間話 ケリーとジェイ ①
海ばかりのこの国には珍しい山の中の小さな村、私はそこで生まれた。
「お母さん、行ってきます」
「あぁ、気をつけてね、ケリー」
「いってらっしゃい、おねぇちゃん…」
私の名前はケリー、つい最近十二歳になったばかりの女の子。
今日も家事をするお母さんと、同級生のお迎えを待つ妹に見送られ、私は学校へと向かう。
「おはよう、待った?」
と、その前に、隣に住む同級生の男の子を迎えに行くのが私の日課だ。
「ううん。おはよう、ケリー」
私にそう返事をしたのは、おかっぱ頭のちょっぴり太った男の子。
「うん♪おはよう、ジェイ」
「…いく?」
「そうね♪行きましょ♪」
私はジェイと手を繋ぎ、いつもの道を学校に向かって歩き始めた。
「ジェイ、ちゃんと宿題はやってきた?」
「…うん。やった…」
「全部できた?」
「できたけど…ケリーは?」
ジェイはそう聞きながら、私の手をキュッキュッっと二回握る。
これは彼が私に質問する時に、よくやる癖だ。
「うっ…い、いくつか算数でできない問題があったわ…」
「…ケリー、ちゃんと授業を聞かないから…」
「ちゃ、ちゃんと聞いてるわ!」
「でも、昨日もおしゃべりしてて先生に…」
「あ、あれはルーシーと授業のことで話してたんだってば!」
「…そうなんだ」
私とジェイはいつもこんな感じ。
ジェイは物静かで真面目な頭の良い男の子で、私はお転婆でちょっぴり勉強が苦手な女の子という、正反対の二人だった。
「で、でも最近…ちょっと授業についていけてない気もする…な」
そう言いながら、私はジェイと繋いだ手にほんの少しだけ力を入れた。
「…良かったら、二人で勉強する?」
そうすると彼は、必ず私が望んだ通りのことを言ってくれる。
「いいの?」
「うん…」
「やった♪じゃあ、今日からでいい?」
「うん。わかった…」
「あ、でも、それじゃあ私だけ得しちゃう…」
私はジェイの顔を見ながら、う〜んと考える。
「よし!じゃあ私がジェイにかけっこが早くなる方法を教えるっていうのはどうかしら?」
これは自慢だが、私は男の子と女の子を合わせても学校で一番、足が速いのだ。
「え、えぇ…ケリーに教わるの…?」
「そうよ、嫌?」
「い、嫌…っていうか、ケリー、すごく厳しいから…」
「えぇっ!私、ジェイにそんなに厳しくなんかしたかな?」
私の記憶では、私はいつもジェイに優しくというか、激甘で接していたはず。
「泳ぎを教わった時、僕、川流された…」
「そ、それは…ジェイが流れの強いところに行ったから…」
「違うよ…あれはケリーが川と一体になるのよとかワケのわからない事を言って、僕を押したから…」
「あ、あれ?そうだったかなぁ〜」
私は目を泳がせながら、ジェイと繋いだ手を大きく振った。
「…それに、僕、ケリーに教えるって言ってないよ」
「えぇっ!じゃあ私はこのままどんどん勉強ができなくなっちゃうじゃないっ!」
危機感を覚えた私は、なぜかジェイの胸ぐらを掴んでいた。
「ち、ちがうよ。ケリーと僕は一緒に勉強するの…だから、僕もケリーに勉強を教えてもらいたい…」
「あぁ…」
勘違いに気づいた私は、すぐにジェイの胸ぐらから手を離した。
たぶん彼にわからなくて、私にわかる問題なんかないけど、ジェイは本気でそう言ってくれている。
「ありがとうね…ジェイ」
「?」
私はこの男の子のそういうところが大好きだった。
「そうね♪ジェイのわからないことは、私がなんでも教えてあげるわ♪」
私たちは毎日そんな話をしながら、学校に通っていた。
