第283話 身代わり
「うわっ!」
「わっ!煙?」
「芹沢様っ!」
一気に煙が広がる中、幹太たち三人はとっさに抱きしめ合う。
『やばいっ!これ眠り香じゃないぞ!』
「煙幕ですっ!」
そう。
実はオルガが投げた瓶に入っていたのは、眠り香ではなく煙幕だったのだ。
「だんだん見えてきたぞ…」
程なくして煙が消えた後、部屋には幹太と由紀とゾーイの三人だけしかいなかった。
「…逃げられちゃったな。
けど、ひとまずゾーイさんだけは取り戻せた」
幹太はそう言って、改めてゾーイを抱きしめる。
「だね♪」
と、由紀も幹太と同じく再びゾーイを抱きしめた。
「良かった。会いたかったです、芹沢様、由紀様…」
抱きしめられたゾーイは、二人の温もりを感じながら心底ホッとした表情でそう呟く。
「あれ?さっきは幹太さんって言ってなかったか?」
「あ〜いいな♪だったら私も由紀さんで♪」
「あ、あれは思わず…」
「夫なんだから様よりさんとか呼び捨てでいいんだけど、ダメかな…」
「あの…でしたら、芹沢様は旦那様ではどうです?」
「わかった。芹沢様よりは他人行儀じゃないし、ひとまずはそれでいこう」
「由紀さんは由紀さんでいいですか?」
「うん♪」
「旦那様、由紀さん、会いたかったです♪」
「うん。そりゃ俺たちもだよ。
な、由紀?」
「そうそう♪私たちもずっと会いたかった♪」
そうしてしばらく抱きしめ合った後、三人はひとまず宿へと戻った。
「…アンナとシャノンさんはまだみたいだな」
部屋に入った後、幹太は辺りを見回しながらそう言う。
「だね」
「アンナ様、アメリアに連れて行かれたんですか?」
そう話しながら、三人はソファーに座る。
「あの黒髪のメイドさん、アメリア様っていうの?」
由紀はシャノンと別れる際、アンナを担いだアメリアを見ていた。
「そうです」
「あの人も強かったけど、ゾーイさんのお家のメイドさんってみんなそうなの?あの双子も?」
「いいえ、格闘技が強いのはアメリアとピナだけです」
「えぇっ!あの桃色の髪のメイドさん、強かったのっ!?」
「はい。さっきは由紀さんに怪我させたくなくて逃げていたんだと思います。
ピナは優しくて怖がりですから…」
「そうなんだ…こ、これからは気をつけなきゃ」
「でも、もしかしたらちょっとマズいかもしれません…」
と、ゾーイは深刻な表情で言う
「マズいって…シャノンが負けるってこと?」
毎日一緒に訓練している由紀には、誰にだろうとシャノンが負けることなど想像できなかった。
だからこそ、アンナがいない状況でこうして幹太たちと部屋に戻ったのだ。
「いいえ…格闘の実力はたぶんシャノン様の方が上です。
けど、アメリアにはもっと得意なことが…」
「「もっと得意なこと?」」
「はい。アメリアが得意なのは…」
そしてその夜、由紀、幹太、ゾーイの三人はアンナから不思議な手紙を受け取った。
「えっと…お肉が大変美味しいので、アンナはしばらくこっちの家の子になります♪」
だってさ…」
と、手紙を読んだ由紀はため息をつく。
「これ、本当にアンナの字だよ。
しかも日本語だし」
こちらの世界の人間で日本語の読み書きができるのは、今のところアンナとシャノンとソフィアだけなのだ。
「シャノンさんは?」
「大丈夫。シャノンも一緒だって」
「やっぱり…」
「やっぱりって…ゾーイさんはこうなるのを予想してたの?」
由紀は手紙をヒラヒラさせながら聞く。
「はい。アメリアは料理も得意なんですけど、中でもお肉料理が一番得意なんです」
「なるほどね…そりゃアンナが帰ってこないワケだ」
「はい」
「しかし、メイドさんはシャノンさんと戦ってる最中にどうやってアンナを籠絡したんだ?」
そう聞いたのは幹太だ。
「それはわかりませんけど…」
「そっか…けど、アンナの肉好きがここまでとは…」
「えっ!幹太ちゃん思ってなかったの?」
「いや、ごめん。ぜんぜん思ってた」
幹太はそう答えながら、日本にいる時にアンナと動物園に行き、動物を見るたびに食べたことがあるか聞いてきたアンナを思い出す。
