第八十五話 ブルーガレリアにて
翌日、
幹太は前日と同じブルーガレリアの広場で屋台を出店していた。
「なんだか由紀と働くって久しぶりな気がするよ」
「そうかな…?そうだった…よね。
ブリッケンリッジじゃいっつも一緒にいたから、毎日幹ちゃんのお手伝いしてたって気がする」
「お二人は幼馴染なんですよね?」
今は開店の準備を、幹太と由紀とゾーイの三人で行っているところだ。
「うん、そう。
私と幹ちゃんは産まれた時のからずっと一緒♪」
「産まれた時って…どういうことですか?」
「えっとね、私と幹ちゃんはお誕生日が二日違いで、同じ病院で産まれたの。
だから、二人並んで病院の保育器に入ってたんだよ」
「ははっ♪そうそう、確かそん時の写真があるよな」
「あるね〜♪ていうか、いまだに玄関に飾ってあるよ」
「それは…筋金入りの幼馴染ですね」
「そうだね〜♪」
「そうだなぁ〜ここまでの幼馴染ってのはなかなかいないかもなぁ〜」
「幼馴染同士でご結婚するってどんなお気持ちなんですか…?」
そう聞くゾーイの表情は真剣で、からかう気持ちなど全くない。
魅力的な幼馴染の異性が身近にいなかった彼女は、ただ純粋にそのことを聞きたかったのだ。
「どうって…由紀はどんな感じだ?」
「う〜ん、なんだろ…?
ここまでちゃんと仲良くしてきた過去の二人に感謝って気分かな…」
ゾーイの勢いに押され、由紀も素直な自分の気持ちを口にした。
恋心の有る無しに関わらず、由紀はその時その時で幹太の事をずっと大事にしてきた。
そしてそれが積み重なって、婚約することができたと思っている。
そしてそれは、たぶん幹太も同じ気持ちなのだ。
「あぁ、それなんとなくわかるな…あと俺は、ちょっとだけこっぱずかしいとも思う」
小さな頃、一緒にお風呂に入ったりキスしていたような二人が、完全に成長してから再び同じことをするというのだ。
お互いに改めて大人になった自分を見せるのは、普通に出会ったカップルよりかなり恥ずかしいことであろう。
「わ、私もそれはあるかも…」
「だよな。なんかいざ結婚って考えると、ちょっとテレるんだよ」
幹太はそんな話をしながら、つけ麺に使う海老をタッパーから取り出す。
「…うん。こんなもんかな」
元々の海老が新鮮なため、下味といっても塩とニンニクと酒のみを使った簡単なものだ。
「よーし!そんじゃ揚げちゃおう」
「幹ちゃん、ここで揚げるの?」
昨日、幹太からつけ麺のレシピを聞いた由紀は、てっきり仕込みの段階で海老を揚げてくるものだと思っていた。
「ん〜確かに昨日はそうだったんだけどさ。
な、ゾーイさん?」
「えぇ。せっかくなので、こちらで揚げることに決めました」
「せっかくだからって…?」
「まぁいいから見てなって」
幹太はそれ以上質問しようとする由紀を遮って、油を張った中華鍋の中に海老を投入する。
「あ♪もしかしてこの香りかな?」
海老を揚げ始めてすぐに、由紀は幹太がなぜこの場所で素揚げをするのかがよくわかった。
下味で使ったニンニクの美味しそうな匂いが、屋台の周りに広がっていくのだ。
「これを宣伝に使わないのはもったいないって、昨日ゾーイさんと話してたんだよ」
「えぇ。私の国にも海老とニンニクを油で揚げる料理があるのですが、お店の前を通るといつも匂いにつられて買ってしまうのです」
ゾーイの言う通り、幹太達の屋台の前を通る人々は、例外なく匂いにつられて立ち止まる。
「こうやって細かな工夫が効いてくるってのが屋台の楽しみだよな♪」
「なんだか生き生きしてるね、幹ちゃん♪」
幹太の言う通り、漂う匂いまでも宣伝に利用できるのは屋台で商売する上での利点である。
たまにスーパーマーケットの前などで出店している焼き鳥の屋台が良い例だ。
固定の店舗でも匂いを使って客引をする鰻屋などもあるが、最近のラーメン屋の場合、油の混じった煙りが近所迷惑になるため、排煙ダクトを店舗の高い場所に作っていることが多い。
「えっと…そろそろ開店かな?」
幹太はそう言って広場の中心にある大きな時計を見た。
彼には描いてある数字は分からないが、こちらの世界でも一日は地球と同じ二十四時間であり、時計の読み方も変わらない。
「はい。もうそろそろ正午です」
翻訳魔法によってゾーイの言葉がそう聞こえているので、やはり時間は地球と同じようだ。
「よーし!そんじゃ開店しよう!」
と、幹太が言うと同時に、由紀がカウンターの下を見る。
「あっ!そっか、姫屋じゃないからね」
いつもならそこにあるはずの暖簾がないことに、由紀はそこまでしてやっと気がついた。
「わかるよ。ついつい姫屋のつもりになっちゃうんだよなぁ〜。
そろそろこっちの屋台の屋号も決めないとだな」
「芹沢様、ヤゴウというのはお店の名前を決めるということですか?」
「うん。そうなんだけど…なんかいい案はないかな?」
「姫屋はアンナ様が元になっているんですよね?」
「そうそう、お姫様の姫な。
ゾーイさんは前からアンナのことは知ってたの?」
「えぇ、それはもちろん」
「そうなのか…?
