次はもっと上手にやれる
ギターの演奏が体育館に響いている。
まだ文化祭まで間隔があるが、フリーステージに参加するグループはもう体育館でリハーサルを行っている。
今日は月海先輩と柴坂さんもステージに立ってみるというので、ぼくもこうして体育館に来ていた。
放課後だけど、あまり人はいない。参加者の友達くらいだ。
「景国くん、それじゃあ最後まで見ていてね」
「頑張ってください、月海先輩」
ぼくと月海先輩は体育館の入り口近くで、演奏するグループを眺めていた。
先輩は制服のままだった。軽く動くだけなので、今回は道着はつけないそうだ。袴姿の月海先輩が見られると聞いたら人が集まってきそうだなあ……。
「そ、それでね」
先輩が両手の指をすりあわせる。
「今日も上手くいったら、その……」
「おやき作りますよ」
「ほんと? じゃあ約束よ」
「任せてください」
「やった」
月海先輩が笑顔を見せた。普段凜々しい表情をしているから、こういう柔らかな表情にはドキッとさせられる。
「月海さーん」
リハーサルの進行係をやっている3年生が月海先輩を呼んだ。先輩が返事をしてそっちへ行く。
「またあとでね」
ギターの演奏が途切れ、ドラムが最後の音を打ち鳴らす。曲が終わった。このあと漫才をやるコンビが出てくるらしいから、先輩たちはその次か。
「戸森さん、見に来てくれたのですね」
「あ、柴坂さん」
柴坂さんが体育館に入ってきた。やはり制服のままだ。
「月海先輩、場所が変わっても大丈夫でしょうか?」
「演舞は色んなところで見せてるらしいから問題ないんじゃないかな」
「そうではなくて、貴方のことです」
「……さあ、そこはわからないな」
ステージの上。人前での披露。そこにぼくがいること。
これらの要素を前にして月海先輩がいつも通りでいられるのか。さっきの様子では緊張はなさそうだったが……。
「まあ、今日は一回目ですし試してみないとわかりませんわね」
「そうだね。修正の時間はたっぷりあるし」
柴坂さんがうなずく。
「ところで戸森さん」
「なに?」
「下の名前、景国というんですね」
「ぐはぁ」
ぼくはよろけて壁に激突した。
「ど、どうしたのですか!?」
「その名前、実はコンプレックスの一つで……」
「そうなのですか? 古風で素敵なお名前だと思いますけれど」
「名前自体はいいんだ。でもこの顔で景国って、正直ないでしょ」
柴坂さんに見つめられて、ぼくはちょっとたじろいだ。
「……きっと成長します」
「気づかいが痛い!」
「周りの会話はよく聞こえてきますが、よく考えたら戸森さんを下の名前で呼んでいるのは月海先輩だけですわね」
「できるだけ名字で呼んでくれって、仲良くなった人には必ずお願いしてるんだ」
「なんと徹底的な……」
「もうちょっと大人びた顔だったら堂々と名乗れたかもしれないけどね。とにかく発育が悪くて」
「確かに、ちゅ――」
「…………」
「……なんでもありません」
「中学生に見えるって言おうとした?」
「チューリップのように可憐なお顔だなと思いまして」
「苦しすぎる!」
しかも可憐って言われてもリアクションに困るよ?
「とにかく、これからも名字で呼んでもらえると助かるかな」
「わかりました。……では、そろそろ行ってきます」
柴坂さんもステージの方へ移動していった。
3年生コンビがステージで漫才を披露している。……コメントは控えておこう。
† †
「それじゃあ月海さんたち、どうぞー」
月海先輩と柴坂さんが舞台袖から出てきた。
二人とも木刀を手にしている。
向かって左側に月海先輩、右が柴坂さん。
まずは木刀を置き、正座をして挨拶をする。
立ち上がって木刀を構える。
「すげー」
近くで見ていた男子グループがつぶやいた。
「月海さん、全然動きブレないな」
木刀を持った月海先輩を見るのはみんな初めてだろう。そんな人たちでも先輩のすごさはしっかり伝わっている。さすがだ。
「あれ、今日って位置の確認だけ?」
……ん?
