怪人
――深夜。
王都セイリシアの学区にて、夜陰の中を駆ける影が二つ。
影の正体の一つは、夜間のパトロールを行っていた、警察官の一人。
彼――オルドは、刑事部の中で『魔導刑事課』と呼ばれる、魔法に関する事件などを専門に扱う課に所属する警部補である。
魔導刑事課は、魔法に関する卓越した能力を持つ者のみが所属可能な、言わばエリートに分類される課だ。
その中でも彼は、叩き上げでそこまで辿り着いた身であり、すなわち相当な実力があることが警察組織において認められている訳だが――追い付けない。
「チッ……随分と足が速い」
もう一つ、オルドの前方にある影。
身体強化魔法を発動し、車並みの速度で屋根の上を駆け、パルクール染みた動きでその背中を追い続けているのだが、逃がしこそしていないものの全く距離が縮まっていない。
すでに長らく追いかけっこを続けており、どんどん自身の魔力と体力を削られているのがわかるが、逆に相手に疲れは見えず、少しでも足を緩めれば簡単に引き離されてしまうことだろう。
流石に、全く疲弊していない訳ではないだろうが……状況は、良くない。
応援も無線でとっくに頼んでいるものの、あまりにも相手が無軌道に逃げ続けるせいで先回りすることが非常に難しく、結果的に最初に遭遇した自身のみが追跡を続けるハメになってしまっているのだ。
「ハァ、ハァ……ったく、俺も歳かねぇ!」
――最初に遭遇したのは、学区の路地裏にて。
学区祭の期間中は、やはり通常時よりも騒動が増えるのだが、特に今年は何かおかしな動きが幾つか報告されている、ということだったので、魔導刑事であるオルドもまた警備に駆り出されていたのだ。
そうして、大通りではなく裏通りを中心に巡回していた時――そこに、ソイツはいた。
顔を仮面で隠し、燕尾服にシルクハットという、まるで歌劇に出てくる『怪人』のような恰好をした、何者か。
背丈からして、恐らく男ではないかと思われるが……身体的特徴が全て隠されているため、男女の判別は全く付かない。
無機質な仮面をこちらに向けているソイツは、自身の姿を見てもボウ、とした様子で動かず、非常に不気味であった。
学区祭という期間であるため、そういういつもと違う恰好をしている者がいてもおかしくはないのだが……深夜の路地裏という、場所と時間。
警戒感を強めるには、十分であった。
「そこの仮面、少し話を聞かせてもらっても――なっ!?」
オルドが声を掛ける途中で、不審人物は突如跳び上がると、路地裏の狭い壁を交互に蹴って一気に建物の屋上まで登り詰め、そのまま逃走を開始。
あまりの思い切りの良さに一瞬動きが止まってしまったが、彼は即座に身体強化魔法を発動し、その背中を追い掛け始める。
――そして、現在に至る。
このままでは逃げ切られる可能性が高いと判断したオルドは、屋上を駆け抜けながら、ソレを腰から引き抜く。
彼が手に取ったのは、拳銃――いや、魔法補助デバイス。
魔導刑事は、比較的汎用型の補助デバイスを使うことが多いのだが、彼のはそれとは違い、特定の魔法のみを使用可能とする特化型である。
後方で分析、頭で以て事件に対処するタイプの魔導刑事と違い、どちらかと言えば、現場に出てやり合うこともある、武闘派に属する彼は刹那の間での使用を念頭に置き、魔法発動までのスピードが速い特化型を愛用しているのだ。
使えるのは、通常の弾丸を除いて、二つの魔法――『麻痺弾』と『幻影弾』のみ。
どちらも捕縛目的として使われるもので、弾丸の代わりにそれらの魔法をデバイスから撃ち出し、相手へと当てることで効果を発揮する。
特にオルドは、対象の精神に干渉して動きを著しく鈍らせる幻影弾を好んでおり、今回もまた拳銃型デバイスにそれをセットする。
通常の弾丸のように、連続で魔法を放てる訳ではないのでよく狙う必要があり、ただ激しく動きながらである以上、一発で当てるなんて芸当は困難であるが――やってやれないことはない。
見る。
自身を振り切ろうとする奴の、ジグザグな動き。
ジャンプ。
右折。
飛び降り、再度ジャンプ。
左折。
遮蔽物。
――ここだ。
奴は、逃げながら遮蔽物の陰に入り、こちらの視線を切って撒こうとするクセがある。
だから、次もまた、あの遮蔽物を利用する可能性は高いだろう。
狙いを定め、引き金を引く。
銃声は鳴らず、だが確かにその銃口から、幻影弾が放たれる。
それはオルドの狙った位置に真っ直ぐ飛んでいき、そして不審人物の背中へと着弾し――だが、その動きは止まらなかった。
止まったのは、オルド自身。
「何ッ、グッ――!?」
突如、酷い酩酊感。
視界がブレ、色が変化し、世界が何重にも重なって見える。
気が付いた時には、彼は態勢を崩しており、屋根と頬をくっ付けて倒れていた。
――反射されたか……!!
向こうに攻撃の兆候は見られなかったため、恐らくは自身が放った幻影弾の効果を、そのまま返されたのだろう。
感じからして、あの燕尾服に特殊な加工が施されているのではないだろうか。
警察官が身に付ける、防弾防魔チョッキと同じ類のものか。
いや、もしかするとそれよりも上等かもしれない。
逃げられる、と舌打ちしたい気分のオルドだったが……どういう訳か、今まで散々逃げ続けていた奴はそこで逃走をやめると、こちらへゆっくりと近付いてくる。
「……お前、初めから、俺を狙ってたな?」
『我、混沌ヲ齎ス者ナリ』
答えになっていない、男か女か、老人か子供かもわからないような、酷く掠れた声。
変声魔法を使用して、こちらへ情報を与えないようにしているのだ。
「……おう、そうか。なら刑事として、お前が起こす混沌は未然に防いでやろう」
『我、愚者ヲ笑ウ者ナリ』
「会話をする気はない、と。この哀れなおじさんに、目標を教えてくれてもいいんだぜ?」
『サハ、待ツガ良イ。コレヨリ我ガ地獄、コノ世ニ顕現ス』
言いたいことを一通り言い終えたのか、不審人物の輪郭がブワリと曖昧になり、次の瞬間、闇夜に溶けて消える。
残るのは、オルド一人。
「俺の得意魔法じゃないが……さしずめ、『ファントム』ってところか」
ポツリと呟き、自身の幻影弾の効果が少しずつ抜けてきたオルドは、屋根に打ってジンジンと痛む身体を起こし、無線に通信を入れる。
「……こちらオルド。追跡していた不審人物に逃げられ、犯行予告を受けた。すぐに対策を――」
怪人『ファントム』は、この時を以て、行動を開始する。
* * *
――求むるは、鎮魂歌。
忘れられた名を、消し去られた名を謳うこと。
その身が背負う罪科を晒し、そして魂の救済を願うのだ。
もはや自らには、それしか出来ることがないのだから。
而して、怪人は嗤う。
人の愚かさを。人の惨めさを。
而して、怪人は泣く。
自らの愚かさを。自らの惨めさを。
それもまた、許されざる感傷であることを理解しながら――。
イルジオンとは。
……じ、次回辺り出て来るはず。