最後の始末
「――ぷはぁっ!」
死骸になったことで、浮き始めたレヴィアタンの肉体を利用して浮上していき、数分程。
ようやく海面に辿り着き、肺が新鮮な空気を取り込む。
全身の細胞が、喜んでいるかのような感覚。
空気が美味いとは、このことだな。
「ユウヒっ!」
微妙に滑る死骸によじ登り、腰を下ろして一息吐くと、近くで待っていてくれたらしく、すぐにフィルが俺のところまで駆け寄ってくる。
「もう、無茶して!」
「おう、しっかりぶっ殺してきたぜ、このデカブツ」
ニヤリと笑みを浮かべてそう言うと、フィルは呆れたようにため息を吐く。
「相変わらず負けず嫌いなんだから、君は――って、火傷してるじゃない!」
「掠り傷だ、気にすんな」
「気にするに決まってるでしょ、バカ。しかもこの火傷の仕方、レヴィアタンの攻撃じゃなくて、自分の攻撃で負ったね? 全く……ほら」
フィルは俺の両手を取ると、残り少ないであろう魔力で回復魔法を発動する。
じんわりと芯から満たされるような、温かな感触。
心地良く、彼女の手を通して伝わる、淡い快感。
微妙に照れくさい感じだが、大人しく治療を受けていると、他の三人もまたこちらに寄ってくる。
「お前は本当に、大したもんだな……お疲れ、ユウヒ」
「おう、そっちもな」
コツンとラルと拳を合わせると、次にネイアが口を開く。
「あんまり、フィルを困らせちゃダメよ。この子、『ユウヒなら大丈夫』とか口では言いながら、すっごいそわそわして心配してたんだから」
「ちょ、ちょっと、ネイア!」
「お、そんなに心配してくれてたのか、フィル。いやぁ、嬉しいですねぇ」
「…………」
かぁっと顔を赤くしたフィルは、無言のままゲシ、と俺の脇腹に肘打ちする。
「痛っ、お、おま、こっちは怪我人なんだから、手加減しろよ」
「うるさいバカ!」
容赦ねぇな、コイツ……。
と、そんな感じで同級生達とふざけていると、アルヴァン先輩が口を開く。
「全く、肝を冷やしたぞ、ユウヒ。わざわざあの場面で追撃を仕掛けるんだからな。……まあ、それがお前らしいと言えば、お前らしいが。しかも、本当に倒してしまったところが、なおお前らしい」
「すんません、心配掛けました」
「無事に戻って来たならばいいさ。それで、イルジオンに乗っていないところを見るに、また壊したか?」
「あー、その通りっす。途中でぶっ壊れたんで、脱ぎ捨てました。壊れた以上、重しにしかならなかったんで」
あとで、デナ先輩に謝らないとな。
あの機体自体は、非常に良いものだった。
せっかく俺が使いやすいようにと組んでくれたのに、申し訳ない限りである。
大剣と同じく、半分くらい炭にしちゃったし。
「また壊したの、ユウヒ。君はすーぐ物を壊しちゃうんだから」
「いや、そんなおもちゃ壊した時の子供に言い聞かせるみたいに言われても」
今回に関しては、事故みたいなもんだし。
……壊れかけのところに、トドメを刺したのは俺だが。
「こっちからも、海中ですごい光が走ったのが見えたぜ。あれ、ユウヒの魔法か?」
「あぁ、雷魔法だ。得意なんだ」
使い勝手が良いからよく使っていたら、発動速度が最も早くなった感じだ。
雷は、攻撃速度が非常に速く、それでいてかなりの威力が出る。
電子機器の破壊も可能だしな。
俺は基本的に剣でしか戦わないので、防御系の魔法以外はあまり使わないのだが、こういうデカいのやら数が多いのやらと戦う時は雷魔法を選択することが多いのだ。
と、その俺の言葉に、フィルがちょっと怒ったように口を開く。
「得意なら、自傷しないよう反省して」
「い、いや、けど、コイツを倒すにはそんなこと言ってられなかったし――」
