お茶
いつも思うんだけど、キャラの書き分けは難しい……。
――休日の早朝。
朝焼け。
夜と朝との境界。
静寂に響く、自らの息遣い。
ふと横に顔を向ければ、遥かなる大海原に青と赤が混じり合い、遠くの海鳥の鳴く声と漣の音が空間に溶け込み、消え、再び生じる。
誰もいない、だが確かに命の感じられる世界を、走る。
身体強化魔法を発動し、そして中断するというサイクルを一歩ごとに行うことで負荷を高め、より余分に魔力を消費する。
用意してもらって以来、毎日着用している高負荷インナーが魔力の循環をかき乱すせいで、魔法の発動に失敗することも何度かあり、惰性でやっていると転んでしまいそうになる。
本当に、良いものを造ってくれたものだ。
――身体が成長したことで、昔程不自由さを感じなくはなってきたが、それでもやはり、まだまだ魔族時代の俺の肉体の方が強かった。
イルジオンに乗ることで、ようやく戦えるか、といったところか。
人間の肉体強度を魔族の肉体強度に寄せるのは、どれだけ筋トレをしたところで不可能であるため、それを求めるのならば魔法技能で補う必要がある。
俺が魔力トレーニングにこだわっているのは、それが理由だ。
まあ、この世界では、戦いの中に全てを投げ打つような生活を送るつもりはないので、鍛えるのもそこそこでいい気もするのだが……これはもう、クセだ。
身体に染み付いた習性だ。
多分、一生このままだろう。
ただ、朝の空気を吸いながらこうして身体を動かすのは、悪くない。
まるで自らが世界の一部と化したかのような、何とも言えない清涼感があるのだ。
「フー、フー……」
いつもの海辺のコースを走り終えた俺は、足を緩め、深呼吸を繰り返す。
心地良い熱を持っている身体を解し、一つ大きく伸びをし――。
「――あれ……ユウヒ君?」
「? あ、っと、生徒会長」
振り返ると、そこには、パーカーにジーンズというラフな格好の少女――レーネ=エリアル生徒会長が、片耳のイヤホンを外した姿で立っていた。
どうやら犬の散歩中だったらしく、手にはリードが握られ、彼女の足元でちょことんと小型犬が座っている。
「その様子からすると、トレーニング中だったのかな。……毎日この辺りを走ってるの?」
「えぇ、特に用事がない時は」
「へぇ……天才は一日にしてならず、ね。お姉さん感心しちゃったわ」
弟でも褒めるような口調で、そう言う生徒会長。
何だか、言葉遣いが以前よりも砕けた感じである。
学園にいる時はまさしく令嬢って感じの雰囲気だったが、こちらの方が素に近いのだろうか。
「いや、そんな大したもんじゃないっす。他にあんまり趣味とかがないってだけで」
これは、ただの習性だしな。
日課ではなく、習性だ。
……そうだな、考えてみれば、俺には武器やイルジオンなんかの戦闘に関することを除いて、趣味と呼べるようなものがない。
機械を弄るのは好きだが、やはりそれも、理由としては戦闘に関する技術だから、なのだろう。
他には、のんびりするのは好きだが、そりゃ趣味とは言えないだろうし。
その点、俺と違ってフィルは順応性が高く、入ったクラブからもわかるように裁縫や料理なんかが好きになっているようで、よく家でもマフラー編んだり菓子作ったりしているのは知っているのだが……趣味、趣味ね。
せっかく平和な世界なのだ。
アイツのように、何かそういうものを探してみてもいいのかもしれない。
「ふーん……」
と、何事かを考えているような表情でしばし俺の顔を見詰めた後、彼女は微笑みを浮かべる。
「ね、ユウヒ君。今日は学校休みだし、この後お姉さんとお茶しない?」
「え、お茶っすか?」
「うん、私が散歩終わりによく行くところがあるんだけど、どうかな」
「あー……俺、財布持ってないんすけど……あと、多分汗臭いっすよ?」
「私が誘ったんだし、お茶代くらいご馳走するわよ。それに……」
「わっ、ちょ、ちょっと」
ずい、と顔を近づけ、鼻をクンクンとさせる生徒会長。
「――ん! 全然大丈夫! むしろ、男らしくていい匂いだと思う」
「……それはそれで、恥ずかしいんすけど」
ニコッと笑う彼女に、俺は微妙に照れくさくなり、ポリポリと頬を掻いた。
* * *
「ん~! 美味しい。ユウヒ君、遠慮しないで食べていいんだからね」
「う、うっす、ありがとうございます」
結局俺は、彼女に連れられてオープンテラスのある喫茶店にやって来ていた。
座っているのは、外のテラス席。
料理は、生徒会長がパンケーキとコーヒー、俺はサンドイッチとコーヒーだ。
お茶というか、朝食だな。
出てくる時に軽く食べてはいるのだが、正直腹は減っていたのでありがたい。
まだまだ成長期なので、どれだけでも飯が食えるのだ。
あと、奢られっ放しは思うところがあるので、忘れない内に何かで返すとしよう。
「あ、このコーヒーうめぇ」
「でしょ? 私、あんまりコーヒーとか飲まなかったんだけど、ここのは美味しくてよく頼むのよ」
何が楽しいのか知らんが、ニコニコ笑いながらそう答える生徒会長。
