滞在二日目は出かけたり篭ったり
久しぶりのベッドでの睡眠は実に心地よく、明け方に一度目が覚めてから小鳥のさえずりを子守歌にして何度もうたた寝を繰り返してしまった。
ルミナも同様のようで隣のベッドから時折もぞもぞと掛布団の動く音が聞こえて来た。
そんな至福の時間を終わらせたのは激しいノックと怒声にも似た叫び声だった。
「お客さ―――ん! 早く起きてくれないと朝食の時間終わっちゃいますよ―――」
聞き覚えのある声にハッと意識を覚醒させると隣はまだ眠そうに上体を起こしているルミナが大きな欠伸をしていた。
「おはよう」
「おはよ~う」
俺はそのままベッドから降りてワードローブの脇に置いたリュックから着替えを取り出して手早く着替える。
「先行くぞー。鍵締めてくれー」
返事を待たずに一人食堂へと向かう。彼女が着替える時間を作るためだ。
中からかちゃりと鍵が掛けられたのを確認すると1階の酒場――昼間は食堂になっているらしい――に向かう。
「あ、おはようございます」
1階に降りてすぐに昨日の店員さんがにこやかに声をかけてきた。
昨日あんな事があったのにもう朝から普通に働いているのか、すごいタフだな。
「おはよう。もう一人もすぐ降りてくるから」
昨晩と同じ席に座る。
店内を見渡すと他に客はいない様だ。
そういえば他の客はこぞって他の宿に移ったんだったか。
「もう少し早ければ畑仕事を終えた農家の方々なんかもいらしてくださるんですよー」
俺の考えを察してか店員さんがそう教えてくれた。
「朝食はもう運んでもよろしいですか?」
「あぁ、頼む」
そこまで会話した所でまだ眠そうな目をしたルミナも降りてきてやはり昨日の席に座る。
「ご飯楽しみだねぇ」
この子は本当に食事と言う行為が好きなのだ。
とりわけ肉が大好きだが他の食材も好き嫌い言うのを見た事が無い……嫌いな物ってあるんだろうか。
「そういえば……明日はどーするんだ?」
「あぁ、そうだよねぇ 私が行ってもほとんど何もできないし町でも見て回ろうかなぁ」
留守番してるだけ、と言うの退屈だろうしどこかに出かけてくれるならその方がこちらとしても気が楽だ。
「そうだな、適当に見て回ると良い」
今日は役所に手続きしに行くしその道中だけでもどんな店があるか程度はある程度判明するしな。
丁度いいタイミングで店員さんが両手いっぱいに料理皿を持って再び席へと戻って来た。
「お待たせしましたー」
朝食メニューは目玉焼きとウィンナー、サラダ、牛乳にコーヒー。実に一般的な朝食である。
「コーヒーはお替り自由ですからねー」
店員さんが指さした中央のカウンターには漆黒の液体がたっぷり入ったガラス製のポットが置かれていた。
「あのっ……ウィンナーはお替り自由になりませんかっ」
こらこら。
まぁ俺も筋力を上げるために卵と牛乳はお替りしておきたい所ではあるのだが……。
「ごめんなさい、今日は昨晩の騒動のお陰で食材の発注が間に合わなかったの。だからもう今出した物だけなのよ」
あ、普段はお替りしてもいいんだ。
「そっかー、残念」
「ふふ。では、ごゆっくりどうぞ」
一礼をして店員さんはカウンターの向こう側へと姿を消した。
片面焼きの目玉焼きは程よく君がトロトロでそのままでも十分に旨い。
ウィンナーの方は絶妙な焼き加減のお陰かぷりっと良い歯ごたえなのに加え塩と胡椒の加減もバランスが良い、と言ってもどちらも俺の好みというだけだが。
目の前の食いしん坊は昨日の鶏肉もあってもはや完全に胃袋を掴まれた顔だ。
「美味しいねぇ。ずっとここに住みたいくらい」
そうだな、ただの観光旅行だったなら俺もその選択をしたいくらいだと思う。
しかし俺達の旅は目的があっての事。
