レジナルド、王立藝術院について語る
レジナルド曰く、
「王立芸術院に入るとしたら、きっと身構えてしまうでしょうね。例えば、金持ち連中から冷ややかな視線を向けられる田舎者のような感じですよ。レッドグレイヴが描いた『田舎の親戚』みたいにね」
すると、相手はこう答えた。
「まあ、藝術院に入るのは宗教的な儀式とほとんど同じだからな。そこは、まさに芸術の聖地であり、優れた芸術作品が死後に向かう場所でもある……」
「大仰に言っても、結局は彫刻家チャントレイの遺産で買い集められてるってだけのことでしょう? それにしても気になるのは、藝術院に入っても故郷への土産話にはならないだろうってことですよ」
「話のタネなら二つはあるだろう? 一つは藝術院には使用人がいること、もう一つは家畜じゃ入学金は支払えないってことだ。私が思うに、きっと最初のやつは鉄板ネタで、二番目のは場合によりけりだろうな。」
レジナルドは話を戻す。
「でも、藝術院というのはまるで機能してませんからね。」
「おいおい、絵の無い世界なんて耐えられんだろう?」
「ええ、優れた絵画を生み出してくれる点では申し分ありませんよ。まあ、それなりには、ですけど。自分の身の回りに嫌気がさしたときや、向こうからやってくる知り合いと顔を合わせたくないとき……なんだかんだ言っても、絵を見ればそんな問題は万事解決してくれますからね。」
「いや、絵と言っても、そういつも助けてくれるとは限らんぞ。世の中には、避けられない知人というのがいるものだ。例えばだ、デヴォンシャーとか、南アフリカのマトッポ・ヒルかどこかで会ったことのある婦人のことだ。そういったご婦人は『こんな何でも無い日に藝術院で、見知った方と出会えるなんて、なんて面白いことなのかしらん』なんて言いながら、鼻息荒く駆けつけてくるからな。個人的な見解、と断っておくが、私には面白いこととは思えないね。」
「僕もついこの間、同じような目に遭いましたよ」と、レジナルドは哀しそうな声を上げた。
「去年の夏、ブルターニュでお会いしましたね、なんて仰るご婦人に出くわしましてね。」
「相手をブルつかせるような、失礼な真似はしなかったろうな?」
「もちろんですよ。ただ愛想よく『生きる上での素晴らしき知恵とは、出来ないことからは逃げてしまうということです』と、ひとつ語ってみただけですよ。」
「そのご婦人、自分の館内目録の裏に、その言葉を書き留めようとしたかい?」
「いえいえ、そんなことはね、しませんでしたよ。ただ『なんて賢いのかしら』だの何だのとブツブツ呟いてましたね。気まぐれな思い付きも、藝術院に来ると『賢いこと』になるものですね!」
「賢くなると言っても、昼過ぎじゃ、夕食をどこで食べるかという話が進むだけだろうに。」
「そういえば、レストラン・ケトナーズで今晩の夕食を一緒にって誘ってくれましたよね。僕、なんて返事をしましたっけ? 思い出せなくて。」
「驚いた、もう忘れたのか。私はちゃんと覚えてるよ。そんな誘いはしていないとね、はっきりと。」
「貴方は若者に優しくない、はっきりしてるのはそれだけですよ。ああ、わかりましたよ、この話はお終いです。えっと、何の話でしたっけ。ああそう、絵画の話ですね。個人的な見解、と断っておきますが、どちらかと言えば、僕は絵が好きな方ですよ。絵画というのは、実に小気味よく真に迫っていたり、実際にありそうだったりしていて、生活の中で感じる実在しないもののことなんか忘れてしまえますからね。」
「人間というのは、ときおり自分自身から逃げ出したくなるものだからな。」
「その一方で、肖像画というのはダメですね。とびきり辛口な人だって、知り合いの肖像画を見たら『忠実なほど本人に似ていない』以上のことを言えませんからね。その肖像画が後世に伝わるであろうものだとしても、原則としてはそんなところです。自分の姿が後世に遺るなんてゾッとしますね……だって後世の人々っていうのは最高傑作ばかりを好むものですからね。でも、もちろん肖像画といっても、後世に遺らない方法も例外的にありますよ。」
「そいつは、例えばどういうことだね?」
「それはですね、若くして天に召されるんですよ。肖像画家のサージェント氏に描かれる前に死んでしまうことです。」
