしまえば、この子だ。
だが――やったことと言えば、助けを求める声をあげただけ。
子供が助けを求めることが、罪である訳がない。
それを断罪してしまえば、いったいこの世界は、どれだけ救いがないことか。
仮に、それで被害が出たのだとしても、その後始末をするべきは大人だろう。
対外的に見て、俺もまだまだガキの範疇だろうが――これでも、元魔王だ。
何かしなければならない後始末があるならば、全て俺が引き受ければいい。
「フフ……そういうところ、君は昔から全然変わらないね」
クスリと笑うフィル。
「あん? 何がだよ」
「ううん、何でも。――僕は、勿論いいよ。嫌って言う訳がないさ」
と、彼女は腰を屈ませ、刀の幼女と目線を合わせる。
「こんにちは。僕はフィルネリア。これからよろしくね」
「……?」
フィルの言葉に、だが幼女は、ただ首を傾げる。
何を言われているのか、理解出来ていないのだ。
「ん、そっか。ずっと独りだったから、言葉がまだわからないんだね」
「あぁ。発声の仕方もよくわかってないんだと思うぜ」
この子は、俺が大太刀を海底から抜き放つ時に現れた。
最初は驚いたものだが、つまり、呼吸を必要とする身体ではないということだ。
発声の仕方から教える必要があるだろう。
見た目は俺達と同じヒト種だが、身体の造りからして違う部分があるようなので、もしかすると喋れない可能性もある。
ちなみに、彼女は刀の化身であるが、刀が姿を変えて幼女と化している訳ではなく、今も俺が大太刀を肩に担いでいるように、別々で存在している。
あくまで大太刀の方が本体であり、幼女の身体は、言わばそこから抜け出した分身体といった感じであるらしい。
自らで自らの身体を海底から引き抜く、なんてこともしていなかった以上、精霊と言えど、恐らく幼女の肉体では見た目通りの力しか有していないのだろう。
有り余る魔力があったとしても、その制御の仕方も魔法の発動の仕方も知らない以上、上手く扱えないだろうしな。
詳しいことはまだわからないが……だからこそ、彼女がしたのは、助けを求めることだった訳だ。
「名前は……刀に銘が刻まれたりしてなかった?」
「いや、確認したが、なかった。だから、それも付けてやる必要があるんだが――」
俺は、しっかりと幼女の目を覗き込み、彼女に言い聞かせるようにして、口を開いた。
「――お前の名前は、千を生きるで、『千生』だ。千生、これからは俺達と、一緒に暮らそう」
千を経験し、生きる。
ただ孤独しか知らなかった彼女には、これから数多を知り、豊かに生きてほしい。
幼女――千生は、やはり何も言わない。
だが、それでもジッと、俺のことを見詰めていた。
一章終了!
駆け足でしたが、これで世界観は大体書けましたかね。
まだまだ今後も書き続けるんで、これからもどうぞよろしく!