引き返す道中でまたこの町に立ち寄る事もあるだろうけども立ち止まるわけにはいかないのだ。
その後、ゆっくりと食事を楽しんだ俺達は店員さんに役所の場所を訊ねるとすぐに申請のために宿を出発した。
町の南西に位置する宿からはまっすぐに北を目指して、東西を走る大通りに出たら東に進めば見えてくるらしい。
春ののどかで優しい太陽が既に夏へ向けて燃え盛る用意をし始めているこの季節、歩いているだけでもじんわりと汗が滲んで来てしまう。
「暑いいいいぃぃぃ……」
たまらずにルミナが悲鳴を上げた。
宿を出て数分足らずなのに既に首筋が汗をかきはじめている。
俺も叫びたい気分なのを抑えて黙って汗をぬぐう。
「早く手続き済ませてどこかで涼みたいな」
町の外を旅している時はフードを被って日よけにするのだが町の中でフードを被って歩いているとそれだけで怪しまれる可能性があるので顔を晒して歩いていた。
暑さを我慢しながら道の左右を見渡してみると町の南西部はほぼ一帯が宿場街のようで、道の左右に軒を連ねるのは宿屋や酒場、そして風俗の店と言った夜に営業する業種がほとんどなので今はあまり人通りもなく静まり返っている。言ってみれば『夜の街』エリアか。
そのエリアを抜け大通りが見えてくると小道を挟んで向こう側は青果や食肉から金物屋など生活必需品を扱う店が多くイメージ通りの商店街らしい街並みへと移り変わった。
「お裁縫とか革のお店とかないかなぁ。もう手持ちの材料が残り少なくなってきちゃって」
「これだけの町だしあるだろうさ。後で誰かに聞いてみようか」
誰か、と言っても心当たりは今の所一人しかいないんだけどな。
そしてルミナは小物……主に装飾品を自作して売りに出す事で路銀を稼いでいるから材料の調達も町に寄った時の重要な成すべき事であった。
大通りに差し掛かった俺達は店員さんに言われた通り右折して東を目指す。
どうやらこの大通りの南側が商業区、北側は住宅区と分かれているようで、向こう側には商業施設とは設計思想の異なる住宅が幾重にも重なって見えた。北に向かうに従って徐々に上り坂になっているようだ。
そして東西を結ぶメイン・ストリートは予想よりもずっと広い道で馬車が4頭並列してもまだ余裕な程であった。
首都から離れた田舎町でこれだけの規模の幹線を有しているのは恐らく隣国との物流が盛んなためだろう。
しかし、その折角の交易路も今は行き交う馬車がまばらだった。その理由は後に判明するのだが。
「あ、ねえあれじゃない?」
フィーナが指さした先には全体が赤レンガで造られ、他の建物より一段と大きな建物が聳えていた。まず間違いなくあれだろう、聞いていた外観と一致する。
「そのようだ。用件が済んだらそこの喫茶店でも入るか」
「うん、そうしようそうしよう」
ついさっき朝飯を食べたような気もするが太陽は既に南に差し掛かっている時刻だった。
「おや?」
ふと脇の喫茶店に張られたポスターに目が留まった。
「何?」
「これ、丁度いいんじゃないか?」
ポスターには『第32回・町役場主催フリーマーケット』と書かれていた。
開催日は、明日。
「あぁ、いいね。ちょっと稼いで来ようかな手持ちのアクセまだあるし」
どうせ明日は俺が護衛で朝から別行動だしな。
手続き後のちょっとした目的もできた所で庁舎へと再び歩みだすとルミナもそれに倣った。
「!!」
刹那、自分に向けられた悪意を感じて振り返る。
悪意何て生易しい意志ではない、視線を交わしただけで殺されるような途方もない殺意。
「どうしたの?」
「いや……なんでもない」
周囲を見回してみても殺意を向けてきた相手を見つける事は叶わなかった。
