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お見舞いに来てもらったのはいいけれど

 雨に遭ったらすぐシャワーを浴びよう。早めに体を温めれば大丈夫。


 それはあくまで一般論です。


 月海先輩と土砂降りの中を帰った翌朝、熱が出てぼくは寝込んだ。

 38度6分。

 学校に行ける状態ではなく、担任に電話して休むと伝えた。


 本当に情けない男だ。

 先輩とペースを合わせて走ることもできない。

 雨で濡れたらすぐ風邪をひく。


 こんなポンコツを気にしてくれる先輩が不思議にさえ思えてくる。


 震える足で階段を下り、居間まで行った。棚の上の薬箱を開ける。


「うあー、きっつい……」


 こういう時は畳の匂いがやけに強く感じられるのだ。なんだか気持ち悪い。

 冷却シートを額に貼って部屋に戻り、また寝た。


「ただいま」

「おかえり……」


 ちょうどそのタイミングで、母さんが夜勤から帰ってきた。


「どしたの、風邪?」

「うん、昨日の雨でやられた……」

「傘持ってなかったのか。おかゆ作ったら食べる?」

「今は無理かな。母さんは気にしないで休んでよ」

「あんたがいいなら寝させてもらうけど……病院行かなくていい?」

「この感覚なら、一日しっかり寝るだけで治ると思う」

「さすが、経験者は違うねえ」


 ぼくは高校に入るまで、春夏秋冬に一回は必ず風邪をひいていた。だからなんとなく症状の重さがわかるのだ。


 高校で、低すぎた身長が伸びだすと同時に風邪もひきにくくなった。でも、やっぱり雨は駄目だ。かつての自分に戻ってしまう。


「ま、なんかあったら呼んでね。おやすみ」

「うん、お疲れさま」


 母さんが下へ行った。


 ぼくは目を閉じる。

 今日も今のところ快晴。月海先輩に何も伝えていないからお昼に困らせてしまうかもしれない。


 そういえば、先輩の連絡先を知らない……。


 二ヶ月一緒にいて初めて気づいた。

 お昼は時間が決まっているし、帰り道は同じ、家も隣だから特に困ったことが起きなかったのだ。


 明日……は土曜日か。週明けなら完全回復しているはずだし、この機会に教えてもらおう。さすがに断られたりはしないよね?


     †     †


 一眠りして起きると、もう夕方になっていた。

 山浦君と黒田君からメッセージが来ていたので短めに返信。


「ふああ……」


 起きたばかりなのにまだ眠たく感じる。よっぽど消耗しているようだ。

 もうすぐ母さんも仕事に行くはずだし、今のうちに何か作ってもらおうかな……。


 コンコン、とノックがあった。


 変だな。母さんはいつも声をかけるだけのはず。


「起きてるよー」


 ガチャッ。


「起きてたのね。よかった」

「…………」

「景国くん?」

「え、ええええっ!? なんで月海先輩が!?」

「風邪で休みって聞いたから」


 先輩はいつも通りの夏服だった。スカートが昨日よりほんのちょっとだけ長くなったように見える。その背後から母さんがひょこっと顔を出した。


「光ちゃんがわざわざ来てくれたんだから感謝しなさいよ~」

「う、うん」

「いやぁ、久しぶりよねえ。光ちゃんがうちに上がるのっていつ以来? 小学校?」

「そうですね、私が小6の時が最後だったと思います」

「そっかそっか~。あたしはもうすぐ夜勤に出なきゃいけないんで、悪いけど景国のことお願いね」

「任せてください」


 月海先輩が視線をぼくに向けた。その隙を突いて、母さんがサムズアップする。何をどのように上手くやれと?


 母さんが出ていくと、ぼくと月海先輩だけになった。


 な、何も準備できていない……。


 来るとわかっていたら片づけをしていた。服とか本も出しっぱなしにせずにしまっておいたのに。


 先輩は部屋の真ん中に敷いてあるカーペットに正座した。視線が、ぼくの寝ているベッドと同じくらいの高さになる。


「具合はどう?」

「だいぶ落ち着きました。土日挟めば元に戻りますよ」

「そっか。……私のせいよね」

「なんでですか?」

「雨がやむまで待てばよかったのに、焦って飛び出したりしたから……」

「それは違います」


 即答だった。


「最初にあれだけ濡れたんですから、どっちみちこうなってました。先輩のせいじゃないです」

「景国くん……」


 それでも先輩は落ち込んだ顔をしていた。こういう時はふざけて空気を明るくするか?


 ――あ、そうだ。


「先輩、今日もすごく綺麗ですね」

「え?」


 先輩がきょとんとした。あまり表情は変わらない。


「どうしたの、急に」

「いえ、自然と出てきたというか」

「ふうん。ありがとね」


 淡々とした返事。

 昨日同じことを言った時にはすぐ顔が赤くなったのに、今日はほぼ反応なし。


 つまり月海先輩は、焦ったり困ったりしている時に追撃されると動揺が止まらなくなるタイプ。強いけど、一回崩れるともろい。この分析は間違っていない気がする。


「ところで景国くん」

「なんですか」

「あの本棚、全部ライトノベル?」

「うっ、そっちはあんまり見ないでください!」


 先輩が部屋を見渡し始めた。これはまずい。ありのままのぼくが晒されているも同然なんだぞ!?


