学区祭一日目、終了
久しぶりに間に合ったか……。
男には、すでに自我は見当たらない。
命令の待機状態なのか、何の行動も見せていないが、外部からの刺激によって何かしらの反応を見せる可能性は高い。
ユウヒの時も、そうだったと聞いている。
「……先輩、聞いているかもしれないですが、あの男性、完全に洗脳魔法の支配下にあります。ここは、任せてもらえませんか?」
「っ……魔道具研究部の件ね。大丈夫なの?」
「えぇ、解呪の方法に当てがあります。ですが、仮に僕がミスした時のため、控えていてもらえるとありがたいです」
「……わかった、気を付けて」
ケルンに一歩下がった位置での警戒をお願いしてから、フィルは男へと近付き、自然な態度を装って声を掛けた。
「大丈夫ですか? お加減が悪そうですが……」
――やはり、外部からの刺激がトリガーとなっていたらしい。
刹那、白目を剥いていた男は突如として激しく動き出し、フィルへと襲い掛かろうとするが、しかしすでに戦闘態勢に入っていた彼女は、注視していなければ誰も気付かぬような早業で、その足を引っかける。
より本能が剥き出しとなっている男は、一瞬足をもつれさせただけですぐに体勢を立て直し、目の前の『敵』へと噛み付こうとし――それよりも、フィルの動きの方が素早い。
トン、と男の胸に、軽い掌打。
そこからフィルが放つのは、ユウヒが洗脳魔法と対峙した際に使っていたのと同じ魔法、『魔浸透』。
彼女の攻撃は、男の体内で発動している魔法だけを正確に崩して破壊し、次の瞬間まるで糸が切れたかのように男が崩れ落ちかけるが、その前にフィルが身体を支える。
「あっ、大変……先輩、手を貸してもらえますか?」
あくまで介護という態度を崩さず、しれっとそんなことを言うフィル。
彼女が何をしたのか全くわかっておらず、何事かと集まっていた周囲の人々の視線は、体調不良者が出たのかと納得し、ある程度が霧散し、または「大丈夫だろうか……?」という心配の視線だけが残る。
逆に、一から全てを見ていたケルンは、感心よりも先に呆れたような顔をしていたのだが、今がそういう時ではないということをすぐに思い出し、フィルのもとへ駆け寄って、ゆっくりとその場に男を横たわらせる。
それから少しして、ワタレが近くで借りてきたらしい救護用品と水の入ったペットボトルを持ってきたところで、男が小さく頭を振り、数度瞬いて身体を起こす。
「ウッ、あれ……何だ、どうしたんだ……?」
彼の言葉に、にこやかにフィルが答える。
「体調を悪くされたようで、倒られたんですよ」
「た、倒れた? 俺が?」
「これ、お水です。ゆっくり飲んでくださいねぇ。どこか、お怪我などはありますかぁ?」
「あ、あぁ、特に痛みなんかはないから、大丈夫そうだ。ありがとう」
ワタレから受け取ったペットボトルを口に含み、それから彼はフゥ、と一つ息を吐き出す。
様子が落ち着いたところで、フィルは問い掛ける。
「倒れる前に何をしていらしたかは、覚えていますか?」
「普通に学区祭を見て回っていただけなんだが……あ、いや、何となくで噴水を見ていたら、何か変な光が見えた気がするな。そうしたら、いつの間にかこうして、倒れていたよ」
光。
「光、だけですか?」
「あぁ。何か眩しいって感じたのが、最後の記憶だ」
――ユウヒの時は音だったそうだけど……今回は光か。
単一の要素での、洗脳魔法。
「……わかりました、ありがとうございます。恐らく熱中症辺りが理由で倒られたのでしょう。今は落ち着いたようですが、学園の医務室へ向かった方がよろしいかと。場所は、案内しますから」
「なら、私がご案内しましょう。フィル、ワタレ、二人はここで……そうね、後始末をお願い」
そうしてケルンは、「俺、思ってたより疲れてたのか……?」などと呟く男を連れて、学園の救護室へと向かっていく。
その後姿を見ながら、フィルは険しい表情でワタレへと問い掛ける。
「……ワタレ先輩、洗脳魔法の装置、どこにあるかわかりますか?」
「えぇ、情報魔法で、噴水のところに見慣れぬ反応があるわぁ。今は不活性化しているようだけれど……変なことをして再度起動させたくないし、まずはガルグ先生を呼びましょうかぁ」
