マギ・アスレチック・ガンファイト《4》
一瞬だった。
――殺気。
殺気を感じ取るというのは、音や魔力など、周辺に存在する情報から自身に対する攻撃の予兆を感じ取るということ。
決して、第六感などというあやふやなものではなく、五感の延長線上に存在する能力だ。
その時、確かにそれを感じ取った俺は、頭で判断するよりも先に勝手に身体が動き、後ろへと逃げる。
刹那、用具入れの扉から二本の手が生え、先程まで俺がいた空間を攻撃する。
比喩ではない。
文字通り、扉をぶち破って手が生えてきたのだ。
空振ったその手は一旦引かれるが、次に扉が蹴り飛ばされ、そのまま蝶番が壊れて反対側の壁までぶっ飛び、派手な音を立てて停止する。
そうして、中から現れたのは――白衣を身に纏った、研究員らしき一人の男性だった。
「アああアぁァアあああァああ」
白目を剥き、口元からダラダラと涎を誑し、意識などまるで感じさせない様子ながらも、犬歯を剥き出しにて俺を威嚇している。
「……またこんなのか」
およそ、今の力業を成したとは思えない細身の身体だが……その体内魔力が勝手に動き、一つの魔法を組み上げて発動しているのがわかる。
つまりは、洗脳状態だ。
俊敏な獣のような動きでこちらへと襲い来るが、その前に先に懐へと入り込んだ俺は、今までと同じように『魔浸透』を発動させた掌底を相手の胸に叩き込み――が、解けない。
「チッ――」
「あアアあアぁああァああアア」
洗脳魔法は解けておらず、人間味などまるで感じられない咆哮と共に放たれる、攻撃の連打。
獣の攻撃である分、単調で動きは読みやすいが……しかし、理性がないせいで一撃一撃が非常に重く、鋭い。
俺が避けたソイツの拳が、そのまま後ろの壁に突き刺さり、壁の方がバゴンと割れた。
コイツは今、脳味噌がまともに動いていないせいで、力のリミッターが外れているのだ。
しかしリミッターとは、本来必要だからこそ存在しているもの。
それが機能していない以上、肉体には重い負担を強いることとなる。
現に、この短い攻防の時間だけで、男の拳からは骨が覗き、血が垂れ、腕には異常な程に血管が浮かんでいるのが見える。
多分、足腰も同じようになっていることだろう。
身体強化魔法などを使って攻撃を行っている訳ではなく、本当に肉体の力のみで、こんな無茶な戦闘を行っているのだ。
……俺の一撃で洗脳が解けなかったことと、他の洗脳された奴らよりも獣染みていることから見て、恐らくコイツは、今まで俺が対処したことのある相手よりも、さらに深い洗脳魔法を食らっているのだろう。
だが……ここまで深いと、仮にそれが解けても正気に戻れない可能性が高い。
今まで俺が相手したことのある洗脳魔法に侵された者達は、全員後遺症もほぼ残らないような軽いものだったが、しかしこの男には確実に後遺症が残ると思われる。
それこそ、死ぬか、廃人になるか、それくらいの重い後遺症だ。
どうやら怪人は、この男の命は心底どうでもいいと思っているようだ。
つまりは、怪人が明確な殺意をこの男に対し、抱いているということになる。
――怪人と知り合いなんだな、コイツ。
まあ、この男がいったいどこの誰なのかを探るのは、それこそ警察に任せるとしよう。
それよりも今は、どうやって対処するかを考える方が先だ。
格闘家などのものとは違う野性味丸出しの突きを、両手を使って全て捌き、噛み付きを首を捻って回避。
哀れなこの男には悪いが、やられるばかりともいかないので、カウンターに水月へと膝蹴りを入れ、一瞬よろけたところへハイキックを叩き込み――クソッ。
手応えは確実にあり、通常の相手ならばすでに意識を飛ばしているはずなのだが、男はまるで気にした様子もなく、吹っ飛んでもすぐに戻ってきて猛攻を再開する。
俺の攻撃は間違いなく人体の急所へ入っているものの、やはり理性がない以上、身体が痛みを覚えていようが関係がないということか。
多分、手足を折ったとしても何にも気にせずそのまま攻撃してくるだろうし、首だけになってすら動きそうである。
……このまま攻撃を続けていると、洗脳を解くより先に、殺しちまいそうだな。
あと、物凄い今更なのだが、ロングスカートがすんごい動きにくい。ヒールブーツも。転びそう。
いや、そもそも全体的に、戦闘なんかまったく考慮された服装ではないので、大分動きが制限されている感がある。
