第180話 緊急会議
そしてそれから数週間、幹太たちは屋台の営業に、クレアとゾーイはこちらの世界の文化の吸収にと忙しく過ごしていた。
「あの…皆さん忘れてませんか?」
そんなある日のこと、皆を芹沢家の居間に集めたシャノンは、神妙な面持ちで話を切り出した。
「何をです?」
そう聞いたのは、麺の仕込み直後で粉まみれの黒いTシャツを着たアンナだった。
交代で屋台の手伝いをしている女性陣は、幹太と同じ白衣ではなく、お揃いの黒いTシャツで仕事をしている。
「私たちの世界に戻ることをです」
「「「「「「……」」」」」」
「…忘れてたんですね」
「な、何言ってんのよ、シャノン!
私は忘れてなかったわっ!」
「確か…クレア様はずいぶん先の演劇を春乃様と観に行く予定でしたよね?」
「うっ!なんでそれを…?」
「ですので、今日はこれからについて話し合っておこうかと…」
「…あの、その前にちょっといいかな?」
と、若干言いづらそうにシャノンの話に割り込んだのは由紀だった。
「み、澪はどうしてここに…?」
「えっ?ダメかな?」
「ううん。ダメじゃないんだけど…」
「あの…澪さん?」
「うん。なにかなアンナちゃん?」
「な、なんだか幹太さんと近くありませんか?」
そうなのだ。
今朝になって急に決まった話し合いにもかかわらず、澪はなぜかこの場に来ていた。
しかもこの居間にやって来てから、ずっと幹太の肩に寄りかかって座っている。
「広川さん、も、もうちょっとだけ離れてくれると…」
「芹沢君…このままじゃダメ?」
と、幹太に困った顔で頼まれた澪は、上目遣いで瞳を潤ませながら幹太に聞く。
「ダメじゃないっす!ぜんぜんオッケーっすっ!」
「フフッ♪良かったぁ〜♪」
「「「「「「……」」」」」」
幹太の反応を見た六人は、とりあえず速攻で隣のキッチンに集合した。
「由紀さん、幹太さんはお断りしたんですよね…?」
と、まずはアンナが確認をする。
「うん。それは間違いなくそうだったんだけど…」
現に亜里沙と由紀は、その現場をしっかり見ている。
「もしかして…フラれたという現実に耐え切れずにあのように?」
「た、たぶん違うよ、シャノン。
あのね、あの後やっぱり諦められないって言ってて…」
「それで澪さんは、ああやって幹太さんにくっついてるんですか〜?」
「あら?珍しいじゃない、ソフィアが嫉妬するなんて♪」
「そ、そんなことは〜」
「フフッ♪素直に言いなさい、ソフィア♪
本当はあるでしょ?」
クレアはニヤニヤしながら、ちょっぴり膨れたソフィアの頬をつついた。
「…はい。少しだけはあるかもです〜」
実を言うと、ソフィアは皆と一緒に芹沢家に住むようになってから、幹太とイチャイチャしたいのをずっと我慢していた。
人目につかないところではなにかと大胆な彼女だが、どうやら素面の時にみんなの前で幹太に甘えるのは恥ずかしいらしい。
「そうなんだよね。澪、私たちが帰るまでに、幹ちゃんをどうにかしようと思ってるみたいで…」
「なるほど…それで色仕掛けですか。
今の幹太さんには、ものすごく有効でしょうね」
「そうだね〜最近の幹ちゃん、すっごいエッチだからねぇ…」
そう言ってアンナと由紀が見る先には、だらしなく鼻の下を伸ばす幹太がいる。
「私、あんなネッチョリした澪って初めて見るよ…」
「えぇ。あの笑顔…ニコッっていうよりニタァ〜って感じです」
「クレア様、愛情も行き過ぎると、自分を壊してしまうんですね?」
ゾーイと初めて会った時の澪は、とてもじゃないがあんな笑い方をするような女の子には見えなかった。
「ん〜?どうかしら?