剣の柄を握りいつでも抜ける体勢を取っていたのに気づいてふっと肩の力を緩めた。
――今にして思えば。この時何が何でも殺意の正体を調べておくべきだったかもしれない。
だが俺は用事を済ませる方を優先すべく再々度役所への歩みを始めた。
ようやく目的の建物の中に入ると、燃えるような色の外観から得られるイメージとは違って涼しく快適であった。館全体に空調の魔法による体感温度の調整がなされているらしい。
入口の館内施設案内によると1階の現在位置からすぐ左側に受付があるという事で早速向かう事にした。
「あら、昨日の……」
カウンター前で足を止めたルミナがちょっとびっくりした様子で目の前の人を指さした。
受付カウンターの向こう側から笑顔で出迎えたのは昨晩の事件において初動調査をしていたあの役人であった。
「あぁ、昨夜はお世話になりました。私はアルバート、出国許可証申請手続きの受付をやっています」
「捜査員じゃなかったんですねぇ」
ルミナの発言に『昨日は緊急事態だったので』と返してきた事からこっちが本業らしい。
「お二人共、出国許可証の申請ですか?」
「あぁ。どれくらい掛かるのかな?」
その質問が出た途端、アルバートは少し険しい表情になる。
「通常であれば2日程です。ですが……実際、今は時間がかかると思います。隣国とはどういう理由か分かりませんが緊張状態になってしまいましたので……」
魔法禁止令も国家間の睨みあいによる物だと教えてくれた。
隣国は魔法技術の開発を国是とする国家であるため、敵国が得意としている技術を使いたくない、と言う感情的な理由か。
俺の知っている現国王であればそう言う判断を下す可能性は大いにあった。過去に一度だけ遠巻きに目視した事があるがあれはそう言う男だ。
「ご存じかも知れませんが、私達はここで受付をするのみです。実際の発行業務は王都から来られた領主の名義で行われます。開戦前で、敵国との境界でもあるこの町となれば恐らくかなり待たされるのではないでしょうか……」
旅人の中には亡命を試みようとする『偽装の旅人』もいるかもしれないし、単純に傭兵として稼ぎに出る人もいるだろう。
そういう者を集め組織して出来るのが傭兵部隊だが、たかが寄せ集めと一笑に付す事ができない程の強力な戦力となりえる。下手をすれば正規軍よりも功績を上げたりする。
なるべく自国の力を蓄えたいが故に出国を制限すると言うのは理解できる話だ。
手続きの事に関しては一瞬、育ててくれた『おじさん』の名と共に自身の身の上を明かそうかとも思ったが止める事にした。
今『おじさん』は恐らく大変な時期のはず。あまり迷惑をかけたくはなかったのだ。
また自身の身の上にしても今の旅人そのものな恰好では信用してもらえそうに無い。
「仕方無い状況、と言う訳か……。今の時点では大体どのくらいかかりそうか見積もれるかな?」
「そうですねぇ、先週申請した方は5日程度で発行されましたしその程度かと……」
情勢が悪化した今週になっての禁止令発布と考えればさらに2日程プラスして丁度1週間と予想する。
今後も国境に差し掛かる度に手続きでこんなに時間がかかるのかと思うとちょっと焦る。
「まぁ、いつまでも出国の目途立たないよりはいいか……」
「そうだね」
俺とルミナは顔を見合わせると手続きする事で合意した。
ここでだらだらと過ごすよりは今やれる事をやって結果を待つ方がマシだ。
「はい、ではこちらの用紙に記入をお願いします」
それぞれ申請書を受け取ると備え付けの記入コーナーで情報を書き込んでいく。
「ルビー、これ所持金とか貴重品も書かなきゃいけないんだけど……どうしよ?」
あー、明日のマーケットか。どれくらい売れるか分からないからなぁ。
