第224話 リーズの至宝
「ダニエルさん!」
そして謎の屋台にたどり着いた幹太は、その中にいる人物の名を大きな声で呼んだ。
「あ!幹太!
メーガン!幹太だよっ!」
そう。
いつも姫屋の出店する場所に屋台を出していたのは、夫ダニエルと妻メーガンのラ・フォンテ夫妻だったのだ。
「どうして!いつこっちに!」
幹太はカウンターの客席側から身を乗り出し、ダニエルの肩を掴んだ。
「フフッ♪来たのはついさっきで、どうしては…キミは知ってるだろ?」
「あ、そうだ!俺と一緒にラーメンを作るんだった…」
「うん。思い出してくれて良かったよ♪
久しぶりだね、幹太」
「あぁ久しぶり、ダニエルさん。
それに、メーガンさんも…」
「お久しぶりです、芹沢様♪
この度はご結婚おめでとうございます♪」
「うん。ありがとう、メーガンさ…」
と、そこで幹太は、プラネタリア大陸史上最強最大のメーガンの胸がさらに大きくなっていることに気がついた。
「まさか…これが愛の力?」
愛する者同士が触れ合うほど女性の胸は大きくなる。
幹太はその昔、一人で屋台にやってきた広川澪に、なぜかそう力説されたことがあった。
「それは違いますよ、幹太さん…」
背後から幹太の肩に手を付いてそう言ったのは、追いついてすぐ彼の目線の先を確認したシャノンである。
「シャノンさん?一体なにが違うと?」
「か・ん・た・さん♪もしかして…今、お胸を見てました?」
シャノンの続いて屋台に到着したアンナの手には、どこから持ち出したのか包丁が握られている。
「まったく、これだから男性は。
いいですか幹太さん、メーガンさんの胸だけでなく、全身を見てみて下さい」
「メーガンさんの全身…?」
そう言われて再びメーガンを見た幹太は、思わず彼女の全裸の想像する。
「おぉぅ…こ、こりゃやべぇな…」
すべて妄想だというのに幹太はゴクリと息を呑む。
「はぁ…もういいです。
お久しぶりですね、メーガンさん」
「こちらこそ♪お久しぶりですシャノン様♪」
「再会してすぐで申し訳ありませんが、メーガンさん、あなたもしかして…?」
「ハイ♪この度、妊娠致しました♪」
「あ…」
それまで全身を見ていた幹太が視線を下げてみると、ゆったりとしたワンピースの上にエプロンを着けているメーガンのお腹が、うっすらだが確かに膨らんでいる。
「わー♪おめでとうございます、メーガンさん♪」
「フフッ♪ありがとございます、アンナ様♪」
「馬車の道中は大丈夫でしたか?」
「はい。クレア様が一番良い馬車を寄越して下さいましたから」
そんな風に話す女性陣を、幹太は呆然としながら眺めていた。
『すごいな…あんなに小さなメーガンさんの体の中にもう一つ命があるんだ…』
メーガンは体の一部を除き、この世界の女性の中ではかなり小柄な部類に入る。
「…幹太、どうしたの?」
と、ボーッとしている幹太にダニエルが話しかける。
「…ダニエルさん、家族が増えるんだね?」
「うん?あぁ…そうだよ。
けど、キミだってそう遠くない未来にそうなるだろ?」
「俺も…?」
「うん♪まずは奥さんとその家族…そして、その次は…」
「ダニエル…?どうしたの?」
ダニエルはメーガンの隣に立ち、彼女のお腹を優しく撫でた。
「きっと、赤ちゃんだってすぐにできるよ♪」
「赤ちゃんって…俺の子供?」
「そうさ♪
だからね、君にだってもうすぐ家族が増えるんだ♪」
「お、俺に家族が増える…」
それはこれまで家族を失ったことしかない幹太にとって、衝撃の一言だった。
「あ、あ…」
気づけば幹太は、ボロボロと目から涙を流していた。
「幹太さん!どうしたんですか〜!?」
ここでようやく屋台に辿り着いたソフィアは、ドバドバと涙を流す幹太をノータイムで抱きしめた。
「いや…あれ?俺、なんで…?」
「アナ…これは由紀さん案件じゃないですか?」
「えぇ、シャノン。私もそう思ってました…」
昨晩のこともあり、幹太への愛情では由紀や他の二人にも負けない自信のあるアンナだが、訳の分からない時の幹太の対処においては、付き合いの長い由紀の方が数倍長けていることを知っている。
「いや、違うんだ…悲しいわけじゃなくて、俺、ずっと家族が一緒にいてくれたらって思ってたから…」
「知ってますよ♪私にもそう言ってくれました♪」
幹太はアンナにプロポーズした時、ずっと一緒に暮らしたいと言っていた。
「今こうしてメーガンさんを見てさ、なんか家族って、こうして増えていくんだってすごくリアルに感じちゃって…」
「つまり…これは嬉し涙なんですか〜?」
ソフィアは自分のシャツの袖で幹太の涙を拭いながらそう聞く。
「…うん。たぶんそうだと思う」
「フフッ♪だったらもう心配いらないのかな?」
「あぁ…心配かけてすまない、ダニエルさん」
「いや、いいんだ。
じゃあ幹太、さっそくラーメンの話をしょうよ♪」
ダニエルは幹太の背中をポンポンと叩き、皆を屋台の中へ招き入れた。
「ダニエルさん、この屋台はどうしたんです?」
「クレア様が用意して下さったんですよ、アンナ様。
