このケーキ、あらゆる意味で甘すぎる。
学校が冬休みに入って、その翌日にクリスマスイブがやってきた。
ぼくは日中、落ち着かない気分で過ごしていた。
何せ今夜は月海先輩の家に泊まりにいくのだから。
先輩が大きなケーキを用意してくれると聞いていたので、お昼ご飯は少なめにしておいた。
小食だから、肝心の料理が入らなかったら悲しすぎる。
「クリスマスイブ――聖夜。でも、人によっては違う漢字を書くこともあるよね」
「何を言ってるのかな母さん?」
「息子がいよいよ男になるのかなと期待してるわけですよ。実際どうなのさ。ちょっと期待してるんじゃないの?」
「し、してないよ」
「声が裏返ってるよ」
「つ、月海先輩はガードが堅いから、そういうことは起きないと思う」
「じゃあ押し倒すしかないかー」
「それは最低だよ! あと確実に返り討ちにされるから!」
「グイグイいけば光ちゃんも案外受け入れてくれるかも……」
「ぼくは先輩を傷つけたくない」
「待ってたのに来てくれなかった……って傷つくかも」
「ああもう、この話やめ! 全部向こうに行ってから!」
わはははと笑って、母さんが台所を出ていった。
ここぞとばかりにたまった有給を消化しているところである。だからってぼくのことでそんなにわくわくされても困る。
積んだままになっていたラノベを読んで時間をつぶす。
そのうち、黒田君の書いた本がこの部屋の本棚にも並ぶんだろうか。そう考えると、やっぱり彼はすごいところまで行ったんだなあと思わされる。
5時前にちょうど一冊読み終えたので、ぼくは厚手のパーカーを着て家を出た。
月海先輩の家に近づくと、道場から打ち合いの音が聞こえた。
まだ鍛練が行われているようだ。
しばらく道場の入り口で待っていると、「ありがとうございました」という柴坂さんの声が聞こえた。
足音がやってくる。
「わっ!?……だ、誰かと思えば戸森さんじゃありませんの」
「やあ柴坂さん。お疲れさま」
「月海先輩と何かお約束ですか?」
「うん、ちょっとね」
柴坂さんがニッコリした。
「そういえば今夜はクリスマスイブでしたわね。なるほど」
「何がなるほどなのか聞かせていただこうか」
「お気にならさず。せっかくの時間ですからお楽しみくださいな」
からかうように言うと、柴坂さんは戻っていった。みんな発想は同じになるのだろうか……。
別の足音がして、袴姿の月海先輩が現れた。
「景国くん、来てくれたのね」
「先輩、もう終わりですか?」
「ええ。片づけをするから少しだけ待っててね」
「わかりました」
† †
柴坂さんが帰っていくと、お屋敷にはぼくと先輩、頼清さんだけが残った。
みんなで居間に入ったが、頼清さんが居心地悪そうにしていた。
「おい、俺はどう考えても邪魔じゃねえか?」
「お父さん、気をつかわなくていいから」
「だが今夜はクリスマス――聖夜だ。人によっては違う漢字を書くこともある」
なんだか聞き覚えのある会話だな……。
「余計な心配はしなくていいから、部屋でおとなしくしてて」
「やっぱ邪魔者扱いじゃねえか!」
「邪魔とは言わないけど、ここには入ってこないでね」
「娘が厳しい!」
「お父さんのケーキは別に用意しておいたからそれを食べてもらえる?」
「光……お前の気づかいにはたまに胸が痛くなるよ……」
よろよろと頼清さんは自分の部屋に移動していった。
「さて、邪魔者もいなくなったしゆっくりしましょう」
「やっぱり邪魔だったんですね!?」
先輩が居間に入ってこたつの電源を入れた。
雪は降っておらず、ホワイトクリスマスというわけにはいかなかった。平凡な冬の一日。雰囲気としてはそんな感じだ。
「景国くんは座ってて」
月海先輩は楽しそうに台所へ向かった。すぐに戻ってきたが――
「どう、これくらい食べられそう?」
「で、でかい……!」
持っているケーキは予想よりだいぶ大きかった。おそらく5000円以上はしたと思われるイチゴたっぷりの生クリームケーキだった。
我が家では最高でも3000円までしかケーキに出したことがない。これは人生最大の贅沢かもしれないぞ……。
先輩は続けて大きな瓶を持ってきた。
「そしてこれが飲み物よ」
「〈渓流〉って書いてありますけど!?」
「あら?」
月海先輩はラベルを見て、台所へ戻っていった。渓流は長野発の日本酒だ。頼清さんが好きなのだろう。さすがに先輩は飲んでいないと思いたい。
「間違えちゃった。こっちね」
シャンメリーが台の上に置かれた。これも大きい。高そうだ。
「あの、こんな豪華なもの出してもらってるのに1円も払わないのはなんだか申し訳なくなってきたんですけど……」
月海先輩にジトッとした目で見られた。
「今日、その話はしないこと。するとしたら明日以降」
「は、はい」
力でねじ伏せられた……。
パッと笑顔に戻った月海先輩がぼくの横に座った。ゆったりしたズボンにセーター。生地はかなり厚そうだ。本当に寒いのが苦手なんだなあ。