「今までの経験で上乗せしておけば? 1日で売れる数って大体決まってるだろうしそもそも滞在するんだから出国時にピタリ一致してなきゃダメなんて事もないだろうし」
「そうしておこうかな」
俺も所持金の欄に明日入手予定の報酬を上乗せした額を記載した。
「よし終わった。そっちは?」
「こっちも終わったよー」
ほぼ同時に書類を書き上げた俺達は揃ってアルバートに手にした紙を手渡した。
「はい、では確認しますね」
役人をやらせておくには勿体ないくらいの営業スマイルで受け取った紙に書かれた内容ひとつひとつに目を通して行く様はさすがにプロと言った所か。
「ん~、ルビーさんはこことここ、ルミナさんはここをちょっと訂正してくださいね」
言われた箇所を修正して再提出する。
「はい、これで大丈夫です。許可証が発行されましたら宿にお届けしますね」
この丁寧な口調や所作から察するに仕事も正確で丁寧なんだろうなと印象付けられる。
正直に言ってとても好感が持てる人だと感じた。
ルミナも同様に指摘箇所を修正し再提出を終えるのを見届けて出口へ向かう。
先ほどよりもさらに南に位置取った太陽の文字通り『熱烈な』歓迎に辟易した俺達は無言で足早に先ほどの喫茶店へと駆け込んだ。
庁舎と同様空調の魔法が掛けられた店内は心地よい室温に設定されていた。
カウンターから少し離れた席に陣取ってコーヒーを二つ注文すると白髪の店主が無言で頷いた。
「あれ、ウチのお客さんじゃないですかー。奇遇ですね」
「ん? 貴女は宿屋の……」
隣の席から掛けられた声には聞き覚えがあった。
「はい、ジーナと言います。確かルビーさんとルミナさん……でしたっけ。相席しても?」
ルミナに目で確認するとOKの返答があったのでジーナに軽く頷いて了承の意を示す。
俺も聞きたい事があったから丁度いい。
「ありがとうございます。ここ、私の実家なんですよね」
以前働いていた宿屋の給仕が加齢のため引退し、困っていた宿のオーナーに近所のよしみで頼み込まれて働き始めたと身の上話をしてくれた。
「そっかぁ。ジーナさんも苦労してるのね」
話の途中、無言で運ばれてきたコーヒーにミルクを落としながらルミナがうんうんと頷いた。
「そういえば、昨晩の事はもう大丈夫かい?」
ジーナの話が一息ついた所で切り出してみる。
「あ、はい。ルミナさんの魔法のお陰か特に何ともないです」
「そうか、それは何より。所で一つ確認しておきたいんだけど、いい?」
「はい。分かる範囲でなら何でも」
「うん。じゃあ昨晩305号室の鍵は閉まっていて、ジーナが開錠した、って事で合ってる?」
「はい。ロックが解除される手ごたえがありましたから」
この話が本当なら犯人は不可能犯罪、いわゆる密室殺人を行った事になる。
もし嘘だとすればジーナか彼女に近い所にいる誰かが犯人と言う事になる。
手掛かりが少な過ぎる以上、今の所はこれ以上考えるのはやめておく。
「なるほど。解った。ありがとう」
同様の事件が短い期間にいくつか起こっていると言うのは少々手際が良すぎると感じる。時間をかけて入念に準備を重ねて事を起こしたかはたまた主犯と実行犯がいるのか。
結局、この先が知りたければこの件を追うしかなさそうだ。
昨晩ドールから聞いて興味があったのと実際に現場を目の当たりにした事で露天風呂に入っている時に聞いたルミナの願いだけでなく自分の知的好奇心を満たすためにも調査してみたい。
不謹慎なのはわかっているが難解な問いほど答えを探すため躍起になる、俺はそんな人間だ。
それに……気になると言えば先ほどの強い殺意だ。
この町に着いてから丸一日も経過してない俺に誰がそんな強い意思を向けるというのか?