なんでも、これからブリッケンリッジに支店を作るとおっしゃってました」
「し、支店…?紅姫屋のですか?」
「えぇ、そうだと思います。
アンナ様…もしかして支店のお話は知らなかったんですか?」
「し、知りませんでした…」
「えぇっ!そうなんですかっ!?」
ダニエルはてっきりシェルブルック側にも支店の話は通っているものと思っていた。
「なるほど、最近クレアが色々と動き回っていたのはそういうわけだったんですね。
あの紅姫、まさか私の街でそのような計画を…」
と、アンナは拳を振るわせる。
「うん。クレア様、本気っぽいな…」
「ほぇ?なぜそう思うんです?」
「だってこの屋台、設備がすごいもん」
幹太はこの屋台を見た瞬間、リーズでマーカスからもらった豪華な設備の屋台を思い出していた。
「…ダニエルさん、設備の配置に意見はしましたか?」
「うん。使う側の意見が聞きたいってクレア様からお手紙をいただいたから、理想の厨房の絵を描いてこっちに送ったよ。
けど、なんでわかったんだい?」
「いやさ、微妙にラーメン屋じゃない配置があるんだ。
たとえば…これ」
と、幹太は調理台の上に置かれた包丁ホルダーを指差した。
「普通のラーメン屋の厨房だったら、ここに包丁は置かないよ」
「あぁ…そういえば、幹太の為に作った最初の紅姫屋でも包丁は遠いとこに置いてあったよね?」
「なるほど…姫屋もそうですし、幹太さんのお家のお店でも、調理台から離れた場所に包丁がありましたよね?」
アンナは芹沢家で、調理台から離れた冷蔵庫の側面に磁石式の包丁ホルダーが付いているのを見た覚えがあった。
「うん。そうだな」
「それはどうして?
幹太はなんで包丁みたいによく使うものを遠くに置いてるんだい?」
日本に置き換えれば洋食のシェフにあたるダニエルからしてみれば、いつでも手の届く場所に包丁がないことはとても不便なことなのだ。
「ん〜?そりゃ今ダニエルさんが言った通りの理由ってことかな…」
「僕が言った通り…?」
「あ♪私、わかったわ♪」
「メーガン?何がわかったの?」
「芹沢様はあまり包丁を使わないのよ♪」
「はい!メーガンちゃん、大正解!」
「フフッ♪やったわ、ダニエル♪」
「メ、メーガン…そんなにしがみついたら…ぼ、僕、僕…」
ちなみにメーガンの妊娠が発覚して以来、ラ・フォンテ夫妻は禁欲生活に突入している。
「け、けど…包丁を使わないっておかしくないかい?」
「いや、俺だってもちろん仕込みでは使うよ。
けど、ラーメン屋って営業が始まっちゃうと包丁ってほとんど使わないからさ、たくさんどんぶりを並べる近くなんかに置いてあっても危ないし、邪魔なだけなんだよ」
一見、キチンと刃が隠れていれば大丈夫と思われがちだが、お昼などのラッシュ時には尋常でないほど激しく動きまわるラーメン屋の厨房において、これといって用もなく、少しでも危険な調理用具は遠ざけるのがプロの基本なのだ。
「っていうか、ダニエルさんはなんで包丁なんかを近くに置いてるんだ?」
生粋のラーメン屋である幹太にとっては、そちらの方が疑問である。
「えぇっと…リーキってたくさん切っちゃうと、置いている間にどんどんシナシナになってきちゃうでしょ?」
「リーキ…?アンナ、リーキってこっちの長ネギだっけ?」
「ですね」
「だからね、僕はあらかじめたくさん切っておかずに、いくつか注文が入るたびにリーキを刻んでるんだ」
「えぇっ!本当にっ!?」
お客の注文が入るたびに長ネギを切る。
それは日本でラーメン屋台をやっていた幹太にとって、とても信じられないことだった。
「うん。本当だよ♪
だったら、ちょっとやってみるね…」
ダニエルは調理台の下から慣れた手つきでリーキと呼ばれる長ネギを掴み取り、まな板の上に置く。
スダダダダダダダダダダダダダダッ!
「はい、できた♪」
そして五秒とかからずに一本を細かく輪切りにスライスした。
「す、すげぇ…」
「…私、幹太さんより包丁さばきの早い人、初めて見ました…」
ダニエルの包丁捌きを見た幹太とアンナは、ポカーンと口を開けて驚く。
「ね♪どうかな幹太?
こうすればいつもシャキシャキのリーキをお客さんに食べてもらえるでしょ?」
「あ、あぁ…みずみずしくて見るからに新鮮そうだし、絶対そっち方が美味しいと思う」
「やったよ、メーガン!
僕、幹太に認めてもらったよ♪」
「良かったわね、ダニエル♪」
ダニエルメーガンはギュッと抱き合って喜ぶ。
「俺の国でも注文のたびにネギを切る店もあるけど、ありゃ確か夜だけ営業の店だったよーな?」
ダニエルはラーメン屋にとって一番忙しい時間帯である、昼の時間にもそれを行っている。
「こんなの俺だってマネできないぞ…」
幹太がもしダニエルと同じように毎回ネギを切るとしたら、注文が滞ることはもちろん、麺が伸びるなどして肝心のラーメンの味さえ落としかねない。
リーズ公国の至宝とも言える天才料理人は、味覚だけでなく、切り物の技術においても幹太を遥かに上回っていたのだ。