「反省して」
「……悪かったよ」
その視線の圧力に何も言えず、謝る俺。
こういう時のフィルに、俺は逆らえないのだ。
男は決して女に勝てず、しかもそれが幼馴染となると、もはや勝ちの目は存在していないのである。
「ははは、鉄砲玉のようなユウヒを抑えられるのは、フィルネリアだけか――っと、はい、聞こえています」
横でニヤニヤしている同級生二人に恨めしい視線を送っていると、アルヴァン先輩が声音を真面目なものに変え、何かに応答する。
俺は機体を壊してしまったのでわからないのだが、どうやら無線に通信が入ったらしい。
口調からして、学園からではないようだ。
彼は、幾つかのやり取りをした後にふと空を見上げ、俺もまた彼の見ている方へと視線を送ると――あれは、イルジオンの部隊か。
こちらに向かっていたはずの、救援の先駆けだな。
彼らは俺達の近くまで飛んで来ると、同じようにレヴィアタンの死骸の上に降り立った後、バッと揃って敬礼する。
「小官はゲイガー=ブロム少尉であります。貴殿らがセイリシア魔装学園の生徒の皆さんでありますね?」
「はい、そうです。あなた方は、救援に来ていただいた部隊の方でしょうか?」
俺達を代表し、アルヴァン先輩が彼らに応対する。
「えぇ、脅威度『Ⅹ』の魔物が出現したとのことで、救援要請を受けての出動でしたが……これを、貴殿らのみで討伐したのですか」
ゲイガーと名乗った軍人は、足元の、三分の一が炭と化しているレヴィアタンの死骸を畏怖の籠った目で見ながら、そう言葉を溢す。
「……色々お伺いしたくはありますが、今はやめておきましょう。十分もせず、巡洋艦がこちらに到着すると基地から連絡が入っております。それまで、ここでお待ちいただきたく。怪我をされた方はいらっしゃいますか? 部隊に回復魔法の使える者がおりますので、治療が可能ですが……」
「あーっと……ユウヒ、どうだ?」
アルヴァン先輩が、恐らく唯一の怪我人であろう俺を見る。
「大丈夫っす、フィルが手当してくれたんで。後は放っとけば――」
「僕がしたのは応急処置だけなので、この人の治療をお願いします。傷は腕の火傷です」
「…………」
俺の言葉を遮り、そう彼らにお願いするフィル。
後ろで、ラルとネイアが声を押し殺して笑っていた。
お前ら、覚えておけよ……。
――そうして、俺達はレヴィアタンの討伐を完了したのだった。
* * *
その後、俺達はやって来た巡洋艦に乗船し、学園へと帰還を果たした。
途中、ガルグ担任を含む教師部隊がやって来たり、発進していた空母を中心とした艦隊と合流したり、俺達が倒したレヴィアタンを見て大騒ぎになったりしたが、流石に皆かなり消耗していたので、特に何も聞かれずに解散。
そして――翌日に戦闘の詳しい状況がアルヴァン先輩から伝えられると、すっげー怒られました。俺だけ。
心配してくれていたらしい先輩方に始まり、学園の教師陣、果ては全く知り合いではない軍のお偉いさんから、いったいどれだけ叱られたことだろうか。
レヴィアタンと戦闘になったことは仕方がなかったとは言え、どうにかこうにか撃退したのにもかかわらず、危険な海中へ追撃を仕掛けるとはなんて馬鹿なことをしたのか、というお叱りだ。
何故、すでに出撃していた軍に後始末を任せなかったのか、と。
一応、俺も考えがあっての追撃だったし、倒せると思ったからこそあそこで追い縋ったのだが……ただ、子供に無理をさせたくないという大人としての思いが窺えたので、黙って怒られた。
こちらを本気で案じてくれていたのが、わかったからだ。
――まあ、同じ状況になったら、同じように突撃するだろうけどな!
