第九十一話 晴天の霹靂
「幹太さ〜ん♪アンナ、来ましたよー♪」
ここに来れたことがよほど嬉しいらしく、アンナは人波に揉まれつつも満面の笑みだった。
「すっげぇな…保安上の問題とか大丈夫なのか…?」
「隣にいるシャノン様が地獄のような表情をしてますね…」
同じく王女の護衛であるゾーイは、気の毒そうにシャノンを見つめている。
「よいしょっと!お待たせしました!幹太さーん♪」
「おわっ!」
アンナはなんとか屋台までやって来ると、勢いもそのままに幹太に抱きつく。
幹太は急いで手に持っていた菜箸を調理台に置き、しっかりと彼女を受け止めた。
「ア、アンナ?」
「はい♪」
「どうしてそんな格好で…?」
「えっと…一番は早くここに来たかったからですけど。
それよりどうです?似合いませんか?」
「いや、めちゃくちゃ似合ってるけど…」
イメージカラーとも言える白と青を基調としたノースリーブのドレスを着たアンナは、その場にいる全員が目を離せなくなるほど魅力的だった。
『こりゃさっき由紀が言ってた通りじゃないかっ!
お、俺、こんな綺麗な子と結婚すんのっ!?』
まさかこれほど深窓の姫君という表現がぴったりだとは、幹太も思っていなかった。
「ふふっ♪ありがとうございます♪」
「それに…なんだかいい匂いがするな…」
アンナの胸元に顔を埋める幹太は、思わずそう口に出してしまっていた。
「えぇっ!私、お仕事ですから何も付けてませんよ!?」
「あ、いや、アンナそのものの匂いってか…って、お、俺、ちょっと変態っぽいか!?」
「ぜんぜん大丈夫です♪それならいくらでも嗅いで下さい♪」
とそこで、二人の間に由紀が割って入った。
「はいはい!二人ともちょっと離れなさい!」
「お、おう…」
「もうっ!由紀さん、いじわるです!」
「それでアンナ、そのまま働くつもり?」
「それなら心配いりません!アンナ変身ですっ!」
と言って、アンナは両脇にあるドレスのフックを外し始めた。
だんだんと大きく開いていく隙間から、アンナの真っ白な脇腹がのぞいている。
ここまで来る間に、下に着ている服が捲れてしまったのだ。
「おいっ!アンナっ!?」
「それはマズいって!アンナ!」
「ア、アンナ様っ!?」
突然始まったプリンセスの脱衣ショーに、そこにいる全員が悲鳴を上げた。
「大丈夫ですっ!ちゃんと下にお洋服を…」
「アナっ!!」
「あだっ!?」
アンナが思い切りドレスを脱ぎ捨てようとしたところで、シャノンが鞭のように鋭いチョップを彼女の頭に振り下ろして制止する。
「痛ったぁーい!
もうっ、なにするんですか!?シャノン!」
「いいですか、アナ…」
涙目で抗議しようとするアンナに、シャノンが恐ろしい顔で詰め寄った。
彼女は先ほどの騒動から、生きた心地がしていなかったのだ。
「一度、馬車に戻りなさい…」
「えぇ〜!ここでも大丈夫…」
「アンナ!いいから行きなさいっ!」
「は、はい!お姉様っ!」
血走った目のシャノンに怒鳴られ、ビビったアンナは久しぶりに彼女のことを姉様と呼んだ。
そして、わかりやすくシュンとしながら、乗ってきた馬車に戻って行く。
周りに集まった人々も、後ろでギラつくシャノンに恐れをなし、再びアンナを取り囲むようなことはしなかった。
「びっくりしたね〜幹ちゃん…」
「あ、あぁ。アンナの脇腹、最高だったな…」
幹太はどさくさに紛れて、しっかりと目に焼き付けていた。
「もー!そうじゃないでしょ!」
そう言って、由紀は幹太の背中を思い切り叩く。
「あいだっ!ご、ごめん!