先輩は手つきよくシャンメリーをグラスに注いだ。ぼくはそれを受け取る。
「景国くん、準備はいい?」
「いつでもオッケーです」
「せーの」
――メリークリスマス。
ぼくたちの声は完璧に重なった。
グラスを当てて、シャンメリーを口に運ぶ。炭酸が心地よくはじける。
「さあ景国くん、二人でこのケーキを崩すわよ」
「いけるところまでいきますとも」
月海先輩がケーキを切ってくれる。何もかもやってもらってばかりだが、今夜はお任せしておいた方がよさそうだ。
「さすがにこの大きさだと他のお料理は食べられそうにないかなって思ったの。一応用意はあるけど、まずケーキ優先よ」
「こ、こだわり強いですね」
「これは三ツ葉堂っていうケーキ屋さんの数量限定商品なの。一回、どうしても食べてみたかったのよ。でもお父さんとじゃむなしいし、景国くんと一緒になれた今年こそってけっこう前から決めていて」
頼清さん……。
ぼくは父親の苦労に思いを馳せつつ、ケーキを食べた。クリームが濃い。甘すぎるくらいだ。これは思ったより早く限界が来そう……。
とはいえ味は最高だった。お腹に余裕があるうちはどんどんいこう。
まず一切れ食べ終えると、すかさず先輩が二切れ目をぼくのお皿に乗せてきた。
「期待通りだわ。すごくおいしい。景国くん、苦手な味だったりしない?」
「めちゃくちゃおいしいですよ。こんなすごいケーキが食べられて幸せです」
「ふふっ、私も」
ケーキとシャンメリーのみ。
これ以上ないほどシンプルなクリスマスのテーブルだ。
ぼくとしてはしょっぱいものがあっても一向にかまわないんだけど、そっちを食べるとケーキがかなり余ってしまいそう。まあ、たまにはこういうのもアリか。
「景国くん、ほっぺにクリームがついてるよ」
先輩の言葉に、一瞬で脳がフル回転した。――先手はあげないぞ!
「先輩、とってください」
ぼくが体を傾けると、
「か、景国くんのいじわる……」
月海先輩がすねたように言った。不意打ちしたかったのだろうけど、ぼくだって先輩のやることには慣れてきたのだ。
「じゃあそのままでいてね」
先輩の唇がぼくの頬にくっついた。
――えっ、指じゃないの!?
頬を何かが滑っている。
先輩の舌がクリームを舐めとったんだ……。
心臓がバクバクして体が熱くなった。しかも、先輩が唇を離してくれない。ちろちろと舌が動いている。
や、やばすぎるっ……!
「せ、せんぱ――」
「景国くん、急に体温上がっちゃったね」
月海先輩が離れた。
「ほら、顔が真っ赤」
「ぼくは指でとってくれるんだと思ったんですよ! び、びっくりするに決まってるじゃないですか!」
「貴方が先制攻撃してくるからいけないのよ」
「だ、だって……」
ぼくは頬に手を当てた。
「キスよりすごかった……」
ぽつりとこぼすと、先輩が軽く咳き込んだ。ケーキが引っかかったらしい。
「ほ、ほら景国くん、どんどん食べないと私がいただいちゃうよ?」
そう言ってケーキを頬張る先輩は、明らかにぼくから視線を逸らそうとしていた。
出た、自分から仕掛けておいて恥ずかしくなってしまったパターンだ。
ぼくはケーキを食べつつ、さりげなくクリームを頬につけてみた。
「あ、またついちゃった」
つぶやいてから先輩の横顔をじっと見ていると、どんどん顔が赤くなっていくのがわかった。
「先輩?」
「ひ、引き分け。1勝1敗」
月海先輩はぼくの頬についたクリームを指でさらって自分の口に入れた。
「こ、これで満足した?」
「はい。とっても」
ただ単にケーキを食べるだけになってしまうかも、なんて不安もあった。
けれど何事もやってみないとわからないものだ。
ケーキの甘さにうっとりしたり、先輩との触れ合いにドキドキしたり。
動かなくたってこれだけのことが起きるんだ。
二人でケーキを完食すると、シャンメリーであらためてグラスを合わせた。
「今夜はここで寝ようと思ってるの。景国くん、それでいい?」
「部屋で寝ないんですか?」
「その……貴方を部屋に入れるには、まだ覚悟ができていないのよ」
ハッとさせられた。
みんなが言う通り、今宵は聖夜だ。
そんな日に、彼氏を自分の部屋に入れる。
確かにそれは、心を決めたという意思表示になってしまうかもしれない。
覚悟。
ぼくだってまだできていない。
だったら、月海先輩の意志を大切にするのが一番だ。
「わかりました。ここで寝ましょう」
「いつか、必ず整理はつけるわ。それまで待ってもらえるかな」
「もちろんです」
先輩がホッとしたように、優しく笑った。
「よかった」
ぼくらの間に穏やかな空気が流れる。
周りは静かで、ぼくたちだけのために世界があるような気さえしてくる……。
「でも、景国くんが耐えきれなくて狼さんになったら力で押しつぶすからね?」
「せっかくいい雰囲気だったのにいいいいいい!!!」




