小さな夏祭りのクレープ
街はすっかり薄暗くなっていた。
遠くから子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。
今夜は地区の夏祭り。
小さな屋台が出て手持ち花火をするくらいのささやかなものだ。
それでも月海先輩と一緒に出かけるには充分すぎるイベントだった。
ぼくが家の入り口で待っていると、先輩が道路に出てきた。
「こんばんは景国くん、元気そうね」
「朝会ったばかりじゃないですか」
「細かいことは気にしないの」
先輩はフレアスカートにTシャツとカーディガンを着ていた。
「何かがっかりしてるみたいね」
「いえ、そんなことは……」
「私が浴衣でも着てくると思った?」
心を読まれているっ……!
「残念だけど、また次の機会があったらね」
次……まだ火祭りがある。その時は着てくれるかなあ、浴衣。
「さ、行きましょ。もうけっこう集まってそうよ」
「ですね」
「追加のお小遣いはもらえた?」
「母さんがいつになくたくさんくれました」
「お祝いかしら」
「……確かに大きく進展はしましたけど」
それじゃご祝儀みたいだ。
二人で住宅街を南へ下っていくと公園が見えてきた。
この前の公園より広く、遊具も豊富だ。
思ったよりも人がいる。大人も子供も集まってガヤガヤしていた。
屋台は焼きそばとクレープ、金魚すくいだけ。
もう子供たちが手持ち花火で騒いでいる。本当に小さなお祭りだけれど、みんな楽しそうにしている。
「ね」
「はい?」
「浴衣の人、いないでしょ?」
見渡すと、確かにいなかった。
女性はみんなシャツとかノースリーブとかラフな格好だ。
「このくらいのお祭りだと着る人がいないから浮いちゃうの。わかってもらえた?」
ぼくはうなずいた。
やっぱり先輩は目立つことを避けたがる。ネックレスのカラーはあれでよかったみたいだ。
ふと横を向くと、街灯が先輩を照らし出した。首には、昨日贈った銀のネックレスが提げられている。
思わずガッツポーズしそうになった。早速先輩がつけてくれたことが嬉しい。
「景国くん、食べ物の屋台二つしかないし両方行く?」
「うーん……食べきれるか不安です」
「お腹、壊しやすいんだっけ」
「食べ過ぎると駄目ですね。食べ過ぎのラインも人と比べると低いんですけど」
先輩はあごに指を当てて考え込む。せっかくの機会なのに貧弱体質が邪魔をして申し訳ない。
「だったら焼きそばとクレープ、一つずつ買いましょ」
月海先輩がぼくをからかうように笑う。
「はんぶんこね」
「えっと、じゃあ先輩に先に食べてもらって……」
「一口ずつ交互に食べるのよ?」
また恥ずかしいこと言い出すううううう!!!
「ひ、人もたくさんいますし……」
「向こうのベンチには誰もいないわ。あそこで食べましょ」
先輩はさっさと行ってしまった。
慌てて追いかける。すでに先輩はクレープを頼んでいた。メロンチョコ味。
「買っちゃった」
……くっ。仕方ないか。
そこまで楽しそうに言われたらぼくも乗るしかない。恥ずかしいという感情は捨てよう。
「先輩、お先にどうぞ」
「駄目、景国くんが先よ」
はい、と渡される。主導権は握れそうにない。……ていうか、予想よりだいぶクレープがでかい。これだけでお腹いっぱいになりそうだ。
「いただきます」
一口かぶりつく。あ、おいしい。生地がなめらかで口当たりがすごくいい。甘い。
「次は先輩の番です」
「うん、いただきます」
先輩がクレープをかじる。
えっと、これも間接キスに入りますか?
「甘いわね……」
「甘いですね……」
色んな意味で。
「次、景国くんの番」
二口目はがぶっといった。
先輩に渡そうとすると、いつもの穏やかな微笑みが見えた。
さすがにわかってきたよ。これ、「食べてる景国くんかわいい」って言われるやつだよ。本当に、かっこいい男を目指さなくていいのかなあ。
「景国くん、ほっぺにクリームついてるわよ」
「そっちかぁ!」
「え、何が?」
「気にしないでください。ちょっと思い上がってただけです」
先輩が不思議そうな顔をする。
それから右手を伸ばした。
人差し指がぼくの頬に触れる。さらったクリームを、先輩がぺろっと口に入れた。
「あ……」
「とうとうやっちゃった」
月海先輩が少し照れたように視線を横にずらす。
「これ、いつかやってみたいなって思ってたけど、けっこう恥ずかしいわね」
先輩は歩き出した。移動しながらクレープを口にする。
振る舞いビールで盛り上がる大人たちを横目に、ぼくらは公園の隅っこ、ベンチに座った。
「ふう」と先輩が息を吐く。しばらく、二人で賑やかな公園を眺めていた。
「小学校の頃は、もっと屋台が出てたわよね」
「言われてみれば……」
「今は三つだけ。こうやってどんどん小さくなっていくのかな」
先輩がぽつりとこぼした。
「私はここが大好きだから、大人になってもこういう催しは残っていてほしいって思うの」
「その時には、ぼくらの世代で企画を動かしてるかもしれませんよ」
「前向き景国くんが出てきたわね」
クレープを渡された。まだ半分以上ある。
「景国くんも、この土地から動かないつもり?」
「まだわかりません。将来どういう仕事に就くかも決めてないですし」
「そうだよね。いま訊いても仕方なかったわね」
「先輩は道場を継ぐんですか」
「そのつもり。でも、お父さんみたいに上手くやりくりできるとは思えないの。まだ何もかも未熟だから」
ぼくは黙っていた。
月心流のことを知らないぼくが下手に「そんなことないです」と言うと、先輩は余計に自分を否定し始める。経験上、そうなるのがわかる。だから続きを聞くだけだ。
「だけどお父さんもまだまだ現役でいてくれそうだし、元気なうちに覚えられることは覚えたい」
「先輩の熱心さがあれば、きっとできます。焦らないでくださいね」
「うん。まずは景国くんに堂々と腕前を披露できるようにならなきゃ」
「楽しみです」
よかった。前向きのまま話が進んだぞ。
ぼくたちはクレープを何度も行き来させながら、またぼんやりと祭りの風景を眺める。
親子が多い。
ぼくがこの土地を離れなかったら、いつか月海先輩と……。
「……」
首を振った。
つきあいだしたところだ。まだそれを考えるのは早すぎる。
でも、そういう日を夢見てもいいだろうか。
現実は思い通りにならないことばかりだけれど、この想いがずっと変わらなければ、夢が夢じゃなくなる日がくるかもしれない。
ぼくはそんな未来を想像しながら、クレープの最後の一口をもらった。
「失敗した……」
「何がですか?」
「なんで焼きそばより先にクレープ食べちゃったのかしら。順番が逆じゃない……」
「……」
……やっぱり、思い通りにできないことってあるよね。