 入り口のドアを開けるとまず本棚。その奥に、今ぼくが寝ているベッド。左にカーペットとローテーブルがあって、その横に勉強机。壁に沿って下がっていくとハンガーラック、そしてクローゼット。


「ふーん……」


 月海先輩が立ち上がった。


「先輩、勘弁してください……」


 机の上を調べられている。


RaSHOWmON(らしょうもん)のCDってこんなに出てるんだ。あ、Around(アラウンド) the() cRock(クロック)も知ってるバンドだわ。ここに積んであるのは最近読んだライトノベルかな?」

「うぐぐ」


 がさがさ。


「あら、これは『フォークナー短編集』? もしかして、前に私が好きだって言ったから?」

「そ、そうです……」


 ああ、途中で挫折したから隠しておきたかったのに……!


 先輩がくるっと振り向いた。


「さすがに景国くんはベッドの下にいやらしい本を隠すなんて王道はやってないわよね?」

「やって、ないですよ?」

「じゃあ検証」

「い、いけません!」

「なぜ?」

「も、もしそういうのが出てきたら、先輩も反応に困りますよね!?」

「…………」


 微妙な沈黙が訪れた。


 やってしまった。

 今の返しでは「ある」と白状したようなものだ。

 しかもぼくの場合はグラビアとかじゃなくて黒田君経由で入手した薄い本だから余計にやばい。


「まあ、言われてみればそうね」


 先輩がもう一度座った。


「からかいすぎちゃった」

「心臓に悪かったです……」

「景国くんが私のことをからかうからいけないのよ」

「あ、あれは本心なので」

「本当は私の反応を楽しむつもりだったんじゃないの?」

「な、ななななんのことだか」


 完璧に読まれているッ……!


「くっ……すみませんでした……」

「いいえ、こっちこそ。具合悪い人にちょっかいかけちゃまずかったわね」

「平気ですよ。今日いっぱい寝ればバッチリです」

「じゃあ遠慮なく寝てちょうだい。これ以上邪魔はしないきゃら」


 ん?

 今、先輩の声がかすれて聞こえたぞ。


「あの、先輩――」

「お大事に」


 訊く前に、先輩は立ち上がって部屋を出ていってしまった。


     †     †


 月海先輩がいなくなったあと、ぼくはまた眠りに落ちた。

 目が覚めた時には真っ暗になっていた。

 携帯で時間を確認する。

 もうすぐ9時になるところだ。


 本当に寝ていただけの一日だった。でも、おかげでかなり楽になったしもう大丈夫。


 ベッドから出て、一階に下りた。台所の電気をつける。


 おや……?


 キッチンが妙に綺麗になっている気がする。

 コンロ周りの焦げとか、シンクの水垢とかがなくなっている。

 母さんが掃除したのだろうか。先輩が来たから慌てて……。


 テーブルを見ると、小さな土鍋が置いてあった。隣に書き置きがある。


『景国くんへ

 元気が出たら温めて食べてください』


「マジか」


 月海先輩がぼくのためにネギとたまごの雑炊を作ってくれた。

 どうしよう、感動で涙が出そうだ。

 こんなことまでしてもらえるなんて信じられない。


 ぼくは早速鍋に火を入れて温めると、一口一口味わって食べた。今のぼくには濃すぎない味つけで、どんどん食べられた。

 いつものお弁当もおいしいけれど、こういう状況で作ってもらえた料理はふかーくふかーく心にしみる。


「うまい……」


 母さんはもう夜勤に出たあと。家の中はとても静かで、だからこそ先輩が用意していってくれた雑炊に温かさを感じるのだ。


 食べ終えると、食器を水に浸した。洗うのは明日にしよう。


 廊下に出る。

 新しい冷却シートに替えておこうかな。


 ぼくは居間へ移動した。


「ん……はぁ……」


 ――えっ?


 今、座敷の中から声がしなかったか?


 耳を澄ます。


「ん……う……」


 月海先輩?

 そうとしか思えない。

 うちの居間で何をやってるんだ。

 なんだか……妙に色っぽい声のように思えるんだけど……。


 ごくっとつばを呑み込む。

 戸の向こうにはどんな光景が……。

 いや。いやいやいや。

 ないでしょ。

 さすがにそれはありえないって。


 と、とにかく。

 このままでは埒が明かない。

 何も聞こえなかったことにして戸を開けるからな!


 ぼくは戸を滑らせ、すかさず電気をつけた。


 月海先輩が畳の上で横になっていた。

 目を閉じて、苦しそうな顔をしている。額や頬の汗もひどい。


 ――ためらってる場合じゃないな。


「失礼します」


 ぼくは先輩の額に手を当てた。


「あつっ……!」


 かなりの熱。

 先輩も風邪をひいていたんだ。

 さっき声がかすれたのはそのせいだった。


 そんな状態なのに雑炊を作ったりキッチンを掃除したりして体力を使ったせいで、症状を悪化させてしまったんだ。そして、やむをえない判断としてここで横になった。

 無理して帰って、道路で倒れられるよりはずっといい。

 けれどぼくには、先輩を家まで連れて行けるだけの力がない。

 ここで介抱するしかないわけだが……。


 自分の家で先輩と二人きり。

 これから深夜になっていくという時間帯。


 どうやらぼくは、大変な試練の前に立たされているようだった。

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