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帰り道、雨に打たれてずぶ濡れで

 朝、あまりに見事な快晴だったものだから、傘を持たずに登校した。

 その判断は裏目に出たかもしれない。

 午後になったら雲がどんどん広がり、今にも降りそうな雰囲気になってきた。


 家に着くまで持ちこたえてもらいたいが……。


     †     †


 放課後。


「景国くん、傘は持ってきた?」

「いえ、置いてきちゃいました」

「実は私も。降らなきゃいいけど……」

「微妙ですね……」

「とにかく、早めに帰りましょう」


 ぼくたちは、いつもより早足で歩いた。

 西から伸びてきた梅雨が、とうとう長野市にもたどり着いた。いつ降ってもおかしくない。


「お父さん、今日から三日くらい家を空けるの」

「旅行か何かですか?」

「千葉にある他流派の道場を見て回ってくるらしくて」

「道場破りとかしませんよね」

「まさか。今時そんなことはしないわよ」


 頼清さんって大胆なことをやらかしそうな雰囲気があるんだよなぁ。


 ごごごご、と空が呻いた。思わずビクッとなる。


「か、雷……!」

「あら、景国くんは雷苦手なの?」

「あの音がどうしても駄目なんです。本能的に恐怖を感じるというか」

「急に光る方がびっくりしない?」

「ぼくは断然音の方ですね。先輩は平気なんですか?」

「今はね。昔はよく、雷が鳴り始めたら薄暗い道場に入って、お父さんと二人で瞑想するなんてことをやってたから」

「さすが頼清さん……」


 そういった娘をめぐる教育方針でぶつかった結果、月海先輩のお母さんが家を去ってしまったという話を思い出した。先輩自身が頼清さんに味方したことも大きかったようだ。

 ……まあ、この情報はぼくの母さんを通して聞いたものだから鵜呑みにはしていないけど。


 雷は次第に大きくなり、街全体を包んだ。

 やがて、ぽつぽつと雨が当たってきた。


「いけない……」

「これは家まで持たないですね」

「走るわよ。行ける?」

「はい、ついてきます」


 ぼくらは走り出したが、一瞬で距離が開いた。

 先輩の方が運動神経がいい上に足が長いからとんでもない差がついてしまう。


 先輩がすぐスピードを合わせてくれた。


「すみません、何から何までポンコツで……」

「そこがかわいいからいいの」


 否定してもらえなかった……ショックだ……。


「でも、なるべく頑張って」

「は、はいっ」


 大通りを一本逸れて住宅街へ入った。民家やアパートの間を抜けて、家までの最短ルートを辿る。


 ざあーっ、と雨が屋根を叩いた。一気に来た。視界があっという間に灰色に霞んで、頭からずぶ濡れになる。


「先輩、雨宿りしましょう!」

「いい場所がないわ! 探して!」


 大声を出さないと聞こえないくらい雨音がすごい。

 両脇は民家が続いていた。どの家も塀に囲われているせいで屋根の下に入れない。これなら大通りを歩いていた方がよかった。入れる店がたくさんあったから。


 ぼくたちはひたすら走るしかなかった。雨は勢いが強くなる一方だ。靴の中がすでに気持ち悪い。


「先輩、あそこにしましょう!」


 ぼくが指さしたのは床屋だった。今日は休みらしく明かりがついていない。

 入り口の横にせり出した、カラフルな屋根の下に駆け込んだ。全身からぽたぽた水が滴る。


「うへえ……ひどい目に遭いましたね……」

「最悪のタイミングだったわね。折りたたみ傘、早く新しいのを買い直さなきゃ」


 屋根の幅がそれほどないので、壁に背中をぴったりつけていないと雨に当たってしまう。ぼくと先輩は、肩が触れるくらいの位置で並んでいた。


「ここで弱まるまで待ちますか?」

「そうね、たぶん30分もすれば雲が流れていくはずよ」


 屋根から流れ落ちる雨水は滝のようだ。


「もうちょっと屋根が出ていてくれたらよかったんだけど……」

「これでも避けられてる方じゃないですか?」

「水が跳ねてくるのよ」

「ああ……」


 目の前に落ちた水が飛び散って、足を容赦なく濡らしている。

 ぼくはズボンだから重たくなるだけだが、先輩はスカートなので、ソックス越しに絶えず水を受けている状態だ。


「帰ったらシャワー浴びないとですね」

「ええ。風邪ひきそう……」

「貸せる上着があればよかったんですけど……」

「あっても受け取らないけどね。景国くんの方が自分の体を大切にしなきゃいけないのよ」

「やっぱり、すぐ風邪ひくイメージありますか」

「小学校の頃はけっこう休んでた覚えがあるわ」

「あの頃よりはマシになりましたよ。……貧弱なのは変わらないんですけど」

「せっかく一緒に帰れるようになったんだから、このタイミングで風邪なんかひかれたら困る…………あ」

「先輩?」

「……でも、看病のチャンスとも考えられるわね」

「えっ」

「駄目、そんなこと考えてはいけないわ。つまり景国くんが苦しむということなんだから……」


 何かぶつぶつ言ってる……。


「景国くん、こういう時は体力の消耗が激しいから、今日は早めに寝るべきよ」

「そ、そうですね」

「約束してね。貴方はただでさえ……くしゅっ」


 先輩がくしゃみをした。


 なに、今の。

 すごくかわいかったんですが。


「はあ……ちょっと冷えてきたかも」

「大丈夫ですか――」


 横を見た瞬間、ぼくは固まった。


 雨に濡れてぴったり体に張りついたブラウス。その白い生地に浮き上がっているのは、水色の……。


「景国くん?」


 先輩がこっちを見た。

 そして、バッと右腕で胸を隠した。


「……見えた?」

「……あの、忘れます」

「つまり見えたのね……」


 唇をきゅっと結んで、先輩がうつむいた。この前みたいに頬が赤くなり始めた。顔が生白く見えるせいで、びっくりするくらいわかりやすかった。


「か、景国くんになら見られても平気だと思ったけど、やっぱりまだ駄目みたい。悪いけど、こっちを見ないでね」

「す、すみません」


 貴重なものを見てしまったがちっとも嬉しくなかった。むしろ申し訳ない気持ちになってきた。


 しかし、今の言い方……。


 やっぱりまだ駄目?

 もしかして衣替えの日に足を組んでみせたりしたのも、実は恥ずかしかったのだろうか?


 ぼくは横を向いていた。


 困ったような先輩の横顔。ポニーテールも雨に打たれてつぶれ気味だ。そこから頬へ、首へと伝っていく雨水。


「か、景国くんっ、こっちを見ないでって――」

「先輩、綺麗ですね……」

「っ……!?」

「あっ」


 しまった。

 月海先輩があまりに美しかったので思わず口にしていた。今日の先輩は普段と違う。雨に濡れたせいで、いつもより遙かに色っぽい。完全に大人の女性の雰囲気だった。


「せ、先輩、今のは無意識のつぶやきというか、えっと」

「か、帰るわよ」

「え? でもまだ雨は弱まってませんけど」

「いいから帰るの! これ以上ここで待ってなんかいられないわ!」


 先輩は迷いなく雨の中へ出ていった。

 ぼくも慌てて追いかける。

 乾きつつあった顔がまたびっしょりになった。

 でも先輩に置いていかれたくはない。

 早足で先を行く先輩を、ぼくは必死で追いかけた。

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