第五十四話 ビクトリア様御乱心!
「お、お姉様?お姉様〜?大丈夫ですかー?」
アンナは自分の姿を見てピキッと固まり、細かく震えるビクトリアの顔の前で手を振る。
「アンナちゃん…なんで指輪してない…」
そう言ったビクトリアの体からガクッと力が抜けた。
「お、お姉様!」
アンナは牛骨を放り出し、自分に持たれかかる様に倒れてくるビクトリアを慌てて支えた。
「アナっ!貴方なんて格好で!」
「あっ!そうでした!」
アンナはシャノンと二人でゆっくりとビクトリアを芝生の地面に横たえる。
「シャノン、すみません。
せっかく色々と考えてくれたのに…たぶん指輪の事もバレてしまいました…」
「はぁ〜もういいんですよ、アナ。
それよりもこれからどうするかを考えないと…」
とそこへ、屋台から様子を見ていた幹太が降りてきた。
「ア、アンナ、お姉さん大丈夫なのか?」
なぜかいきなり倒れたビクトリアを、幹太は心配そうに見ていた。
「だ、大丈夫ですよ。
たぶんちょっとビックリしただけだと思いますから…」
普通、ちょっとビックリしただけでは人は気絶などしない。
「ちょっとビックリって…?
ま、まぁ、とりあえず大丈夫ならいいけど…」
「はい。でも一応お部屋に運んでお医様を呼んでおきます。
ではシャノン運びますよ!せーの!」
そのまま二人でビクトリアを運ぼうとするが、アンナとシャノンではかなり身長差があり上手くいかない。
「じゃあ俺が運ぶよ。
二人共、とりあえず一回お姉さんを下ろしてくれるか」
この時、アンナとシャノンは幹太の得意とする人の運搬方法をすっかり忘れていた。
「よいしょっと!」
幹太は横たわるビクトリアを一気に肩の後ろに背負う。
「もうっ!幹太さんっ!」
「そうでした…この人はこうやって運ぶんでしたね…」
「あらあら〜、私もああして運ばれてたんですね〜♪」
芹沢幹太、得意のファイアーマンズキャリーだ。
すでに担ぎ上げるまでの一連のムーブは、人命救助の才能があるのではと思うほど手慣れてきていた。
「凄いです…次期女王であろうお姉様のパンツが丸出しです…」
「アナ、たぶん貴方も丸出しだったと思いますよ…」
「ビクトリア様、白いレースが素敵です〜♪」
第二王女、その護衛、村娘の三人はもれなくパンツ丸出しで幹太に運ばれた経験があった。
彼はそのままビクトリアを部屋まで運ぶ。
道すがら通りかかる使用人達をシャノンが必死で誘導し、第一王女の尊厳はかろうじて守られた。
「とりあえずお姉様をお部屋までお運びしましたが…シャノン、これからどうしましょうか…?」
呼吸とともに上下するビクトリアの胸元辺りを見ながらアンナが言った。
駆けつけた医者の話では、特に心配はいらないようだ。
幹太とソフィアは仕込みの片付けをする為に、すでにキッチンワゴンに戻っている。
「そうですね…もうこれ以上誤魔化すのは難しそうです。
まずはキチンとお話するのが最善のかと…」
アンナは王女であるが、これと言って決まった許婚などはいない。
異世界の一市民との婚姻となるが、幹太が受け入れさえすれば、アンナは強引にでも結婚式まで持ち込むつもりだった。
さすがはトラヴィス国王の娘である。
「シェルブルックは女王制でもありますから、世襲関係はビクトリア姉様が全て引き受けて下さいますからね。
アナが誰と結婚してもそれほど問題はないでしょう」
「えぇ、少し心苦しいですが…。
ふふっ♪でも、確かにお姉様ほど女王に相応しい方はいませんね♪」
アンナはウンウン唸るビクトリアの前髪を優しく整える。
長女でありしっかり者、さらには国民の間でも人気が高い。
よほどの事がないかぎり、アンナが次期女王というのはないだろう。
「では、素直にお話しするという方向で考えていきましょう。
まずはどのタイミングで…」
と二人がこれからの事について相談をしている頃、幹太とソフィアは仕込みの片付けを終え、王宮の中庭にある東屋で一息ついていた。
「ビクトリアさん大丈夫かな…?」
ビクトリアがなぜ倒れたか原因も聞かずにキッチンワゴンへと戻った幹太は、隣に座って水を飲むソフィアにそう言った。
「えぇ、たぶん。
ビクトリア様はたくましい方ですから〜」
とそこで、ソフィアが口元に手を当てしばらく何かを考え、幹太の方へグルッと向き直った。
「幹太さん、アンナ様の事はどうなさるんですか?」
突然そう聞くソフィアの表情は真剣だ。
話し方も、珍しく語尾も伸ばさずカチッとしている。
「ど、どうって?」
いつもののんびりとした雰囲気とは違うソフィアに、幹太は思い切り動揺する。
「幹太さん、この国における指輪の意味は聞いていらっしゃいますよね?」
「うん、ちゃんと聞いてる…」
「では、お返事はどうするおつもりですか?」
実はソフィアは普段一緒にいるメンバーの中では一番の年長者だ。
さらに村で早くから仕事をしていた彼女は、実家暮らしだったとは言えしっかりと自立した一人の女性である。
そんなソフィアに真顔で質問され、幹太は正直な気持ちを答えざるを得なかった。
「そうだな…その…女の子として気になってはいるよ。
ただ…由紀の事もあるから…」
「あぁ、先日の告白ですか…?
