駅前広場
――ある、倉庫の中。
「ヒッ、ヒィッ……」
その中で、逃げ回る男。
必死に、無様に、悲鳴をあげ。
『…………』
追っているのは、仮面を被った、燕尾服とシルクハットという怪しい風体の何者か。
――怪人。
走って逃げる男を、だが怪人は焦らず、急がず、ゆっくりと歩いて背中を追う。
幻惑魔法である。
すでにその術中に陥っている男は、実際のところ全く進んでなどおらず、その場で足踏みをしているだけなのだ。
必死に逃げている自分に対し、怪人はゆっくりと歩いている。
なのに、彼我の距離はどんどん縮まっていく。
恐怖は増大し、動転している男はもはや、自身が魔法を掛けられていることにすら気が付いていなかった。
やがて、怪人は男の前へと立つ。
「ぎっ……!?」
男は腰を抜かし、這ってでも逃げようとするが、その背中を怪人が踏みつける。
『愚カナル者ヨ。今日ガ何ノ日カワカルカ』
「きょ、今日……?」
『ソウ、今日ダ。我ラガ大罪ヲ犯シ、ソレヲ闇ニ葬ッタ日デアル』
怪人の言葉に、男は一瞬固まり、それから驚愕に目を見開く。
「!? きっ、貴様は――」
男の意識は、そこで途絶える。
――その仕込みは、もう一つ先のものである。
* * *
「ふーん……それで、後輩の女の子と一緒に、デートしてきたんだ?」
「いや、デートなんて可愛いもんじゃねぇぞ、お前。俺、無理やり女装させられたし。酷ぇ目に遭った」
ふーん、といった様子で俺を見るフィルだったが、今回は間違いなくひたすらに振り回されて終わったので、特に狼狽えることもなく自信を持ってそう答える。
……自信を持って酷い目に遭ったと言うのも、なんつーか、すげーおかしな話ではあるのだが。
ちなみに、マギ・アスレチック・ガンファイトの競技は初戦で負けた。
メイド仮面でも射撃は無理だった。
機動力を活かして戦おうとしたのだが、結局最後は銃撃がメインになるので、もう惨敗である。
まあ、それでも後輩の少女は楽しんでくれたようだったので、ホッと安堵の息を吐いたものだ。
その時、「先輩……射撃、下手だったんですねぇ」なんて、無駄に感じ入った様子で言われたが。
「それでも、楽しんできたのは間違いないようだしぃ?」
「お前、俺が喜び勇んでメイド仮面の恰好をしていると思っているのなら、それは断じて違うとここに宣言させてもらおう」
「あはは、そっか。――いやぁ、それにしても楽しそうな後輩だね。その子とは僕、気が合いそうだよ」
「……お前とエイリが手を組んだら、大分恐ろしいことになりそうだ」
俺の言葉に、彼女は楽しげに笑う。
俺は、少し躊躇してから、しかしここで言い出せなくなってしまうと、後がどんどん辛くなることはわかり切っているので、固まりかけた口をすぐに動かす。
「フィル。左手、出せ」
「ん? うん」
俺は、彼女の滑らかで綺麗な左手を取ると、その人差し指にソレ――予め買っておいた指輪を嵌めた。
シルバーのリングに、小さな碧色の宝玉が埋め込まれた意匠。
シオルと千生に渡したが、フィルには渡さなかった指輪の埋め合わせである。
「昨日話した、埋め合わせだ。それには何の魔法も掛かってないが……別に、テキトーに選んだ訳じゃねーからな」
「……ん、大丈夫。わかってるよ」
彼女は、自身の指輪の嵌った指をまじまじと見詰め、それから口元に薄い笑みを浮かべ、言った。
「ユウヒ」
「おう」
「とっても嬉しい。ありがと」
「……おう」
俺がガシガシと頭の後ろを掻くと、彼女は笑みを浮かべたまま、先程よりもわざとふざけたような口調で言葉を続ける。
「あーあ、本当はみんなに時間が出来たから、今日は学区祭を見て回る予定だったのに」
「悪いな。けど、お前がいてくれて助かってるよ」
