間話 ケリーとジェイ⑧
最初は、少し機嫌が悪いだけかなって思っていた。
「わっ!こりゃ熱い」
だけど、泣いているジュリエットを抱っこしてみると、いつもよりかなり熱い。
「これは熱があるね…」
「あーう!あー!」
「どうしたの?」
そこに珍しくジェイが早く帰ってきた。
「あ、ジェイ。私、病院に行ってくるね」
「えっ!ジュリエット? 」
「うん。この熱はちょっと気になる」
保育士と掛け持ちとはいえ、看護の仕事をしていると、たまにこういう予感がする時がある。
私は慌てるジェイに留守番を任せ、すぐにジュリエットを病院に連れていった。
「う〜ん、けっこうな高熱だね…」
私が勤め先の病院に着くと、運良く小児科の先生が宿直をしていた。
「もしかしたら、細菌性の病気かもしれない…」
診察魔道具の技師でもある先生は、さっそくジュリエットを魔動診断機の上に寝かせて、診察を始めてくれた。
「古い魔道具だから、わかるといいけど…」
しかし、その日、残念ながらジュリエットがなんの病気なのかはわからなかった。
「ケリー、ジュリエットは?」
私が帰ると、すぐにジェイが不安そうな顔でそう聞いてくる。
「それが、まだわからないって…」
「えぇっ!大変じゃないか!
それで、ジュリエットは?」
「入院だから、ひとまず着替えを取りにきたの」
「にゅ、入院って…」
「ジェイ、ジュリエットぐらいの子が入院するのは良くあることよ」
「だ、だけどっ!」
「落ち着いて…この国の小児医療は、この大陸で一番なんだから…」
私はジェイを抱きしめ、自分にも言い聞かせるようにそう言った。
「な、何か僕にできることは…?」
「荷物がいっぱいだから、とりあえず病院まで一緒に来てくれる?」
「うん」
それから数日、ジュリエットはたくさんの検査を受けたが、結局、彼女の病気がなんなのかはわからなかった。
そんなある日。
「数日後に、新しい検査魔道具が来る予定なんだ。
シェルブルックの大導師様とリーズ公爵家の共同発明でね。今までわからなかった病気も診察できるものだから、来たらすぐにジュリエットさんを診てみよう」
先生は苦しそうに小さなベットで横になるジュリエットの隣でうなだれていた私に、そう言ってくれた。
「…はい。よろしくお願いします」
だけど、その魔道具が到着する前日に容態が急変して、ジュリエットはそのまま眠るように息を引き取った。
「ケリー…今、なんて…?」
「ジュリエットが…死んじゃったの…」
私はそのことを、こんな日も仕事をしていたジェイに彼の職場で伝えた。
「そんな…まさか…あ、あれ…?明日、新しい魔道具が来るって…」
「だから!それが間に合わなかったんだってばっ!」
私は泣き喚きながら、彼に掴みかかる。
「なんで!なんで一緒にいてくれなかったのっ!」
「……ごめん」
「ごめんじゃない!ごめんじゃすまないの!
ジュリエット、最後にパパ、ママって言った!
