プロローグ
まるで朽ちたボロ屋だな。
そんな感想がついこぼれてしまうほどに廃屋寸前な小道具置き場がありました。
農作業に必要なクワやカマ、冬用の雪かきスコップ、ボロ布にしか見えない手袋やボロボロになった泥濘用の靴が散乱している中で、二人の男女がこっそりと密談を交わしているようです。
とても真剣な眼差しで向かい合っています。
歳は十代の少年と少女。季節は夏、狭い小屋は蒸し暑く二人とも額や頬に汗をたらりと流しながらも、さも気にしていませんといった具合に余裕のある笑みを浮かべていました。傍から見たら我慢大会でも二人で開催しているように見えるでしょう。
今まで声を押し殺すようにして沈黙を保っていた少女がおもむろに呟きました。
「……ねえ、ワッカ君。アイスクリームの材料って知ってる? あと、作り方ね」
自身有りげな笑みを崩さずに、少女はさらに追い打ちをかけます。
「……ああ、大声で言っては駄目よ? 二人だけの秘密なんだから。知ってる? 情報というものはね、隠匿してこそ価値があるものなのよ」
少女は悠々とワッカ君の反応を待ちました。
「ふふっ」
ワッカ君も笑みを持って答えます。
「もちろん、知りませんよ」
「……ぷっ、あふぁっ、あはぁっあはははっ」
その返答を聞いて、少女は大いに笑いました。腹を抱えての大笑いです。
お淑やかな年頃の少女とは思えない振る舞いにワッカ君は少々眉をひそめました。いえ、ある意味年相応な振る舞いなのですが、彼女の中身を知っているワッカ君にとってはそう見えてしまうのです。
「……んぐっ……ひー、くるしー。もうっ、ワッカ君たら私を笑い死にさせないでよね。はぁー、お腹痛いっ……うぐぐ」
散々笑っておいてから、ここがワッカ少年と秘密を共有する秘密の場所であることを少女は思い出しました。少女はぐっとお腹に力を込めて衝動を抑えましたが、それでも目と口元は笑っています。そのさまを冷めた目で流しつつ、ワッカ君は言いました。
「いや、普通知らないですよ、アイスクリームの材料や作り方なんて。まあ、流石に牛乳と砂糖くらいは知っていますけどね? それで、他になにを混ぜるのか知ってますか? ニィさんは」
ワッカ君の言葉に、二ィさんと呼ばれた少女はほけっとした表情を浮かべました。
「ふぇっ、ううん知らない。……えっ、アイスクリームって牛乳に砂糖入れてかき混ぜて冷やすだけじゃないの?」
ニィさんは目を丸くして驚いているようです。その様子にワッカ君も驚きます。
「え、流石にそれだけではないでしょう。何かエッセンス的な何かを入れるんじゃないんですか? そもそも、どうやって冷やすつもりなんです? この村には冷凍庫なんて高級魔導具はありませんよ? せいぜいが村長宅の地下にある冷蔵保管庫止まりです。冬までまだ半年もあるし。そもそも(二回目)夏に氷ってどこからどうやって買うんでしょうね? つーか、このボロ小屋、換気悪くないですか? すごく蒸し暑いんだけど。次から場所変えません?」
ワッカ君の意見はもはや苦言の域に達しています。後半など暑さに負けてタメ愚痴になっていました。
「……き、聞くばかりじゃなくて、自分の頭でも考えなさいな! 私たちが考える村の発展にはアイスクリームが欠かせないのよ! あとあとっ、この場所は重要なのっ。みんなをあっと驚かせるために秘密厳守なんだから。……そうね、ひやす冷やす、氷、冷たい風……あ、そうだった。魔法よ、魔法があるじゃない。なんたってここは異世界なんだから!」
正確に言うなら『私が』考えるでしたが、ワッカ君はとりあえずそこをスルーしておきました。
「魔法に頼るのは良いんですけど、ニィさんはソレ……使えるんですか?」
至極当然の疑問でした。この世界に魔法が存在することは確かです。しかし魔法はごく一部の才能ある者が生涯をかけて修練してようやく扱えるという大それた代物らしいので、ワッカ君は既に諦め気味でした。
「ここはワッカ君の努力チートに期待ね!」
ニィさんは自信を持ってワッカ君に任せました。
「……うーん、とりあえずはまず他の仲間、協力しあえる同士を探すことが先決じゃないんですか? 転生者が僕たちだけとは限りませんよ? 正直、僕たちのにわか知識じゃあこの村を発展させるなんてとてもとても。あと言っておきますが、僕には魔法の才能とか欠片もないと思います。早めに手足となってくれる仲間がいた方が楽ができていいと思いませんか?」
と言いつつも、ワッカ君は正直なところ他の転生者探しも既に諦め気味でした。魔物が跳梁跋扈するこの世界でこの村を生きて出られる気がしないから、というのがその理由。つまりこれは村の中で信頼できる協力者を探そうよ、という意見表明です。
「えーっ、私はワッカ君と二人だけでやっていきたいなぁー。そ・れ・に、この世界に宿った現代人的な魂はきっと私とワッカ君だけだと思うの。私たちのふ・た・り・だ・けっ……うふふっ」
