「あなた」の趣味をもっと知りたい
徐々に雨の日が増えてきた。もうすぐ長野市も梅雨入りし、やがて夏がやってくる。
今年は時間の流れが早い。
月海先輩との関係が変わったせいだろうか。毎日、何か特別なことが起きるのではないかとわくわくするのだ。
薄曇りの昼休み。
蒸し暑くなってきた屋上に出ると、月海先輩は今日も先に来ていた。
以前と同じようにイヤホンをして、目を閉じて音楽を聴いていた。やはり足を組む姿が様になっている。
「月海先輩」
「あら、お疲れさま」
呼びかけると、先輩はすぐにイヤホンを外した。何を聴いていたんだろう。
そういえば、先輩が好きな音楽をぼくはまったく知らない。小説の時もそうだったし、月心流の知識もない。
ぼくは、好きな人のことを何も知らない気がする。
「先輩ってどういう音楽聴くんですか?」
お弁当箱を受け取りつつ質問した。
「私はフォークソングばっかり聴いてるわね」
さすが月海先輩。期待を裏切らない。
「お父さんがフォーク好きで、小さい頃からそればかり聴いていたせいかしらね。自分に一番合ってる感じがするわ」
「先輩らしいですね」
「でも、友達にカラオケとか誘われると困るのよ。一人だけ浮いちゃって」
「あー、どうしてもJ-POPメインになりますもんね」
「ロックが好きな子もいるし、あかりが歌うアニソンは知らないものばかりだし」
夏目先輩も本当にブレないな。
「でも、あかりはノリのいい曲を入れるからわりと何を歌っても許される空気になるの。それに比べて、私は……」
「フォークは青春の苦みを歌うものですもんね」
「景国くんの考えるフォークってそういうイメージなの?」
「ち、違いますか」
「間違ってるとも正しいとも言いづらい……」
「でも、基本的に静かなイメージなんですけど」
「それはあるかも。私の好きな曲って、カラオケで歌うとしんみりしちゃうのよ。あれがアウェイの空気というやつかしら」
想像するだけでつらい。
カラオケは、歌いながら「あっ、これ滑ってる」というのが周りの反応ですぐわかってしまうのだ。
「景国くんはどういう音楽が好き?」
「ぼくは日本のロックを一番聴いてます。友達の影響でV系なんかも少し」
「それは意外ね。カラオケだとシャウトし続けるのが大変なんじゃない?」
「先輩の中のV系ってそういうイメージなんですか?」
互いに相手を無知の刃で刺している気がする。
「さすがにシャウトはしないですよ。声出なかったら恥ずかしいですし」
「そう……」
「なんでがっかりしてるんですか」
「おとなしい景国くんが絶叫するなんて新鮮でいいなって思ったから」
「新鮮……」
「そうだ、今度一緒にカラオケに行ってみない?」
「え、先輩と二人でですか!?」
「当たり前じゃない。趣味を理解してくれる人となら安心だし」
これは……信頼されていると受け取っていいんだな?
「ぜ、ぜひ行きましょう! 好きな曲を歌ってください!」
先輩のアルトボイスでフォークソング。ものすごく聴いてみたいぞ。
「景国くん、好きなバンドの名前とか教えてもらってもいい?」
「え」
「あらかじめわかっていた方が一緒に乗れるかなって。……もしかして訊かれたくないことだった?」
「いえ、ただ……一番好きなアーティストにはつらい思い出があって」
「新曲が出るたびに微妙になっていくとか?」
確かにそれはつらい。
「そうじゃなくて、一番聴いてるのがRaSHOWmONなんです」
「羅生門? 芥川の?」
「いえ、わりと王道寄りのロックバンドです」
「あ、そういえばニュースを見た覚えがあるわ。先月解散しちゃったバンドよね。メンバーの強盗と暴行問題で……」
「真似るのはバンド名だけにしてほしかったです! 下人の真似までしてほしいなんて思ってたファンは一人もいませんよ!」
「そもそもあの人たち、飢えていないものね」
「よりによってあんな形で解散なんて……ああ……」
「よしよし」
うなだれるぼくの頭を先輩が撫でてくれる。
「でも、好きなことに変わりがないなら気にせず歌えばいいわ。私がちゃんと聴いててあげるから」
「先輩……」
「だから、ちゃんとシャウトの練習しておいてね?」
「RaSHOWmONはそういうバンドじゃありません!」
† †
数日後。
いつものように帰るだけだと思っていたのだ。帰り道の途中までは。
月海先輩が「今日はこっちの道を行きましょう」と言うのでついていった結果、ぼくらはなぜかカラオケの入り口に立っていた。
「あの、先輩……?」
「カラオケに行くっていう話をしたでしょ?」
「あれ、本気だったんですね」
「ちょっと間が開いちゃったけどね。あ、そうそう、ここは私が持つから気にしないで」
「それは気にします! 先輩に払ってもらうわけにはいきません!」
「今日は私のワガママにつきあってもらうんだから、私が払うのが当然の流れでしょ?」
「いいえ、先輩とカラオケなんて光栄すぎる話ですからぼくが払わないという選択肢はありえません!」
「ありえる。1円も払わせないわ」
「自分の分は絶対に出しますから」
「…………」
「…………」
「すみません、入るんですか?」
入り口で睨み合っていたら、後ろから来たお客さんの邪魔になっていた……。
† †
来てしまった。
月海先輩とカラオケに。
おそらくこの店では一番狭い個室。
開放されている屋上とはまったく違う。
締めきられた空間に、先輩と二人きり。
当たり前のように緊張する。
「あー。うん、音量はこのくらいでいいかな」
そんなぼくをよそに、先輩は準備に余念がない。
すごくわくわくしているみたいで、今日の月海先輩はいつもより少し幼く見える。無邪気と言えばいいのだろうか、純粋にこの状況を楽しんでいるようだ。
もしかしたら、過去にカラオケで負ったダメージはかなり大きいのかもしれない。だから今日、歌うものを理解している相手と一緒に来られたことが嬉しいとか。そう考えちゃ駄目かな?