ステージに目を戻す。
二人ともまったく動いていなかった。
というか、月海先輩は動かないというより固まっているように見えた。
誰もが緊張した様子でステージを見守る。
そして、月海先輩が何かを言った。
二人とも一歩下がり、木刀を置いて正座する。挨拶をして、舞台袖へ消えていった……。
「なーんだ、打ち合いは今度かー」
見物人がそれぞれ動き出す。
……とりあえず、ごまかせたみたいだな。
どう見てもあれは駄目な時の月海先輩だった。あそこで切り上げる判断は正しかったと思う。
ステージ脇のドアを開けて、月海先輩と柴坂さんが出てきた。ぼくはすぐさま二人のところに行く。
「お疲れさまでし――」
柴坂さんが猛スピードで近寄ってきて、
「励ましてあげてくださいな」
と耳打ちしてきた。
月海先輩は疲れ切った顔をしている。どうしよう。どっちにしてもおやきは作った方がいいかな? でも上手くいった時のご褒美だから、ほいほい出したらいけないのでは?
「高さが変わるだけで全然違うのね。景国くんがどこから見ているかわからないと余計に集中できないわ……」
「き、きっと制服だったからですよ。道着なら道場の感覚が思い出せていつも通りできるんじゃないですか?」
「そうかな……」
「そうですよ!」
「じゃあ、次は道着を持ってこようかな……」
ぼくと柴坂さんはぶんぶん首を縦に振った。
「未来生ちゃん、びっくりさせちゃってごめんね」
「いえ。私も緊張でガチガチになっていたので……」
「そっか。……難しいわね」
「ええ、とっても」
二人が苦笑いした。
† †
空が真っ赤に染まっている。
ぼくと月海先輩は学校を出て、近くのコンビニに立ち寄っていた。外の壁に背中を預けてペットボトルを開ける。先輩はブラックコーヒー、ぼくはオレンジジュース。
「景国くんにいいところ見せたかったんだけどな」
「あれだけでも充分かっこよかったですよ」
「本番はちゃんと合わせるところまでやらなきゃいけないから、今日は完全に失敗よ」
「まだ慌てる時じゃないです」
「わかってはいるけど……」
先輩は重いため息をついた。今日のは、長く引きずるタイプの失敗かもしれない。
こういう時にどう励ますかがぼくの腕の見せどころだ。こんなこともあろうかといくつかアイディアは用意してある。
……あれでいこう。
ぼくはスクールバッグからウォークマンを取り出した。
「先輩、耳を貸してもらっていいですか」
「いいわよ、はい」
ぼくと先輩の耳がイヤホンでつながる。ぼくは曲を流した。
「……あ、なんだか落ち着く曲。ちょっとフォークみたいな雰囲気ね」
「ずっと好きなバンドなんですけど、最近こういう曲調が増えてきたんです。それで、もしかしたら月海先輩も気に入るんじゃないかなって」
先輩がクスッと笑った。
「もしかして、なぐさめてくれてる?」
「……あんまり落ち込んでほしくないので」
「ごめんね、景国くんまで暗い顔にさせちゃった。でも大丈夫よ」
先輩が、ぼくの手に指をからめてきた。
「そこまでヤワじゃないわ。今度はうまくやってみせるから安心して。次こそ景国くんのおやきをもらうわ」
「無理、しないでくださいね」
「うん。ありがとう」
その言葉に、ぼくはホッとさせられた。
「ねえ……せっかくだから、もう少しこのまま曲を聴いていない?」
「もちろん、いいですよ」
「ふふっ、嬉しいな」
月海先輩が目を閉じる。ぼくも同じようにした。
優しいギターと穏やかなメロディーに包まれる。
その中でずっと、ぼくは月海先輩の温かな手を感じていた。




