第199話 ソフィアの迷宮案内
久しぶりに元祖の八王子ラーメンを食べました。
完食後、最高以外の言葉がありませんでした。
「じゃあタレはまだ決まってないんですか〜?」
「そうなんだよ。それが決まらないから具に行けないだよなぁ〜」
翌日の営業後の帰り道、ソフィアと御者台に乗った幹太は情けない顔でそう言った。
「スープが全部決まらないと麺も作れませんからね。
まだ焦らなくても大丈夫ですけど、早く決めていただけると助かります」
と、二人の間に顔を出したのは、姫屋の後ろで残り麺を数えていたアンナだった。
「いや、俺だって決めようとは思ったんだけど、隣でアンナがチャーシュー食べまくるから…」
「ほぇ?なんです?」
と、御者台に顔を出したアンナの口からは、つまみ食いしたチャーシューがハミ出している。
「いや…なんでもない…」
「幹太さん、これまでタレってどうやって作ってたんですか〜?」
姫屋の営業中はいつも幹太と一緒にいるソフィアだが、ラーメンの研究中はあまり一緒にいたことがないのだ。
「ん〜と、例えば醤油ダレだと、こっちの世界のもので日本に似た味の醤油を探して仕込んだかなぁ〜?」
「あ〜探しましたね…アレってどこでしたっけ?」
「ん〜?確か…サースフェー島から大陸に渡ったとこだよな?」
「ラークスですか〜?」
「そう!そこ!
でも、なんでソフィアさんはあんなに遠い場所を知ってんの?」
「私、卸しのお仕事でラークスまで行ってましたから〜♪」
ジャクソンケイブ村に住んでいた頃のソフィアの主な仕事は、村で採れた野菜を遠く離れた海側の街まで運ぶことだったのだ。
「しっかし、醤油も味噌も似たようなのがこっちの世界あったのはラッキーだったよな」
「えぇ、大豆はどちらの世界でも一緒でしたね。
その証拠に幹太さんと私たちの間では、最初から大豆という言葉が通じましたから」
つまり翻訳魔法の法則上、お互いの世界に同じものがあるということになるのだ。
「ウチの村でも大豆と小麦は作ってますからね〜♪」
「たぶんその二つは、人間がいるとこならどこでも栽培してるんだろうな…」
事実、幹太のいた地球の世界では、すべての大陸で大豆は栽培されている。
「そういえば…日本の幹太さんの屋台で一番出るのは醤油ラーメンでしたよね?」
アンナは頬に手を当て、う〜んと思い出しながらそう聞いた。
「あぁ…」
「ということは、やっぱり醤油ラーメンでいくんですか?」
幹太は、すでに何度もこちらの食材を使って醤油ダレを仕込んでいる。
東京の屋台のスープと合わせるならば、原材料が日本と同じ醤油ダレじゃなくとも、こちらで仕込んだ醤油ダレを使って醤油ラーメンにするのが一番良いのではないかとアンナは考えていた。
「うん。俺も真っ先にそう思ったんだけど…」
「でしたら…」
「でも、それじゃ面白くないだろ?」
「こ、ここへ来て面白さですか…?」
と、さすがのアンナも思わずそう聞き返した。
いくらまだ時間があるとはいえ、一つのラーメンを完成させるために必要なことは他にもたくさんあるのだ。
「うん。もちろん味もキッチリ美味しくするよ。
でもさ、日本ウチのスープにほぼほぼ理想の味になってるこっちの醤油ダレを合わせてもぜんぜん面白味がないし、俺たちっぽくもないじゃん?」
「じゃ、じゃんて言われましても…」
「フフッ♪確かにそうですね〜♪」
「な、そう思うでしょ。さすがソフィアさん♪」
と、結婚する五人の中でもとりわけ呑気な二人は、御者台の上でイェーイとハイタッチをする。
「…でしたら、まずはどのタレを試しましょうか?