「景国くん」
「あ、はい」
「私に合わせる必要はないからね」
「読まれてましたか」
月海先輩はフォークソングが好きだという。ならば、ぼくも静かな曲で合わせようと考えていたのだ。
「余計なお世話でしたね。すみません」
「いいの。私が景国くんに合わせるから」
「先輩が?」
「景国くんの好きなRaSHOWmON、よく聴いてきたから心配しないで」
「…………」
もしかしてこの三日間の空白は……。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
月海先輩が一礼した。
カラオケ始める時に相手に頭を下げる人、初めて見ました。
先攻をゆずると、先輩はさだまさしから入ってきた。マジで? 初手から「案山子」?
先輩が口を開いた。
普段話す時より低めの声が伸びてきた。発音も聴き取りやすい。さすが月海先輩だ。
好きな人のかっこいい声が絶えず耳に入ってくる。
ああ……幸せすぎる。もうずっと歌っていてほしい。ぼくの番なんてどうでもいいから。
そしてぼくの感情は次第に穏やかになってきた。素朴な曲調と歌詞、月海先輩の声が重なって、しんみりした気持ちにさせられるのだ。
カラオケといえば徐々にテンション上がっていくはずなんだけどなあ……。
上手すぎて、次にアップテンポの曲が入れにくい雰囲気になる。月海先輩が感じたアウェイの空気という奴の正体はこれじゃないのか?
――なんて考えているうちに先輩が歌い終わった。
ぼくはすかさず拍手した。
「せ、先輩、予想以上にすごかったです。低い声もいいですね!」
「そう? まあ……ありがとう……」
先輩の顔が赤くなっていた。部屋はそこまで暑くない。全力で歌ったからか、あるいはちょっと恥ずかしさがあったのか……。
「さあ景国くん、次は貴方の番よ」
「そうですね」
遠慮するとかえって月海先輩が気にしてしまうことはわかった。だったらいつも通り、自分の得意な曲を入れるだけだ。というわけでRaSHOWmONの、あえてハイテンポな曲を選ぶ。
「あ、「新東京地獄変」。一曲目にふさわしいわね」
「……先輩、なんでマイク構えてるんですか?」
問いかけると、先輩が得意げな顔になった。
「ちゃんとハモるから任せて」
「え?」
「RaSHOWmONのコーラスはだいたい頭に入ってるから心配しないで!」
「…………」
合わせるってそっちかあああああああああ!!!!
先輩がこの三日間なにをやっていたのか想像するとすごくシュールな光景が浮かんでしまうのでここまでにしておこう。――さあ、歌うぞ!
このあとめちゃくちゃ噛みまくった。
† †
「おう、おはよう景国君」
「おはようございます、頼清さん」
「今から登校かい? 光はとっくに出てったぞ」
「ぼく、どうも朝が弱くて……」
「そっか。ふああ……」
「頼清さんも眠そうですね」
「君の影響かな」
「えっ?」
「光になんとかってバンドの話をしたな? あいつ、部屋で練習してるから気になって寝付きが悪くなっちまった。俺は早く寝るタイプなんでな」
「えっと、謝った方がいいですか?」
「いや、その必要はない。好きな相手の好みに合わせたい……娘の努力は見守ってやらなきゃ……な……」
「おわあっ!? よ、頼清さん起きて! 道路なんかで寝たら轢かれますってええええええええ!!!」