そうだな。そりゃまぁ怒られるわ…」
「アンナさん、いらっしゃったんですか〜?」
幹太にそう聞いたのは、しっかり休んで調子の戻ったソフィアだった。
「うん。あぁ、お帰りソフィアさん。具合はどう?」
「はい。大丈夫です〜」
そうこうしている間に、アンナの巻き起こした混乱も収まり、再び屋台にお客が集まり始めた。
「「「「いらっしゃいませ〜♪」」」」
その後はソフィアが復帰したことと、アンナが加わったことにより、幹太達の屋台は余裕を持って営業することができていた。
「ん〜こりゃ、すごいな…」
注文を全て作り終えた幹太は、自分の目の前の光景にそう呟く。
「えっ、何がですか?幹太さん?」
「なに?幹ちゃん?」
「どうしましたか〜?」
「芹沢様…?」
と、一斉に幹太の方へ振り返る女性陣は、間違いなくこの世界でもトップクラスの容姿をしている。
「俺、明日…いや、この後死ぬかもしれない…」
先ほどアンナを見ても思ったことだが、ここにいるメンバーのほとんどが自分の婚約者だというのが、今だに幹太には信じられない。
「ええっ!なんでですか!?」
「そ、それは困るよ!幹ちゃん!」
「まだ村のお母さん達に孫を〜」
「わ、私もまだハッキリと答えが…」
と言って、四人はそれぞれに困った表情を見せる。
「うん。俺、頑張って生き残るよ…」
この幸せを出来るだけ長く噛み締めたいと、幹太はそう決意して再び仕事に戻った。
「幹ちゃん、それで麺最後だよ〜」
「はいよー!」
そんな女性陣の笑顔の効果もあって、夕方前には全ての麺が売り切り、幹太達の屋台は閉店した。
その後すぐに片付けも終わり、再び漁港に仕入れに行った幹太は、ゾーイと二人で海岸沿いを歩いて宮殿へと帰っていた。
アンナや他の女性陣は、幹太がお願いして先に帰ってもらっている。
「芹沢様、なぜアンナ様たちを先に?」
「そうだな…まずアンナは会合なんかで疲れそうだったし、シャノンさんも人混みで警護するのは大変だろ。
そんでソフィアさんは途中まで具合が悪かったし、由紀はその付き添いって感じかな…。
あっ、そうだ!ゾーイさん、今日は付き合ってくれてありがとうな」
幹太はニッコリ笑ってゾーイに礼を言う。
市場でも帰り道でも、まだ彼はゾーイの手を借りなければならないのだ。
「いえ、いいんです…」
ゾーイは赤くなった顔を彼に見られないように俯いて返事をした。
「おっ!綺麗だなぁ〜」
「えっ…?」
「ゾーイさん、海だよ、海。
ほら、見てみなよ」
幹太にそう言われてゾーイが顔を上げると、
「あ…綺麗ですね…」
そこには真っ赤に染まる海と空が広がっていた。
「…芹沢様、ちょっと座っていきませんか?」
ゾーイはそう言って、海岸沿いにあるベンチを指差した。
「うん、そうだな。ちょっと休憩していこう」
仕事と仕入れで疲れていた幹太も、その提案には賛成だった。
二人はベンチに座り、ゆっくりと沈む夕日をしばらくボーっと眺めていた。
「ゾーイさんはしばらくこの国にいるつもりなのか?」
「えぇ、もうしばらくは居たいですね。
まぁ兄が国を出てしまったので、いつかは国に帰らなければなりませんが…」
「そっか…。
そういや、ゾーイさんの家ってどんな感じなのかな?」
「私の家ですか?」
「うん。砂漠のオアシスにあるとは聞いたけどさ、兄妹はお兄さんだけ?」
ゾーイの兄は、妹との旅の途中に立ち寄ったサースフェー島で結婚したかなりの自由人である。
「えぇ、そうです。
あとは父と母と、それに父の二人の妹、つまり私の叔母が一緒に住んでますね」
「おぉ、なんだか珍しい家族構成だな」
「そうですか?確かには女性は多いですけど…」
「あぁ、少なくともおれの国じゃなかなか無いと思う」
「でも、確かにウチは一般家庭とは言いづらいかもしれませんね…」
「それってどういうこと?」
「簡単に言ってしまえば、とても裕福な家なんです」
