第215話 勘違いヤロウ
「で、ここまで来ちゃったけど…」
それからしばらく経ち、アンナとの試食会を終えた幹太はゾーイの部屋の前に立っていた。
というのも、先ほどアンナとの別れ際に、
「せっかくですから、幹太さんから直接誘ってあげて下さい♪」
と、言われたからである。
「よし、いくか…」
深夜に由紀以外の女性の部屋を訪れたことなどほとんど無い幹太は、緊張気味に部屋の扉をノックした。
トントン
「はーい」
「ゾーイさん?幹太だけど…」
「芹沢様?ちょっと待って下さい、今開けますから…」
幹太が待っていると、急いでこちらに向かってくる足音が聞こえた後、勢いよく扉が開いた。
「ハァッ、ハァッ…お、お待たせしました…」
「うん。いきなり来ちゃって悪かったかな?」
「いいえ、大丈夫ですよ♪」
ゾーイは扉を大きく開き、幹太を部屋の中へと招き入れる。
「ありがとう。
ゾーイさん、お風呂上がりだったの?」
ゾーイの髪は濡れており、とても良い香りがしていた。
「はい。先ほどアンナ様にお誘いしていただいて、クレア様と三人で大浴場に…」
アンナは幹太と試食会を終えた後、クレアとゾーイを大浴場へ誘っていたのだ。
「あ、そうなんだ…」
「芹沢様?どうかされました?」
「いや、あの…」
ゾーイの部屋に入ったところで、幹太はゴクリと唾を飲んだ。
「…大丈夫ですか?」
心配そうにそう聞くゾーイは、その瞳の色と同じ銀色に輝くシルクのパジャマを着ており、そのシャツのボタンは一つも留められていなかった。
つまり、パジャマのシャツはかろうじて胸の先端に引っかかっているだけで、胸の谷間からおヘソの辺りまで、湯上がりゾーイのツルツルお肌が丸見えだったのだ。
「ゾーイさん…ま、前は閉めた方が…」
「ふぇ?前…?キャッ!」
幹太の視線の先を確認したゾーイは、両手で胸の辺りを隠しながらしゃがみ込んだ。
「そうでした…私、まだ髪を拭いている途中で…」
「うん」
「ちょ、ちょっと待ってくださいね!」
ゾーイはしゃがんだまま幹太に背中を向けてシャツのボタンを留め、キチンと留まっているかしっかり確認してから立ち上がった。
「そっ…それで芹沢様は私に何かご用ですか?」
「あ、そうだった!
ゾーイさんは明日もクレア様の護衛の仕事?」
そう話しながら移動し、二人は隣りあってソファーに座る。
「いいえ…明日のお仕事ならお休みになりました。
明日はアンナ様とクレア様のお二人だけでお出かけするそうで、護衛はこちらの衛士隊の方々がして下さるそうです」
と、ゾーイはちょっぴり口を尖らせてそう言う。
「ゾーイさん、もしかして拗ねてる?」
「そ、そんなことはっ!」
「ふ〜ん、本当にぜんぜんない?」
「…実はちょっとだけ」
身分の高い者同士のお出かけで自分がそばに居られないのは仕方ないにしろ、離れた場所での護衛すら断られるというのはさすがに初めての経験だったのだ。
「ハハッ♪でも、今回は心配いらないと思うぞ」
幹太はこの時点で、アンナが自分とゾーイのために、クレアを誘ったのだと気付いていた。
『しかしアンナ…クレア様を誘っちゃて姫屋はどうす…って、あぁっ!』
さらにその直後、幹太はアンナが何を企んでいるかに思い当たる。
『もしそうだとしたら、こりゃ絶対見逃せないぞ…』
その結果、明日のデートどこかで必ず市場に行く事を決意したのだ。
「…さま?芹沢様〜?」
「あ、あぁ…ごめん、ゾーイさん」
「どうしたんです?なんかニヤニヤしてましたけど?」
ゾーイはそう言って、幹太の手に自分の手を重ねた。
「そりゃ明日の売り上げが気になって…じゃない!」
幹太はパチンと自分の頬を叩き、気持ちを切り替える。
「よし!だったら、明日はヒマなんだよね?」
「はい。これといって予定はないですけど…」
「なら、俺と二人で出かけないか?」
婚約者とはいえ、普段だったら女性に対してこのようにすんなりは誘えない幹太だが、今回に限ってはそうではなかった。
「えぇっ!いきなりどうしたんです!?」
「あ…やっぱりダメ?」
「ち、違いますっ!
