第243話 親の想い、子の想い
「では、幹太さんそろそろ準備をお願いします♪」
そう言って、一仕事終えた幹太の手をアンナはがっちりと掴んだ。
「…ありがとう。準備?準備ってなんだっけ?」
アンナに手を引かれつつ由紀から水を受け取った幹太はラーメン・ハイ状態らしく、この後何があるのかすっかり忘れている様子である。
「国民の皆さんへのご挨拶ですよ」
と、いつの間にか幹太に近づいたシャノンも、もう片方の手を掴みながら耳元でそうささやく。
「おぉ!いよいよだな…」
「ほぇ?大丈夫なんですか?」
「なにがさ?」
「ですから、集まった市民の皆さんにご挨拶するのです」
「うん。そりゃ緊張はするけど、逃げるわけにもいかないだろ?」
「まぁそうですけど…」
アンナは幹太を掴んだ手からスッと力を抜く。
「捕まえておかなくても大丈夫みたいですよ、シャノン」
「はい」
「あ!二人とも俺が逃げると思ってたのか!?」
「えぇ…まぁ正直、逃げた幹太さんを姫屋に探しに行くぐらいは覚悟してました…」
この花嫁は、幹太がいざとなるとラーメン方面へ逃避すると考えているようだ。
「そうですね。私ももっとゴネるかと思っていました」
「ゴネるって…いくらなんでも、王女の夫になるのにそんなことするわけないでしょ」
幹太は幹太なりに、この国の王女の伴侶になることへの責任を感じているのだ。
「幹ちゃん、話すことは決まってるの?」
そう聞きながら、由紀は幹太が父の葬儀の喪主として、ほぼ下準備せずに皆に挨拶をした時のことを思い出していた。
「なんとなくは決めてるけど…」
「うん♪なら大丈夫そうだね♪」
「つか、芹沢が国民に向けて挨拶ってなんなんだよ…」
と、亜里沙は高校時代に同じ教室の窓際の席でぼんやり外を眺めていた同級生が、王女と結婚するという現実に今さらちょっぴり引く。
「それじゃあ行きましょう」
「あぁ、そうだな…」
幹太はそのままアンナに腕を引かれ、汗だくになってしまった衣装を着替えるために控え室へと向かう。
「そういや、あんたたちも話すんじゃないの?」
亜里沙は残った花嫁たちに聞いた。
「なんか…私たちはよろしくお願いしますって感じでいいんだって」
「えっ!マジ?」
「うん。だよね、シャノン?」
「はい。キチンと話すのは国王様と幹太さんだけです」
「そうなんだ…だったら良かったね、ソフィアさん」
「はい〜♪」
亜里沙は一週間ほど前の晩、村民な自分が国民に向けて挨拶をするというワケの分からない状況に追い込まれたソフィアが、一人、客間のカウンターで酒を煽る姿を目撃していた。
そして、それから数十分後、
『こ、こりゃすごいわ…』
王宮内にある謁見場に立った幹太は、集まった国民たちの熱気に圧倒されていた。
「アンナ様ー!お幸せにー!」
「アンナ様ー!」
「わぁすごい!本当に花嫁が四人いるわ♪」
「ん〜?あれがカンタ様?」
「そうみたいだけど…なんか普通っぽい?」
と、集まった国民たちは謁見場に現れた幹太たちを見て好き放題言っている。
「見て幹ちゃん♪一番前にリンネちゃんがいる♪」
そう言って由紀が手を振る先には、ニコラに肩車されたリンネがいた。
「あ、本当だ。
っていうか、けっこう見慣れた人たちがいないか?」
幹太が目を凝らしてみると、そこには市場の屋台村で一緒に店を出している店主や、行きつけの仕入れ先の人たちの姿があった。
「では、やるかな…」
そんな中、まずはトラヴィス国王が集まった国民たちの前に立つ。
「愛する国民よ!今日は我が娘!アンナ王女の結婚式に集まってくれて感謝する!」
広大な広場を見渡せる壇上には魔法による拡声器が用意されているにも関わらず、トラヴィスは肉声で国民たちに向けて話かける。
「おぉ!トラヴィス様だ!」