クレイグ公国じゃ誰もアンナが王女だって気づかなかったぞ」
「国外でお顔を拝見する機会は限られていますからね。
お名前や噂は知っていても、それ以上はなかなか…」
テレビやネットのないこの世界では、隣国の王女とはいえ、その容姿まで知っている人はそれほど多くはない。
「でも幹ちゃん、ブリッケンリッジじゃアンナ目当てで姫屋に来る人もいるよね?」
「そうだな。確かにバザーの後辺りからよく見るよ」
さすがに自国の王都では、アンナ王女の働くラーメン屋台、「姫屋」というのは有名になりつつあった。
どうやら天真爛漫なアンナは子供達に人気があるらしく、彼女目当てで姫屋を訪れる客のほとんどが家族連れてある。
「それでしたら、やはりクレア様絡みの屋号がいいかと…」
「クレア様か…」
三人は屋台の厨房で腕を組んで考える。
そして同時に顔を上げ、
「赤だな」
「赤ね」
「赤でしょうか…」
と、揃ってそう言った。
誰にとってもクレアと言えば、やはり美しい赤い髪と深紅の瞳なのだ。
「色々ありすぎて、逆に難しいな…」
「でも、ちゃんと考えれば素敵な屋号になりそうじゃない?」
「わ、私も少し考えてみます」
とそこへ、最初のお客さんが屋台の前にやって来る。
「注文いいですか?」
「「「はい!いらっしゃいませ♪」」」
三人は元気よく挨拶をし、一日の営業が始まった。
「幹太!ゾーイ!由紀ー!来たわよー!」
それからしばらくして昼をすぎ、お客の波も落ち着いた頃、クレアが姉であるクロエと共に現れた。
「おぉ、いらっしゃい。
やっぱり仲がいいんだな♪」
クレアはクロエに寄りかかるように腕を組んでいる。
「なによ!久しぶりにお姉様に会えたんだからいいでしょ!」
「もちろんぜんぜん悪くないよ。
それで、二人はつけ麺を食べていくんでいいのか?」
「はい。お願いします、幹太様」
「了解。そんじゃ少々お待ちください」
幹太がクロエと面と向かってまともに会うのは、これが二度目である。
『この人もやっぱり綺麗だわ〜」
幹太は麺を鍋に入れながらそう思った。
軽くウェーブがかかるロングヘアーのクレアとは違い、クロエは直毛の赤い髪を肩の辺りで切り揃え、それを黒いリボンで顔に掛からないようにしている。
『でも、顔はそっくりなんだよな〜』
幹太がそんな事を思い出ながらボーっと二人を見つめていると、隣にいる由紀が彼の肩をツンツンと指でつついた。
「幹ちゃん、クロエさんのこと綺麗って思ってた?」
「う、うん」
良くも悪くも、幹太はこういう時にウソがつけない。
「ねぇ〜すんごい美人姉妹だよね♪」
幼馴染の由紀は、幹太が素直にそう答えるのは百も承知であった。
「なんだか私、この世界って美人しかいない気がする…」
「おぉ…それ言えてるかもしれないな」
言われみれば確かに、幹太が今までこの世界で関わってきた女性は全員が美女である。
「ちょ、ちょっと待てよ…男の人も美形が多くないか…?」
幹太は今さらながら、恐ろしい事実に気がついた。
「…そうだよ幹ちゃん。ニコラさんもトラヴィス国王様もかっこいいし、ムーア導師は…うん、おじいちゃんも若い頃はイケメンだったんじゃないかな…」
「俺、ヤバいな…」
とてもじゃないが、幹太は自分の容姿に自信など持てない。
「幹ちゃん、私もだよ」
「えっ、なんで?ゆーちゃんはずっと可愛いよ」
「幹ちゃん!?」
愕然としていた幹太にノータイムでそう返され、由紀の顔が真っ赤に染まる。
「あの…お二人ともつけ麺は?」
「あっ!ごめんゾーイさんっ!」
「そ、そうだよ、幹ちゃん!しっかりして!」
ゾーイのおかげで現実に戻った二人は、その後手際よくつけ麺を作り、カウンターで待つ美人姉妹の前に置いた。
「お姉様、これがレイブルストークの名物なるのよ♪」
「えぇ、クレア。さっそくいただきましょう」
「はい♪」
クレアはクロエと一緒にいられるのが本当に嬉しいらしく、笑顔でつけ麺を食べ始めた。
「あ…美味しいです」
「そうでしょ♪お姉様」
クロエはビクトリアの護衛という立場上、彼女と対立する幹太のラーメンを今まで食べたことが無かったのだ。
「そりゃ良かった。
ブリッケンリッジに帰ったら、次はあっちのご当地ラーメンも食べてみてくれよ」
「そうですね…できればビクトリア様と一緒に伺いましょう」
「あっ!お姉様…私も…」
「ふふっ♪そうね、クレアも一緒に行きましょう♪」
そう言って、クロエは優しくクレアの頭を撫でる。
「あの…クレア様、大公様への報告は終わったのですか?」
「え、えぇ、とりあえず昨日までの一通りの報告は終わったわ」
「もしかして、アンナもそっちに行ってたのか?