人の忠告を素直に聞き入れられるような柔軟な生き方が出来ていれば、きっと俺は、前世で魔王なんぞというものにはなっていなかっただろう。
俺は、自らの感覚を信じている。
出来ると判断した。
だったら、あとで怒られ、心配されようとも、やるのだ。
俺よりも俺の心配をしてくれるフィルや皆には、その都度謝るのである。
故に俺は――今、イルジオンに乗り、再度海へと出て来ていた。
確か……この辺りだったか。
以前、レヴィアタンと死闘を繰り広げた場所より、さらに三十分程飛んで遠洋に出て来た俺は、ザブンと、海の中へと飛び込んだ。
この機体は、水中戦も可能な特殊仕様のイルジオンだ。
学園に置いてあったこれを、デナ先輩にお願いして調整してもらったのである。
ちなみに今、無線での俺のサポートには、レーネ生徒会長が付いてくれている。
安全の確認が取れるまで、という理由で、実は今は海への出撃が禁止されているのだが、必要なことだからと生徒会長を説得して、特別に出撃許可を得てもらったのだ。
俺のサポートに彼女が付いているのも、「許可して何かあったら私の責任だから」なんて責任感で、見てくれているのである。
許可が出なかったら魔法を駆使して一人で海まで行くつもりだったので、正直かなりありがたい。
あの二人の先輩には、本当に頭が上がらない。
彼女らには、何かしらの礼を考えておかなければならないだろう。
ただ青だけが支配している世界の中をぐんぐんと降りて行き、やがて俺は海底近くまで辿り着く。
全身に感じる、強い水圧。
イルジオンの魔力障壁がなければ、すでに肺が潰れていることだろう。
この辺りは、もう生物は欠片も生存していないらしい。
生命豊かなはずの海中には、見渡す限り俺以外の生物は見当たらず、無の青がどこまでもどこまでも広がっている。
付近には、船の残骸らしきものや何かの大型生物の骨、積み重なったサンゴの岩山などが見え――そんな中に、俺が探していたソレは、刺さっていた。
そこにあったのは、刀。
反りのある片刃であることが特徴の刀だが、通常の刀剣の倍はあるだろう、俺の身長よりも確実に長い刀身を見るに、恐らく『大太刀』という分類のものだ。
その刃は、光を吸い込んでしまうのではないかと思う程の、黒一色。
海水に晒されて劣化したらしく、柄は握った瞬間に崩れてしまいそうな程のボロボロ具合なのだが、不思議なことに刀身に一切錆はなく、刃毀れも全く見られない。
そして――その大太刀から放たれている、魔力の波動。
ギシリと、魔力障壁が軋むのを感じる。
長居したら、死んじまうな、これ。
俺は、すぐに大太刀の下まで向かうと、そのボロボロの柄を、ギュッと両手で握った。
――落ち着け。
瞬間、腕を通して一気に流れ込んでくる、膨大な、レヴィアタンが可愛く思える程の魔力。
当然と言えば当然か。
海の覇者である奴ですら、怯えて逃げ出す程の圧力なのだから。
予め、力を海中に受け流す態勢を整えていなければ、イルジオンも俺の身体も破裂して、とっくのとうに海の藻屑と化していることだろう。
ただ、腕に流れ込んでくるのは圧倒的な魔力だけではなく、同時に感じるのは――狂ってしまいそうな程の、孤独感である。
脈動。
すすり泣く声。
恐らく、ずっとずっと、ここに独りでいたのだろう。
誰も来てくれず、誰も助けてくれず、ずっと独りで。
だが、お前のことは、こうして俺が見つけた。
今までどれだけ孤独であったのだとしても、これからは、俺がいる。
もう、独りじゃないんだ。
だから――そんなに、泣くな。
荒れ狂う、海そのもののような力を自らの魔力で以ていなす。
刀身を、撫でるように。
子供を、あやすように。
すると、少しずつ少しずつ収まる、死の脈動。
しゃくり上げていた子供が、落ち着きを取り戻したかのように、その圧力が弱まっていく。
大丈夫だ。
俺は、ここにいるぞ。
そして最後には、ただ大人しく、俺に握られていたのだった――。