「トラヴィス王様!」
「やっぱりカッコイイわ♪」
「お母さん、ジュリア様とローラ様もいるよ♪」
「そうね。今日もお綺麗だわ♪」
もちろんトラヴィスの後ろには、二人の王妃も立っていた。
「私はこれからも新しい家族と共に、このシェルブルックをより良い国にしていくことをここに誓おう!」
慣れた様子で演説するトラヴィスの後ろ姿を見ながら、幹太は在りし日の父を思い出していた。
『トラヴィス様、なんだか嬉しそうだ…』
「私は国王として、そして父親として、未来あるこの若者たちに最大の祝福を…」
『そっか、一緒なんだ…』
幹太の父、正蔵はもちろんこの場にはいない。
『もしかしてトラヴィス様と同じように、親父も喜んでくれてたのかな…』
正蔵はいついかなる時も、自身の店の営業日に休業することはなかった。
『でも二人になってからも、俺のイベント事には時間を作って来てくれてたな…』
しかし正蔵は、幹太の運動会や授業参観には
、少しの間だけ時間を取って必ず参加してくれたのだ。
『こりゃ無理して来てたっていうより、親父が来たくて来てたってのが正解かもな…』
今となっては真実を聞くことはできないが、ハツラツと国民に向けて話すトラヴィスを見ると、それは間違いないように思える。
『つまり…俺は重荷じゃなかった?』
それは父親が死んだ後に、幹太がなんとなく思っていたことだった。
正蔵が妻である美樹と死別したのは、彼がまだ三十代前半の頃である。
幹太はそんな父が、色々なことを諦めて仕事と家事と子育てをしていたのではないかと常々考えていたのだ。
『うん、間違いない。俺と一緒に暮らして、喜んでくれてたんだ…』
幹太はそのことに、今日、自分の父親となったトラヴィスを見てようやく気付いたのである。
「そっか、家族ってこういうことなんだ…」
「幹ちゃん?」
「うん?」
「今、なんか言った?」
由紀は周りがこれだけ騒がしい中、ふとした幹太の呟きに気がついていた。
「いや…俺さ、親父にとって重荷じゃなかったみたいで…」
「えっ!幹ちゃん、そんな風に思ってたのっ!?」
「うん。仕事始めてからなんとなくだけどな…」
「もうっ!そんなわけないじゃん!」
由紀は集まった人々から見えないように、幹太の腕を強く引いた。
「だって、本当はすっごい寂しがりやの正蔵おじさんが、美樹おばさんがいなくなった後も頑張れたのは幹ちゃんのおかげでしょ!」
それは、由紀だけでなく柳川家や芹沢一家を知る者の共通の認識であった。
時として子は子なりに気を使い、親の真意に気づかないことがある。
「そ、そうなの…?」
幹太は正にそれだった。
「そうだよ!そんなのすぐわかることなのに…なんでわかんないかな?」
と、由紀は珍しく頬を膨らませて幹太に言う。
「ごめん。でも、もうわかったから…」
「そうなの?」
「うん」
「ならいいけど…けど、なんで今わかったの?」
「いや、なんか今、嬉しそうにみんなに向けで話すトラヴィス様を見てたらわかった気がして…」
「確かにね♪今日のトラヴィス様、今までで一番嬉しそう♪」
「ハハッ♪やっぱりそうだよな」
「はい♪お父様、すっごくご機嫌ですよ♪」
そう言ったのは、幹太を挟んで由紀の反対側に立つアンナだ。
「フフッ♪アンナが言うなら間違いないね」
「だって私、あんなに楽しそうにお父様が楽お酒を召し上がってるの初めて見ましたから♪」
「ワイン、美味しかったです〜♪」
ちなみに、先ほどから由紀の隣で微妙にフラついているソフィアも、すでに一本半のワインを開けている。
「ではそろそろ、次に移ろう…」
トラヴィスは後ろを振り返り、幹太たちを見て頷いた。
「カンタ・セリザワ・バーンサイド!前へ!」
そしてシェルブルック国民に向けての、幹太の挨拶が始まった。




