第184話 決断
『どうしよう…?』
実を言うと、この後に及んで澪はまだ向こうの世界に行くか悩んでいた。
『時間を遡って戻って来れるなら、何も問題はないはずなのに…』
先日それを聞いた瞬間は、すっかりアンナたちの世界に行くつもりだった。
『けど、こっちでやっていることはぜんぶ中途半端になっちゃうんだよね…』
澪が踏み切れない大きな理由の一つはそれだった。
いくら時間を巻き戻せると言っても、あまりに期間が空いてしまえば、今までしてきた大学の勉強などは一からやり直しになるだろう。
それに、大学に通うために毎日のように二つの世界を行き来するのは、いくらなんでも無理がある。
『えっ!これ…なに?』
と、そんな風に悩んでいた澪の視界の隅に、見慣れない光が差し込んだ。
「すごい…」
庭の中央で輝く魔法陣を見た澪は、思わずそう呟いた。
「マ、マジかよ、芹沢…魔法ってこんなに綺麗なのか?」
「あぁ…けど、こりゃ前回までとは違うな」
「前回までは赤く光ってなかった?」
「うん。確かそうだったな。
それに、最初からは光ってなかったと思う」
由紀の言う通り、前回までは起動した魔法陣は赤く光っていた。
しかし、今回アンナが起動した魔法陣はマリンブルーに光っている。
「亜里沙さん、澪さん…」
と、そこで二人に近づいたのは、魔法陣の起動を終えたアンナとシャノンだった。
「今回も大変お世話なりました。
転移魔法が安定したら、ぜひお二人を私の国に招待させて下さいね♪」
アンナはあえてしつこく誘うことはせず、澪がこちらに残るものとして挨拶をする。
「アナ共々お世話になりました。
前回のアナの分と今回お礼は、次回必ず致します」
「あぁ。思いっきり期待しとくよ。
アンナもシャノンさんも元気でな♪」
「うん。もしそうなったら、絶対アンナちゃんたちの世界に行かせてもらいます♪」
「あら、だったら私の国にも来ないとダメよ♪」
「でしたら私の村にもご招待します〜♪」
「す、すいません。私の国はちょっと…」
そう言ったのは、クレア、ソフィア、ゾーイである。
三人は荷物を魔法陣の中に置き、亜里沙と澪に挨拶をするために一度外へ出てきたのだ。
「私たちも、次に皆さんが来たら行きたい場所を考えておきますね♪」
「だな。みんなで旅行するってのもありかも♪」
「いいわね、それ♪」
東京に帰ってからこちらの情報を集めまくったクレアは、まだまだ行きたい場所がたくさんあるのだ。
「そろそろですかね…」
振り返って魔法陣の色が濃くなっていることを確認したアンナは、魔法陣の中へと戻る。
それに合わせて、アンナ以外の異世界人四人も魔法陣の中へと入った。
魔法陣の外に残ったのは、澪と亜里沙に最後の別れを告げるために残った由紀と幹太だけである。
「澪、亜里沙…」
「由紀…」
由紀は再び涙ぐみ、澪と亜里沙の手を握った。
「ぜったい会えるって信じてても、すっごい寂しいよぉ〜」
「バッ、バッカ由紀!もう泣くなって!
わ、私までまた…」
涙を流す二人を見た澪は、自然と心を決めていた。
『こっちでしたいことを全部やり切ってから、アンナちゃんたちの世界に行こう』
夢である資格もまだ取れておらず、実績もない自分が今向こうに行ったとしても、後々必ず後悔する。
だったら全てをやり切って、キチンと両親の了解を得てから向こうの世界に行けばいい。
『それに芹沢君のことは大丈夫。
だって私、芹沢君以外の人を好きになれないし…」
一夫多妻が許されるなら、もっと魅力的な自分になった後に幹太をどうにかすれば、いつだって結婚はできるのだ。
『うん。だったら、今回は笑顔で見送ろう』
先ほどまであれこれ悩んでいたはずの澪は、瞬く間にそう決めていた。
「芹沢君、またね♪」
澪は幹太の前に立ち、彼の両手を握った。
「あぁ。またな、広川さん」
「最後に一つお願いしてもいい?」
「う、うん。俺にできることなら」
「良かった♪
だったらこれからは私のこと、澪って呼んでくれる?」
「あ、あぁ。別にいいけど…」
「じゃあ呼んでみて♪せーの、ハイ!」
「み、澪…」
「もう一回♪」
「澪…ちゃん」
「フフッ♪それ、懐かしい♪」
「えっ?懐かしいって…?」
「芹沢君、小学校の初めの頃は、私のこと澪ちゃんって呼んでたんだよ♪」
「へっ?そうだった?」
「うん♪」
「そっか…」
幹太と澪はそのまましばらく見つめ合い、やがて澪の方から手を離した。
「いってらっしゃい♪」
澪は今できる最高の笑顔でそう言って、一歩後ろへと下がる。
「あ…うん。行ってきます」
幹太の返事を聞いた澪は振り返り、再び号泣する由紀へと近づいた。
「フフッ♪すごい顔だよ、由紀ちゃん♪」
澪は懸命に笑顔を保ちながら、涙と鼻水でベッシャベッシャな由紀の顔をハンカチで拭う。
「由紀ちゃんもいってらっしゃい♪」
「み、澪…澪ぉオェェ〜」
「ゆ、由紀ちゃん泣きすぎだよ〜」
「ハハッ♪ほら、大丈夫か由紀?」
と、あまりの寂しさにえずく由紀を、亜里沙と澪は苦笑しながら支えた。
「皆さーん!そろそろいいですかー!」
とそこで、魔法陣の中心に一番大きな魔石を設置し終えたアンナが四人に声をかける。
「大丈夫でしたら、お二人も中に入ってくださーい!」
「おぉ!そんじゃ行くぞ、由紀」
「は、はいい〜」
幹太はヨレヨレの由紀を二人から受け取り、後ろ向きに引きずるようにして魔法陣の中に入った。
「臼井さんも元気で!」
「あぁ!芹沢も頑張れよ!」
そう挨拶を交わして、幹太と由紀はアンナが立つ魔法陣の中心へと進む。
「では、魔法の使える全員で転移の呪文を唱えます!
