第310話 庶民の味
「それで…と、こりゃ幹太たちのものじゃないか?
と、マルコはナーマルの頭をなでながら背後にあった缶を取る。
「マルコ様、それは私が市場で買ってきたものです」
「あ〜なるほど…それでここにあるんだ」
「はい。ですが、マルコ様はなぜこれが幹太様のものだと?」
「いやまぁ文字を見てみれば一発でわかるけど…」
しばらくシェルブルックにいたマルコは、姫屋のあちこちにある日本語の文字をうっすら覚えていた。
「まぁ盗んだのは君たちじゃないんだし、それに買ったのならギリギリ正攻法って感じかな♪」
「マルコ…いいの?」
そう言って、ハンナはマルコの腕を引く。
「うん、いいと思うよ。
そうだな…たとえばこれを幹太に言ったとして、ハンナはどうなると思う?」
と、夫に聞かれたハンナは、頬に手を当てて考える。
「う〜ん?そうねぇ…なにも変わらな…い?」
もしこの状況を幹太に伝えたとしても、ハンナにはあの姫屋の面々が怒ったり抗議したりするとは考えられなかった。
「ハハッ♪そうだろ♪
だから僕は、このままでいいと思うよ」
「そうね♪」
ハンナはマルコから手を離し、調理台に置かれた鶏のスパイス焼きに顔を近づける。
「ん〜♪でも、これって本当にいい香り♪」
「だね♪僕らの国の料理でも似たような香りがするものはあるけど、ここまで食欲をそそる香りがするのはなかなかないね♪」
「お二人も食べてみますか?」
「「はい♪」」
二人は揃っていい返事をして、アメリアが切り分けてくれたスパイス焼きを食べてみる。
「あ、美味いっ!」
「すっごく美味しいわ♪」
二人はスパイス焼きを頬張りながら笑顔で向かい合う。
「ハンナ…こりゃもしかして…」
「そうね、マルコ。このままでも名物料理になりそうよね♪」
見つめあっていた仲良し夫婦は、同時に鶏肉を飲み込み、ナーマルの方を見た。
「…僕もそう思いましたけど、残念ながらこれはアメリアさんの作ったものですから…」
「そうか!これはアメリアの肉料理なのか…どおりで…」
アメリアの作る肉料理は、シェルブルックや日本で様々な肉料理を食べてきたアンナさえ虜にするほどの美味さなのだ。
「何かアメリアを手伝って、ナーマルも作ったことにするわけにはいかない…よな」
「はい。それは無理です」
「…ナーマルさんは何を作るか決まっているんですか?」
そう聞いたのは、ハンナである。
「いや、まだですけど…」
「…でしたら、ラーメンを食べたことは?」
「……」
「ナーマル、もしかして…?」
「は、はい…マルコ様」
「君、ラーメンを食べたことがないのかい?」
「ざ、残念ながら…」
ナーマルは恥ずかしそうにそう答える。
「ナーマル…君はゾーイの夫…幹太を調査したんだよね?」
「はい。見慣れない料理を出す屋台の主人であることまでは調べてたんですけど…」
「確か…ジャクソンケイブにも行ったんだよね?」
「い、行きました…」
「あそこの食堂に幹太とアンナ様が作ったラーメンがあるんだけど、それも食べてないってこと?」
「…はい」
「そりゃまたどうして…?あの村の食堂に行くだけで、幹太のことがずいぶんとわかるのに…」
「ぼ、僕だってそうしようと思ってましたよ…けど、まさかあんなに早く追手が来るとは…」
「あ〜、そういえばクレア様は馬車の馬を替えながらお母様を追っかけていたからね…」
そして幹太たちがナーマルの予想よりも早くジャクソンケイブに着いたのは、故郷のあるバルドグラーセン山脈を知り尽くしたソフィアが御者をしていたからである。
「その割には、ずいぶん余裕ぶっていたみたいだけど…」
マルコは初めてナーマルと会った時の話を、幹太から聞いていた。
「そ、それは…」
「マルコ様、ナーマル様は芹沢様にナメられぬよう、精一杯、虚勢を張っていたのです」
「ア、アメリアさんっ!そんなハッキリ言わなくてもっ!」
「あ、なるほど…ゾーイの前でカッコ悪い所を見せたくなかったってわけだ♪」
「フフッ♪男の子なんですね、ナーマルさん」
「え、あ…いや…そういうわけじゃ…」
「え…?じゃあどうして…」
