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未来へのファーストステージ

 月海先輩と柴坂さんが木刀を合わせる。

 それから離れ、膝をついて挨拶を交わす。


「よーし、二人ともいい感じだぞ。この調子なら明日は上手くできるはずだ」


 頼清さんが満足そうに言った。

 夜の月心館道場。

 フリーステージに備え、二人が最後の調整を終えたところだ。


「月海先輩、明日はよろしくお願いいたします」

「こちらこそ。絶対に成功させようね」


 ずっと練習を続けてきたこともあって、二人の仲はさらに深まったように見える。


「そろそろ迎えが来ますので、私はこれで」

「送っていくわ」

「ありがとうございます。では戸森さんも、今日はお疲れさまでした」

「お疲れさま。明日はちゃんとサポートするからね」


 柴坂さんがうなずき、道場を出ていった。月海先輩がついていく。

 道場にはぼくと頼清さんが残った。


「……ああは言ったが、ぶっちゃけ心配だな」

「頼清さん?」

「俺らが演舞を見せる時は、いつも見てる人たちと同じ高さでやってる。違ってもちょい上くらいだ。しかし明日は体育館のステージだろ。慣れない高さに大勢の観客、それに景国君の視線もある。どうかねえ」


 腕を組んだ頼清さんは眉を寄せている。

 その点は、ぼくも不安に感じていた。リハーサルは見ている人が少なかったけど、明日は一般のお客さんが入る。月心流の演舞。めずらしいものだから見に来る人も多いんじゃないだろうか。


「頼清さん、もし先輩が動けなくなったらどうすればいいんでしょう」

「難しいな。要は気の持ちようなんだが、いつもと同じ精神状態を維持できるかどうかがポイントだ」

「いつものように……」


 あっ。

 閃いてしまったぞ。


「こんなのはどうですか?」

「ん?」


 頼清さんに耳打ちする。


「ほほう。そいつは確かに、光には効果があるかもな」


「なんの話をしてるの?」


 振り返ると、月海先輩が戻ってきていた。


「光、俺はちょいとばかし景国君と話したい。片づけはやっとくから、晩飯の用意を頼んでもいいか」

「いいけど……景国くんに無茶なことさせるわけじゃないでしょうね」

「どんだけ信用ないんだよ俺……。ま、安心しろ。そういうのじゃねえから」


 月海先輩は渋々といった様子で道場を出ていく。


「景国くん、明日はよろしくね」

「はい。こちらこそ」


 先輩の姿が見えなくなると、頼清さんは自分の木刀を構えた。


「俺が行くと、光も未来生(みくる)ちゃんも緊張するだけだ。景国君、二人のことは君に託したぞ」

「任せてください」


     †     †


 その夜、ぼくは久しぶりにパソコンを引っ張り出した。ぼくと母さん共用のノートパソコン。せっかく無理して最新型を買ったのにあまり使っていなかった。その分、今日は働いてもらうぞ。


 すべては明日のために。


 ぼくは作業を始めた。

 完了したのは午前1時。動く元気がなかったので、そのまま居間で眠った。


     †     †


 浅高祭、二日目。

 一般公開は、朝から大勢のお客さんで賑わっていた。

 各クラスの屋台にも人が集まっているし、実習で育てた花の苗も順調に売れているようだ。


 現在、10時を回ったところ。

 すでに第一体育館ではフリーステージが始まっている。お客さんの入りはまずまずだ。一列目、二列目はほぼ埋まっているし、今もどんどん入っていくのが見える。


「景国くん、なんだか疲れてない?」

「平気ですよ……」

「そうは見えないんだけど」


 体育館の外で、ぼくは月海先輩と話していた。まだ先輩は制服姿だ。


「テンション上がっちゃって、なかなか眠れなかっただけです。本番は集中しますから、安心してください」

「無理しないでね。ライトがないなら、ステージの電気をつけてもらうだけで済むから」

「大丈夫ですよ。しっかりやります」


 それでも月海先輩は心配そうな顔をしていた。


 すでに用意は終わっている。

 朝、教室で柴坂さんと話をした。フリーステージの音響を担当する先輩とも話ができた。万事オーケー。……まあ、この根回しが全部無駄に終わってくれるのが一番いいんだけどね。これまでのリハーサルを見る限り、月海先輩が失敗することはないと思いたい。