ぜんぜんダメなんかじゃなくてすっごく嬉しいですけど…」
「だったら決まりでいいかな?俺も明日は一日空いてるし…」
「…はい。けど、急にどうしたんです?」
ゾーイはラーメン馬鹿の幹太が、姫屋を休んでまで自分と一緒に出かけようとしていることに驚いていた。
「だってさ、アンナや由紀やソフィアさんとは一緒に働いたりしてるけど、ゾーイさんとはずっと別々だっただろ?」
奥手な幹太が戸惑いもせずゾーイを誘ったのには、そういう理由があったのだ。
「…本当にそれが理由で?」
「うん。これまで気づかないでごめんな」
と、本当に申し訳わけなさそうな顔をする幹太を見て、ゾーイは一瞬だが思いきりポカンとしてしまった。
「…芹沢様」
「な、何かな?」
「芹沢様は…私が芹沢様と一緒にいられなくて寂しがっていると思ってくださったんですよね?」
「う、うん。そう思ってたんだけど…もしかして違った?」
もしゾーイにそういう部分がないのなら、先ほどクレアとアンナの話を聞いた時のように拗ねたりはしないはずだ。
「いえ、寂しくなかったといえばそんなことは…だけど…ん〜?」
ゾーイは両手を眉間に当てて俯き、何やら悩み始める。
「あの…ゾーイさん?大丈夫?」
「えっ!あ、はい、大丈夫ですっ!
えっとえっと…お、お出かけは明日ですよね?」
と、幹太に優しく肩を叩かれたゾーイはパッと顔を上げた。
「うん。そうだけど…行けそう?」
「ハイ♪明日はよろしくお願いします♪」
そして翌日、王宮の正門前にやって来た幹太は、ソワソワと落ち着かない様子でゾーイを待っていた。
「昨日のゾーイさん、なんか変な感じだったんだよなぁ…」
そうなのだ。
幹太がソワソワしているのは、単にデートの待ち合わせだからではなかった。
「それにあんまり寂しがってるわけでもなさそうだったし…」
昨日の様子を見る限り、ゾーイはここのところ自分とゆっくり会えていないのを、あまり苦に思っていないようだった。
「ひょっとしてゾーイさん…今日のデート次第じゃ結婚を考え直すなんてことに…」
「えっ?私が何をですか?」
とそこで、ブツブツ独り言を言っていた幹太の真横から声がした。
「わっ!ゾーイさん!?」
「おはようございます、芹沢様♪」
幹太に声をかけたのは、いつもの軍服ではなく、なぜか赤いブレザーに茶色いチェックのスカートの制服を着たゾーイだった。
「お、おはようゾーイさん。
あの…その格好はどうしたの?」
「フフッ♪これですか?
デートに行くならコレにしなさいって、今朝クレア様が貸してくださったんですけど♪」
そう言って、ゾーイはクルッと一回転する。
「似合いますか?」
「うん。めちゃめちゃ似合ってる…似合ってるんだけど…」
確かにゾーイの白に近い金髪と、赤いブレザーの制服という組み合わせは不思議なほど違和感なく似合っている。
ちなみにクレアがゾーイに貸したこの制服は、由紀と幹太が通っていた学校の制服ではない。
「それ…どうやって手に入れたんだ?」
幹太の知る限りでは、幹太の家に住んでいる間にクレアが制服を買って帰ってきたことなどなかったはずだ。
「この制服はこちらで作った物らしいですよ♪」
「マ、マジ?」
「はい♪マジです♪」
前回の転移ですっかり日本の制服が気に入ってしまったクレアは、学校に限らず、ありとあらゆる制服の型紙をタブレットに入れてこちらの世界に持ち込んでいた。
そしてそれをシェルブルック王室付きのお針子さんに預け、この制服を仕立ててもらったのだ。
「すごいな…そんなものまで持って帰ってきてたのか」
「さすがはクレア様ですよね♪
それで芹沢様…私が何を考え直すんです?」
「い、いや、あの…そ、そう!今日のデートはどうしようかなって…」
「ほぇ?私、絶対に行きたいですけど…?」
「…うん、そうだよな。ならいいんだ」
「フフッ♪では、さっそく行きましょっか♪」
二人は腕を組み、街に向かって歩き始めた。
「芹沢様、まずはどこに行きますか?」
「ゾーイさん、ブリッケンリッジ動物園って知ってる?」
「お話を聞いたことはあります。
ブリッケンリッジにこの世界で一番大きな動物園があるって、この前クレア様がおっしゃってました」
「うん。まずはそこに行こうと思ってさ」
「わ〜♪いいですね、ぜひ♪」
そうして街の中心部まで歩いた二人は辻馬車に乗り、一時間ほどで郊外にある動物園に到着した。
「芹沢様…なんか緊張してます?」
ゾーイは動物園の中に入ったばかりだというのに、隣にいる幹太が異常に汗をかいていることに気づいたのだ。
「いや…こ、こ、このデート次第で俺の結婚がどうなるか決まると思うと…」
「次第…?結婚?
