その頃の千生
「すごい」
そう、辺りをキョロキョロしながら呟くのは、千生。
首からお金の入った巾着袋を下げた彼女は、気の向くままにあっちへフラフラ、こっちへフラフラと、一人で学区祭を歩き回っていた。
ブレスレットを持っているのはユウヒだが、ただ同じ校舎内くらいならば、離れていても余裕で擬人化を保っていられるので、ユウヒもフィルもシオルも忙しい今、一人で学区祭を回っているのである。
仮に、迷ったりしても彼女はその気になればすぐに大太刀へと戻れるので、自由にさせても大丈夫だろうとユウヒが判断したのだ。
彼女としては、本当は皆と一緒に回りたいところなのだが、しかし彼らが非常に忙しい以上そこは仕方がないことだし、何より明日は共に見て回れるとのことだったので、今日は我慢しているのである。
「おねーさん、これ、ください」
「あら、あなた、一人?」
「ん、ひとり。みんないま、がっくさいでおしごと」
「そっか、迷子って訳じゃないのね。――はい、どうぞ。熱いから、食べる時に気を付けてね」
「ありがと」
それを受け取った彼女は、近くに設置されていたベンチに座り、ハフハフしながら食べ始める。
「うまうま」
普段あまり食べないジャンクな味に、満足げに頷く。
渡された金額内であれば、自由に使っていいとユウヒから言われているのだが、その使い道はもっぱら食べ物である。
普通の幼女とは言い難い面のある彼女には、あんまり物欲らしい物欲が存在していないのだが、対して食べ物は、面白いから好きなのだ。
まだヒトの身体を得てからが短い彼女にとって、肉体で情報を感じ取ることが最も面白く、故におもちゃのようなただの『物』より、味覚という五感の一つをダイレクトに刺激する、食べることが楽しいのである。
無論、かと言って他のことに興味がない訳では決してなく、視覚に飛び込むこの華やかな空間もやはり面白く、食べ終わった彼女は再び好奇心の赴くままに歩き出す。
「?」
そうして、次に彼女が興味を引いたのは、黒を基調とした背景に血のようのフォントで文字が書かれ、怪物らしき立体イラストで装飾された、あるクラスの出し物。
――お化け屋敷である。
それがどういう施設か知らない彼女は、とりあえず面白そうだという判断から、全く躊躇せずそのお化け屋敷の前に立つ。
千生の姿を見て、逆に狼狽えたのは、受付の男子生徒だった。
「あー……お嬢ちゃん、一人で入るのか?」
「ん、ひとり」
「……こっち側が言うのもアレだが、中は結構怖いぞ?」
「だいじょうぶ」
「……わ、わかった。けど、怖くなって動けなくなっちゃったりしたら、しっかりそう言うんだぞ? お化け達に話し掛ければ、外まで連れて来てくれると思うから」
「ん、ありがと」
親切な男子生徒に礼を言った後、彼女はお化け屋敷の中へと入っていく。
学生がやっているお化け屋敷ではあるが、しかし甘く見れるものではない。
ここは魔導学部の者達がやっているお化け屋敷であるため、メイクをした学生達に加え、幻影魔法を中心とした幾つかの魔法を用いることで相当な迫力を演出することに成功しており、今も先に入ったらしい客の悲鳴がお化け屋敷内に木霊しているのだが……。
『グルルルァァァッ!!』
「おー、かいぶつ。カッコイイ」
『か、かっこいい……?』
現れた醜悪な怪物に、眼を輝かせ。
『ヒヒヒ、ヒヒヒ』
「けが、してるの? いたそう」
『ヒヒヒ、ヒヒヒ……おい、この子、全然怖がんねぇぞ……』
全身包帯の男に、痛そうで可哀想と思い。
『ねぇ……待ってよ……ねぇ……』
「ん、こまりごと? いつき、てつだってあげる」
『えっ、いや、えっと……大丈夫よ。幼女よ、先へ進みなさい……順路はあちらです』
「わかった、ありがと」
後ろから付いて来る幽体のようなものに礼を言い、先へと進んでいく。
価値観の違いというか、それが怖いものである、ということがそもそもわかっていない千生は、特に驚いた様子もなく、いつもと違う雰囲気という点だけを楽しんでいた。
彼女にとっての恐怖とは、暗闇ではなく、おどろおどろしい化け物でもなく、ただひたすらに『孤独』なのだ。
だから、暗くともしっかりと人の気配があり、そして仮に何かあってもすぐにユウヒのもとへと行ける今は、彼女にとって怖いものなど何もないのである。
むしろ、普段は見られないようなものがいっぱいあり、非常にワクワクしていたりする。
やはりまだまだ色んなものが目新しい彼女にとって、学生のお化け屋敷であっても、遊園地にいるくらい気分が高揚するものなのである。
やがて彼女は、二クラス分を使った非常に広いお化け屋敷の順路を進み終え――。
「ありがとうござい――えっ……お嬢ちゃん、もしかして一人でウチのに入ったの?」
「ん、おもしろかった」
「そ、そう……私でも怖いのに、世の中にはすごい幼女がいるのね……来てくれてありがとうね」
お化けメイクをしている女子生徒に見送られ、千生は次なる興味の引くものへと向かう。
――彼女は彼女で、学区祭を楽しんでいた。