第六十九話 新生活のはじまり
ご感想を頂きました。
とても嬉しく、励みになりました。
ありがとうございます。
引き続き宜しくお願い致します。
「久しぶりの一人だけど…、これはこれでいいかもしんない♪」
幹太はローラから譲り受けた店舗の二階でニヤニヤしていた。
店舗の二階は、日本の幹太の家と同様に生活スペースになっている。
彼はフローリングの部屋の中心でゴロンと横になっていた。
「必要な物が使いやすく収まってて、なんだか気持ちいい部屋だしな」
幹太も他の男子の例に漏れず、狭くて機能的なスペースに魅力を感じるタイプであった。
ちょうど幼い子供が押し入れにお菓子などを持ち込んで、秘密基地にするような感覚である。
「幹ちゃ〜ん!来たよ〜!」
とそこで、下の階から由紀の声が聞こえた。
「おー!由紀ー!上がって来てくれー!」
「はーい!」
由紀はそう返事をして、店舗奥にある階段を上がる。
トントンという足音が近づいてくるのを聞いて、幹太は懐かしい感覚を覚えた。
「由紀の登ってくる足音…変わってないな…」
「お待たせー幹ちゃん!ご飯だよ!」
「おう。ありがとう、由紀」
「いやぁ〜なんだか懐かしいね、幹ちゃん。
よく考えたらこのお家、日本の幹ちゃんのお家そっくりだよ」
「俺も今そう思ってたんだよ。
俺が二階にいて、下から由紀が上がってくるなんてそのまんまだもんな」
「だね。幹ちゃんちにもよくお弁当持っていったもんね」
由紀が幹太と話しつつ、手に持った大きな包みを開くと、中にはローラ特製のお弁当が入っていた。
「あるんだな…この世界にもお弁当」
「ふふっ♪お弁当箱は適当な木の箱だけどね♪」
節度を守るという理由から、ローラは幹太にこの店舗で生活してもらう事にしたが、何も結婚するまで絶対に婚約者三人と彼を会わせないと思っていた訳ではない。
仕事の時間はもちろん、一緒に街に出る事も許可し、
それ以外にも泊まりでなければ、幹太が生活するこの店舗への出入りも許可した。
つまり夜以外は、ほぼ今までと変わらない生活ができるのだ。
「今日は幹ちゃんに会えて良かった…」
由紀は目の前にある幹太の手に、自分の手を重ねてそう言った。
彼女は彼女なりに、自分の気持ちを素直に幹太に伝える努力をしているのだ。
「う、うん、俺も会えて良かったよ」
「え〜ホントに〜?久しぶりの一人もいいって思ってたんじゃない?」
「いっ!?いやっ!その…少しだけ…」
「やっぱりね♪」
この辺はさすが幼馴染と言ったところである。
「まぁ幹ちゃんも男の子だからね♪それじゃ食べよっか?」
「あぁ、そうだな。いただきます」
「いただきま〜す」
幹太と由紀は日本にいた頃のように向かい合って座り、久しぶりの二人での食事を始めた。
「それで幹ちゃん、これからはこのお店を姫屋にするの?
それとも屋台を続けるつもり?」
「うーん、それなんだよな〜。
屋台で慣れちゃってるから、今さら店舗の要領が分かるのかなって不安もあるんだよ」
「そういうもん?」
「うん。屋台は人がたくさん居る所に出すのが基本で、そんでもって短時間勝負って感じなんだけど。
固定の店舗は日によって客足もかなり違うみたいだし、店開けたら一日中営業しているイメージなんだよなぁ」
「お店の前の通りはたくさん人が歩いてるけど…」
由紀はサンドイッチを咥えたまま立ち上がり、表通りに面した窓から外を見る。
「だけどこの辺で仕事してる人は昼飯をどうしてるのか?とか、そもそもどういう客層なのか?なんてのがぜんぜん分からないんだよ。
まぁ元々はお店だったんだから、それなりにお客さんはいると思うんだけど…」
「吉祥寺の屋台は夕方からで、来るのは学生さんとサラリーマンって感じだったもんね」
「うん。ありゃ時間も客層も思いっ切り限定って感じだったからなぁ〜。
週末でもない限り、あの場所じゃお昼に開店しても赤字だろうし」
「確かに屋台のラーメン屋さんってどこもそんなイメージかも…」
「アンナの言う通りでさ、この世界の人って良くも悪くも、安定した日々をすごく大事にしてるみたいなんだよ。
だから屋台ならまだしも、今さら知らない食べ物の路面店が受け入れられるかって心配があるんだ」
幹太が今までこちらの世界で姫屋を出店したのは、観光地のジャクソンケイブの例を除き、市場や交通の要所の町など、慌ただしく移動する人が多い場所であった。
ゆっくりと食事に時間をかける暇のない彼らのような人々は、早く食べれるならば、見た事がない食べ物でも比較的受け入れてくれ易い。
「ん〜そうね…、ここら辺ってちょっとのんびりした感じがするかも…」
「だろ〜。洋食屋みたいのなら大丈夫だろうけど、ラーメン屋はどうかなって思ってさ」
「じゃあとりあえず屋台?」
「うん。そうだな、そうしよう。
ちょっと迷ってたけど、いま由紀と話してそう決めたよ。
ありがとな、由紀」
「いいえ♪お役に立ててなによりです♪
でも…ん〜そうだ!