クレアとゾーイさんはそちらへ!
ソフィアさんとシャノンはそちらの方に立って下さい!
私が呪文を唱えたら、その通りに復唱をお願いします!」
アンナの指示通り、四人はアンナと幹太と由紀のいる魔法陣の中心から離れ、円のギリギリ内側に立った。
「彼の国は…世界の果てより遥かむこう…」
「「「「彼の国は…世界の果てより遥かむこう…」」」」
「旅立つ者を望むままの時、所へと誘いたまえ…」
「「「「旅立つ者を望むままの時、所へと誘いたまえ…」」」」
五人が呪文を唱えるにつれ、魔法陣はより一層輝きを増し、円の中にいる七人を包み込む。
「こ、こりゃすごいな…」
「う、うん。私、目の前で起きてることが信じられないのって初めてかも…」
亜里沙と澪は、ぽかーんと口を開けたままその様子を見ていた。
「…行っちまうな」
「うん。しっかり見送ろうね、亜里沙ちゃん」
「そうだな。どーせすぐ帰ってきそうだしな♪」
と、二人が頷き合ったところで、転移魔法の影響であろう大きな揺れが芹沢家を襲った。
「ちょ、ちょっとアンナ!これって正常な状態!?」
「大丈夫ですから!クレアは呪文を続けて下さい!」
アンナはそう言うが、その揺れは普段から地震を経験している四人の日本人でさえしゃがみ込むほどである。
「か、かかか幹ちゃん!な、なんか最初の時と似てない!?」
「お、おおおぅ!俺もそそそそう思ってた!」
前回むこうの世界に帰った時も、シャノンがあまりに巨大な魔石を使ってしまったために、今回と同じような状態になったのだ。
「ななななんかこれ!マズくないか!?」
「こ、こここだけ揺れてるみたいだよ!亜里沙ちゃん!」
澪が見た芹沢家の外では、子供が普通に自転車に乗っていた。
「ご、ごめん!もうダメだわっ!」
あまりの揺れの激しさに、円のギリギリ内側に立っていたクレアが四つん這いになり、体の一部が魔法陣の外に出てしまう。
「あ!クレア様!」
と叫んだゾーイの声に、いち早く反応したのは亜里沙だった。
「亜里沙ちゃん!気をつけて!」
「大丈夫!澪はそこにいろよー!」
亜里沙はバランスを崩しながらもクレア近づき、その小さな体を魔法陣の中へと引きずり入れた。
「こ、こここれでよし!じゃあ…」
ゴンッ!
そう言って外に出ようとした亜里沙を、なにか透明な壁のようなものが阻む。
「あ、あれ?あれ?」
ゴンッ!ゴンッ!
と、亜里沙は何度も外に出ようとするが、その度に見えない壁に阻まれている。
「アンナー!この壁どうなってんのー!?」
「ちょっとわかりませーん!」
この場所で一番魔法に詳しいはずの人間から返ってきた言葉は、亜里沙にとって絶望的なものだった。
「マ、マジ…?」
そんな亜里沙のスカートを、足元で屈んでいたクレアがクイクイと引っ張った。
「亜里沙…申し訳ないけど、もう行くしかないと思うわ…」
そう言うクレアは、心底気の毒そうな顔をしている。
「くっ…まだ!」
諦めきれない亜里沙は、何かないかと辺りを見回した。
「亜里沙ちゃんずるい!だったら私も行くっ!」
しかし目に入ってきたのは、トンチンカンなことを言っている澪の姿だけだった。
「イヤッホー!では行きますよー!
全員!飛んでけー!」
と、アンナが師匠譲りのテンションで叫ぶと同時に、亜里沙や他の魔法陣の中にいるメンバーの体が、足から徐々に消えていく。
「ウ、ウソだろっ!ちょ待って!待って待って!待ってぇー!」
という亜里沙の絶叫と共に、魔法陣の中にいた全員の姿が消え、芹沢家の庭には呆然とする澪だけが残された。
ようやくここまで来ました。
次回、ついに異世界編再開です。