「えぇ、それが良さそうですね」
* * *
「――で、装置はあったのか?」
学区祭一日目が終了し、ウチの皆と共に自宅へと帰った俺は、そうフィルに問い掛ける。
「うん、周辺を探したら、噴水の二段目の照明に仕掛けられてた。すぐにガルグ先生を呼んで対処してもらったんだけど……今回のも、やっぱり人骨が使われてたよ」
「……どこかのタイミングで設置しておいた、と。……いや、もしかすると、俺が遭遇した時と同じくらいには仕掛けてあったのかもな」
「そうだね、状況からして、僕もその可能性が高いと思う。今回のは以前のと完全に同じ手口で、何の発展性もない犯行だから。たまたま、今日の男の人が洗脳の条件を満たして、発動したんじゃないかな」
「……話を聞いている限りだと、やっていることは本当に愉快犯染みた犯行ね。けれど、遊びにしては、その度合いが重過ぎる」
すでに部屋着に着替えているシオルが、顎に手をやりながらそう口を開く。
ちなみに、彼女の部屋着は結構可愛らしいもので、いつもはかなり大人びた少女の、少女らしい一面が見えてぶっちゃけちょっと好きだったりする。
また、部屋着に関して言うと、フィルはかなりラフな格好を好んでおり、しかもコイツ、家だと割と油断気味なので、目のやり場に困ることが多い。
……まあ、幼馴染としてずっと一緒に育ってきたので、若干慣れた面はあるんだがな。
「……とりあえず、シオル、千生。二人はこれを常に身に付けておいてくれ」
そう言って、俺が二人に渡したのは――指輪。
少し厚めの、シンプルなシルバーのリングだ。
「……これは?」
「精神系の魔法を跳ね返すための魔道具だ。体内魔力への干渉を感知すると自動で発動して、着用者を正気に戻す作用のある魔術回路を刻んである。ただ、一回こっきりの発動だから、仮にこれが起動するようなことがあったら、すぐにその場から逃げてくれ」
「そう……わざわざ用意してくれたのね。……ね、あなたが嵌めてくれないかしら?」
「ん、あ、あぁ。わかった」
俺は、微笑みと共にシオルが差し出した左手の人差し指に、指輪を嵌める。
細く、白く、いつまでも触っていたくなるような綺麗な手。
「本当は、薬指にお願い、と言いたかったけれど……それはまたの機会にするわね。フフ、でも嬉しいわ。ありがとう」
はにかみながらそんなことを言う彼女に、俺はただ苦笑だけを返し――と、次に指輪をまじまじと眺めていた千生が口を開く。
「これ、ゆびにはめるもの?」
「そうか、千生は指輪を見るのは初めてか。おう、そうだぞ、指に嵌めるんだ。ほら、お前の指にも嵌めてやる」
「おー、ありがと」
そうして二人に指輪を渡し終えると、後ろからちょっとぶすっとした声が聞こえてくる。
「……僕のは?」
「えっ……い、いや、お前はだって、洗脳魔法くらい自力でどうにか出来るだろ?」
「ふーん……そう。二人にはプレゼントするのに、僕にはないんだ」
わかりやすく唇を尖らせ、ジトーッとした目を送ってくる彼女に、俺は致命的な失敗を犯したことを悟ると、慌てて言葉を続ける。
「ま、待て、わかった。その埋め合わせは絶対にしよう! 具体的には明日! 明日お前と学区祭を回る時に、何か買うから!」
俺のしどろもどろ具合に、彼女はクスリと笑って、言葉を続ける。
「フフ、言ったね? 楽しみにしとくから」
「……何と言うか、アレね。メイド仮面の時のユウヒの方が、毅然としててかっこよかったわね」
「めいどかめん、かっこかわいい」
「あ、そうそう、それに関してなんだけど、相当人気だったみたいだね、ユウヒ。メイド仮面の噂、もう僕、見回り中にもいっぱい聞いたよ」
「いやいや、何を言ってんだ? 彼女はメイド仮面であって、俺とは別人だぞ。いったい何を勘違いしているんだか」
「……なるほど。そうやって自身の中で精神の安定を図ってるのか」
「完全に別人格として切り離した、って感じかしら。……もはや、二重人格と言ってもいいかもしれないわね」
彼女らはいったい、何を言っているのだろうか。
俺は俺であり、メイド仮面はメイド仮面だ。
二人は別人である。
別人、なのだ。