「…ナーマルはまだみたいだけど、アメリアはラーメンがどんな料理か知ってるの?」
と、ハンナの質問を遮るようにマルコが聞く。
「…知ってます」
「じゃあ食べたことは?」
「あります。私だけでなくリンとミンも、あの村のラーメンは食べましたから…」
「なるほどね、アメリアは食べてるんだ♪」
マルコはアメリアの顔を見つめ、ニヤリと笑う。
「アメリア…例えばこの鶏肉を勝負に出したとして幹太に勝てると思う?」
「それはムリでしょう」
マルコの質問に、アメリアはそう即答する。
「なぜそう思うのかな?」
「あれは…あのラーメンという料理は、あの一杯だけで食事として完成されていましたから…」
「一杯で食事として完成…?」
そう聞いたのはハンナだ。
「えぇ…」
「あ!主食もおかずも全部ってこと?」
「そうです。私たちの国にも麺に具を載せた料理はあります…ですけど、あれほど具にこだわった麺料理はまだロシュタニアにはありませんから…」
「そうか…アメリアたちはジャクソンケイブでラーメンを食べたから…」
「うん♪あそこのラーメンは麺と具とスープ、全部が最高だったもんね♪」
「…ですね。ジャクソンケイブ産の食材で作っているとはいえ、あそこまで麺と具のバランスが良くとれている麺料理は、私も初めて食べました」
そう言って、アメリアは珍しくため息をつく。
「だってさ♪どうする?」
と、マルコはナーマルに聞く。
「それでも僕は負けません」
ナーマルは拳を握り締め、そう答えた。
「…ナーマルさん、これはなんです?」
とそこで、なんとなく厨房を見回していたハンナが鍋の中でふつふつと沸騰する透明なスープを見つけた。
「それは鶏のスープです」
「鶏のスープ…?」
「はい」
ナーマルは鍋の上に掛けられたお玉を手に取り、スープを掬う。
「良かったら、どうぞ」
「あ、ありがとうございます♪」
ハンナはお玉を受け取り、フゥーっと吹いて冷ましてから口にした。
「あ♪これも美味しいですよ♪」
そう言って、ハンナはお玉をマルコに手渡す。
「本当だ…これも対決のための料理なのかい?」
味見したマルコは、ナーマルにそう聞く。
「いいえ…これはこのスパイスの味見のために作ったんですけど…」
「だったら、今から作ってみてくれないか?」
「え?まぁ、いいですけど…」
ナーマルは大きな鍋で煮出していたスープを小さな鍋に移し、先ほどアメリアと共に調合したスパイスを入れる。
「お〜♪いい香りだね♪」
「そうね…けど私、この香り、どこかで嗅いだことがあるような…」
「えっ!ハンナもかい?」
「ってことは、マルコも?」
二人はそう聞きながら、スープを飲む。
「うん。これは…どこだったかな…?」
「やっぱり、味も知ってる気がするわ…」
「…この国の市場ではないのですか?」
夫婦にそう聞いたのはアメリアだ。
「うん。似たような香りは市場でもするけど…」
「そうね。こっちの大陸に来てから似たような香りは嗅いだ気がするけど…ちょっと違うのよ…」
マルコとハンナは、スープの前で首を左右に傾けながら記憶を掘り起こす。
「あぁっ!シェルブルックだ!」
そして、先にその香りを思い出したのはマルコであった。
「シェルブルックって…お城で食べたってこと?」
幹太たちの結婚式に出席するためシェルブルックを訪れたマルコとハンナは、ブリッケンリッジの王城に泊まっていたのだ。
「うん…確か…結婚式が終わってしばらく経った後に、由紀さんが料理を作ってくれたろ?」
「それって…結婚式からずっと料理が豪華すぎて、もう限界ー!って言って作ってくれたやつ?」
「そうそう…なんて言ったか…由紀と幹太の国の料理…」
「…そうだわ。確か、二人の国では知らない人がいないほど有名な料理だって言ってた…」
「え〜と…」
「ん〜と…」
夫婦は腕を組み、再び首を左右に傾けながら考える。
「マルコ様、由紀様が作ったのならば、由紀様に聞け…」
「あ!そうだ!」
「そう!思い出したわっ!」
そして二人は向かい合い、手を合わせてその料理の名を呼んだ。
「カレーだ!」
「カレーだわ♪」