「新婚で夫より肉を取る妻か…」
「うん。めっちゃアンナらしいよね」
「まぁ二人のことだから、ゾーイさんのお母さんともなにか企んでるっぽいけどな…」
「あ、幹ちゃんもそう思う?」
「うん。色々と無茶苦茶な人だったけど、基本的にはゾーイさんのためにやってるって感じだったから…」
由紀と幹太はゾーイに聞こえないよう、ヒソヒソ声で話す。
「ただ、あのナーマルって人はどうだろうな…」
「ん〜?あの奥にいた綺麗な顔の人?」
「そう。
ゾーイさん、ナーマルって一体どんな人なんだ?」
「ナーマルですか?」
「うん。その…ゾーイさんのことを好きなのは間違いなさそうだけど…」
そう言って、幹太は先ほど自分を睨んでいたナーマルの顔を思い出す。
『どう見ても、ありゃ本気だったよな…』
ボクシングをしていた頃の対戦相手にさえ、あんな目で睨まれる経験は幹太にはなかった。
「ねぇ幹ちゃん、あの人、ゾーイさんと国に帰りたいんだっけ?」
「そう言ってたな」
「だとしても、私は絶対に幹太さんのそばを離れませんけどね」
力強くそう言って、ゾーイは幹太の腕を両手でギュッと掴む。
「で、どんな人なの?」
そう聞いた由紀も、ゾーイとは反対の幹太の腕に自分の腕を絡めた。
「…一言でいうと努力家です。
もともと何事も器用な方ではないんですけど、それを努力でなんとかするタイプというか…」
「お、おぉ…なんかその辺は共感できそう…かな?」
「幹ちゃんは充分器用だよ、鈍感なだけ」
「それ、すっごくわかります。さすが由紀さんです」
「ど、鈍感?俺が?」
「うん」
「はい」
新妻二人はあっさりとそう言い切る。
「ま、まぁとにかく…二人は小さい頃から一緒にいたの?」
「はい。小さな頃は毎日一緒にいました」
「俺と由紀みたいなもんか…」
「ですね。お二人ほど通じている自信はありませんけど、関係は似ていると思います」
「ゾーイさん、ナーマルさんのお家はどんな感じなの?
確か…ゾーイさんのところは砂漠の民を取り仕切ってたおうちの末裔なんだよね?」
由紀は以前、その話をゾーイ本人から聞いていた。
「はい。たぶんナーマルのところも遠縁の親戚に当たると思います」
「つまり、ナーマルさんのとこもけっこう裕福なお家なワケだね?」
「ん〜?というか、ロシュタニアのお家はだいたい裕福ですよ」
「そういや前にそんなこと言ってたな…国からお金がもらえるんだっけ?」
そう聞いたのは幹太だ。
「はい」
ゾーイはそんな生活に飽き飽きして、兄と二人で自分探しの旅に出たのだ。
「ゾーイさんとその…ナーマルさんは親同士が決めた許嫁だったって言ってたっけ?」
「許嫁といっても、今はなんとなく決めているだけで絶対に守らなきゃいけない決まりじゃないんです。
実際、マルコ兄さんにも婚約者がいましたけど、お互い別な人と結婚してますし…」
それはロシュタニアの開拓時代にあった風習の名残であった。
「けど、ナーマルとはロシュタニアを出る直前まで仲良くしてましたから、向こうは結婚する気だったかもしれません…」
「幹ちゃんと結婚するって連絡はしたの?」
「しましたけど、返事はなかったんです」
「もしかして俺…ナーマルさんに相当恨まれてる?」
「まぁそれは仕方ないんじゃない。
大事な幼馴染を誰かもわからない人に取られたんだから…」
「なるほどね…そりゃそっか…」
そう言って、幹太と由紀は見つめ合う。
「…さっきも言いましたけど、私、旦那様から離れる気ありませんから」
と、ゾーイはそんな二人の間に割って入った。
「え、えぇっと…とりあえずアンナとシャノンさんが向こうにいる以上、勝負を受けるしかないってことだな」
「そうだね。肉に釣られたとはいえアンナはこの国お姫様だし、なんたって私たち幹ちゃんのお嫁さんズの一人だからね」
「…幼馴染が申し訳ないです」
「いや、こちらとしても望むところだよ」
そう言って、幹太はペコリと下げたゾーイの頭を撫でた。