では由紀さんの事も…?」
「は、はい…たぶん好きなんだと…思う」
幹太は穴があったら入りたい心境だった。
一国の姫といつも支えてくれた幼馴染。
その二人を天秤にかけるような真似をしている自分が心底恥ずかしい。
「じゃあ二人とお付き合いなさっては?」
「オゥ!それはナイス!…って!?ソフィアさん!二人とお付き合いってどゆこと!?」
幹太はソフィアの提案にノリで良い返事をしたものの、よく考えると意味がわからない。
「いや、ダメ、ダメダメダメ!
そんな都合のいい事はできないよ!
だいたい!最後にはちゃんと一人を選ばなきゃいけないんだから!」
幹太はこの国の王族の仕組みをまだ知らなかった。
地球の歴史でも王族や権力者が、後継者を残す為に複数の妻を持つのはよくあることだ。
「えと…幹太さん、ご存知ないんですか?」
「な、なにをでしょうか?」
すでに幹太は正座で敬語だ。
「アンナさんとシャノンさんは異母姉妹ですよ。
トラヴィス国王様には奥様が二人いらっしゃいます。
シャノンさんと母君は王族の権利を放棄なさっていますが、本来ならば王妃様と王女様です」
「マ、マジで…?」
「えぇ、マジです♪」
驚愕の事実に震える幹太にソフィアがいつもの笑顔で答える。
「ですからキチンと幸せにできるのならば、お二人と結婚することは可能なんです。
それから…」
ソフィアは豊満な胸の谷間に隠れて先の見えないネックレスを首から外した。
「これは私の気持ちです…」
正面で正座する幹太に、ソフィアは真っ赤な顔でそのネックレスを手渡す。
ネックレスの先には、まるで彼女の人柄を表すように柔らかな光を放つ水晶でできた指輪が通してあった。
「あ、これって…ソフィアさん…?」
「私、村を出る時に決めていました…。
その、お嫁に行くなら幹太さんのところがいいと…」
ジャクソンケイブ村の住人達は野良仕事の邪魔になる為、普段は指輪やアクセサリー類を身につけていない。
彼女はこの旅に出る時、決意してこの指輪を持って出たのだ。
「幹太さん、私達三人を幸せにしてくれますか?」
と、恥ずかしそうに笑顔で聞くソフィアは、思わず幹太が目を離せなくなるほど美しかった。
その夜、
「アンナちゃんがはじめ人間っ!!」
目を覚ましたビクトリアがそう叫びながらガバッと起き上がると、そこは自室のベッドの上だった。
「あれ?私はなぜ部屋に…?
確かシャノンとソフィアと散歩をしていて…んんっ?あの後何があったのだ…?」
ビクトリアにとって、簡素な服を着て血塗れの動物の骨を持つ妹の姿というのはそれほど衝撃的なものだった。
「いや、少しずつ思い出してきたぞ。
確かアンナがかなり露出度の高い服でスプラッタ的な骨を持って…」
ビクトリアはベッドから降り、眉間に皺を寄せて部屋の中を歩き回る
「そうだっ!指輪をしていなかった…?」
そしてついにその事実を思い出す。
「こうしてはおれん!国中の男子を去勢しないと!」
王女は御乱心のあまり、婚約の阻止でなく、国を滅亡させる法案を成立させる勢いだ。
「しかし、相手はどこの誰だ…?
