海上飛行訓練《2》
――海上を飛び、近海のパトロールを行っていた、海上警備隊の一つ。
『……!』
日課の業務を、いつもより多少緊張感を漂わせて行っていた彼らの中で、少し大きめの通信装置をイルジオンに搭載している隊員が、突如ピクリと反応する。
「どうした?」
部下の様子に気付き、部隊長を任されている男――ゲイガー=ブロム少尉が声を掛ける。
『司令部から行動中の全部隊に向けて報告が入りました。部隊の一つが魔物と遭遇、これを討伐した模様です。やはり、様子がおかしくなっていたとのことですね』
「……例のか」
――ここのところ頻繁に報告されている、魔物の異常行動。
近辺に棲息域のない魔物の観測から始まり、気性が穏やかな魔物が興奮して暴れていたり、深海を住処にしている種が大量に浜辺に打ち上げられていた、などの事例が、二日に一度というかなりの頻度で報告されているのだ。
海中では、何かおかしな魔力の波動をレーダーが感知しており、それ以外の魔物の魔力などが確認し辛くなっていると聞いている。
つい最近などは、突然進路を変更した魔物の群れが、王都セイリシアにある学園――『セイリシア魔装学園』付近に現れ、生徒達が討伐したという報告もあった。
イルジオンに関連する技術を学ぶ教育施設の中では国内随一の実績があり、軍の中にもあそこの卒業生は多い。
若いのに大したものだと、上も下も結構な噂話をしていたことは記憶に新しい。
何かしらの異変が起きていることは確実で、故にここ一週間は、忙しさでまともに家に帰れていないのだが、未だ原因の特定には至っていない。
ただ、魔物達の動向からしてある程度推測は立てられており、その原因は、軍の見解では恐らく――強大な魔物の出現。
それも、周辺の生物が危険を感じ取って一斉に逃げ出す程の、脅威度で言えば『Ⅶ』以上であろう強大な魔物の出現、だ。
レーダーが感知している海中の波動も、その魔物のものではないか、ということだ。
それが王都セイリシアの近海に棲み始めたとなれば、防衛上の危機であることは勿論、当然船が出せなくなるため、経済的な損失もどれだけのものになるかわからない。
早急に対策しなければならないのだが……あくまで、まだ推測。
確かな手掛かりは、何一つとして得られていない。海底の火山活動の影響、なんて可能性もあるのだ。
そんな、何もわかっていない状況でおいそれと入出港などの禁止勧告を出せるはずもなく、注意を促すだけに留まっており、故に上は確かな判断材料を得るため、自分達に激務を課しているという訳である。
「全く……勘弁してもらいたいもんだ。もう一週間は家に帰れていないぞ。残業手当が無かったらやってられん」
『どうせ残業手当が出ても、隊長はほとんど酒に費やすんじゃないですか?』
「違うな。ほとんどじゃない。全てだ」
部下達の笑い声に肩を竦め、部隊長は言葉を続ける。
「それで、わざわざ通信を入れてきたということは、続きがあるんだろう?」
『はい……「今日は一段とおかしくなっている」と、その部隊から警告が。魔物の興奮具合がいつもより強く、何かに怯えていたようです。……どうやら、脅威度Ⅶ以上の魔物が出現しているというのは、ほぼ確定っぽいですね。司令部からも、一度撤退し、武装の更新をと――』
『――不明生物、接近! 海中から上がって来ます!』
その時、特殊な索敵用の装備をイルジオンに積んでいる、部隊の一人が声を張り上げる。
「数は!」
『例の海中の波動の影響で、わかりません! ですが、恐らく三十以上は確定――いえ、待ってください!』
「何だ、どうした!?」
『……我々の魔力を感じ取ったのか、進路を変更しました! 七時方向に出て来ます!』
「……了解。全機高度二○○まで上昇し、戦闘用意! だが、攻撃はまだするな、状況確認を先に行う! 司令部に連絡を!」
その指示に従い、彼らはまるで一つの生物であるかのように飛行し、高度を上げると、眼下に向かって魔導ライフルを構える。
――数十秒後、海上に飛び出したのは、小さな羽の生えた魚の群れ。
魚群はそのまま海上を飛行し、数百メートル先まで行ったところで再度海中に潜り、消えていった。
あの魚は群れで行動し、そして敵から身を守るために数分の飛行能力を獲得した稀有な種だ。
つまり、こうして海上に飛び出した以上、彼らの敵がそこにはいたということだが――。
「あの魚達を追っていた生物の反応はあるか?」
『……いえ、ありません。今はレーダーがあまり当てになりませんから、もしかすると見逃した可能性はありますが……』
部下の報告を聞き、部隊長は構えていた魔導ライフルを下ろしながら、ポツリと呟く。
「お前達は、いったい何から逃げている……?」
* * *
最初に警戒を口にしたのは、ネイアだった。
『ちょっと……マズいわね』
一時間程はすでに経ち、予め設定されていた空路の半分は飛んだであろう頃。
訓練といっても割と暇な時間が続いたため、アルヴァン先輩から学園に関する色んな話を聞いていると、途中から黙っていたネイアが、ふとそう呟いた。
『どうした、ネイア?』
ラルの言葉に、猫獣人の少女は少し険しい声音で答える。
