其は如何にして怪人となったか《1》
――ビルの屋上から、眼下を見下ろす。
寝静まり、闇と静寂が支配した世界。
夜は嫌いだ。
何もない暗闇が自身の愚かさを曝け出し、それ以外何も考えられなくなってしまう。
いや……わかっているのだ。
これがただの感傷であり、自身が糾弾してほしいと思っているからこそ、そのように感じるのだということは。
世界は、主観によって如何様にも都合良く変化し、人は皆その中で生きているのである。
そう、全ては自己を中心に回っている。
死者は死者であり、彼らが物事を語ることはなく、それでも何かを訴えていると思うのならば、それはただの錯覚だ。
死者が訴えていてほしいから、そう思うのである。
ただ――錯覚でもいいのだ。
もう二度と触れることが出来ないのならば、せめて妄想の中でも、彼らを感じていたいと思ってしまうのである。
「……私に、そんな資格はないのだろうがな」
そうだ。
最も罪深いのは、自分自身なのだ。
唾棄すべき邪悪は、自分自身なのだ。
だと言うのに、彼らの存在を感じたいなど、おこがましいにも程がある。
自身は、ただ為すべきを為し、そして野垂れ死ぬのがお似合いだろう。
「…………」
一つ、大きな息を吐き出し、怪人は自身の顔に仮面を――。
「こんばんは。いや、そろそろおはようございます、か? こんなところで会うとは、奇遇なこともあるもんで。――ローリアさん」
――ハッと振り返ると、いつの間にかそこには、一人の少年が立っていた。
* * *
まだ陽は見えず、空は黒に染まったままだが、そろそろ朝が訪れるという時間帯。
海に面している学区には、船から降ろされた積み荷を置くための、倉庫が多く並んだ区画が存在する。
「こんばんは。いや、そろそろおはようございます、か? こんなところで会うとは、奇遇なこともあるもんで。ローリアさん」
その付近に建っているビルの屋上へとやって来た俺は、この場にいた先客へと声を掛ける。
背の高い、魔眼持ちの女性。
――ローリア=エンタリア。
「随分、かっこいい仮面を持ってるな。実は最近、俺はその仮面を見たことがあってね」
手に持っていた仮面を下ろした彼女は――怪人ファントムは、特に誤魔化しの言葉は吐かなかった。
「フゥ……やはり私に、こういう才能はないらしいな。まさか、こんなにあっさりバレてしまうとは……よくここにいるとわかったな」
「悪いな。幼馴染に頼んで、こっそり追跡用の魔法を付けさせてもらってたんだ。『サイレント・アイ』って名前の魔法で、位置情報を常に術者へと伝えるんだ。アンタは魔眼持ちだから、気付かれないようにするのが大変だったって言ってたよ」
改めて思うことだが、魔力を直接見られる相手に、一切気付かせず魔法を張り付け続けるって、アイツの技量はいったいどうなってんだ。
俺の言葉に、彼女はため息を吐く。
「どうして、怪人が私だとわかった?」
「別に、確証があった訳じゃない。ただ……劇場で会った時のことだ」
「ふむ? 何かおかしなことをしていたか、私は?」
怪訝そうな顔をする彼女に、俺は言葉を続ける。
「あの時、ローリアさんはおっさん――オルド刑事に、怪我人はいるのか、と聞いたな。そして、ほとんど被害者は出ていないと聞いて、安堵していた」
「被害者が少ないことは、喜ばしいことだと思うが」
「あぁ、別に普通のことだ。けど、その声音に嫌に実感が籠っているように感じたんだ。だから俺は、随分感情移入しやすい女性なんだな、なんてことを思ったんだが……その次だ。アンタは、こうやって腕を組んだな?」
「…………」
俺が何を言いたいのか、察したのだろう。
「ところで怪人は、俺とアンドレ刑事と戦っていた時、肩に銃弾を食らっていた。掠っただけだったが、多少肉は持って行っていたのかもしれないな。――ローリアさん、腕を組んだ時に一瞬、顔を顰めただろ? 多分、無意識の動作で腕を組んだが、肩を怪我していたせいで、痛みが走ったんだ」
そう、彼女はあの時、ビクリと身体を震わせ、一瞬だけ歯を噛み締めていたのだ。
あの短い時間である。
簡単な止血は出来ても、回復魔法なんぞを使っている暇はなかったのだろう。
「……それだけで、私が怪人ファントムだと?」
「確証があった訳じゃないって言ったろ? けど、怪しいと思ったから、一応アンタに追跡用魔法をくっ付けておいたんだ。……あと、もう一つ。こっちも、証拠は何にもないがな」
「聞かせてくれ」
「怪人は、あれだけの事を起こしておきながら、余計な被害は出てほしくないと思っていた。だから、劇場で暴れていた洗脳体達は、観客に攻撃は加えず、コンサートホール内の設備ばかりを壊していた。まず間違いなく、そういう指令をアンタが出していたんだろうよ」
乱入してきた俺達にこそ彼らは攻撃してきたが、あれだけ暴れていて被害者ゼロ、というのは、普通に考えてあり得ない。
である以上、それは奇跡でも何でもなく、ただ単に最初から、観客が標的から外されていたのだ。
思えば、今までもそうだった。
黙っていれば止められなかったであろう犯行を、怪人はわざわざ予告し、そして俺達に阻止させてきた。
無駄な被害を、出したくなかったのだ。
「劇場では、どうやら避難するように、という声を一人の女性があげ、それで全員がすぐに逃げ始めたそうだ。逃げ遅れそうな人を助けもしていたらしい。おかげで被害が皆無だったようだが……俺は、これが怪人本人じゃないかと思った。何の根拠もない、本当に何となくだ。となると、怪人は女性だということになる」
緊急事態に、見ず知らずの他者を優先する。
それは、拍手喝采の素晴らしい行動だが……はっきり言って、普通そんなことは出来ないのだ。
知人や家族のためならまだしも、そうでない相手のために自らの命を危険に晒すというのは、そういう職にでも就いていなければ本当に難しい。
だから、称賛されるのである。
しかし、あの場には事件を起こしておきながら、被害を増やしたくないと思っている怪人がいた。
時間がなかったため、そこまですることは出来なかったが……コンサートホール内にいた観客達に聞き込みを行い、ローリア女史の写真を持って「この人が助けてくれたんですか?」と聞けば、きっと「そうだ」と答えたことだろう。
「……フフ、根拠が本当に何となくだな。全く、推理小説だったら、三流の烙印を押されるぞ」
「そうだな、自分でもそう思う。俺が読者だったら、多分もう古本屋に売ってるだろうよ」
肩を竦めてそう答えると、彼女はクスリと笑い、言葉を続ける。
「それで、どうする? 私を通報するか?」
「いや、その前に少し話がしたくてね。今回のことに関して、アンタには幾つか、聞きたいことがあるんだ」
「……ふむ、いいだろう。迷惑料代わりだ、私に答えられることなら答えよう」
俺は、言った。
「――アンタ、ホムンクルス。造ったろ」