「ジェイ、また女と学校にきたのか?」
そして今日も教室についてすぐ、ジェイはガキ大将のアダムとその子分みたいなヘンリーにこづかれている。
「…や、やめてよ…」
「ちょっと!アダム!ヘンリー!どーして私とジェイが一緒に学校に来ちゃいけないわけ?」
私はジェイを守るようにして、アダムたちとの間に割って入った。
「あ…い、いけないってわけじゃ…」
「べ、べつに…」
「なら黙ってなさいっ!」
「「はいっ!」」
これも最近の日課だった。
小学舎の高学年になった頃から、他の女の子たちは男の子との通学をやめて、女の子同士で学校に通い始めた。
なので、数少ない男女で通っている私たちは、しばしばクラスメイトにからかわれることがある。
「ご、ごめんね…ケリー…」
「なんでジェイが謝るのよ。悪いのはアダムとヘンリーだわ」
「そ、そうだけど…僕、男の子なのにケリーに守ってもらってて…」
「へっ?そんなのどっちでもいいんじゃないの?」
「だ、だけど…」
「ん〜?だったら、いつかジェイが私を守ってね♪」
「…うん。わかった」
そんな毎日が続いて、気がつけば私たちは高等舎の生徒になっていた。
「…ねぇジェイ」
「なに、ケリー?」
十八歳になったばかりのジェイは、幼い頃よりは痩せて私より背は伸びたけど、カッコ良いとまでは言えない男の子で、私はなかなか見目麗しくなったんじゃないかと、自分でも思うぐらいに成長していた。
なぜかぜんぜんモテないけど。
「私たち、何年一緒に学校に行ってるかしら?」
「十四…いや、十五年かな…」
それを聞いた私の顔から、サァッと血の気が引いていく。
「ね、ねぇジェイ、さすがにマズくない…?」
「うん?どうして?」
本当にわからないといった顔で、ジェイが私の方へと顔を向けた。
「っ!」
最近、ジェイの顔を見ると、なぜかドキドキする。
「だ、だって…付き合ってもいないのに男女で通ってるのって、私たちだけだよ…」
私はそれを悟られないように、ジェイと話を続けた。
「…ケリーはもうやめたい?」
そしてジェイもなんでもない風を装って、私にそう聞いてくる。
「…やめたくない」
「じゃあそれでいいじゃん」
「わ、私だけじゃなくてジェイはどうなの?」
「えぇっ!ぼ、僕も言わなきゃダメ?」
「そ、そうよ…ジェイは私と一緒に通いたい?」
「…べつにどっちでもいいけど…できれば一緒に通いたい…かな」
彼は恥ずかしそうにそっぽを向いて、すごーく小さな声でそう言ったのだ。
「…フ、フフッ♪」
「ちょ、ケリー…?」
「フフッ♪そっか、ジェイはまだまだ私と学校に行きたいのね…フ、フフフッ♪」
「ま、まだまだなんて…っていうか、なんで笑うんだよ!」
「フフッ♪べーつにー♪」
そして高等舎の卒業も迫ってきた頃、私にあるお誘いがきた。
「えっ?私にお見合い?」
「そうよ、ケリー」
母は嬉しそうに、私の村ではまだ珍しい写真を見せてきた。
「おぉ…これは、カッコイイ…かな?」
普段、男の子の容姿を気にしない私がそう言ってしまうほど、写真の男性はイケメンだ。
「でも、この歳でお見合いって早くない?」
そう言った私に、母は深刻な顔をして近づいてきた。
「…いいかい、ケリー…」
「う、うん…」
「確かにあなた、見た目は良いわ…」
「あ、ありがとう、お母さん…」
「でもね、そう…たとえば、お隣のジェイとデートするなら、あなたは何を着て行く?」
「ジェイとデート…」
それを想像すると、なぜだか顔が熱くなってきた。