私の見立てじゃ、あれが本当のミオの姿だと思うわ♪」
さすがに色々な交渉をしているだけあって、クレアの観察眼は広川澪という人間の本質を正確に見抜いていた。
「と、とにかく!私たちもああならないように気をつけましょう!」
そんな信じたくはない事実を打ち消すように、アンナは大きな声で婚約者たちにそう呼びかける。
「「「はい♪」」」
そうして六人はちゃぶ台に戻り、話し合いを再開した。
「ふぅ、では本題に戻りましょう。
シャノン、続きをお願いします」
「まずは帰る時期ですが…」
「けど、シャノン様、帰りの魔術はどうなさるんです?」
ゾーイの記憶が正しければ、自分たちがあちらの世界から持ち込んだ帰還の魔術式は、五人分の計算で組まれたもののはずである。
「帰還の魔術…そうなんです、それが一番の問題なんです」
「こ、このままやるのは絶対ヤバい気がするよね、幹ちゃん?」
「う、うん…」
と、幹太と由紀は震えながら手を繋ぎ合う。
どうやら二回の転移失敗は、二人の日本人に大きなトラウマを与えてしまったらしい。
「そっか…このまま向こうに戻れなければ…」
そしてそんな幹太の背中には、なにやら不穏な事を呟く澪がピッタリと寄り添っていた。
「導師の起動式はアナが持ってましたよね?」
「えぇ。ここに…」
アンナは自分のカバンから魔法陣の描かれた紙を取り出し、ちゃぶ台の上に広げた。
「まぁ…そりゃ五人用よね」
クレアの言う通り、紙に描かれた円形の魔法陣の内側には小さな五つの円が描かれており、そこに元々こちらに来る予定だった五人の名前が書いてある。
「当たり前だけど、私とシャノンの名前はないわね」
「申し訳ありません、クレア様」
「シャノン、私は責めてるわけじゃないわ。
これをどうすればいいのかしらって思ってるだけよ」
「はい」
「アンナは何かわからない?」
「私ですか?」
「えぇ。あなたたち姉妹は導師の一番弟子でしょ?」
「ん〜?そうですね…」
アンナは魔法陣を手に取り、回したり近づけたりして考える。
「いくつか試したいことは浮かびますけど…」
「えっ!本当に!?」
「ですけど、こちらにはそのための魔力が…」
「そうだわ!こっちには魔力がないじゃない!」
「えぇ…」
決して真面目な生徒というわけではなかったが、アンナとシャノンは向こうの世界でもズバ抜けた魔術の才能の持ち主である。
だけに、土台となる魔術さえあればそれを改良することも不可能ではないのだが、それは魔力のある向こうの世界においての話であった。
「ですから、どこかで魔力を見つけなければなりません」
アンナは魔法陣をちゃぶ台に置き、今だに手を繋ぎ合う二人と、その背中で子泣きジジイ化する一人を見た。
「けど、こっちじゃ魔力なんて物語以外で聞いたことないよ。
ね、幹ちゃん?」
「うん。こっちにゃ絶対ないと思う」
「私も本で見るぐらいかなぁ〜?」
「…そうなんですよね」
もちろんアンナだって、そんなことは重々承知なのだ。
だからこそ前回は、この世界に魔力がないと知った後、シャノンが迎えに来るまでは日本に骨を埋める覚悟までしていた。
「導師が迎えに来てくれればいいんですけど…」
「えぇ。ですがシャノン、ムーアはムリでしょう?」
「はい。たぶん、あの年でこちらに来るのはちょっと…」
「そうなると…ムーア様と同じぐらいの魔法使いの方ですか?」
向こうではリーズの宮殿に住んでいるゾーイは、魔術の講義に来たムーア導師に何度か会ったことがあった。
つまり、シェルブルックにもリーズにも、彼ほど魔術に精通した者はなかなかいないのだ。
「まぁ、思い当たるのは一人しかいませんね…」
「誰です、アナ?」
「一人?誰かしら?」
「あなたもよく知っているはずですよ、クレア」
