第八十八話 休日の意味
「あ〜ビックリした。
ソフィアさん、凄かったな…」
しばらくたって意識を取り戻した幹太は、女性陣から少し離れた場所で温泉に浸かっていた。
露出度の高すぎる水着を着ていたソフィアは、あの後シャノンに怒られて、いまは胸の部分に黒いレースの付いたえんじ色のホルターネックの水着に着替えている。
「しっかし、思ったより観光地してるよなぁ〜」
低い段になっている岩場に座っている幹太の視線の先では、女性陣が思い思いにこのブルーラグーンを楽しんでいた。
「それでソフィア、この泥がお肌いいと言うのは本当なのか?」
「はい♪先ほど案内していただいた方に教えてもらいました〜♪」
「ビクトリア様、くまなく全身にいっときましょう」
湖の岸辺付近では、ビクトリア、ソフィア、クロエのお姉さん組が、身体中ヌッタヌタになるまでこの温泉の泥を塗っていた。
管理人のオバちゃん曰く、ツルツルの肌の秘訣はそこにあるらしい。
「ゾーイさん、なかなかお強いですね…」
「い、いえ、シャノン様だって…」
そんなソフィア達の隣では、シャノンとゾーイが浅瀬に座り、岩に描かれた盤の上でチェスのようなゲームを楽しんでいる。
「違うよ〜!クレア様!もうちょっと手をこうっ!」
「んんっ?待って、由紀…っと、こんな感じ?」
「そー!それ!いいよ〜クレア様」
そしてその少し沖では、由紀がクレアにクロールを教えていた。
どうやらこの世界には、地球ような近代泳法はないようだ。
「もう完全に海外リゾートって感じだなぁ〜。
ふぁ〜こりゃ気持ちいい♪」
幹太は岩場を離れ、プカプカと仰向けで湖面に浮かんだ。
どうやらブルーラグーンの温泉は塩分が高いらしく、普通の水より簡単に浮かぶことができる。
「こりゃヘタすりゃこのまま寝ちまうかもなぁ〜」
幹太は久しぶりに全身の緊張が抜けた気分だった。
思い返してみれば、クレアに攫われてリーズ公国に来て以来、こんなにゆっくりするのは初めてだ。
そんな幹太に向かって、水中を白い影が進んでくる。
「ガホッ!ゲッハァ!がっ、がんだざんっ!」
「おわぁっ!」
思いきりお湯を飲みつつ水中から現れたのはアンナだった。
驚いた幹太は足をつき、思わず目の前に立つアンナの腰に手を回す。
「ふふっ♪幹太さん♪」
「あっ!ごめっ…」
「あんっ♪このままでいいんです♪」
幹太が手を離そうとすると、アンナが上からその腕を掴み、ギュッと自分に引き寄せて彼の背中に腕を回した。
「ん〜♪気持ちいいですね〜♪」
「…あぁ」
水着姿で抱き合っているため、そうしているとお互いの体温がじんわりとお腹の辺りに染み渡ってくる。
「幹太さん…」
「何…?」
「私、魅力ないですか…?」
「えぇっ?なんだよ急に?」
幹太がそう聞くと、彼の背中に回っているアンナの腕により一層力が入った。
「だって幹太さん…由紀さんとソフィアさんとばっかり…」
「オゥ…」
言われみればそうだ。
近頃、なんだかやたらとその二人の誘惑に負けている気がする。
「私じゃダメ…?」
「そんな事ないよ…今だって…」
「今だって、なんです…?」
「うん。アンナ、ちょっといい?」
幹太はそう言って、アンナの頭を自分の胸に優しく押し付けた。
「あっ♪幹太さん、すっごいドキドキしてる♪」
「な、そうだろ」
「フフッ♪♪それじゃお返しです♪
えいっ!」
アンナは幹太の頭を掴み、彼の顔を自分の胸の辺りまで沈めた。
「がっはっ!ア、アンナっ!?」
「いやんっ♪幹太さん、あんまり暴れないで♪
それで…どうですか?」
「うん。アンナもすっごいドキドキしてる…」
幹太はそう答えたが、正直、これが自分の心蔵の音なのかアンナのものなのか区別が付かない。
『おいおいマジかっ!胸あんじゃん!けっこうあんじゃん!』
ちなみにこの世界にまだ胸パットという概念はない。
そんな幹太の動揺が伝わったのか、アンナはさらに強く幹太の頭を抱きしめた。
「幹太さん…私、お二人には敵いませんが、少しおっきくなったんですよ♪」
『た、たしかに…前よりふんわり感がアップしたような…』
幹太はまんまとアンナの誘惑にはまりかけたが、ギリギリのところで頭を離して持ち堪える。
「アンナ…」
「はい♪」
「その…こうやってアンナにまで誘惑されたら…俺、我慢できる自信がない…」
「えぇっ!?そ、そうですか…」
アンナは幹太の腰に足を絡め、彼の体にしがみ付いているだいしゅきホールド状態だ。
いくら我慢強い幹太とはいえ、その理性にも限界がある。
「だから…」
「…はい。だったら、もう我慢なんてしなくていいです…よ」
アンナはそう言って幹太の顔を両手で挟み、覆い被さるようにその唇にキスをした。
『幹太さん…』
それからしばらく二人の体を流れる水滴の滴る音だけが辺りに響き、その音が聞こえなくなった頃、アンナはようやく唇を離す。
「ア、アンナ…?」
「ハ、ハイッ!」
「えっと…今のって?」
「は、はい。アンナ、ファーストキスでしゅ…」
二人はお互い真っ赤な顔で見つめ合う。
「幹太さん…もう一度…」
「あ、あぁ…」
と、言って再び二人の顔が接近した時、
「ク、クレア様っ!それ以上近づいたらバレちゃうよ!」
「大丈夫よ、由紀!完全に二人の世界に入っちゃってるわ!
