第309話 異世界スパイス
一方その頃、対戦相手のナーマルは、ライナス家のキッチンで頭を抱えていた。
「どうしょう…ロシュタニアの名物になるような料理…」
「ナーマル様…」
「アメリアさん…何かキッチンに用がありましたか?」
ナーマルに声をかけたのは、オルガ付きのメイドであるアメリアだった。
「いえ、私もお手伝いしようと思いまして…」
「それは助かるけど、オルガ様に許可は…」
ナーマルがライナス家のキッチンで働く前から、アメリアはメイドだけでなく料理人としても働いている。
「大丈夫です。そのオルガ様からナーマル様を手伝ってきなさいと言われましたから」
「…そう。じゃあお願いしようかな」
正直、この提案を断る余裕は今のナーマルにはなかった。
「はい…」
「さっそくなんだけど、アメリアさんはロシュタニアの名物料理って何か浮かびます?」
「…辛い料理全般という以外は、これといって浮かびませんね」
「やっぱりそうですか…」
「辛いと言えば…先ほど市場でこんなものを見つけましたよ…」
そう言ってアメリアがエプロンのポケットから出したのは、小さな赤い缶だった。
「これは…なんて書いてあるのかな?」
ナーマルは缶を手に取ってそう言う。
缶に書かれた文字は、少なくともこの大陸ある国にものではなかった。
「これ、開けてみました?」
「はい。中には香辛料が入っていました」
「香辛料…それは料理に使えそうなやつですか?」
「そう思って、持ってきたんです…」
アメリアはナーマルから缶を受け取り、上部に付いた丸い蓋を開ける。
「ん〜?なんだか嗅いだことがあるような?」
ナーマルは缶の中の粉の匂いを嗅いでそう言った。
「ナーマル様もですか…」
「ってことは、アメリアさんも?」
「はい。様々な香辛料が混ざってますけど、主なものは私たちも知っているものだと思います」
「…ちょっと試してみますか?」
ナーマルとアメリアはスパイスを皿に開け、指先に付けて舐めてみる。
「あ、これ…」
「はい…ダルミンドですね」
それはロシュタニアでよく料理に使われるスパイスであり、もしこの場に幹太と由紀が居たなら、缶を見ただけで何の料理に使われるかわかるものだった。
「…これを市場で?」
「はい。奥の方にある店で…」
「奥の方って…アメリアさん、泥棒市に行ったの?」
泥棒市とはその名の通り、盗品を売る市場である。
人の出入りの激しいロシュタニアは、こちらの世界の中ではほんの少しだけ治安の良くない土地なのだ。
「ナーマル様…」
「あぁ、ごめん…そういう雰囲気ってだけで、盗んだものを売ってるって確定してるわけじゃないんだよね…」
「はい…まぁですが、これは盗品でしょう」
正直すぎるアメリアの一言を聞き、ナーマルはズルッとずっこけた。
「け、けどアメリアさん…あの辺りで売っていたとしても、それが確実に盗品ということは…」
「えぇまぁ…ですけど、私はこの見たことのない文字が書かれた缶に見覚えがあるんです」
「見覚え…?それってシェルブルックで売ってたとかじゃなくて?」
そんなナーマルの言葉に、アメリアは黙って首を振る。
「…あちらの大陸共用語ならば、私もナーマル様もわかるはずです」
「あ、そういえばそうか…だったら、アメリアさんとどこでこれを…」
と、そこまで言って、ナーマルは何かに気づいた。
「…もしかして、これはゾーイ…いや、アンナ様たちから盗まれたもの…なのかな?」
「…えぇ、そうです。
アンナ様たちの調査中に、姫屋の屋台でその缶を見ましたから…」
「つまり…これは異世界から来たものなの?」
幹太や由紀が異世界人であることは、アンナとの婚約の時に大々的に新聞に載っている。
「…その可能性が高いです」
「ふ〜ん…」
ナーマルはスパイスの載った皿を見つめながら考える。
「アメリアさん…あなたならこのスパイスをどう使いますか?」
「私ならなんらかの肉にかけて揚げてみます」
と、アメリアは即答する。
