月海先輩のままならない事情
五月!
連休!!
ゴールデンウィーク!!!
だらだらするぞおおおおおおお!!!!
――と、浮かれるタイプの人間ではない。
母さんはゴールデンウィーク中も通常と同じように出勤している。土日はしっかり休みだが、祝日などは関係ないらしい。夜勤から帰ってきたら日中は長いこと爆睡しているので、まるで自分がひとり暮らしでもしているかのように思える時がある。
今日も母さんは朝方に帰ってきて、今はお休み中である。
ぼくは座敷で、出しっぱなしのこたつに入って携帯をいじっていた。
クラスメイトの黒田君からメッセージがやたらと送られてくるので、ずっとそれにつきあっている。彼と野球部の山浦君、ぼくの三人は学校でよく話す仲だ。野球部は春季大会の真っ最中。山浦君は二年生ながら二番を任されるレギュラー選手なので、たぶん今頃は公式戦に出ているんじゃないだろうか。
暇だな……。
本当にやることがない。
かといって出かける気も起きない。
「はあ……」
「こんにちは、どなたかいらっしゃいますか?」
「はぁいっ!?」
ひっくり返りそうになった。
玄関から聞こえてきたのは月海先輩の声だったのだ。
我が家は長らくインターホンが故障しているので、来客がダイレクトに戸を開けて声をかけてくる。しかし先輩がこの家の戸を開けるなんて想像もしなかった。
「お、お疲れさまです」
ぼくは廊下に出た。
ブラウスとロングスカート姿の月海先輩が立っていた。今日はポニーテールではなく、髪を流してカチューシャを挿している。
美しい。
またしても新鮮な姿を見てしまった……。
「景国くん、回覧板をお願い」
「あ、どうも……」
まあそんなところだろうとは思った。
先輩がわざわざうちを訪ねてくる理由がないものな。
「私はこれから徳間のツルヤまで買い出しに行ってくるわ。あの広い通りの向こうにあるスーパーね」
「わかりますけど……歩いていくんですか? かなり時間かかるんじゃ」
「今日はお父さん、用事があって車が出せないらしいの。じゃあまたね、私はツルヤに行くから」
月海先輩は去っていった。
ふむ。
今のは。
……もしかして、誘われてた?
言い方が回りくどかったよな。しかもツルヤって二回言ったし。大事なことだから二回言いましたというやつだったのだろうか?
「うーん……」
回覧板をこたつの上に置いて、黒田君にメッセージを返す。
「戸森さーん、誰かいるかーい」
またも戸が開いて低い声が響いた。
廊下に出ると、スマートな体型の男性が立っていた。長い黒髪をポニーテールにしている。男性としてはめずらしい部類の髪型だが、白い肌、鋭い細目、シャープな顔の輪郭といったパーツの影響か、自然に見える。
学生時代は確実にモテまくっていたであろうこの眉目秀麗な男性は、月海先輩のお父さんで頼清さん。ぼくの名前の原因になった人物である。
母さんが以前、
――お隣のご主人の名前が古風でかっこよかったから、あんたにもそういう名前をつけたいなって思って。
と言っていた。
その結果が景国という名前なのだ。
その頼清さんは、しばらくぼくをじっと見ていた。
「景国君……だよな?」
むしろ他に誰がいるというのか。
「お久しぶりです、景国です」
「やっぱり合ってるよな。顔が昔と変わってなさすぎるからちょっと自信なくて」
ぐはっ。
成長していないと言われたも同然だ。
「ところで、いま光がこなかったか?」
「来ましたよ。回覧板を預かりました」
「綺麗だっただろ」
「えっ? そ、そうですね」
うんうん、と頼清さんが腕を組む。
「これは自慢なんだが、光は恐ろしいくらい美人に育ったんだ」
すごいなこの人。
いきなり訪ねてきてなにを言ってるんだろう。これだけ自信たっぷりに言われると逆にすがすがしいよ。事実だけどさ。
「でもな、美貌っていうのは厄介事を引き寄せやすいんだ」
勝手に上がり口に腰かける頼清さん。
「あいつがいない今のうちに、景国君には聞いておいてもらいたい」
「なんでしょう」
「光は、君のことを非常に気に入っている」
「…………」
先輩が世話を焼いてくれることの真意を考えずに来たが、思いがけない方向から答えが出てきそうだ。