ウインク混じりにワッカ君に迫るニィさんであったが、色気はなく空回り気味でした。
「そのこころは?」
その証拠にワッカ君はこれっぽっちもニィさんの言動に揺さぶられてません。ただ、この部屋は蒸し暑いので若干ほっぺたが赤く火照っているかもしれませんが。
「私がマウント取りたいからよ! 私より頭いい転生者とかマジ勘弁だわ!」
拳を握りしめて、そう言い放つニィさんに対し。
「あ、それは同感ですね。僕も、僕より頭が良い転生者がいたら死んで転生し直した方がマシです」
ワッカ君も同意しました。こう特に意味深な理由はなく「あ、それわかるー」程度の共感です。それはニィさんも同様だったようです。
「ほらっ、私たちってこんなに気が合う! 最高のパートナーになれるわねっ。家も隣同士だし」
「ふふっ、僕もそんな気がしてきましたよ。隣人が仲良く転生者なんてそうありませんもんね」
二人は朗らかに握手をかわし、見つめ合います。蒸し蒸ししてお互いの呼吸も少し荒いです。電気の明かりもないのでお互いの顔を見るためには近づかなくてはなりませんでした。妙な熱気と雰囲気に包まれ、二人は段々と無言になっていきます。
お互いの手を握りあったままお互いの汗が混ざり合い。
そして、唐突な侵入者によってその雰囲気はぶち壊されました。
「…………あ、やべ、声がしなくなったぞ。そろそろ入った方がいいかな」
そんなつぶやきが小屋の外から聞こえたような気がします。
「お、おい、ワックル! あと、ニーナンもだ! またこんな小汚いところでイチャツイていやがったのか。しかも、この暑い中よくこんな場所でセッ……コホン。……ほらニーナン、アンナが呼んでたぞ? 畑仕事をサボるなってな。まあ、うちの息子と仲良くしてもらってるってのはありがたいが、仕事はさぼっちゃいかんとおじさんは思うよ?」
ぼろ小屋にいきなり入ってきて早々に説教をかますワックル君のお父さん。
「ひゃっ、ひゃい、その通りですね、おじさまっ。す、すぐに行きます!」
ニィさん改めニーナンは風のように小屋からすっ飛んでいきました。頬に朱みがささっていたのはきっと小屋の蒸し暑さのせいに違いありません。
「……おい、ワックルどこへ行くつもりだ?」
ニーナンに合わせるようにして小屋から出ていこうとしたワッカ君改めワックルは、しぶしぶと父の言葉に立ち止まります。
「もちろん剣の稽古ですよ、お父さん」
毎日毎日、剣の稽古とか「正直ないわー」なワックルでしたが、父親が村一番の凄腕かつ自警団長であるからしてその宿命からは逃れられません。しかし、熱意はあまりないものの、習慣ではなく日課程度には毎日の剣術稽古をこなしていました。
「ワックル、お前が剣の稽古に乗り気ではないことは知ってる。別に、それでもいいと俺は思ってる。困るのは俺ではなくお前だからな。ただ一つ言っておきたいのはだな、その……。ニーナンに手を出すのなら、そのな、責任は取りなさい。つーか、お前よくこんなボロ小屋で……」
まあ、この状況に勘違いするのも無理はないので、ワックルは冷ややかに訂正します。
「父さん、勘違いしないでください。ニーナンとはまだそんな仲じゃないです。それにニーナンはまだ10歳じゃないですか、僕も、ですけど。まだ勃ちませんって、どっちの意味でも。つーか、せっ……コホン、してたと思ったんならいきなり入ってこないでくださいよ。ぷらいばしーの侵害です」
ワックルの肉体機能的にも、ニーナンの肉付き的にもという意味です。精神的な年齢に関しても同様です。赤ちゃんの頃に幼児退行して以来、現在は肉体年齢に相違ない程度で定着していました。周囲の大人達からは早熟な子ども達だな、とワックルもニーナンも思われているようです。
「ぷらいばしー? なんだそりゃ。まあそれはともかく、俺が10歳のときはな……って、こんな父子の語らいはまだ早いか。で、今日はこれからどうする? 剣の修業か、それとも他のことに手を出してみるか? お前ももう10歳だもんな、やりたいことの一つでもあるだろう? やりたいことの一つも……なっ!」
息子のセ……げふんげふんな現場を目撃したと勘違いしているせいか、どうやら既にワックルを大人と扱いたいようです。やりたいの四文字をやたらと強調する父親をスルーしてワックルは淡々と告げました。
「……剣の稽古は続けます。僕にだってそれが必要なことくらいはわかるので。ただ、まあ一つだけお願いがあります」
「……なんだ、言ってみろ」
ウォルクは内心でドキドキしていました。父親の威厳を保つために、なんとしてでも叶えてあげたい気持ちでいっぱいだったのです。
「父さん、僕でも魔法を習得できる方法ってありますか?」
魔法に関してすっかりと諦め気味なワックルでしたが、もう一度、手探りながらも奮起してみることにしたようです。氷がなければ作ればいいじゃないと、おっしゃるニーナンのご希望に応えるために。