「裕福…?裕福ってどんぐらいか聞いて大丈夫?」
「はい♪平気ですよ♪」
ゾーイは幹太と出会った頃を思い出していた。
あの時の自分は彼に対して、警戒心マックスで接していた。
とてもじゃないが、こんなに親密に話す日が来るとは、以前の自分には考えられなかっただろう。
「そうですね…とりあえず家族全員、一生好きなことが出来るぐらいは裕福です」
「…マ、マジか…」
「マジです♪」
「そっか〜。退屈で旅を始めたって言ってたもんなぁ〜」
「あの頃は着替えすらお付き任せでしたから。
ふふっ♪その気になれば、一日中ベッドの上から動かずに生活できたと思います♪」
「あぁ、そりゃダメだ…」
幹太自身も動いていないと生きていけない人間だ。
そんな生活が我慢できなかったというのは容易に想像できる。
「私、今の生活が大好きなんです」
「ふ〜ん、誘拐の片棒を担がされたのに?」
幹太はワザとらしくジト目をしてゾーイを見た。
「そ、それは本当に申し訳ないですけど…でも、クレア様には感謝してるんです」
「そうだよなぁ〜。あんなお姫様と一緒に居たら退屈はしないな」
「そのお陰で、芹沢様にも出会えましたし…」
「そ、そうか…」
ゾーイの言葉を聞いた幹太は、若干キモめにモジモジしながら頭を掻いたりして照れくささを紛らわす。
『ふふっ♪芹沢様、可愛い…。
そっか…お兄様が言ってたのってこれなのかも…この人となら、私…」
ゾーイはそんな彼を見て、なんだかとても愛おしい気持ちになった。
「私と結婚しましょう…芹沢様」
次の瞬間、ゾーイはプロポーズしていた。
「えぇっ!?きゅ、急に、どどど!どうしたのっ!?ゾーイさんっ!?」
幹太は突然のゾーイからのプロポーズに困惑する。
「えっ?今…私…?」
言ってしまった方のゾーイも、両手で口を押さえて震えていた。
「ええっと…あの…その、本気?」
今だ動揺しまくる幹太にそう聞かれ、ゾーイは改めて思い返す。
「は、はい、本気…です…。
私、兄が結婚を決めた時の気持ちがよく分かりました」
「お、お兄さんの気持って?」
「その時が来れば、何も考えなくても体が動くって…」
ゾーイの兄は、幼い頃からちょっとイタめなロマンチストであった。
そんな兄が結婚を決めた後、ゾーイに話したのだ。
「ゾーイ…僕はずっと前から、プロポーズするときはこう言おうとか、ああ言おうとか考えてたけど、いざその時が来るとそんなのぜんぜん思い出せなくなるんだ…。
僕がふと気がついた時には、目の前で彼女が涙を浮かべて笑っていたよ…」
そう言う兄の穏やかな横顔を、ゾーイは今だに覚えている。
「その時は全く信じていませんでしたが…兄に悪いことをしました…」
「そっか…その場のノリで結婚したわけじゃなかったんだな」
幹太の想像ではもっとチャラついたお兄さんだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
「ほ、本当はお付き合いから始めたいところですけど、芹沢様の場合はそうもいかないかなって…」
「お、おぅ。そうだな…」
婚約者が三人。
しかも、そのうち一人はシェルブルック王国のプリンセスという状況の幹太が、一からゾーイとお付き合いをするというは確かに無理がある。
「…ゾーイさん、返事はちょっと待ってもらってもいいかな?」
幹太としても、短い間だが一緒にやってきたゾーイに好意はある。
しかし、それが結婚するほどかというと、さすがにそれは性急すぎる。
むしろ今の時点では、自分が四人もの妻を持つというのは不可能だろうとさえ思っていた。
「はい、もちろんです。
お返事お待ちしてますね♪」
ゾーイはそう言って幹太に笑いかける。
『こりゃしっかり考えて返事しないとだぞ…』
そんなゾーイの笑顔を見ながら、まだじっくり考える時間はあると、この時の幹太はそう思っていた。




