第198話 チャーシューあれこれ
私のいた店ではモモ肉のブロックでした。
「ま、まぁ由紀にはそのうち気持ちを伝えるとして、とりあえずは結婚式のラーメンを作ろう！」
「私に言ってくれた時はあんなにカッコ良かったのに…直前になってヘタれるなんて…」
あのあと由紀を見かけた幹太は、気持ちを伝えることなく王宮のキッチンへ逃げ込んだのだ。
「それで、どこまで進んだんです？」
アンナはここのところ式の準備で忙しく、珍しく幹太とラーメンの研究をしていなかった。
「そっか…そういやアンナと一緒にやる時間なかったな」
「はい」
「えぇっと…とりあえず基本のスープは決まったよ」
「えっ！もうですか？」
「うん。テーマが俺たちって決まっから、けっこう良いアイデアが浮かんでさ…」
幹太はキッチンの隅にある魔術式のコンロに移動して、その上に乗る寸胴鍋のフタを開けた。
「ほら、こんな感じ…アンナならわかるかな？」
「わかるって…中に入ってるものがですか？」
「うん」
「ん〜？」
アンナはプカプカとタマネギの浮かぶ鍋の中を覗き込む。
「にんじんにタマネギ…骨は…鶏ガラと豚骨と…あと、モミジも入ってますか？」
「うん」
モミジとはニワトリの足先である。
「でしたらこれは…日本の幹太さんのラーメンスープと一緒なんじゃないですか？」
「おぉ！正解！」
「アンナやりました♪大正解ですっ♪」
そうなのだ。
幹太が今回の結婚式用ラーメンに選んだのは、幹太が東京の屋台で使っていたスープそのものだった。
「まずはスープをどうしようって考えてたら、なんだか自然とこのスープが浮かんだんだよな…」
「ひょっとして、このスープで幹太さんを表現してる…とかですか？」
「ん〜？もし表現してるとしたら、俺と由紀ってことになるかな…」
そう言われてみると、確かに自分がこのスープを使おうとしている理由は、生まれてからずっと一緒にいる自分と由紀を表現するためのように思えた。
「そっか、俺と由紀の原点なんだ…」
「お二人の原点…？」
「あぁ…東京の俺のスープは、親父が使ってたラーメンスープをベースに俺が改良したって、ずいぶん前に話しただろ？」
「えぇ、聞きましたね」
元板前の正蔵は、和食の知識を使ってラーメンスープを仕込んでいた。
日本での幹太のスープは、それをベースにして作られたものである。
「俺の中での由紀との一番の思い出はさ、小さな頃にその親父のラーメンを二人で分けて食べてたことなんだよ…」
毎日二人で同じ通学路を歩き、何度もお互いの家族で旅行もしたが、由紀との思い出で最も幹太の印象に残っているのは、二人並んで自宅の店のカウンターに座って、父親のラーメンを食べていたことだった。
「そんで俺がこのスープでラーメン屋台を始めてからは、いっつも由紀に手伝ってもらってたし…」
というより、アンナが日本に来るまでは、幹太のラーメン屋台を手伝だったことがある者は由紀しかいなかったのである。
「うん。そう考えると、今回のスープにはこれが一番な気がするな…」
そう言って、幹太はふつふつと沸き始めたラーメンスープを見つめる。
「すっごく素敵です♪
このスープ中に、お二人の思い出が詰まっているんですね♪」
「ま、まぁ、そうなるのかな…？」
「それに、幹太さんが私たち夫婦の中心になるって感じがしてすっごくいいです♪」
と、勝手にトキメキはじめたアンナは、幹太の手を掴んで上下にブンブン振る。
「お、おう…」
「…けど、ちょっと待ってください…」
しばらく腕を振り続けたアンナは、そこでピタッと動きを止める。
「もしかしてこれは…スープは幹太さんと由紀さん…麺は誰…具は誰といった風に決めていくことになるのではないですか…？」
「そうなんだよ…俺たち五人の個性っていうと、そうやるしかなさそうなんだよな。
けど、それだと…」
「それだと難しいですか？」
「その方法だと、五人のイメージを使ってバラバラに作った具や麺を合わせてみてどうなるか…」
「フフッ♪それなら心配いりませんよ♪」
と、アンナは笑顔で隣に立つ幹太の顔を見上げる。
「だって私たちは、こんなにもお似合いなんですから♪」
「な、なるほど…」
ラーメンと人間で同じわけはないのだが、アンナはなぜか自信満々で胸を張る。