「そろそろ準備しなきゃ。景国くん、私はこれで行くから」

「はい。――あ、そうだ」

「なに?」

「先輩、もし緊張したら、キーワードは二回転ですよ」


 月海先輩は首をかしげた。


「でも、今日の先輩なら気にする必要なさそうですね。絶対成功させましょう」


 ぼくは握った拳を出した。先輩が笑顔で、コツンと拳を合わせてくれた。


     †     †


『続きまして、月心流剣術演舞に移りたいと思います。まず、月心流と言うのは――』


 ナレーションが体育館に流れている。

 ぼくは昨日と同じ、二階右側の通路にいる。

 今はステージ頭上の蛍光灯がついているが、やがてこれが消える予定だ。


 月心流の説明が終わると、袴姿の月海先輩と柴坂さんが現れた。

 拍手が起こる。かなりお客さんが入って、用意されたパイプイスの7割近くが埋まっていた。一般のお客さんも、学校の生徒もいる。


 さて、いよいよだ。

 月海先輩と柴坂さんが膝をつき、挨拶する。


 そこで蛍光灯が落とされた。

 一拍おいて、ぼくはスポットライトの電源を入れた。


 円の中に、木刀を構えた二人が浮き上がる。

 うん、順調だ。

 まずは柴坂さんがかけ声とともに踏み込む。


 ――はずなのだが……。


「やばい……」


 どちらも動かない。

 理由は明白で、よく見ると月海先輩の木刀がピクピク震えているのだ。

 一回目のリハーサルと同じだ。

 大勢のお客さんを前に、体が硬直している。

 視線の圧力か、月心流の名を背負っている重圧か。なんにせよ最悪の目が出てしまった。


 ――月海先輩!


 ぼくは通路の手すりから身を乗り出す。


 ぼくを見て。ここにぼくはいる。だから安心して剣を交えてほしい。


 叫びたいが、今はできない。


 あまりに動きがないので、客席にかすかなざわめきが出ている。

 頼清さんの不安は的中した。やっぱり、ずっと見てきた人にはわかるんだ。その人がどこで、どうなるかが。


 ――ならば、その頼清さんが認めた作戦を実行するまで。


 じっと見ていると、柴坂さんが木刀を引いた。切っ先を天井に向ける。


 だん、だん、だんっ。


 会場に足音が響く。裸足が板の間を叩く音。二人のものではない。


 これは昨日、ぼくが頼清さんの踏み込む時の音を録音したものだ。

 月海先輩なら、このリズムがなんなのかわかるはず。


 演舞の動きは決まっている。だから当然、足音も同じだ。そのリズムを繰り返し再生している。ゆうべ、パソコンのソフトを使ってループするように作っておいた。それを音響係の先輩に渡していたのだ。


 もしも柴坂さんが木刀を真上に向けたら、すかさずこれを流してほしい。そうお願いした。

 柴坂さんには、もし月海先輩が動けないようなら切っ先を真上にしてほしいと頼んでいた。


 月海先輩が深呼吸をしたのがわかった。


 よし、自分を取り戻しつつある!


 舞台に上がった以上、もう退くことはできない。だったら進むのみ。ぼくが先輩の硬直を解くしかない。

 始めよう。

 これは舞台演出の一環だということにして、やってしまおう。


 ぼくはスポットライトのカラーホイルを回転させた。

 ステージが赤、緑、青と色を変えていく。


 柴坂さんが構え直した。

 月海先輩が息を吐き出し、ビシッと木刀を前に出す。確実に回復している。


 もう一度回す。キーワードは()()()だ。

 赤、緑――これで最初の色に戻ったら、柴坂さんが仕掛ける。この二周が、立ち直るための時間。

 青色がステージを照らし、通常の色に戻る。


「はっ――!」


 柴坂さんが踏み込んだ。弱めの打ち込み。

 それを、月海先輩がしっかり受けた。


 ぼくは両手の拳を握った。先輩が立ち直った!