す、すごいわ…幼馴染の本気のキスを覗き見るなんて、なんだか背徳感あるわね…」
という声が、幹太とアンナの斜め下辺りから聞こえた。
「幹太さん…」
「うん…」
二人が声のした方に視線を移すと、そこには戦闘民族系宇宙人を倒す元カリフォルニア州知事の映画のように、水面から泥を塗った顔を出しているクレアと由紀がいた。
「ヤ、ヤバッ!由紀!逃げるわよ!」
と、幹太達に見つかったクレアは、すぐさま覚えたてのクロールで逃走を図る。
「あぁっ!ズルいっ!クレア様っ!」
「由紀さんっ!」
クレア同様、由紀も逃走を図るが、泳ぎかけた彼女の足をがっちりアンナが掴んだ。
「ゆ、許してアンナ!
私はクレア様にそそのかされただけなの!」
「由紀さん…言い残すことはそれだけですか…?」
「ひぅっ!か、幹ちゃん、アンナが怖いっ!」
「諦めろ、由紀…」
「あぁ!幹ちゃんまでっ!
そ、そうだ!じゃあアンナの前で幹ちゃんとキスするからっ!
ね、今すぐするから!それでいいでしょ?
それじゃ幹ちゃん、ん〜」
由紀はどさくさに紛れて幹太にしがみ付き、わざとらしくキス顔をして彼に迫る。
さらにそこへ、
「ドーン!そうはさせませんよ〜♪」
と突然、お湯の中から泥の怪人となったソフィアが現れた。
「幹太さ〜ん♪」
「うおっ!」
「きゃっ!ソフィアさんっ!?」
ソフィアはそのまま倒れかかり、幹太を浅瀬に押し倒す。
やわらかい泥でヌルヌルとしたソフィアの体の感触に、幹太の全身にゾクゾクとした快感が走った。
「ゴボッ!ゴバババッ?」(ソ、ソフィアさん!?)
「ゴボ〜♪ゴボッ♪」(はい〜♪んっ♪)
水中で幹太にしがみ付いたソフィアは、そのままの勢いで彼の唇を奪う。
『ま、またっ!?んんっ!あ…息が…』
水中で口を塞がれていた幹太が、あまりの苦しさに唇を離そうとしたその時、
『フウ〜♪』
と、ソフィアの息が彼の体に入ってきた。
『ん〜!?ソ、ソフィアさんっ!?』
その上さらに舌で口内を蹂躙され、幹太は口を塞がれたまま叫ぶ。
「あー!もう!ソフィアさんっ!」
「そこまでだよっ!ソフィアさんっ!」
とそこで、バタバタしていた二人をアンナと由紀が引き起こした。
「プハッ!ハァッ、ハァッ!