「では、次はどれを決めましょうか？」
「基本通りでいくなら、次はタレかなぁ〜」
幹太はそう言いながら調理台の上に丼を置き、沸いたスープに日本から持ってきた醤油ダレを合わせてアンナの前に置いた。
「はい、お姫様」
「ありがとうございます。いただきますね♪」
アンナはそう言って、流れるようにコクリと一口スープを飲む。
「うん♪うまい♪…って！そりゃ美味しいに決まってます！」
この瞬間、アンナはこちらの世界で初めてノリツッコミをした王族となった。
「これじゃあいつもの幹太ラーメンですっ！」
「そうなんだよ…さすがにタレまで一緒じゃダメなんだよなぁ〜」
「それにタレまで同じにしたら、幹太さんと由紀さん分が強すぎです…ハグハグ…」
そう言いつつ、アンナは調理台の上にあった試作のチャーシューを、何も聞かずにスープに浸して食べ始めた。
「あの…このチャーシューはなんなんです？」
「それはこっちのブリッケンXを日本の仕込み方で煮たチャーシュー」
ブリッケンXとは、このブリッケンリッジの郊外で育てられている豚の品種である。
「スープにつけてこれですから…ちょっとパサパサしすぎですか？」
「うん。やっぱりいい豚肉でも煮すぎると硬くなるんだな」
「へっ？そうなんですか？」
アンナのイメージでは、豚肉はどの部位であっても煮れば煮るほど柔らかくなるものと思っていた。
「うん。モモ肉なんかは煮すぎるとカッチカチなっちゃうんだよ」
「モグモグ…ふぉれはモモだったんですふぁ？」
と、アンナはチャーシューでいっぱいの自分の頬を指さす。
「そうだよ。いい肉だから試しにやってみたんだけど、やっぱり煮る時間の調節が難しいな…」
「ふぉ…ゴクン、これはこれで私は好きですけどね♪」
「日本のラーメン屋でも、モモ肉でチャーシューを作ってるとこってけっこうあるからなぁ〜」
「それってロースとかバラよりもお値段が安いからですか？」
「あぁ、それもある…けど、それだけじゃないんだ」
「他にも何か理由が？」
「うん。実は硬めなぐらい締まってる肉の方が、タレを吸い込んだ時に美味しくなるんだよ」
「なるほど、ということは…」
何かに気づいたアンナは、幹太がラーメンに使った醤油ダレを直接チャーシューに付けて食べる。
「ホントです！ちょっと濃いタレを付けただけで、かなり美味しくなりますね♪」
「しかも熱いスープの中に長く浸っててもボロボロ崩れたりしないから、ガッツリ系のラーメンとかチャーシュー丼にはモモ肉の方が良かったりもするんだぞ」
特にチャーシュー丼をやわらかい肩ロースで作ると、最後の方は肉の脂でご飯がギトギトの脂まみれになってしまうのだ。
「丼もの専門店でもない限りラーメンとチャーシュー丼には同じチャーシューを使うから、どっちも出してるお店だとモモ肉を使ってるとこはけっこうあるぞ」
「そんな話を聞いていたら、ちょっとお腹がすいてきましたね…」
「ハハッ♪じゃあタレの実験ついでにチャーシューも試食してみるか？」
幹太は保冷庫の中から、あらかじめ様々な肉で仕込んでおいたチャーシューを取り出す。
「ダッ！ポーゥ！たっかっらっ箱♪キター！」
それを見た途端、お肉大好きのアンナはキング・オブ・ポップのごとく爪先立ちをして絶叫し、ムーンウォークで移動しながら肉切り包丁を掴んだ。
「か、幹太さん、ハ、ハヤく、それヲコチらに…」
早くも理性を失い始めたアンナは、シャープナーで肉切り包丁を研ぎながら、ユラリユラリとチャーシューを持った幹太に近づく。
「ア、アンナ…せめて切るのは俺が…」
大きな包丁を使ってのチャーシューのスライスは、一定の厚さで切ることが想像よりも格段に難しい。
その上、厚さを揃えなければ歯応えの面で試食の意味がなくなってしまうのである。
「でハ、ハヤク切ってクダさい…ハヤくカンタ…スライス、イマスグ…ニ、ワタシ、コロシテ…」
幹太が戸惑っている間に、すでに王女は唾液を垂れ流す半獣と化している。
「わ、わかった！すぐやるからっ！」
そう言って、幹太は目をギラつかせるアンナから包丁を奪い取る。
結局その後、幹太はタレの試食用に作るはずだったラーメンを、すべてチャーシュー麺に変更せざるを得なくなったのだ。