「あの……ルビーさん?」
「あ、何?」
突然名前を呼ばれて考え事を中断する。
「いえ、なんか難しい顔で黙ってしまったので……私何か変な事言いました?」
「あ、違う違う。ルビーが考え事始めるとこんななのよ」
ルミナが眉根を寄せると目を指で無理やり吊り上げて俺の代わりに答えた。
「こっわい顔だよねえ。たまに片方の眉だけピクっとさせてまるでイライラしてるみたいなのよね。正面から初めて見る人だと絶対睨みつけられてるって思うよね」
好き放題放題人の悪口を言い終えるとジーナの方を見てふふっとほほ笑んで見せるルミナ。
「そうなんですね。覚えておきます」
ジーナも微笑み返して見せる。
「まぁ少し観察すれば焦点がどこにも合ってないから怒っても睨んでもないって判るんだけどね」
「それで、何を考えていたんですか?」
ジーナが当たり前の質問を投げてくる。
まぁ睨むような表情で考え込むような事柄なんて興味持たれても仕方ないか。
「昨晩の事件について、だよ」
他に上手い表現も思いつかなったのでそのまま答える。
「えっ……あの事、ですか……」
苦悶の表情で顔を逸らすジーナ。
俺達は彼女の悲鳴で異常性を認識していたが、第一発見者の彼女は何の予兆もなく突然目の前に惨状が飛び込んできたのだ。いくら魔法で心を癒されたと言っても完全に払拭するには幾らか時間が必要だろう。
なので今考えていた内容を話す訳にはいかなかった。その程度の気遣いくらいは他人の感情を読むのが苦手な俺でも出来る。
「ルビーはね、これまで住んでいた町や旅の先々で滞在した町で色んな事件を解決して来たんだ。だから今回も……」
ちらりとこちらを見るルミナに無言で、しかし力強く頷いて返した。
彼女は判っているのだ、俺が熟考を始めた件については全力で挑む事を。
「今回は情勢を考えたら途中までになるかもしれない。でも……滞在している間は事件について色々調べてみるつもりだ」
「そうですか……よろしくお願いします」
ジーナは軽く頭を下げるとさらに言葉を続けた。
「そういえば。確か役所で一時的に旅人を協力者として登録する制度があったはずです。もし必要であれば登録してみてはどうですか?」
「そういう制度があるのか。行き詰りそうになったら訪ねてみるかな」
すぐそこに庁舎があるものの今から登録しに行こうとは思わなかった。
理由は単純にまだ昨日の部屋で調べられる事が残っているからだ。
昨日はざっと見まわした程度だったから見落としている物はたくさんあるだろう。
それに、予想で7日程度と言っても登録自体どれくらい時間がかかるか実際の所はわからないし。
調査する、と決めた以上目の前にこの子がいる事実は幸いだった。迅速に動けるからだ。
「さて、と。それじゃジーナに一つ頼みがあるんだけど」
「あ、はい。何でしょう?」
ゆっくりとコーヒーを口に含んでからふぅとため息を吐いて、自分が意識して出せる最大の穏やかな声でジーナに伝えた。
「事件のあった部屋、詳しく調査させて欲しい」
宿屋に戻った俺達はジーナから借りた事件現場、305号室の鍵を使って中に入った。
昨晩調査に来た役人の指示なのか遺体が無い事以外、中は血痕まで全てがそのまま保存されていた。
ざっくりとは昨日見ているので今回はゆっくりと細かい所を見たかった。
恐らく宿側には誰も通さない様、厳重に言いつけられているだろうに店主もよく許可してくれたものだ。
それともこれも宿場町ならではの旅人への期待と言うやつなんだろうか。
何にしても、役人と鉢合わせるのは色々な意味でマズいのでさっさと調査してしまおう。
「ルミナ、部屋の中で魔法色々使って見てくれ。発動するはずなのに封じられている、とかの異常があったら教えてくれ」
「わかった」
正規の捜査員ではないため、現場を荒らすわけにもいかないため、部屋の隅で試行してもらう。
ルミナが短い魔法をいくつも詠唱している中、俺は腰をかがめて絨毯の上を見て回る。
まず遺体が倒れていた辺り。既に乾ききっている物のまだまだ鉄臭い血の匂いが残っている。
「これは……髪の毛か?」
乾いた血の傍に一本の細くて長い糸状の物が落ちていた。