「だ、だって私たち、いつも制服…」
「違うわ、ケリー。学校帰りじゃなくて、お休みの日よ」
「お、お休み、お休みね…」
「そうよ。さぁケリー、イメージしてみて、イメージ…」
母はそう言いながら、さっきよりもっと顔を近づけてきた。
「ん〜?いつものシャツにスカート…でいくかなぁ〜?」
「はい!ケリーさん、ブー!!」
「えぇっ!なんでよっ!?」
「乙女は普段着なんかでデートしませんっ!」
「えー!そ、そうなの…?」
私は隣で呆れ顔をしている妹のジョーを見た。
「うん…おねぇちゃん、いくら相手がジェイお兄ちゃんでもそれはない」
「うっ…そうなんだ」
「じゃあ二問目…場所はそうね、ここじゃ村の中でお散歩するぐらいしかないから…お昼はどこで食べるの?」
「お昼…ジェイと…ん〜?」
私は困った。
というのも、この村にデートで行けるようなレストランは一つしかなく、しかもジェイはそこでアルバイトをしている。
「そうよ!うちで食べればいいんだわっ!」
最高の案を思いついた私は、二人に向かってドヤ顔でそう言った。
「あぁ…ケリー…」
「お、おねぇちゃん…」
そしてその途端、二人は頭を抱えた。
「な、なによ…じゃあジョーならどうするっていうの?」
「えぇっと…私がこのあいだアダムくんとお出かけした時は…」
「うそっ!ジョー、アダムとデートしたの!なんでっ!?」
私は悲鳴を上げるがごとく、大切な妹にそう聞いた。
「したよ。おねぇちゃんこそ、なんでってなんで?」
「だ、だって、アダムはいじめっ子で…」
「それって小学舎の頃の話でしょ。
アダムくん、今は優しいし、カッコいいよ」
「うそっ!本当に?」
正直、私に印象は全くない。
「うん。それにいじめっ子って、アダムくん、そんなに悪いことしてたの?」
「えっと、私とジェイの仲をからかうとか…」
「はぁ…そんなもんでしょ。
アダムくん、今はジェイお兄ちゃんとも仲良しな感じがするし」
「た、確かに…そう言われると、ジェイのレストランでよく話してるとこ見る…か…」
私は首を傾げながら、ジェイとアダムとヘンリーが仲良くレストランで話をしている光景を思い出す。
「そ、そうなのね。で、ジョーはアダムとどこに行ったの?」
「丘の上の公園に行って…」
「あ!なるほど、公園の手間にある焼き鳥屋さんね♪
あそこ、タレが最高に…」
「…おねぇちゃん、私、デートで昼から飲んべえのおじさんがたくさんいるお店には寄らないよ」
「あ、そ、そっか…そうだよね」
さすがの私でも、それは嫌かもしれない。
「あのね、私、お弁当を作ったの…」
そして妹は、少し恥ずかしそうにモジモジしながらそう言ったのだ。
「えっ!ちょっと待って、お姉ちゃん、ジョーのお弁当食べてない!」
「ケリー…」
「おねぇちゃん…」
なぜ二人はこんなにも悲しい顔をするのか。
妹が作ったお弁当を一番に食べるのは、お姉ちゃんに与えられた当然の権利なはず。
「いい、ケリー、これがデートに臨む乙女の心構えなの」
母はジョーの肩に手を置き、私の前に押し出した。
ちなみに私のジョーはめっちゃカワイイ。
いつだって最高にキュート。
だから自然に頭を撫でちゃう。
「えっ?だって、私がジェイにお弁当を作るの…?」
ジェイには悪いが、そんなの全く想像もできない。
なぜなら私より、レストランで働いている彼の方が料理が上手いから。
「そうよ!ジェイにお弁当を作ってもらえばいいんだわ♪」
再びドヤ顔でそう言った私に向かって、二人は心底残念そうにため息をついた。




