第351話 王族の宴
「紅姫屋はまだ開けてるんですね…」
アンナは後片付けをしながら、ボーッと向かいの屋台を見つめる。
「向こうだって、時間の問題だよ」
「そうですよ、アンナさん。心配しなくても大丈夫です〜♪」
幹太とソフィアは、二人の間で不安そうにするアンナを励ます。
「はーい!紅姫屋!売り切れだよー!」
そしてちょうどその時、威勢の良い亜里沙の声が響いた。
「ごめんなさい!お先に失礼します!」
と同時に、ダニエルが店から駆け出して行く。
「あ、ダニエルさん…そっか、メーガンさんのとこ行くんだ」
そう言ったのは、カウンターを拭いていた由紀だ。
「あとは片付けだけだし、大丈夫だろ」
「ん〜?けど、店じまいは幹ちゃんが手伝わないとダメじゃない?」
ラーメン屋閉店後の一番大変な作業は、スープの無くなった後の寸胴鍋の中身の処理である。
スープがないとはいえ、出汁の素となる骨や野菜の入った寸胴鍋の重さは、屋台でよく見る小さなサイズの鍋でさえ十キロを軽く超える。
「意外に力持ちの亜里沙にだって、あの寸胴を持ち上げるのは無理だろうし…」
後片付けの際にはそれを持ち上げなければならないため、パワーのある人間が必要になるのだ。
「へっ?そんなの、ニコラさんがいれば大丈夫だろ?」
「ニコラさんならずいぶん前からいないよ、幹ちゃん」
「えぇっ!なんでっ!?」
「さっきリンネちゃんとウチのラーメン食べに来たときは、これからお祭り見に行くって言ってたけど…」
子煩悩なニコラは、最初からこのお祭りをリンネと見て回るつもりだったのだ。
「…ウチにも来てたの?」
「うん♪」
営業後半、半ば死にものぐるいで鍋を振っていた幹太は、二人が来ていたことにまったく気づいていなかった。
「ちょ、ちょっと待てよ…だったら、代わりは一体誰がやってたんだ?
まさか…外回りは臼井さん一人?」
「まさか!外はジュリア様がやってて、中はローラ様が手伝ってたよ♪」
「えぇっ!?ジュリア様とローラ様がっ!?」
「うん。なんかね、ローラ様がニコラさんと代わるって申し出てくれて、それにジュリア様が乗っかったんだって♪」
基本的に今代の二人の王妃は、興味があればどこにでも現れるし、なんでもチャレンジする。
つまり今日の紅姫屋は、一般人と王女と王子と王妃によって営業されていたのだ。
「マ、マジかよ…そんなの大戦力じゃねぇか…」
「そうですよ!まさかお母様たちが敵に回るなんて!」
アンナはそう叫んで調理台を叩き、頬を膨らませた。
「まぁいいじゃないかアンナちゃん♪
私たちだって、王女総出でやっているのだから♪」
ビクトリアはニコニコしながら、そんなアンナの頬をつつく。
「そうですよ、アナ。お母様たちだって、たまにはストレスを解消しないと…」
「お母様たちにストレスはありません!」
「ハハッ♪本当にアンナの言う通りならいいのだけれどな♪」
何の前振りもなくアンナの言葉にそう返事をしたのは、数人の取り巻きを引き連れた何やら雰囲気のある男性だった。
「しかし…この様子ではもう屋台は終わってしまったのか?」
「残念だったな、お父様。
もうとっくに売り切れてしまったぞ」
「「「「お父様っ!?」」」」
ビクトリアの言葉に、その場にいる実の娘たち以外が声を上げて驚く。
「ほ、本当だ…よく見たらトラヴィス様だよ、幹ちゃん…」
「あ、あぁ…一緒にいる人もトラヴィス様の護衛の人だ」
閉店後の姫屋の前にフラッと現れたのは、なんと一般人を装ったトラヴィス国王だったのだ。
「まったく、ムーアのせいで…」
「お父様、ムーアのせいで遅れたのですか?」
「私もてっきりお母様たちと一緒に来るものかと…」