芹沢様…まさか私との結婚がイヤになっちゃったんですか?」
幹太にそう聞くゾーイは、先ほど歩いていた時とはうって変わって悲しい顔をしている。
「違う違う!そうじゃなくて!
ゾーイさんが俺に見切りをつけるってことっ!」
幹太はゾーイの正面に回り込み、彼女の両腕を力強く掴んでそう言った。
「そんな…なぜ私が芹沢様に見切りを…?」
しかし、ゾーイは幹太の顔を見上げながらポロポロと涙を流している。
「うっ、そ、それは…」
そんなゾーイを見た幹太は、恥をしのんで素直に聞くことに決めた。
「ゾーイさん、昨日あんまり寂しそうじゃなかったから…」
「…それで今日のデート次第で、私が芹沢様との結婚を考え直すと思ったんですか?」
「…はい」
恨めしげな瞳でゾーイに聞かれた幹太は、心底申し訳なさそうにそう答えた。
「うわ〜ん!酷いです芹沢様〜!」
そして幹太がそう答えた瞬間、ゾーイは大声をあげて泣き崩れた。
「ごごご、ごめんなさい!」
と、焦った幹太はすぐさまジャンピング土下座する。
「うっ、うぅ…ひっく…せ、芹沢様は…私がちょっと会えなかったぐらいで心変わりするような人間だと思ってたんですか…?」
「うん。そ…」
「うわ〜ん!うんって言ったぁ〜!」
「いやいや違うって!
うん、そりゃ違うよな!って言おうとしてたのっ!」
「ほ、本当に〜?」
「本当!本当!」
そう話している間、パニック状態の幹太はずっとゾーイの頭をヨシヨシしていた。
「パオーン!パオーン!」
「キィー!キィー!ヒューワッ!ヒーワッ!ヒッヒー!」
さらに幹太たちの周りでは、同じくゾーイの泣き声にパニくったゾウさんやお猿さん達が、鳴き声を上げたり檻を叩いたりしている。
そしてそんな阿鼻叫喚の状態から数十分後。
「お、落ち着いたかな、ゾーイさん?」
「はい…」
ゾーイと幹太は、動物園内の公園にあるベンチに座っていた。
「本当にごめんな、ゾーイさん。
俺、昨日の様子だけでゾーイさんが寂しがってないなんて思っちゃって…」
幹太はようやく泣き止んだゾーイの前に立ち、もう一度謝った。
「グス…グス…あ、でも…確かにちょっとだけそうで…」
「ちょっとだけそうって…あんまり寂しくはなかったってこと?」
「も、もちろん芹沢様にはいつも会いたいと思っていましたよ!
リーズとシェルブルックで離れ離れの時も寂しかったですし!
ですけど…身近に芹沢様がいる今の状況で、すっごく寂しかったかと言われたら、それほどじゃない気がするんです」
「お、おぉ〜?そりゃ一体どういう気持ちなんだ…?」
正直に言って、アンナが心配するほど一緒にいないにも関わらず、それを寂しくは思わないゾーイが、間違いなく自分と結婚できるだけの好意を持っているということに幹太は混乱していた。
「…でしたら芹沢様、少しだけ私のお話を聞いていただけますか?」
そんな幹太は見て、ゾーイは改めて自分の気持ちをしっかり伝えようと決めたのだ。