何故、俺はこんな格好のまま、こんな奴の相手をしなきゃならんのか。辛い。
これも全て、怪人のせいである。
俺がメイド仮面なんぞをやらされているのも、きっと全ては怪人のせいなのだ。怪人許すまじ。
「きゃあっ、な、何!?」
「うわ!?」
そして、この場所。
ここが関係者用通路で人通りが少ないと言えど、勿論のことながら全くいないという訳ではなく、通りがかりの通行人達がすげー邪魔だ。
――ダメだ。
ここは場が狭く、他に被害を出させないようにしている俺に不利だ。
ならば、場所を変えるしかない。
何よりコイツの解呪は、少し骨だ。
殺しちまうのならば今すぐ出来るし、本当にヤバい時にそれを躊躇う程、日和ってはいないが……それは、やはり最終手段だ。
どうにか廃人を避けて解呪を行うとなると時間が掛かるのだが、器用なフィルでもあるまいし、こんな場所でそんな神経使うことまでやってらんねぇ。
ただ、幸いここは、競技場だ。
自由に動けるフィールドは、すぐ隣に存在する。
「付いて来い――いや、付いて来なさい、哀れな被害者よ。我々が暴れるにはここは、少々手狭です」
俺は攻撃を捌きながら、奴が標的を他へと移さないよう間合い管理を徹底し、移動を開始した。
* * *
「――オルド刑事!」
「何だ、見つけたか!?」
「い、いえ、そちらはまだですが、先程話されていた少女が、競技場の方にて何者かと戦闘を行っております!」
「何!?」
部下の警察官からの報告を聞き、オルドは周辺の捜索を彼らに任せると、すぐに競技場へと向かい、そしてその光景を目撃する。
観客や関係者らしき学生達が、これが催しの一部なのかと困惑して戸惑う中、競技場のフィールドにて戦う、メイド姿の少年と白衣を着た男。
――あの男、洗脳魔法の影響下か。
すぐにでも手助けに向かおうとした彼だったが……一瞬、そこで立ち止まる。
少年が、全く苦戦していなかったからだ。
今のところ防戦一方であるようだが、それは別に押されているのではなく、ただ単純に相手を分析しているだけであるらしい。
見ていれば、すぐにわかる。
間合い管理。
洞察力。
戦闘の呼吸。
あの荒ぶる獣のような男の猛攻に、だがそれらを徹底している少年は一撃も貰っていない。
恐らくだが、単に無力化するだけならば、簡単にやってのけることだろう。
今そうしていないのは、洗脳魔法を解くために、何かしら分析を行っているのだ。
――何ともまあ、恐ろしい子供がいるもんだ。
オルドもまた、戦いの術を身に付けているからこそ、前線に出て何度も修羅場を潜り抜けて来た身だからこそ、わかる。
あの少年はあの歳ですでに、一線級の戦闘員と同等の能力を有している。
戦闘能力という一点の物差しで見れば、自分と同等か、それとも上か。
勘違いから一当てした時負けそうになったのは、こちらにその気がなかったから、という理由も確かにあるが、決して偶然ではないだろう。
「セイリシア魔装学園は、恐ろしい……いや、やっぱり彼が、突出して強いのか。あとでこの道に勧誘しようかねぇ」
オルドはちょっと呆れた笑いを溢し、ただとりあえず情報は必要であるため、すぐに拳銃型魔法補助デバイスを引き抜くと、応援に駆け寄る。
「状況は!」
少年はチラリとだけオルドの方を見やり、答える。
「洗脳されています。しかし、相当深くやられていて、解呪が出来ませんでした。――そのデバイスは使わないでください。余興が余興でなくなりますので」
「は?」
何かおかしな口調で、おかしなことを言ってくる彼に、オルドは一瞬面食らう。
「まだ、余興として終わらせられる範疇にあります。なりふり構わず避難を始める時間になっていない以上、ここは私がやります。――それより、あなたは裏の関係者用通路に向かってください。壊された扉の先に、人骨装置の大型版が置かれているはずです」
「……任せていいんだな?」
「お任せください。私は今、メイドですから」
少年のその言葉に、どんな意味があるのかはわからなかったが……確かにそこから重みを感じたオルドは、コクリと頷くと踵を返し、言われた通りに裏の通路へと向かって行ったのだった。
だんだんとメイド時の自分を受け入れつつある元魔王様。おかしい、もっとギャグで始めたもののはずだったのに……。