第262話 それぞれの旅へ
さらにその頃、攫われた当人のゾーイはというと、馬車の中でようやく目を覚ましていた。
「お母様…」
目が覚めてすぐ嗅ぎ慣れた香りに気づいたゾーイは、すぐに自分の置かれた状況を把握した。
「フフッ♪おはようゾーイ♪」
「…宮殿の人たちにはどう話したんですか?」
どうやらゾーイは寝ている間に、この豪華絢爛な実家の馬車に乗せられたらしい。
「あら?自分の娘と会うのにどうして他人の許可がいるのかしら?」
「……」
そういえば母はこういう人間だったと思いつつ、ゾーイは起き抜けの頭で、この人に何から伝えたらいいかを必死に考える。
「…お母様、私は結婚しました。
シェルブルックに旦那様がいるんです」
「えぇ、知ってるわ♪おめでとうゾーイ♪」
そう言って、母はゾーイを抱きしめる。
「お母様…」
懐かしい香りに包まれ、ゾーイは思わず深く息を吸い込んた。
ゾーイの母、オルガ・ライナスはロシュタニアの一の名家に産まれた生粋お嬢様である。
クッキリと濃い目鼻立ちに、娘と同じく浅黒い肌、背はゾーイやアンナと同じぐらいでこの世界の女性にしては小さいが、スタイルは二人よりもグラマラスだった。
そして、ツヤツヤで腰の辺りまで伸びる黒髪は軽くウェーブしており、エキゾチック美女のオルガを一層魅力的にしている。
「…でもあなた、ナーマルにはそれを報告してないでしょ?」
「うっ!そ、それは…」
「フフッ♪それはなぁに?」
「…あ、あのお母様?私のパジャマはどうしたんですか?」
なにか言い訳を考えようと俯いたゾーイは、自分がロシュタニア伝統の寝巻きに着替えさせられていることに気がついた。
「あ、あれね♪置いてきちゃったけど、ダメだった?」
「いえ、それはいいんですけど…これ、持ってきたんですか?」
と、ゾーイはいつの間にか着替えされられていた寝巻きを摘んだ。
「そうよ♪だってゾーイちゃんってば、旅に出る時に自分の寝巻きを置いていっちゃったでしょ。
だから、新しく作って持ってきてあげたの♪」
「…そうですか。それは嬉しいですけど…」
ゾーイは改めて、故郷伝統の寝巻きを身につけた自分の姿を見る。
『ひ、久しぶりに着るとけっこう恥ずかしいですね…』
地球の砂漠とは違い、昼も夜も暑いロシュタニアの寝巻きは、胸の先端を隠すように体を一周する伸縮性のある二センチほどの帯と、下はお尻のお肉がハミ出るほど小さなボクサーパンツという、かなり露出の高いものである。
「…お母様のその服も新しく作ったものですか?」
「そうよ♪素敵でしょ♪」
そう言って、オルガは馬車の中でクルリと一回転する。
と同時に、薄布の白く輝くシースルーのスカートが捲れ上がり、白い刺繍の施されたTバックインナーが丸見えになった。
「お、お母様!お尻が!お尻が丸見えですっ!」
「あらあら♪慌てちゃってどうしたの?
あなただって、ウチじゃ同じようなの着てたでしょ?」
「はい…着てました。私も着てたんですけど…」
ゾーイも晴れの舞台である結婚式で同じような民族衣装を着るには着たが、いま自分の母が着ているものは、それよりもスケスケでパッツンパッツンで生地の少ないセクシー仕様なのだ。
『すごい…ロシュタニアの服ってこんなに無防備だったんだ…だから芹沢様も、私の衣装を見た時にあんなに顔を真っ赤に…って、いけないっ!これじゃすっかりお母様のペースだわっ!』
とそこで、ゾーイは今、自分がどのような立場だったかを思い出す。
「お母様っ!私、帰ります!」
ゾーイは起き上がり、母親の両肩を掴んだ。
「帰るって…どこへ?」
「芹沢様の…いいえ!まずはクレア様の元へ帰りたいんですっ!」
自分こんな状態で連れ出されたなら、クレアは絶対に心配しているはず。
ならば、まずゾーイが行かなければいけないのはリーズの宮殿である。
「そうね…けど、それはダメ」
「なぜです?お母様だって、本来の許嫁の人とではなくお父様と…」
「フフッ♪ゾーイちゃん…」
とそこで、オルガが人差し指でゾーイの口を塞く。
「あのね、ナーマルのことはそんなに問題じゃないのよ♪」
「…でしたら、なぜ私をロシュタニアに?」