アンナとシャノンは、トラヴィスがもう少し早く来るものと思っていた。
「ムーアのヤツ、式が終わった後すぐに飲み始めてな…」
「フフッ♪ムーア、そんなに喜んでくれてたんですね♪」
「それはそうだろうが…まさか私が付き合う羽目になるとは…」
と、トラヴィスはカウンター座ってため息をつく。
「ねぇ幹ちゃん…」
そんな国王の姿を見て、由紀は幹太に耳打ちする。
「トラヴィス様って街に出る時はこんな格好なんだね…」
「あぁ、俺もそう思ってた…」
今のトラヴィスはサングラスをして白髪混じりの髪の毛を後ろへと流し、白いYシャツに鮮やかなブルーのパンツを履いている。
「ちょっと…ううん、めっちゃオシャレじゃない?」
「うん。なんか向こうの映画俳優って感じ」
お忍びで街に出る時のトラヴィスは、まるでオシャレ中年ファッション誌から抜け出て来たような格好良さだった。
「もう店じまいということは、売れ行きは良かったのだな?」
と、トラヴィスはアンナに聞く。
「はい♪」
「…まったく、余計に残念だな」
「大丈夫です、お父様。またすぐに作りますから♪」
「で、マーカスたちのところはどうだったんた?」
「さぁ?まだお互い片付けている最…」
「待たせたわねっ!アンナ!」
アンナの言葉を遮って登場したのは、まだところどころ汚れたエプロンを着けたままのクレアである。
「確認するけど…売り上げ勝負でいいよね、幹太?」
「えぇ、それで平気です」
「もう計算はできてる?」
「はい!今できました!」
クレアの言葉に、売り上げを計算していたゾーイが手を上げる。
「なんだ…お前たち、勝負をしていたのか?」
「えぇ、そうよ…って、トラヴィス国王様っ!?」
クレアはカウンターの端に座っていたトラヴィスを、たまにいる閉店後も居座るただのおっさんだと思っていた。
「あ…挨拶が遅れまして申し訳ありません!」
「ハハッ♪クレアにもバレないとは、私の変装もなかなかじゃないか♪」
そう言って、トラヴィスは謝るクレアの頭を撫でる。
「で、その勝負とはどんなものなんだ?」
「は、はい…紅姫屋と姫屋でどちらの売り上げが高いかを競っておりました」
「なるほど…それで結果はどうなったのだ?」
「それを今、確認しにきたんです」
「それでクレア…べ、紅姫屋の売り上げはいくらだったんですか?」
「あら、どうしたのアンナ?なんだか顔がこわばってるわよ♪」
「もうっ!いいから早くおしえてくださいっ!」
「フフッ♪私たち紅姫屋の売り上げは22000サントだったわ♪」
「22000サント…えぇっと、10サントが約百円だから…ってことは、二十二万円も売り上げたのか!?」
幹太は驚いた。
一日で二十二万の売り上げというのは、都会の駅前に出店している人気ラーメン店並みの売り上げである。
「どう?すごいでしょ♪」
「えぇ、屋台でその売り上げはなかなかできません」
「それも二種類のラーメンだけでってすごくない?」
以前、幹太の屋台の会計を任されていた由紀も、今日の紅姫屋がどれだけ凄い売り上げを叩き出したのかよくわかっていた。
「そうね、めちゃくちゃ大変だったわ。
けど、これだけ上がりが出ればその苦労も報われるってもんね♪」
と、クレアはキラッと脂まみれの額を光らせつつ胸を張る。
「で、姫屋はどうだったのゾーイ?」
「あ、はい。今日の姫屋の売り上げは…」
「「「「「……」」」」」
折り返した紙を開くゾーイを見ながら、幹太たちは息を呑む。
「21800サントです…」
今日の姫屋の売り上げは、日本円で二十一万八千円。
つまり非常に僅差ではあるが、今回の売り上げ勝負は紅姫屋の勝利ということになる。