シャノンさんには公務だって聞いてたけど…」
「そうよ。アンナにはお父様とお母様のところに婚約の報告に行ってもらったの」
今日の営業にアンナが来なかったのはそういうわけだったのだ。
「そっか、そういうのもしなきゃなんないんだよなぁ〜」
「アンナ、大変だよね〜♪」
「…一応言っておくけど、あなた達二人もそのうちやることになるんだからね」
幼馴染二人のあまりの呑気さに、クレアはため息のついた。
誘拐の件以来、身の回りには気をつけている幹太ではあるが、まだまだ王族となる自覚を持つまでには至らないのだ。
「ふぅ、そろそろ終わりかな〜」
「は〜い、閉店ね♪」
それからしばらくして麺も売り切れ、幹太達は屋台の片付けを始める。
「よしっと♪こっちももう帰れるよ、幹ちゃん」
「あ、すまんみんな、ちょっと待ってもらえるかな…」
「あら♪またゾーイにプレゼントを買いに行くの?」
「クレア様っ!?」
「い、いや、違うんだ」
「あ、私わかった!」
由紀は唯一居場所がわからないお姉さんを思い浮かべる。
「幹ちゃん、ソフィアさん待ってるんでしょ?」
「うん」
「やっぱり♪ソフィアさんになんか頼み事してたの?」
「えっと…」
幹太が由紀に説明しようとしたところで、ガラス張りのアーケードの通路をソフィアが手を振ってこちらへ歩いて来るのが見えた。
「幹太さ〜ん♪」
彼女は山のような食材をカートのような物に載せて、幹太達の前までやって来る。
「ありがとうソフィアさん」
「いえいえ〜♪一応、頼まれた物が揃っているか確認して下さい〜」
「…うん、大丈夫。全部揃っているよ」
「良かったです〜♪」
ソフィアはそう言って、何気なく幹太に抱きついた。
『あぁ、ソフィアさん、石鹸の匂いと…あとは汗…なのかな?なんだかめっちゃ癒される香りだ…』
フワッと彼女から発せられる香りに、思わず幹太の鼻の下が伸びる。
「ハイハイ!ちょっと離れましょうね〜」
「お、おわっ!」
「あぁ、由紀さん、酷いです〜」
「で、幹ちゃん、これを全部使うの?」
由紀は目の前に山と積まれた野菜を指差して聞いた。
幹太はソフィアに野菜の仕入れをお願いしていたのだ。
「全部ってわけじゃないけど、この中から厳選して使おうと思ってさ。
やっぱり野菜と言えばソフィアさんだからな」
「お野菜のことなら任せて下さい〜♪」
幹太は屋台の営業が終わってから自分で行く事も考えていたのだが、遅い時間だと新鮮なものが売り切れてしまうため、野菜の目利きのできるソフィアに頼んでいたのだ。
「でも幹太、レイブルストークは海の街よ?」
「そうですよ、芹沢様。
それではご当地ラーメンにならないのでは…?」
クレアとゾーイの疑問はもっともなものだった。
「うん。そうなんだけど、とりあえず魚介類から一度離れて考えてみようと思ってさ」
幹太は以前、サースフェー島という南の島で一つの考えに囚われすぎて失敗していた。
「スープはつけ麺と同じでいくしかないんだけど、他はまだ工夫できるし…」
レイブルストークのご当地ラーメンと名乗る以上、スープは魚介系でいくというのは決定している。
また今回のキッチンワゴンはスペースの問題もあり、スープの寸胴鍋は一つしか置けないのだ。
「まぁ、とにかく帰って仕込みをしないとだな」
「そうね。ここで話してるより、実際に見た方が早いわ。
それじゃあ帰りましょ、お姉様」
「えぇ、クレア」
「みんなも帰るわよー!」
「「「「はーい」」」」
クレアの号令とともに、幹太達は宮殿へと帰っていった。




