あと一歩を踏み出せたから
夜も遅くなってきた。
ぼくと月海先輩は、ノンカフェインのブレンド茶を温めて飲んでいた。
「さて」
一口飲んだ先輩が、ぼくを睨みつけてくる。それを正面から受け止める。表情を変えるな。動揺してはいけない。
「どうぞ、先輩」
「じゃあ、これっ」
先輩が右手を伸ばした。
「うっ……」
「残念でしたね」
ぼくは笑った。手元に一枚残ったカードをひらひらさせる。
何度繰り返したかわからないババ抜きの終盤であった。月海先輩がジョーカーを持っていってくれたので、あとはぼくがそれを引かなければ勝利だ。
両手に一枚ずつ持って、先輩がカードを出してくる。
先輩の表情をうかがう――目を閉じていた。
ははあ、余計なリアクションを起こさないようにしようというわけか。
ぼくは向かって右側のカードに手を伸ばした。ちょんと触れると、先輩の口がわずかに開いた。
あ、これだな。
そのまま引き抜く。ジョーカーは先輩の手に残ったまま。
「ぼくの勝ちですね」
「うう……これで6連敗?」
「連戦のおかげでくせがわかってきたんです。意外と反応しやすいですよね、先輩」
「なぜ……なぜゲームになると無心になれないのかしら……」
「武術とはまた違った技術が要求されるからじゃないですか?」
序盤戦はぼくが連敗していた。
しかし先輩の表情を観察しているうちに、目や口が小さく動いていることに気づいた。思わず反応してしまうようだ。それがわかってからは五分五分になり、ここにきてぼくが連勝した。
体術では勝負にならなくても、こういった戦いならぼくでも勝てるのだ。
「ふう……なんだか疲れちゃった」
「本気でやるとメンタルにきますね……」
月海先輩がトランプをまとめてケースにしまった。
「やけに静かな気がする」
「確かに」
ぼくたちはこたつを出て、障子戸を開けてみた。
「あっ、すごい雪」
「ホワイトクリスマスになりましたね」
夕方まで雪雲は見えなかったのに、今はしんしんと降っている。粒の細かい雪だった。融けにくい種類の雪なので、明日の朝には辺りが真っ白になっているかも。
時計を見る。午後11時。
ケーキを食べ、雑談をして、トランプを繰り返している間に降り始めたようだ。
「ちょっと待ってて」
月海先輩がいきなり自分の部屋へ行ってしまった。
縁側で待っていると、先輩はすぐ戻ってきた。分厚い半纏を二着持ってきてくれたのだ。
「これ羽織って、ここに座ろうよ」
「じゃあ、お借りします」
青い半纏を羽織る。綿がたっぷりで温かい。
先輩はさらに、お茶の入った魔法瓶を持ってきた。
「雪見酒はできないから、雪見茶」
「雪見茶ってなんか響きがかわいいですね」
「はいどうぞ」
「いただきます」
二人でずずっとお茶をすする。
目の前は広い庭と、降りしきる雪。少しずつ雪は積もりだしていた。
先輩が息を吐き出す。白い吐息が闇の中に混じって消えた。
ぼくは先輩の腕に肩を寄せて、お茶を飲み干す。
ああ……なんて落ち着く時間なんだろう……。
このままずっとこうしていたい。
でも、これって――。
「今日、クリスマスですよね? なんか大晦日みたいな雰囲気になってません?」
「言われてみればそうかも……」
半纏を羽織って、縁側に足を垂らし、体を寄せ合って、お茶を飲みながら降り積もる雪を眺める……。
うん、やはりクリスマスのイベントではない。
「たまに言うじゃない」
「なんでしたっけ?」
「私たちは私たちのやり方でやるって」
「……そうでした。無理に世間に合わせようとか、考えなくていいんでしたね」
西洋のイベントと日本のお屋敷で過ごす夜。
それもまた、独特の味があって面白いじゃないか。
もしも好きになった相手が月海先輩じゃなかったら、きっとこんな雰囲気を味わうこともなかった。こうした、貴重な時間を過ごすことはなかったはずだ。
「ぼく、月海先輩を好きになってよかったです」
「どうしたの、急に」
「こういう形で一緒にいると、すごく幸せってことです」
「説明になってないわ」
そう言いつつも、先輩は嬉しそうな顔をしていた。
「私は、ここまで来るのに時間がかかったなって思う。本当はずっと前から、景国くんと一緒にクリスマスを過ごしたかったんだから」
先輩が二杯目を注ぐ。
「毎年、景国くんに声をかけようか迷ったままクリスマスが過ぎていくの。もし誰かに見張られてたら嫌だなあって思って、声をかけに行く勇気がどうしても出せなかったのね。だから、この時期はいつもお父さんと二人きりだった」
「今夜は、どうですか?」
月海先輩が、ぼくの肩に頭を乗せてきた。
「最高。やっと理想のクリスマスが来たんだって、幸せでいっぱいよ」
「だったら、ぼくも同じ気持ちです。ぼくだって、先輩と一緒にケーキだけでも食べられたらって思ってましたから」
「ふふ、お互いにあと一歩が踏み出せなかったのね」
「一歩でこんなに進むなんて想像もしてませんでしたけど」
「足踏みしていた時間が長かった分、一気に動けたのかもね。やっぱり、なんでも行動しなきゃ始まらないってことかな」
「おかげで、記念すべき年になりました」
「私もよ、景国くん」
ぼくは、左手で、肩に乗った月海先輩の髪に触れた。つややかな黒髪に指を滑らせる。
「景国くん……」
「なんですか」
「それ、しばらく続けてくれない?」
「……いいですよ」
愛おしい先輩の黒髪。
ぼくはそれを、優しく撫でる。
本当に静かだ。
雪がすべての音を吸い取ってくれる。
暗闇を白く彩る雪を見ながら、ぼくと先輩はずっと体をくっつけていた。