幹ちゃん、お礼はくれないの?」
「えっ!?」
「だ・か・ら、決められたお礼。なんなら一回デートしてくれる?」
「そのぐらいなら…」
幹太も何故だか久しぶりに、由紀と出掛けたくなっていた。
「えっ?ホントに?
やった!言ってみるもんだね!」
「でも、今すぐは無理だぞ」
「分かってるって♪それに日を改めた方がちゃんと準備できるからね♪それじゃ指切り♪」
由紀は少し照れながら小指を差し出す。
「う、うん」
幹太も顔を赤くして由紀と小指を絡めた。
「指切りげんまん…指切った♪はい♪約束だよ、幹ちゃん」
「おう。約束だ」
「幹ちゃん、今日はこれからどうするの?」
「まだ汚れてるとこがあるからもうちょっと掃除して、あとは…早めに仕込みを始めようかなぁ。
でないと明日一日じゃ終わらなそうなんだよ」
「そう。だったら明日の朝、誰かお手伝いに来るようにしとくね」
ローラが婚約者三人とシャノンに、ここへの訪問を許可したのは、この辺の事を見越してである。
「おぉ、そりゃ助かる」
「それじゃ今日は二人でお掃除がんばりますか?」
「由紀様、ぜひお願いします」
そうして二人は、一階の店舗に降りて掃除を始めた。
「幹ちゃん、ん…」
由紀が後ろで作業する幹太に汚れた雑巾を渡す。
「ん…。よいしょっと….ん」
幹太はそれを一度バケツですすいで固く絞り、由紀へと返した。
「由紀…ん」
そして次は、幹太が振り返りもせず、由紀に向かって手を差し出す。
「ん」
由紀は先ほどまで自分が使っていたタワシを幹太の手に乗せた。
「ん」
幹太の発した最後の「ん」はたぶん「取ってくれてありがとう、由紀」という意味である。
幹太と由紀は一階に降りてから、ずっとこのような状態で掃除を続けていた。
本人達は意識して行っている訳ではないが、幼馴染二人のほぼ全ての会話が「ん」という一言で成立しているのだ。
幹太と由紀の二人が揃って何かに集中すると、しばしばこのようなゾーン入ることがある。
以前、同じようにゾーンに入った二人を見たアンナは、
「すんごいですよね、アレ…。
私、羨ましいを通り越して、ちょっと引きました」
と言っていた。
店舗の入り口に立つシャノンは、まさに今その状況を目の当たりにしていた。
彼女はなかなか幹太の所から帰って来ない由紀を心配して迎えに来たのだ。
『この前アナが話していたのはこれですか!?確かになぜかゾッとする光景です!』
もしこの意思疎通方法を敵国の兵士が手に入れたら、シェルブルックは瞬く間に占領されるであろうと彼女は思った。
「幹ちゃん…ん」
「ん」
幹太は再び由紀に手渡された雑巾をバケツに入れ、代わりに乾拭き用の雑巾を由紀に渡した。
「ん。よし…」
受け取った由紀は、それを使ってガラス戸を拭き始める。
「お二人ともっ!シャノンです!」
これといって何が恐ろしい訳でもないのだが、なぜか精神的に追い詰められたシャノンは、黙々と作業を続ける二人に向けて大きな声を張り上げた。
「あ、シャノン♪もしかして迎えに来てくれたの?」
「おぉ、いらっしゃい、シャノンさん」
先ほどまでとは正反対の気の抜けた表情で、由紀と幹太がシャノンに話しかけてくる。
「はぁ…お二人共、外を見て下さい」
「あっ!もう真っ暗だよ、幹ちゃん!」
「本当だ…ぜんぜん気が付かなかったよ」
「由紀さん、みんなが心配していますよ。
アナは『由紀さんは幹太さんの所にお泊りするつもりです!』と言ってましたが…」
「う〜んゴメンね。
そんなつもりはないんだけど…でも、できたら泊っていっちゃおうかな♪」
「由紀さん」