けど、ジェイはいなかったじゃない!」
「……」
「どうして!どうしてよ!」
「…ケリー、ごめん…僕…僕は…」
そうして私たちの最愛の娘、ジュリエットは天国に行ってしまったのだ。
「ケリーさん!」
「あ…」
市場に向かう途中、ミリアさんに話しかけられたのは、ジュリエットの葬儀が終わって、ひと月ほど経った頃。
「大丈夫ですか…?」
あとでミリアさんに聞いたら、私は真っ青な顔で、フラフラしながら道の真ん中を歩いていたらしい。
「こんな時に近くにいれなくてごめんなさい」
ぜんぜん悪くないのにミリアさんは私に謝ってくる。
「違うわ、ミリアさん。あそこから引っ越したのは、私たちの方なんだから…」
ジュリエットが熱を出す少し前に、私たち家族はヘルマンさんのところから、ジェイの職場に近い家に引っ越していたのだ。
「うん。けど、もし何かあるんだったらなんでも言ってください」
「…だったら、ちょっと時間ある?」
これ以上、この心優しい女の子に心配をかけたくなかった私は、気力を振り絞って彼女をお茶に誘った。
「ミリアさん、元気だった?」
「う、うん。私は…それより、ケリーさんだよ…」
「そうだね。さすがに、元気とは言えないかな…」
私が力なく笑いながらそう言うと、ミリアさんは私の手に自分の手を重ねてくれる。
「ジェイさんはどうしてるの?」
「ジェイ…ジェイは…あれからあんまり帰って来てなくて…」
「あれからって…お葬式の後からってこと?」
「…うん」
そうなのだ。
ジェイはジュリエットの葬儀が終わった後から、あまり家に帰ってこなくなっていた。
「ウソ…ジェイさん、何やって…」
「たぶん…この悲しさを、どうにかしようとしてるんじゃないかな…」
「け、けど、それじゃケリーさんがっ!」
「そうだけど…ジェイもいっぱいいっぱいなんだと思う…」
ジュリエットが亡くなってから葬儀を終えるまで私たちはさんざん泣いて、そしてその後、ジェイは何かに追われるようにレストランの仕事に戻ってしまった。
「それに私もね、何かしてないと、悲しすぎて動けなくなっちゃうの…」
「ケリーさん…」
「…だから今日も、何の予定もないのにこうして外に…」
そう言いかけた私の手を、ミリアさんは強く握った。
「…わ、わたし!私も今日はなにも予定ないですっ!」
あぁ、本当に、この子はどうしてこんなにも優しいのだろう。
こんなにおめかしをした予定のない女の子なんて、どこにもいるはずないのに。
「ジュリエットのためにも頑張らないとな…」
そうしてそれから何度も、ミリアさんや家族、さらにはアダムやヘンリーにまで励まされ続けた私は、徐々にこのままではいけないと思えるようになってきた。
「よし!まずは仕事しなきゃ!」
ジェイの稼ぎは充分だったけど、私だって、一日中家にいてもしょうがない。
「だけど、大丈夫かな…私」
とはいえ、今の私にできる仕事は子供と関わるものしかない。
「まずは保育のお仕事だけにするのがいいと思うわ」
私と同じく、子供を亡くしたことのある同僚にそう進言された私は、まずは保育士の仕事を再開することにした。
「「「ケリー先生!お帰りなさい!!」」」
「うん!みんな元気だった?」
「「「うん♪元気だったー!」」」
最初は子供たちを前にして自分がどうなるか不安だったけど、毎日みんなの元気な姿を見ているうちに、少しずつだけど、自分も元気を取り戻しているのを感じていた。
「ジェイはどうしてるんだろ…」
そうなると、気になるのはそのこと。
私の職場には、前に相談に乗ってくれた人のように私と同じ経験をした人もいるし、子供たちのお母さんの中にも、私の状況を知って親切にしてくれる人もいる。
「ジェイにはそういう人がいるのかな…?」
この頃のジェイは、何日かに一回ってぐらい家に帰ってきて、晩ご飯を食べたらすぐに職場に戻るという生活をしていた。
「ん〜?けど、別に嫌いになったりはしてないのよね…」
たまに言葉使いがちょっと乱暴になったり、私と目を合わせてくれなかったりはするけど、ジェイの根本はジェイのままだったし、そんな彼を私が嫌いになるようなこともない。
「あ…でも、ジェイの方…いや、それも大丈夫っぽいわね…」
少なくとも、少し前に私が仕事を再開したいと相談した時のジェイは、本気で私を心配してくれていたし、あの時のあの顔は、絶対に私とジュリエットにしか見せたことがない表情だったはず。
「つまり、あっちにもまだ愛情はあるってワケだ」
そう思った私は、少なくともむこうが愛想を尽かすまでは、変わらずジェイを愛し、支えようと決めた。
「よし!そうと決まれば、まずはお料理の勉強をしなきゃだわ!」
たぶん、私が昔と変わらずジェイを愛している理由の一つは、この町に来たばかりの頃に、まんまとジェイに胃袋を掴まれたから。
人を愛する気持ちは、日々を生きる活力になる。
ならば、今度はこっちの番だ。
「よーし!ジュリエット!お母さん、頑張るからねー!」
私は大きく伸びをして、晴れ渡る空に向かってそう叫んだ。