アンナの婚約者はことごとく私が潰したはず…」
アンナに婚約者がいないのはそういうわけであった。
ビクトリア自身も先の事は考えず、今の婚約者をうやむやにした後、アンナと仲良くこの国を治めるつもりであった。
「以前ではないとなると…?今回の旅でか…?
まさか!ジャクソンケイブの村長!?」
まず頭に浮かんだ権力者がそれであった。
しかし、ジャクソンケイブの村長はすでにかなりのお爺ちゃんである。
「ないな…それはない…。
つまりは芹沢幹太…彼しかいない」
ビクトリアに残されたひとかけらの理性が、正しい答えを導き出す。
「しかし、頭ごなしに言ってもアンナは言う事を聞かないだろう…。
だからと言って、芹沢幹太を亡き者にすれば…ダメだ!そんな事をしたらアンナは私と一生口を聞いてくれなくなってしまう…」
それを想像しただけでビクトリアは死にそうになる。
「仕方ないな…とりあえず芹沢幹太を見張って、なにか彼の弱みを見つけるとしよう。
なに、どうせ大した人間ではない筈だ。
大方、権力欲しさにアンナに近づいたに決まってる!」
勝手にそう決め付けて盛り上がるビクトリアは、アンナが心底幹太に惹かれている可能性をまったく考慮していなかった。
「しかし、一体誰を見張りにつければ良いのだ?
一番信頼できるのはクロエだが…」
クロエは馬車に轢かれそうになった幹太を助け起こした赤毛の女性である。
彼女はビクトリアの護衛であり、友人でもあった。
「ダメだな…私の護衛がいなくなればシャノンに気づかれる。
いっそのことムーア導師に頼むか…?」
ちなみにムーアはこの国の魔法協会の長であり、かなり偉い。
「いや、体力的に無理だ。最悪死んでしまう。
貴族連中も…無理か…」
王女の恋がらみという事情もあり、あまり自分から遠い人間に任せる訳にもいかない。
さらにビクトリアには頼れる友達も少なかった。
「もう、私が行くしか…」
コンコン!
と、そこまで思い詰めたところで部屋の扉が控えめにノックされた。
「ビクトリアちゃん、ローラよ♪」
ビクトリアの部屋を訪れたのはローラであった。
彼女はプライベートの時に限って、ビクトリアの事をちゃん付けで呼ぶ。
「あ!ハイッ!ローラお母様、今開けます…ハァ〜フゥ〜」
ビクトリアはヒートアップした思考を深呼吸して落ち着かせてから扉を開けた。
「はい、ビクトリアちゃん♪
ご飯持ってきたから食べてね♪」
ローラは倒れたビクトリアの為に温かいスープを作って持って来ていた。
「あ、ありがとう、お母様…」
ビクトリアはこの血の繋がりのない母親が大好きだった。
当たり前の事だが、ローラへの愛情は実の両親に対するものとまったく遜色はない。
「帰ってからちゃんと食べてないでしょ?
ふふっ♪ダメよ、キチンと三食食べないと♪」
そして本人の優しい笑顔を同様に、彼女の作る優しさいっぱいの料理もビクトリアは大好きだった。
「は、はい。わかってます…」
「久しぶりにアーンする?」
「い、いいです!自分で食べれます!」
そう言って恥ずかしそうにスープを飲むビクトリアを、ローラはニコニコと笑顔で見つめていた。
「ローラお母様、アンナの指輪の事は知ってましたか?」
「あぁ、幹太さんに贈った事?」
「はい…やはり知っていたんですね…」
「さすがジュリアの娘って感じよね、アンナちゃん♪
私も昔を思い出すわ〜♪」
「いいのですか!?アンナが異世界の男性なんかと…!」
ローラのあまりにフンワリした受け答えにビクトリアは思わず大声をあげた。
「そうね…。でも私も一般市民の娘だったから…」
と、それを聞いたローラが少し困った笑顔で言った。
「ご、ごめんなさい!そういう意味では!」
「いいのよ、ビクトリアちゃん。
アンナちゃんが心配なのよね?」
「はい。なので…」
とそこまで言ったところで、稲妻の様なヒラメキがビクトリアの頭に浮かんだ。
「ローラお母様!お願いがあります!」
ビクトリアはいきなりガバッとローラの両肩を掴んで叫ぶ。
「お願い?良いけど、何かしら?」
『フッフッフ、待っていろよ芹沢幹太!
文字通り料理の王妃様が、お前のラーメン屋とやらを成敗してくれる!』
と、ポカンとするローラを置き去りにして、ビクトリアはニヤリと笑うのだった。