それにしても……やっぱりこの人、お嬢様なんだな。
周囲に意識を向ければわかる。
付近に駐車している車の運転手、少し離れたベンチに座っているスーツ姿の男、建物の角に立っている女性。
全員護衛だ。
相当上手く一般人に見せかけているが、全員こちらを注視しており、有事に備えているのか体内魔力が高まっているのが感じ取れる。
俺に意識が向いているからこそ気付くことが出来たが、そうでなかったら普通に前を通り掛かっても素通りしているかもしれない。
公爵家の娘ともなると、やはりこれくらいの配慮は必要になるのだろう。
「ん、やっぱりわかるのね。ごめんね、大袈裟で。いらないとは言ってるんだけど、そういう訳にもいかなくて」
「まあ、立場がある上に、先輩美人さんっすからね。親御さんも心配になるんすよ、きっと」
「あら、フフ、ありがとう。……なるほど、確かに人たらしね」
「あー……それ、もしかしてデナ先輩が言ってました?」
「うん、デナが言ってた。あれね、君は無自覚に女の子をやきもきさせるタイプね。ユウヒ君の周りにいる子は大変だわ」
その評価に何と答えれば良いかわからず、俺は誤魔化すように話を変える。
「……とりあえず先輩、一つ言ってもいいっすか」
「ん?」
「あの、今更なんすが、俺、場違い感がすっげぇんすけど。ランニングウェアなのも相まって、『あの子、よくあんな格好で入ったわね……?』って、逆に感心されているような視線を感じるんすけど」
公爵家令嬢が通うというだけあって、かなり高級感の漂う喫茶店となっており、俺のミスマッチ感が半端ない。
実際客層も、金持ちっぽい雰囲気の、マダムとか呼ばれてそうな婦人ばかりで、若い客は俺らくらいなのではないだろうか。
現在が早朝であり皆朝食を食べに来ていることから、比較的軽い恰好ではあるのだが、俺のは流石に軽過ぎである。入る店を間違えた感がすごいことになっている。
対面に座っている生徒会長の方は、ラフな格好でもサマになっており、店の客としてしっかり馴染んでいるのが、その感覚をひとしお増しているのだろう。
「……周りのことは、気にしなくていいのよ、ユウヒ君!」
場違いなことを否定はしないんすね、先輩。
ペット連れだからなのだろうが、テラス席でまだ良かったぜ……。
というか、幾らテラス席でもそもそも飲食店にペットは――と思ったが、流石にその辺りの配慮をしていないとは思えないので、店的にここまではペット連れでも入っていいのだろう。
もしかしたら店内もオーケーなのかもしれないな。
ちなみに、彼女のペットの小型犬は『ハロ』という名前らしく、今もちょこんと主の足元に座っている。
全然吠えない上に大人しい、賢い奴だ。
俺は、一つため息を吐くと、言葉を続ける。
「それで……今日はどうしたんです? 何か、用があって誘ってくれたんすよね?」
「え? 特にないわよ? せっかくだからってだけ」
「…………」
何とも言えない顔になる俺を見て、彼女はクスリと笑う。
「フフ、強いて言うならば、君がどんな子なのか知りたかったってのはあるかな。あれね、ユウヒ君、弟っぽい雰囲気あるわよね」
「お、弟?」
初めて言われたぞ、そんなこと。
「いやー、私、家に妹は三人いるけれど、弟はいないから、ちょっと憧れがあるのよねぇ。だから、ユウヒ君と話すの、新鮮でいいわ」
「は、はぁ、なら良かったっすけど」
いったい俺のどこを見てそう思ったのだろうか。
身長が低い訳じゃないし、童顔だったりでもないと思うのだが。
……よくわからん人である。
「ね、ユウヒ君はどうしてウチの学園に入ったの?」
「そりゃあ、イルジオンに乗れるからっていうのが一番っすね。アレは男なら誰でも憧れますよ」
「ん……そっか、男の子だもんね。戦いの技術もそのために?」
「いや、そっちは……惰性というか。習性というか。俺がそういう生き物だから、ってのが理由っす」
「そういう生き物……?」
こればっかりは、口で説明出来るようなことではないので、俺は曖昧に笑って言葉を続ける。
「次、俺が聞きたいんすけど、先輩って、何か趣味とかあります?」
「趣味? うーん……魔法の研究とか、お買い物とか、かしら」
そう答えた後、彼女はクスリと笑う。
「? どうしたんすか?」
「うん、『ご趣味は?』って質問、何だかお見合いみたいだなって思って」
……た、確かに。
単純に他人の趣味を聞いてみたくての質問だったのだが、この場所も相まって、今の感じだと見合い席みてぇじゃねぇか。
「フフ、いいわよ? ユウヒ君になら、お姉さん何でも答えてあげる」
「い、いや、いいっす。微妙に後が怖いんで」
「遠慮しなくていいのに。ほら、私と君の仲じゃない」
「仲も何も、会話を交わすのはまだ二回目だと思うんすけど、大丈夫っす。今、大分先輩の性格も掴めたんで。知りたいことは知れたんで」
「あらそう? ユウヒ君と少しでも仲良くなれたのなら、嬉しいわ」
彼女はニコニコと――獲物を見つけた猫のように、ニコニコと笑っていた。
……俺、この人には敵わんかもしれん。