『何て言うのか……空気がヒリついている感じがする』
『ヒリついている?』
ラルの次に問い掛けるのは、アルヴァン先輩。
『上手く言えないんですが、いつもとは空気が違う感じがあります。こういう時は、あんまり良くないことが起こるものだと、私は故郷で教わりました』
……獣人族の感覚か。
総じて、人間よりも他のヒト種の方が感覚が鋭いものだ。
彼女も、俺達より優れた察知能力を有している可能性は高い。
ただ……今回に関しては、恐らくネイアと同じものを俺も感じている。
――眼下の海から、何か得体の知れない圧力が放たれているのだ。
俺は微かにしかわからず、違和感がある程度にしか感じられないのだが、恐らくネイアは、俺よりもっと確かな感覚を得ているのではないだろうか。
……確認してみるか。
「先輩、試したいことがあるんで、一旦下まで降りていいっすか」
『あ、あぁ、わかった』
俺は海面近くまで機体を下降させると、チャポンと右腕を海の中に突っ込み、その手の先から薄く薄く魔力を広げ、索敵を開始する。
これは、言わばアクティブソナーのようなもので、何か引っ掛かるものがあれば俺まで反応が返ってくるのだが……。
「……なるほどな」
一分程で索敵を切り上げ、上空で待機している皆のところまで戻ると、フィルが口を開く。
『ユウヒ、何かわかった?』
「あぁ。――何もいねぇ」
生物が、いない。
母なる大海原であるにもかかわらず、周辺には一切の生命がおらず、そして海中にある、魔力の素となる物質――『魔素』の濃度が、異常に高いのが感じられた。
元々海面下は、空気中よりも魔素が豊富に存在しており、故に多彩な生物が棲息しているはずなのだが……何か異変が発生しているのは、これで確実だ。
入学式で海を飛んだ時も、こんなだったのか?
……いや、流石にこれだけ様子がおかしくなっているのなら、軍が気付いているはずだ。
海が荒れていることはわかっていたのに、海上飛行訓練がこうして行われた以上、これだけの異変は今日になって起こったと考えるべきだろう。
「先輩、訓練の途中っすけど、これ、帰った方がいいかもしれないっす。海が荒れてるってのは聞いてましたけど、今日は多分、もっとおかしくなってます。何か異常事態が起きているのは、間違いないっぽいっすね」
アルヴァン先輩は、少し悩んだ様子を見せた後、コクリと頷く。
『……わかった、お前達の感覚を信じよう。情報科、聞こえるか、こちらアルヴァンだ』
彼の通信に、すぐに学園から応答が入る。
『聞こえます、どうされましたか?』
『海に、どうやらかなりの異常が見える。訓練を中断して、帰投――』
その時だった。
サバァン、と海面が割れ、大量の水飛沫が上がる。
口。
大岩すら噛み砕いてしまいそうな鋭い牙が何本も生え、人一人くらいならば、簡単に丸呑み出来るであろう口。
海中から俺達の高度まで一気に飛び上がったソイツの狙いは、俺達のちょうど中央にいた、ネイア。
突然の事態に、彼女は硬直して回避行動に移れておらず――いや、だが、誰よりも速くフィルが動いているのが、視界に映る。
フィルならば、ネイアを守れる。
ならば俺がすることは、敵の攻撃を反らすことだ。
刹那の思考で判断を下した俺は、魔力を思い切り流し込み、機体が許す最大限の加速を行う。
その最中、大剣に仕込んだ魔術回路二つ、『硬化』『重量倍化』を発動させ、大口を開けたマヌケ面に、勢いのまま斬撃を叩き込んだ。
「オラァッ!!」
腕に走る痺れ。
重い衝撃が大剣から全身へと伝わる。
斬る、というより殴る、という方が近いその一撃は、感触からしてダメージは少量だろうが……攻撃の軌道は、狙い通りズレる。
ガチン、と閉じられる咢。
フィルがネイアを引っ張り込み、俺が横っ面を殴ったことで、その食らい付きは空振りに終わる。
『シッ――!!』
次に突っ込むのは、アルヴァン先輩。
流石上級生、といった動きで瞬く間に距離を詰め、抜き放った双剣でソイツの目の辺りに連撃を放つ。
ダメージを与えることよりも、敵の気を散らすことを目的とした攻撃なのだろう。
その少し後ろでは、ラルがライフルを構え、援護射撃を開始し――だが、それらは全て、無駄に終わった。
「うおッ!?」
突如発生する、暴風。
空間を斬り裂くように荒れ狂う風は、先輩のみならず俺達全員を吹き飛ばし、彼我の間に一定の距離が生まれる。
――そこでようやく俺達は、ソイツの姿を正面から視認した。
戦艦よりも、デカい体躯。
海中に残っている部分を合わせれば、いったいどれだけのサイズになるのか、見当も付かない。
全身にビシリと生えた鱗は、先程の手応えからすれば恐らく鉄製の鎧、いや、アダマンタイト製の鎧並の硬度があるだろう。
頭部からは厳つい角が幾本も生え、片側に二つずつ、計四つの忌々しげな瞳が、俺達を鋭く睨め付けている。
『海の覇者……』
ポツリとフィルの漏らした呟きが、無線で伝わってくる。
海中から姿を現したのは――『レヴィアタン』。
龍種という世界最強の種族に分類され、海の覇者、生きた災害などと呼ばれる、脅威度『Ⅹ』に分類される魔物である。