「君のその十分すぎる注意力と、せっかちな性分を鑑みると、そんな悲劇に見えることは無いだろうな。」
「失礼なことを仰いますね。それ以上言うと、明日の晩、一緒に食事をしてもらいますからね。さて、藝術院の最たる悪徳と言えば、言葉の使い方に他なりません。例えば、群れをなして泳ぐ鱒を背景にして、前の方で兎が座っている、そんな絵があります。誰がどう見ても流れる鱒と座る兎にしか見えません。なのにどうして『曇りなき平和な夢』のような類の名前で呼ばれなきゃならないんでしょうか。」
「想像力を刺激する文言よりも、簡潔明瞭なネーミングの方が良いということかね?」
「言葉を正しく選べば、想像力を刺激して、それでいて簡潔な名前になるはずなんです。例えば、僕の家にいる仔猫ちゃん、名前はデリー。」
「想像力は刺激されないが、長引いたアイルランドのデリー包囲戦や宗教的な敵意を思い起こさせる名前だ。当然ながら君の仔猫は見たこともないがね。」
「馬鹿なことを言わないでくださいよ。可愛い名前じゃないですか。デリーと呼べば答えてくれます……何か欲しいときだけですけど。それに、夜中に見知らぬ物音がしても大丈夫、簡単に説明できますよ。だって、ガヤガヤしてるのがデリー・アンド・トムズ百貨店ですからね。」
「そのうち君は広告料でもせしめようするだろうな。だが、君の一連の考えは、絵画が身近なものになると、そうだな、田舎者にとっては、なんとも言い難いものになるんじゃないかい。そう思わないかね?」
「どんな変革でも犠牲はつきものですからね。聖書にあるように放蕩息子が帰還したとき、天使は感激したかもしれませんが、その祝賀会で食卓に上がる太った仔牛は天使に共感できるはずありませんよね。さて、藝術院の素晴らしくダメな点はまだまだありますよ。藝術院を彩る画家たちは誰一人として、藝術院へのお早い『到着』を許されていないんです。バルカン半島の諸問題や道路工事みたいに、何年もかけて画家たちは何度も藝術院に行こうとするんですね。そして、絵具を塗ったカンヴァスが千ヤード四方くらいになったとき、その仕事がようやく認められはじめるんですよ。」
「絶対に反論されない格言があるな。『人は三十歳までに必ず成功するか、必ず失敗するのどちらかだ』と。」
「三十路になってしまう時点で、人生に失敗していますよ。」とレジナルドは返した。
原著:「Reginald」(1904, Methuen & Co.) 所収「Reginald on the Academy」
原著者:Saki (Hector Hugh Munro, 1870-1916)
(Sakiの著作権保護期間が満了していることをここに書き添えておきます。)
翻訳者:着地した鶏
底本:「Reginald」(Project Gutenberg) 所収「Reginald on the Academy」
初訳公開:2019年5月18日
改稿:2023年9年23日
【翻訳者のあとがき】
訳註がなくとも読めるように訳しているつもりですが、読解の一助となるかもしれませんので、以下に解説、解釈、註釈を記載しておきます。
(注意:読みやすさのため、本文中には註釈の番号は記載していません)
1. 『王立藝術院』(the Academy)
英国のロンドンはピカデリーに所在する国立の美術学校であり美術館。正式名称はロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(Royal Academy of Arts)。会員になるためには、年次展覧会に出品し、自分の作品を王立藝術院に提出して評議会の承認を得なければならない。物語の後半部でレジナルドが画家が藝術院に足繁く通っていることについて述べているが、それはこの会員制度についての言及であろう。
2. 『田舎の親戚』(the Country Cousins)
英国の画家リチャード・レッドグレイヴ(Richard Redgrave, 1804-1888)が1847年頃に描いた絵画。金持ちの親戚の元を訪れた田舎者の家族が冷たい歓待を受けている様を描いた社会風刺的な作品。
3. 『チャントレイ』(Chantrey)