「なるほど、これをそのまま調味料として使うんだね♪」
「はい。ナーマル様でしたら、どうしますか?」
「ん〜?ちょっと味の想像ができないから、鶏のスープと混ぜてみるかな…」
そう言って、ナーマルは改めて皿の上のスパイスを舐める。
「うん。やっぱり、これってダルミンド他に何かスパイスが混ぜてあるね…」
「はい。まずはダルミンドに何か混ざっているのかを調べた方が良さそうですね」
「うん。このスパイスを使うならね…」
ナーマルは指先に付いたスパイスを拭き取りながらそう言った。
「…でしたら、ひとまず料理をして、味見をした後にしましょう」
「そうだね…そうしょう」
そうして、アメリアは味見のための調理を始める。
「味見なら鶏肉がいいでしょう」
とはいえ調理と言っても、先ほどのスパイスと塩と胡椒を鶏肉にすり込み、衣を付けて揚げるだけの簡単なものだ。
「できました」
「うん。めちゃくちゃ簡単だったね…」
「はい。私にとっての肉料理の極意は、凝った調理をしないことですから…」
「なるほど、言われてみればそうかも…」
ナーマルは香ばしいスパイスの香りのする熱々の鶏モモの唐揚げを切り分け、一つ口にする。
「あ、美味しい♪」
ナーマル続いて、アメリアも食べた。
「…えぇ、美味です」
「香りもいいし、優しい辛さでこれはいいかもしれないね♪」
と、ナーマルは久しぶりの笑顔でそう言う。
「ですね。なんとなく他のスパイスもわかる気がしますし、まずはこのスパイスを作る事から始めてみましょう」
そうしてこのスパイスを料理のメインに使うことにしたナーマルとアメリアは、さっそくスパイスの調合を始めた。
「…できましたね」
「う、うん。ほとんどアメリアさんがやってくれたし、めっちゃ速攻だったね…」
ちなみに複数混ぜたスパイス自体は、元々ライナス家の厨房にあったものである。
「まずはさっきと同じ料理で食べてみる?」
「はい。それがいいでしょう」
そして二人は出来上がったアメリア製スパイスを、先ほどと同じように鶏肉にすり込んで揚げて味見する。
「あ…これも美味しいね」
「えぇ…それに、先ほどのスパイスとほぼ同じ味です」
「うん♪とりあえず成功だね♪ありがとうアメリアさん♪」
ナーマルはアメリアの手を握り、上下に大きく振った。
「よし!じゃあ、改めてこれをどんな料理に使うかだけど…」
と、ナーマルがそこまで言ったところで、キッチンの前をマルコとハンナが通りかかった。
「あれ?この香りは…」
「マルコ、これって…」
香りに釣られてキッチンを覗いた二人は、笑顔で手を繋ぐナーマルと相変わらず無表情のアメリアは見た。
「あ、あれ?ナーマルはゾーイが好きなんじゃないの?」
「そ、そんな…た、確かにアメリアさんの方がゾーイさんよりスタイルがいいですけど…」
と、テンパった二人はあらぬ疑いをナーマルにかけ始める。
「違いますっ!今のは喜びのあまり手を握ってたんですっ!」
「あ、なんだ…」
「そ、そうなんですね…」
「まったく、マルコ様は…」
「けど、喜んでたってことは、名物料理に何か進展があったってことかい?」
と、マルコはキッチンに入り、調理台を見ながら言う。
「い、いや…それは…」
「対戦相手と仲の良いマルコ様には秘密です」
慌てるナーマルの代わりに、そう言ったのはアメリアだ。
「ん〜?それはどうかな…」
「どうかなって…マルコ様はゾーイの味方ですよね?」
ナーマルはアメリアが持ってきたスパイス缶を、体の背後に隠しながらそう聞く。
「それはそうだけど、僕はナーマルの情報をゾーイたちに伝えるようなことは絶対しないよ」
「それはありがたいですけど…なぜです?」
「だって、ナーマルだって家族でしょ♪」
小さな頃からライナス家に出入りしていたナーマルは、マルコにとってゾーイや他の兄弟たちと変わらない存在なのだ。
「だから僕は、どっちも応援してるのさ♪」
マルコは笑顔でそう言って、ナーマルの頭を撫でた。