「それも中学の頃からだ」
「そ、そんな前からですか?」
「気づいていなかったのか」
「だ、だって、先輩は学校だとぼくのことを避けてる感じがしたんですよ。視線は逸らされるし、すれ違う直前とか唐突にクラスメイトと話し始めたりして」
「やはり不器用だな、あいつ」
「でも今年はすごくグイグイくるんです。なにがあったんでしょう?」
「親衛隊が解散したんだよ」
親衛隊……。
月海先輩の周りにはそんな連中が集まっていたのか。
「ストーカーされてた、とか?」
「そこまではされてなかったはずだ。でも色んな奴から告白されまくったらしいぞ。ほぼ年上からだったそうだが、振られた奴らは協定を結んで光を守る方向で結束したらしい。そんな時に、あいつが後輩くんと仲良くし始めたらどうなると思う?」
「あ……」
「嫉妬した連中が景国君を恨むかもしれない。光は腕が立つから自分の身は守れる。だが景国君はいきなり誰かに襲われたら抵抗できないだろう」
悔しいが、その通りだ。
「君に近づくと、自分より景国君の身が危ない。だから関係ないふりをしてたのさ。そのくらい上級生の本気を感じてたんだな」
「つまり、今年から変わったのは……」
「鬱陶しい年上どもが進学だの就職だのでこの近辺からみんないなくなったからさ。景国君の安全を確保しつつ、ようやく自由にできるようになったと」
「知らなかったです……」
ただ単に避けられていたわけじゃなかったんだ。月海先輩の行動がぼくを思ってのことだったなんて。
「この話は景国君に早く聞いといてもらいたかったんだが、なかなか君と俺だけが家にいるって時がなくてな。今日は理由つけて買い物に行ってもらった」
「あの……」
「どうした」
「ぼくは月海先輩のこと、ずっと憧れて追いかけてきたんです」
「好きか」
「……はい」
素直にうなずくと、頼清さんがにやりとした。
「ははっ、見事に両想いかよ。甘ったるくてかなわねえな。さっさと告白してつきあっちまえ」
「で、でもいざ告白となると勇気が出なくて……中学の時もそれで後悔して……」
「予行練習やっとくか。俺を光だと思ってそれらしいことを言ってみるんだ」
「なんでそうなるんですか!?」
「娘の交際相手の度胸を見てやろうと言ってるんだ。さあ!」
「え、えーと……」
必死で告白の言葉を考える。
「あ、あなたの可憐な姿は、野に咲く一輪の花のように……」
「君はなにを言っているんだ?」
「ち、違いますかね?」
「今さら外見を褒めてどうする。好きって気持ちを伝えるのが最優先事項だろう」
「その……ずっと前から、好きでした。遠くから見てるばっかりでしたけど、綺麗で、かっこよくて、面倒見がよくて、一緒にいられたらどんなに幸せだろうって思うと、気持ちが抑えきれなくて……!」
「うそ……景国、あんた頼清さんのことを……?」
「え?」
「あっ」
振り返ると、母さんがパジャマ姿で階段を下りてきたところだった……。
「う、うわああああああああ」
「景国君、まあうまくやってくれ! さらば!」
頼清さんは恐ろしいほど身軽な動きで消えていった。
「景国……」
「違うんだ母さん! 今はただ告白につきあってもらってただけで!」
「なにそれどんな上級者プレイ!?」
「待って、主語が抜けた! 告白の練習――」
「ちょ、ちょっと待って。頭を整理するから時間をちょうだいっ!」
母さんは階段を駆け上がっていった。静寂が下ってくる。
……寝ぼけてただけだよな。
たまにそういうことがある。だから誤解なんてすぐ解けるさ。大丈夫大丈夫。ははは。はは、は……。
「さて……」
ぼくは携帯を持って靴を履いた。
月海先輩がぼくを避けていた理由。今年の変化。
その真意がようやくわかった。
ならば、本当に恐れるものはなにもないのだ。
だからといって今すぐ告白できるかと言われれば無理だけど、もっと先輩と距離を縮めることはできる。
まずは今日、買い物に行った先輩を追いかける。
店までの道は長い。走ればすぐに追いつけるはずだ。
昔の話をして、数年の空白を埋めていこう。
そこからでも、いいよね。
なにはともあれ、出発だ。