頭髪だとすると女性の物であろう、俺の腕ほどもある長さだ。もちろん被害者男性の物では無い。部屋に女性が居たのか犯人が女性なのか……。
昨晩の被害者は……金髪だったはずだけど落ちている髪は蒼とか紫とか黒い、濃い色に見える。細いのとカーペットの灰色で視認しづらい事も手伝って色の特定にまでは至れない。
でも明らかに被害者の物ではない、とだけ断定はできる。
他に気になる物が落ちてないかどうか入念に絨毯を見て回る。
「うーん……とは言えゴミとかホコリくらいしかなさそうだなぁ」
当然、昨日から掃除がされていないためホコリが多くなっているのだ。
ふと、机の下、カーペットが敷かれておらずフローリングがむき出しになっている場所を見ると集中的にホコリが溜まっていた。
何だこれ、普通のホコリじゃ無さそうだけど。
砂粒よりも小さく小麦粉よりは大きい白い粒? が床にいくつか落ちていた。
強度は……ちょっと力を籠めても砕ける事も変形する事も無さそうだ。
それともう一つ、白い砂粒もどきの付近に無色透明で不規則な形をした『球』もいくつか落ちている。
一つとして同じ形の物は無く、大きくえぐれていたり半円錐状だったり様々だ。
これ、もう少し形が整っていたらルミナがアクセを作る時に使うキラキラと光る玉みたいだ。
後で聞いてみよう。
「ルビー、光の魔法がちょっと強くなるくらいで他は特に変化ないよ」
傍らで魔法を詠唱し続けていたルミナが丁度結果報告をくれた。
明かりを灯す魔法だけが強くなる……誤差の範囲ではある、か。
「わかった。ありがとう」
「ううん、大丈夫」
短時間に持てる様々な魔法を使ったからだろう、ルミナの顔は疲労でいつも以上に白く見えた。
もう一度周囲の床面を見渡してみるが他には特に気になる所は無かった。
ふと、視線を上に向けると机の引き出し辺りに一筋の焦げた跡があった。
「これは……魔法、か?」
金属加工のための道具に超高温の火を噴射する物があるらしいがそれだろうか。
被害者の手荷物は昨晩押収されてしまっているため所持していたかは判らない。
一応補足説明。
魔法自体が封じられていても道具を介して効果を得る、いわゆる魔法をトリガーとして物理的効果を得る道具については結界でも効果を封じる事が出来ない。
昨晩取り調べに来た役人に話した通り、結果が現象として物理的に現れるからだ。
発動したい魔法そのものが封じられていた場合は当然動かないし。
「なぁ……点火の魔法はどうだった?」
「点火? それなら普通だよ。タバコに火を点けるくらいなら大丈夫」
「そうか……」
一瞬火の魔法ならあるいは、とも考えたのだが指先にちょっと灯る程度の炎でこの焦げ跡は出来ないだろう。
「よくわからんなぁ……よっと」
机に手をかけて立ち上がるとそこにあったはずの出国許可証やその他の書類も押収されたようで無くなっており、ただ一つこの部屋の鍵だけが取り残された様に置かれていた。
立ち入り禁止を言い渡されていたので持ち主である宿の人間であっても昨晩から出入りしてないのだろう。
「鍵がここにある、って事は開けられるのはやはり合鍵しかない、か……」
この状況ではやはり合鍵を使える宿の人間が、と推測するのが最も容易だし合理的だ。
しかしこの宿で起こった事件は昨晩の1回のみで他の事件は全て別々の宿で起こっている。
宿屋が結託して旅人を順番に襲うとか?
だがそれになんの利益があるか判らないし第一こんな事件はマイナスにしかならないだろう。
「判るのはここまで、か」
正確には何も判らないと言うべきか。
まぁ考える事柄が増えた事は喜ぶ事かもしれない。
「戻る? 部屋に」
「そうだな、そうしよう」
ルミナの言葉に従って現場を後にし210号室に戻った俺はルミナが明日の出品ラインナップを少しでも増やそうと制作をしている横で先ほど得た情報を元にあれこれと考えてみたが特に閃く事も無かった。
あ、そういえば見てもらおうと思っていた球の事をすっかり忘れてしまっていた。
まぁ……また見に行く機会もあるだろうしその時にするか。
なお、似たような素材を使うかと思っていたけど今日は使わないらしい。
兎にも角にも、もう少し手掛かりになるような情報が欲しかった。