当然、味噌か塩ですよね?」
「うん。だから今は味噌を仕込んでる。
アンナも昨日見ただろ?」
「昨日…?あ、小さな鍋に入ってたやつですか?」
幹太は昨晩アンナが厨房に来る前に、こちらの食材でラーメン用の味噌ダレを仕込んでいた。
「そうそう。
ラーメン用の味噌は合わせ味噌に唐辛子とか酒を混ぜて作るんだけど、仕込んだ後にちょっと寝かせないとダメなんだよ」
作りたての味噌ダレをそのままラーメンのスープに溶かすと、味噌に混ぜたものの味がバラバラに感じるようなコクの無い味噌ラーメンになってしまう。
なので自家製で味噌ダレを作る場合は、冷蔵庫の中で一日〜二日、味を馴染ませる必要があるのだ。
「いつもおっきな鍋でやってたから気付きませんでした…」
「まぁ今回は試作用だからな」
「幹太さん、塩ダレのほうはどうするんですか〜?」
そう聞いたのはソフィアである。
「塩は塩のままで大丈夫なんだけど、そういやまだなにも買ってなかったな…」
ラーメンのタレの中で塩ラーメンは、唯一本当に塩だけでもスープのタレになるのだ。
「こっちにはグルタミンもあるからそれとミックスもできるけど、できれば塩のだけでやりたいな…」
グルタミンとは、一般家庭でもよく使われる旨味調味料の成分である。
一時期、旨味調味料の中で一番有名な商品が石油から作られているというデマが流れ、それからプロの世界ではその商品名ではなく、成分の一部であるグルタミンや、それを略してグルというのが通称となったのだ。
そしてこちらの世界では、サトウキビを原料にした日本とほぼ同じものが流通していた。
「ですと、中央市場ですかね?」
「まぁ、そうなるな…」
「でしたら♪明日の朝ですね〜」
そして翌日の早朝、アンナ、幹太、ソフィアの三人は仕事前に中央市場にやって来た。
「乾物屋さんですよね?」
「ほぇ?調味料とスパイスの専門店じゃないんですか〜?」
「えっ!そんなのがあるんですか?」
驚いたアンナは、まだ眠そうな幹太を見た。
「ふぇ…?俺もしらない…かな?」
「フフッ♪幹太さん、まだちゃんと起きてませんね♪」
「えぇ♪朝の幹太さんもカワイイです〜♪」
働き者である幹太の唯一の弱点は、朝に弱いことだった。
「しかし、調味料とスパイスのお店ですか…?」
「えぇ、私もこの間市場をお散歩していて偶然見つけたんですけどね〜♪」
ソフィアはお昼終わりから夕方の営業までの昼休みの時間に、この市場を隅から隅まで散歩するのが趣味なのだ。
「つい最近、奥の方にできたんですよ〜♪」
ソフィアはそう言って、まだ眠そうな幹太の手を引きながら市場の奥へとズンズン歩いていく。
「すごい…私、こんな奥まで来たことないかも知れません…」
と、ソフィアの後ろを歩いていたアンナは、辺りを見回しながら思わずそう呟いた。
「たぶんこの辺りは、キチンと許可を取って増築された場所じゃありませんから〜」
「へっ!本当ですかっ!?」
確かによく見てみると、この辺りにある店舗は歪んでおり、中には露天のように敷き物を敷いただけの簡単な店もある。
「わ、私、この市場にこんな場所があるの知りませんでしたよ…姫屋の一員なのに…」
最近のアンナは、王女よりも姫屋の一員という気持ちでいることの方が多いのだ。
「フフッ♪たぶん幹太さんも知らないですよ〜♪」
「あ、あぁ…ここ、どこ…?」
「…って、ソフィアさんは一人でここに来てたんですか?」
いくら首都にある市場とはいえ、パッと見治安の悪そうなこの辺りをソフィアが一人で歩くのは、アンナには危険に思えた。
「お仕事で色んな地方の市場に行きましたけど〜、どこの市場にもこんな場所はあるんですよ〜♪」
「そう言われれば…あった気もしますね…」
アンナもアンナで、幹太との旅の道中では様々な土地の市場に寄っていた。
「中には闇市しかない街もありますからね〜」
「ソ、ソフィアさん…そんな場所にも野菜を卸してたの?」
そう聞いたのは、ソフィアに今だに手を引かれながら行き交う人にぶつかりまくっている幹太だった。
「はい。古いお付き合いのお店の中には、こんな様な場所に出店しているところもありましたからね〜」
「つまり…それほど治安が悪いってことじゃないんですね?」
「そうですね〜少なくとも私が卸しの仕事をしていた時に、危ない目に遭ったことは一度もなかったですよ〜♪」
「…でしたら、ここはこのまま兵士の皆さんにパトロールをしてもらうことにしましょう」
「ほぇ?アンナさん、それでしたらもういらっしゃいますよ〜」
そう言ってソフィアが指差す先には、シェルブルック衛兵隊の制服を着た兵士が歩いていた。
「ほ、本当にいますね…」
「えぇ。ですから私、てっきりアンナ様はこの場所を知っているものと〜」
「アナは知りませんよ…」
三人に背後から突然現れたのは、今日もしっかりアンナの護衛をしているシャノンだった。
「シャノン…ワザとやりましたね?」
シャノンがいるとわかっていたアンナは、そう言ってため息をつく。
「えぇ…まぁ…」
「まったく…見て下さい、お二人が固まってしまいました」
いきなりシャノンが現れたことに驚いた幹太とソフィアは、振り返った姿勢のまま固まっていた。
「それは失礼を…」
「…それでこの辺りですけど、本当に危険はないんですか?」
「はい、アナ。
パトロールも強化してますし、最近はビクトリア様の指示で、この辺りの店舗の登録と改修も始まってます」
妹のこととなるとポンコツのビクトリアだが、王女としては才女であるクレアが手本にするほど仕事が出来るのだ。
「そうですか♪お姉様が知っているのなら、何も心配はいりませんね♪
ソフィアさん、大丈夫ですか?」
「は、はい〜」
と、アンナに声をかけられたソフィアは、再び幹太の手を引きながら市場を奥へ奥へと進む。
「あ!ここです〜♪」
そうして四人は、ようやく調味料とスパイスの店にたどり着いた。