オルガは不安そうにそう聞くゾーイの頬を、プニっと両手で挟んだ。
「あら♪私、ロシュタニアに帰るなんて言ったかしら?」
「えぇっ!ロシュタニアじゃないのっ!?」
「フフッ〜ン♪さ〜て、どうしようかしら♪」
「お、お母様…ナーマルのことが問題でないのなら、そもそもどうして私を攫ってきたんですか?」
「ゾーイ…あなた、なんで連れてこられたか本当にわかってないの?」
と、オルガは本当に意外そうな顔をしてそう聞く。
「はい。ぜんぜん…」
マルコを筆頭に母親以外の家族全員に甘やかされて育ったゾーイは、なぜ自分が攫われたのか全くわからなかった。
「…わかったわ。こうなったら私が直接やるしかないわね…」
「?」
オルガは幼い頃と同じ顔でキョトンとする娘を見つめながら、ひとまずそう決意した。
翌朝、シェルブルック王宮の地下室では、ムーア導師が亜里沙を日本に帰すための準備をしていた。
「本当に今日帰っちゃうのかの?」
転移魔法のための装置を発動させたムーアは、寂しそうに亜里沙の方へと振り返る。
「フフッ♪だって、すぐ帰ってこれるんでしょ?」
というのも亜里沙は、つい先ほど慌ただしく出発した芹沢家の一行を見送ったばかりなのだ。
「まぁそうじゃが…こんなに急いで帰らんでも…」
この国で下手をすると国王と同じぐらいの立場になってしまったムーア導師は、お茶の時間に気軽に話せる相手を求めていた。
その点、異世界人で物怖じしない亜里沙は導師との距離感が絶妙であり、話し相手として最適だったのだ。
「そりゃ私も少しはそう思いましたけど…」
「ほうほう…」
「けど、まずはちゃっちゃと帰って、憂いぜんぶをなくしてからこっちに来た方がいいかなって思って…」
「…それもそうじゃな」
いくら時間が巻き戻せるとはいえ、亜里沙は転移の事故でこちらの世界にやって来ている。
一刻も早く家族の顔を見て、安心したくなるのも当然だろう。
「けど、大丈夫かな…?」
「…ゾーイ嬢のことかの?」
「えぇ…」
「どうじゃろうな…まぁマルコの言う通り、犯人が母親なら無茶ことはせんと思うのじゃが…」
「けど、ロシュタニアって遠いんでしょ?」
「そりゃ別の大陸じゃからな、それなりに遠いぞい」
「そっかぁ〜芹沢たちにも何にもなきゃいいけど…」
「ホホッ♪大丈夫じゃよ。
皆旅慣れておるし、護衛も連れておるのじゃからゾーイ嬢がロシュタニアにいるのならキチンと無事に会えるじゃろ…」
「ちょ、ちょっと待って、ロシュタニアにいるのならって…どういう意味?」
亜里沙はそう聞きながら、魔石を乗せた装置を操作するムーア導師に近づく。
「そのままの意味じゃよ。ロシュタニアにいるのならじゃ…」
「それってまさか…ロシュタニアにいないかもってこと?」
「そりゃ〜わからんな。
じゃがもしワシが攫った側なら、少なくともすぐにはロシュタニアに向かわんと思うぞい」
そう言って、ムーアは装置に付けられた小さなスイッチを端から入れていく。
「まぁ亜里沙嬢はひとまず日本に帰るといい…」
そして、魔法陣から出ていた亜里沙を再び陣の中心へと連れて行った。
「う、うん。そうだね…そうします」
「いいかの、亜里沙嬢。
向こうに戻ってこちらに帰ってくる時は、ある程度の広さがある場所にこの杖を刺して、この持ち手についたスイッチを入れるんじゃ」
と、説明しながらムーアが亜里沙に手渡した杖は、映画などでよく見る立派な魔法使いっぽい杖でなく、こちらの世界で老人が使うT字型のガチ杖だった。
「りょ、了解…ある程度の広さって、向こうでアンナが転移した場所なら大丈夫かな?」
「うむ。その場所で大丈夫じゃよ♪」
ムーアは不安そうな亜里沙の頭をポンポンと優しく撫でて陣の外へと出る。
「では、いくぞい!」
そして転移装置にある一番大きなレバーを下にさげた。
「お世話になりました…ムーア導師」
「ホホッ♪どういたしましてじゃ♪」
「私、ちゃんと戻ってくるから…」
「うむ。こちらに帰ってくるのを気長にまっておるぞい♪」
「うん♪ムーアさんもそれまで元気でいてね♪」
そうして笑顔で手を振りながら、亜里沙は日本へと帰っていった。