フランシス・レガット・チャントレイ(Francis Leggatt Chantrey, 1781-1841)。英国の彫刻家。英国の優れた芸術作品の公的なコレクションを作るために、美術品の購入費用として自分の遺産を死後、王立藝術院に寄贈した。これは『チャントレイの遺産』(Chantrey Bequest)と呼ばれる。
4. 『デヴォンシャー』(Devonshire)
イングランド南西部の地域であり、現在のデヴォン州。自然豊かな地方都市で、温暖な気候なので、20世紀初頭では寒い季節の観光地として人気だったのかもしれない。
5. 『マトッポ・ヒル』(Matoppo Hills)
南アフリカの南部、当時英領であった南ローデシアの小丘群と渓谷からなる地域。現在のジンバブエ南部の地域であるマトボ。マトッポ・ヒルと呼ばれる小丘群は現地の人たちの間で聖地とされている。
6. 『ブルターニュ』(Brittany)
仏国の北西部にある半島。仏語名はブルターニュ(Bretagne)、英語名はブリタニー(Brittany)。余談だが、その後の台詞に「brutal(粗暴な)」とあるので「ブルつかせる」として「Br」で頭韻を踏んで訳してみた。
7. 『ケトナーズ』(Kettner’s)
ロンドンのソーホーにある1867年創業のフランス料理店。英国王エドワード七世はこの店で愛人のリリー・ラングトリーを口説き落としたと言われており、その他にもオスカー・ワイルドやアガサ・クリスティらも来店したことがあるそうだ。
8. 『サージェント』(Sargent)
ジョン・シンガー・サージェント(John Singer Sargent, 1856-1925)。米国出身の肖像画家で主にロンドンとパリで活躍。上流階級の人たちの肖像画で知られ、王立藝術院の正会員でもある。
9. 『デリー』(Derry)
物語中では仔猫の名前だが、レジナルドの話相手は北部アイルランドの都市であるロンドンデリー(Londonderry)を想像したようである。会話中の「デリー包囲戦」は17世紀の名誉革命のときのウィリアム三世軍とジェイムズ二世軍との攻防戦のことを指し、「宗教的な敵意」はアイルランドにおけるカトリックとプロテスタントの対立を示している。一方で、レジナルドが語る「デリー・アンド・トムズ」(Derry and Toms)とは、1853年創業のロンドンはケンジントンのは百貨店のことである。
10. 『放蕩息子が帰還』(the prodigal’s return)
新約聖書はルカ記にある放蕩息子の譬え話の一節。特に解説することもないと思うが、章:節番号だけ載せておく。ルカ記15:11-15:32。
11. 『貴方は若者に優しくない、はっきりしてるのはそれだけですよ』(So much certainty is unbecoming in the young)以降の翻訳について
今回、「Reginald on the Academy」を翻訳するにあたって、2015年に風濤社から刊行された短編集「レジナルド」に所収の「レジナルドと王立芸術院」(今村楯夫 訳)を(反面教師的に)参考とした。ただし、「レジナルドと王立芸術院」には該当の『貴方は若者に優しくない、はっきりしてるのはそれだけですよ』(So much certainty is unbecoming in the young)以降の箇所が訳出されていない。ここから最後にかけて、なかなかに解釈が難しいので、本訳では、ずいぶん言葉を補いながら訳出してみたが、どうにも自信が無い。(今村翁もこの箇所には匙を投げてしまったのではないだろうか、と推測する。)
もし奇特な方が入れば、訳文の修正・誤訳の指摘・原文の解釈についてコメントいただければ幸いである。
【2023.09.23追記】
晝夜亭主人氏の翻訳を参考にして、致命的な誤訳のあった前半部を訳し直した(改稿前は「the Country Cousins」が絵画のタイトルだと気づかずに田舎者の話として訳し目も当てられないものになっていた)。加えて我ながら自己嫌悪してしまうのだが、いざ改稿する心の整理がついたときには既に氏の翻訳は削除されており、記憶を頼りに前半部を直したが、後半部にはまだ誤訳が残っているかもしれない。改稿作業はまだまだ続くだろう。