「ん……ま、学区祭はまだ明日も明後日もあるしね。と言っても、明後日は午前中だけで終わっちゃうけど。けど、後夜祭は後夜祭で面白いらしいね」
「おう、それも今から楽しみだな」
そんな会話を交わしながら、俺達は周囲を見渡す。
――ここは、駅前広場である。
例の、レーネ先輩が開幕式を行った場所だ。
人。
活気。
喧騒。
多くの屋台が店を開き、通行人を呼び寄せ、そこかしこから楽しげな笑い声が聞こえてくる。
ただ……少し見ればわかるが、警察関係者らしき者達の姿もまた多く見られ、どことなく空気が張り詰めているような感覚を覚える。
シオルは、今回は留守番してもらった。
彼女も、戦いは強い。
射撃に関して言えば国内でも有数の腕を持っているだろうし、単純な戦闘技能も相当のものを持っていることは知っている。
だが、今回の相手はそういうのではないのだ。
基本的に怪人『ファントム』は搦め手しか使わず、そういう面に対し彼女は一般的な知識しか有していない。
いや、勿論一般人より余程頼りになるだろうことは間違いないが、それでもわざわざ危険な場所に連れて行ける程ではないのだ。
自身が力になれないことを悔やむような顔に、ちょっと絆されそうにはなったが……彼女のことを思うのならば、留守番していてもらうのが一番なのである。
千生も連れて来ていない。
街中のような場所では、彼女の大き過ぎる力は、得てして余分なものまで斬ってしまうからだ。
千生、鉄とか普通に斬れるし、コンクリも崩せるしなぁ……。
「ここで昨日、何か魔力が漏れているっていう騒ぎがあったそうだね。その時に仕掛けられたのかな。……でも、急過ぎるか。事前に計画を立てていたであろう以上、向こうはわざわざ直前になって仕掛けなきゃならない理由もない訳だし」
「いや、多分直前に仕掛けなきゃいけない理由があったんだろうよ。例えば、人とかな」
「……さっき話してた、白衣の男性みたいな?」
フィルの言葉に、俺は頷く。
「あぁ。装置はいつでも仕掛けられるだろうが、人はいつでも仕掛けられねぇ。それも、拉致って運んでくるってなるとな」
不意を打ち、殺す訳ではないのだ。
どのタイミングで洗脳魔法を仕掛けたのか、まではわかりっこないが、タイミングが重要になることは間違いないだろう。
我が幼馴染は、少し考えるような素振りを見せる。
「……『時は回る。されど、我が時は動かず。その時から永遠に』、だっけ?」
「そうだ。何かわかるか?」
「……うん、多分。ユウヒも見当付いてるでしょ?」
こちらを見る彼女に、俺は頷いた。
「……あぁ。ここに来てな」
俺達は、二人同時にソレを見上げた。
――時計塔。
それも、工事中の、である。
駅の一部に組み込まれているあの時計塔は、だが今は鉄骨の足場が組まれており、覆いが被さって見えなくなっている。
この場所にある止まった時は、あれだけだ。
「でも、一個解せない点があるね」
彼女の言いたいことは、俺にもわかる。
「『その時から永遠に』って部分か?」
「うん。あの時計塔は、老朽化したから一旦改修しているだけだったはず。なのに、『永遠』なんて言葉はどう考えても言い過ぎだよ。だから、それは多分、怪人自身の気持ちを表してるんだと思う」
「……だろうな」
時は回っている。
だが、我が時――怪人の時の流れ自体は、『その時』で止まっている。
怪人の時計は壊れ、もう二度と動き出すことはないのだ。
「さて、行ってみるとするか。次はどんな面白いものが出て来るのか、見せてもらおうぜ」
「またメイド仮面の姿する?」
「しねぇ」
そんな軽口を叩きながら、だが、意識だけは通常時のものから戦闘時のものへと切り替え、俺達は駅前広場から駅の方へと進んでいった。