ソ、ソフィアさん?いきなり何を!?」
「人口呼吸ですよ〜♪」
「いや…俺、溺れていたワケじゃないんですけど…」
加えて言えば、人口呼吸で舌は使わない。
「ソフィアさんっ!キスは禁止と言ったはずですっ!」
「でも今、アンナさんがしてましたから〜♪」
「私がしても由紀さんが…あっ!そういえば…」
先日、幹太と由紀が部屋でイチャイチャしていたのを目撃したクレアは、あの後さっそくアンナ達に一部始終を饒舌に語っていた。
「由紀さん…?もしかして…」
改めて考えてみると、あの日から由紀の態度に余裕がうかがえる。
「由紀さん〜♪」
ソフィアもニコニコしながら由紀に迫る。
「そ、それは…その…か、幹ちゃ〜ん、幹ちゃんから言ってぇ〜」
「えぇっ!俺からか?えっと、そうだな…」
正直に話そうと、幹太が覚悟を決めた時、ゆっくりと彼の背後に大迫力のボディが迫った。
「芹沢幹とぅわー!」
「うわっ!?ヤバいっ!」
驚いた幹太が逃走を図ろうとしたところで、彼はその何者かにガッチリと羽交い締めにされた。
「キ、キサマ、いま…私のアンナちゃんと何をしていた…?」
羽交い締めにしているのは、アンナとのキスを目撃して怒りに燃えるビクトリアだった。
ド派手な水着を着て幹太に組みつくビクトリアは、本場アメリカの女子プロレスラーにしか見えない。
「ビ、ビクトリア様、それは…」
「それ以上は言わさーん!!」
「おわぁー!」
理不尽にもビクトリアは、幹太が答える前に投げっぱなしジャーマンで投げ飛ばす。
幹太は綺麗な放物線を描き、水しぶきと共に湯気の向こうへ消えていった。
「ハァッ!ハァッ!ビクトリア様!」
「おぉクロエ♪お前も芹沢幹太を投げてみるか?」
そう聞きながら、ビクトリアはめっちゃいい笑顔でサムアップする。
「はぁ…しませんよ」
「お姉様っ!幹太さんが可哀想です!」
「あぁ、幹ちゃん、あんな所まで…」
「ふふっ♪久しぶりにちゃんとキスができました〜♪」
とそこで、宙を舞う幹太を見つけたシャノン、クレア、ゾーイが加わる。
「ビクトリアお姉様…よくぞ我慢されました…」
「えぇっ!あれでっ!?すっごい飛んでったわよ!」
「あの…クレア様…」
ゾーイはクレアの腕を引き、片手に持った大きなバスケットを見せた。
「あ、そうだったわね♪
ビクトリア様、そろそろランチにしましょう。
ゾーイがサンドイッチを作ってくれたんです♪」
「おぉ!それはいいな♪」
というゾーイの機転により、幹太はそれ以上投げ飛ばされずに済んだのだった。
「しかし、温泉があってハイキングもできるって最高じゃないか?」
「そうなのよね…。
うん、帰ったらお兄様に観光地にできないか相談してみるわ」
「クレア様、私、温泉がこんな楽しいって初めて知りました♪」
それから遅めの昼食をとった後、幹太はクレアとゾーイと一緒に、温泉の周囲にある丘を散策していた。
「俺たちの国でこんな場所があったら、それこそ一大観光地になってると思うよ」
「ホントよね…早くやれば良かったわ。
それにしても、どうしてお父様達は気づかなかったのかしら?」
温泉の効能が知られてない世界とはいえ、このブルーラグーンならばプールとしても使えるはずである。
「まだ噴火の危険があるとかじゃないか?」
「ん〜?少なくとも私が生まれてからはないはずよ」
「そっか、日本でも活火山の近くに有名な温泉があるよな…」
「まぁリーズにもまだまだ危険な火山もあるけどね。
私、一度だけお兄様と火山の噴火口に行ったことがあるのよ。
あの時はゾーイも一緒だったわね♪」
「はい…あれはもの凄い体験でした」
ゾーイは溶岩が噴き出す真っ赤な火口を思い出す。
もちろんかなり離れた場所からの観察であったが、その熱気はものすごいものだった。
「マグマって言ったかしら…?なんだか生き物みたいだったわ♪」
「おぉ!直接見たってのはすごいな!
俺も映像じゃ見たことあるけど、おっかないけど綺麗って独自の感じが…」
と、そこまで言った幹太の視線が、クレアの顔で止まった。
「クレア様…綺麗だな…」
「きゅ、急に、ななな、何言ってんのっ!?幹太!」
「いや…本当に綺麗だ…」
幹太はボーっとクレアを見つめて、その美しく輝く赤毛を撫でる。
「あ、あんっ♪ちょ、ちょっと幹太っ!?」
突然、愛しむように髪の毛を撫でられたクレアは思わず声を上げてしまう。
「い、いけません、芹沢様!髪の毛なら私の髪を!」
と、幹太の行動に色々と焦ったゾーイが、クレアの髪から幹太の手を取り自分の頭に乗せた。
「っと、すまん!クレア様!」
そう謝りつつ、幹太は無意識にゾーイの髪を撫でている。
「い、いきなりどうしたのよ…?」
クレアは自分の髪を手でいじりながら、顔を真っ赤にして幹太に聞いた。
「ええっと、なんか今、降りてきたんだ…」
「ゾーイ、幹太がヤバいわ…」
「クレア様、実を言うと私、芹沢様を攫う時にかなり強く頭を殴りました…」
「いや、そうじゃなくて!ラーメンだよっ!」
「えっ!なんかいい案が浮かんだの!?」
「芹沢様!本当ですか!?」
「あぁ、もしかしたらいけるかも知れない。
よし!とにかく帰ったらやってみよう!」
「えぇ!じゃあさっさと帰るわよ!
そうと決まればゾーイ!すぐにみんなを集めてちょうだい!」
「はい!クレア様!」
そうして幹太達一行は、急遽このブルーラグーンを後にした。