 先輩が大丈夫と見たのか、柴坂さんの打ち込みがどんどん勢いを増していく。先輩の太刀さばき、足さばきも次第に軽快になっていった。


 完全に、道場と同じ雰囲気の立ち合いになっている。

 二人は打ち合い、離れ、また踏み込み、木刀を自在に操る。柴坂さんの太刀筋がブレる時もあったが、月海先輩が上手く合わせてフォローする。


 最後の一太刀がぶつかり、両者が離れた瞬間、ぼくは思わず座り込みそうになった。


 それでも、手すりにしがみついてステージを見つめ続ける。

 月海先輩と柴坂さんが挨拶を交わしたあと、客席に向かって一礼した。

 大きな拍手が二人に送られた。口笛を吹く人までいる。かっこいいぞー、という歓声も飛んだ。


「よかった……よかったぁ……」


 ぼくは涙をこらえるので必死だった。


     †     †


「景国くん!」


 体育館の外で合流した瞬間、ぼくは笑顔の月海先輩に抱きしめられていた。


「貴方が準備してくれたのね。嬉しいよ……もう言葉にならないくらい嬉しい。本当にありがとう……」

「せ、先輩、苦しいですよ」


 先輩の力がゆるむ。


「あの足音で、すぐに頭が道場のイメージに切り替わったの。おかげで体が動いた……二回転は、立て直すまでの時間のことだったのね」

「何事もなく終われば、完全に余計なお世話だったんです。でも、はっきり言っておいた方がよかったかなって思ったり……」

「ううん、あれで充分わかったよ。ありがとう景国くん……大好き。今日のことは一生忘れない」


 あの音で月海先輩が元に戻れるかはほとんど賭けだった。でも、打った手は無駄じゃなかった。何もしていなかったら、今頃は後悔で押しつぶされていたかもしれない。


 足音がした。月海先輩がぼくの背後を見て、それから離れた。振り返ると、袴姿の柴坂さんがそこにいた。


「月海先輩、私のわがままにつきあっていただき、本当にありがとうございました」

「そんなにかしこまらないで。未来生ちゃん、すごくよかったから」


 やりきったはずなのに、柴坂さんの表情は晴れない。


「戸森さんにもお礼を言わなければいけません。ありがとうございました」

「柴坂さん、かっこよかったよ。お疲れさま」

「でも、私……」


 柴坂さんの声は、今にも泣き出しそうなくらい細かった。


「私が軽々しくした提案で、月海先輩と月心流の名前をひどく傷つけてしまうところでした。それを戸森さんに救ってもらった……言い出した私だけが何もできなくて……」


 ぽつぽつと話す柴坂さんを、月海先輩が優しく抱きしめる。


「何も気にすることはないわ。もし将来、私が月心流を継いだら、ああいう場所にまた立つことになるかもしれない。今日はそのための貴重な経験をさせてもらったと思ってるし、私は未来生ちゃんに感謝してるんだよ」

「月海先輩……」


 ぐすっ、と柴坂さんが泣き出してしまう。月海先輩が柴坂さんの背中をさすって「頑張ったね」と励ましてあげる。それを見ていたら……。


「うう……」

「か、景国くんも泣いてるの?」

「今になって、成功したんだって実感がこみ上げてきて……すみません」


 顔を逸らして目元をぬぐう。会場ではこらえられたと思ったのに、急に心の底から突き上げてくるものがあった。


「景国くん、こっちにおいで」

「は、恥ずかしいです……」

「いいから」


 ぼくは月海先輩のところへ動いた。

 月海先輩は右手で柴坂さんを、左手でぼくを抱えて撫でてくれる。


「二人ともお疲れさま。最後の文化祭で最高の思い出が作れたよ。本当に、ありがとう」

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