シャノンがキッと鋭い目つきで由紀を見る。
「ウソ、ウソ。ちゃんと帰るよ。
すぐ準備するからちょっとだけ待っててー」
由紀はそう言って慌ただしく二階へと駆け上がる。
「ありがとな、シャノンさん。由紀を迎えに来てくれて」
「いえ、それはいいのですが…。
幹太さん、その…お二人はいつもああなんですか…?」
「ああって?」
「掃除の時です」
「あ〜気づかなくてゴメンな。
由紀も俺もああいう細かい作業ってついつい熱中しちゃうんだよ。
しっかしゆーちゃんは昔から掃除が上手いよなぁ。
おれも見習わないとだよ」
「いえ、そうではなくて…まぁもういいです」
と、シャノンが呆れ顔で言ったところで、由紀が階段を降りて来る足音がした。
「はーい、シャノン!お待たせ〜」
「では帰りましょう。幹太さん、また明日」
「幹ちゃん、また明日ね♪」
「おう。二人とも気をつけて帰ってな」
「はい」
「はーい」
そうして幹太は二人を店舗の外まで見送り、久しぶりに一人の夜を迎えた。
「さて、ちょっと仕込みをするか」
幹太は店の中に戻り、久しぶりに白衣に着替えて前掛けを締めた。
「よいしょっと!そろそろこれを仕込んでおかないとな」
そう言って野菜の入った籠から、バスケットボールほどの大きさの茶色い実を取り出した。
「ははっ♪いつ見てもデカいよな、これ。
ゴマの種がこんなにデカいなんて、やっぱり異世界って面白いなぁ」
幹太は以前にもこちらの世界でごまを買っていた。
しかし今回のごまは前回とは違い、焙煎したものである。
「ほんじゃ〜やりますか」
まずはごまを手動の圧搾機にかけて、ごま油を絞る作業からである。
圧搾機は元々ここにあった物だ。
「すっごい出るな…」
ぐるぐるとハンドルを回すと、圧搾機に入った巨大なごまの実があっという間にぺったんこになっていく。
ごま油は圧搾機の中で濾過され、絞りカスと油に別けられる。
およそ五分ほどで、一斗缶半分のごま油が完成した。
「そんじゃあ次は…えっと、鍋は…あった、あった」
幹太は中華鍋を五徳に乗せ、できたばかりのごま油をなみなみ注いで火にかける。
魔法の使えない幹太は、マッチで直接火をつければ発火する魔石を使って調理をしていた。
「これ、火を消す時はどうすんだ?」
そう言う間にも、じわじわとごま油の温度は上昇していく。
「よーし、そろそろだな」
次に幹太は麻袋に入った赤い粉を、煮えたぎるごま油の中へ一気に投入した。
これは乾燥した唐辛子の粉、つまり一味である。
「次はネギを入れて…」
そして間髪いれず、徐々に湧き上がる真っ赤なごま油の中に長ネギを入れる。
「まだだ…まだまだ…はいっ!ここでストップ!」
ごま油が鍋の縁ギリギリまで迫った所で、魔石をトングで取り出して火を止めた。
魔石は水を溜めた流しにブチ込むという荒業で消火する。
「ふぅ〜、あとはこれを冷ませばラー油の完成だ」
そう、彼はラー油を作っていた。
先日のバザーまでは日本のラー油が残っていたのだが、次に補充する分はもう無くなっていたのだ。
「異世界で知らないはずなのに、大人はみんな餃子にラー油をかけるんだよなぁ。
やっぱり食って偉大だわ〜」
地球であろうと異世界であろうと、美味しい物を食べたい気持ちは変わらない。
幹太はますますこの世界が好きになっていた。
「よし!頑張ってこの世界にラーメンを広めよう!」
と、幹太が一人厨房で意欲を燃やしていた頃、店舗の外では怪しい人影が彼を観察していた。
「あれがアンナ・バーンサイドの婚約者…?なんだか冴えない男ね…」
怪しい人影はそう言い残して、夜の闇に消えていった。