「えっ!私っ!?」
「違いますっ!だいたいあなたは今こっちにいるでしょ!」
「えぇ〜?だったら誰よ?」
「アンナ様、もしかしてマーカス様ですか?」
「ハイ!ゾーイさん正解です!」
「そうだわ…お兄様なら…」
「けど、マーカスってあんまり魔法を使いたがらないんですよね…」
そう言って、アンナはシャノンに視線を移す。
「アンナ、マーカス様が魔法を使いたがらないのって、シャノンが何かしたの?」
と、その様子に気付いた由紀が聞いた。
「由紀さんそれは…」
「フフッ♪マーカスは小さい頃に、魔法でお姉様のスカートを捲っちゃったんです♪」
アンナは、今だにその時のことを鮮明に覚えていた。
「あれはムーアと一緒にリーズに行った時でしたね♪」
「アナそれ以上は…」
「そんな!まさかお兄様がそんなことを…?」
「ビクトリアお姉様とシャノンと私、それにマーカスの四人でムーアから風の魔法を習っていたんです」
それは、まだクレアがローズナイト家に来る前のこと。
当時のマーカス王子は、年相応にヤンチャな子供だった。
「お姉様もまだヒラヒラのスカートがお好きな頃でしたから、マーカスが覚えたての風魔法を使って捲っちゃったんです♪」
「言っておきますけど、あれはアナのせいでもあるのですよ…」
「へっ?そうでしたか?」
「えぇ。マーカス様の前に、あなたがビクトリアお姉様の髪を風魔法で揺らせてみせたから…」
それを見たマーカスは、アンナに対抗してこう宣言した。
『アンナがビクトリアお姉ちゃん髪の毛なら、ボクはシャノンちゃんの髪を揺らしてみせる!』
結果、マーカスは風魔法を操り、見事にシャノンのスカートを捲りあげた。
「あ、あぁ〜!そういえばそうでしたね」
「ねぇ…それって、お兄様はスカートを捲るつもりなんかなかったんじゃないの?」
「いいえ!それはないです!」
アンナは拳を握りしめ、力強く否定する。
「えぇっ!なんでよっ!?」
「あの頃のマーカスはちょっぴりエッチでした!」
「あ!わかるっ!幹ちゃんもそうだった!」
わかりやすく言うと、好きな子の気を引きたいがためのちょっとしたイタズラである。
「えぇっ!由紀、い、今それは…」
とつぜん話の矛先を向けられた幹太には、身に覚えがたくさんあった。
そしてそんな幹太の耳元では、
「ねぇ芹沢君…いま捲っちゃう?私の全部捲ってみちゃう?」
と、澪が訳の分からないことを囁いている。
「結局その後、マーカスはお姉様たちめちゃくちゃ怒られて、魔法を使うのを躊躇するようになったんですよね〜♪」
「な、なんだか気持ちはわかるな…」
幹太もマーカス同様、由紀へのスカートめくりの後に、母の美樹からめちゃくちゃ怒られていた。
「で、ですけど、たったそれだけのことで、マーカス様がクレア様お迎えに来ないというのは…」
「えぇ。そうですね、ゾーイさん。私もそれはないと思います。
ただ…」
と、シャノンは隣に座るゾーイの肩に手を乗せる。
「クレア様がこちらに来てしまっている以上、マーカス様までリーズを長く離れるわけにはいかないでしょう」
「…そうでした。マーカス様もシェルブルックにいらしてたんですよね」
「えぇ」
本来の予定では、シェルブルックを訪ずれるのはマーカスだけのはずだったのだ。
「そうねぇ〜私もお兄様にはリーズに居てもらった方がなにかと安心なんだけど…けど、本当にどうしようかしら?」
クレアは珍しく困った顔をして、ちゃぶ台に頬杖をついた。
「う〜ん、魔力かぁ〜」
幹太は前回アンナが日本に来た時に、試しにネットで魔力のある場所を探したことがあった。
「情報があったとしても、こっちじゃそういう目に見えない不思議な力って、イカサマみたいなもんが多いんだよなぁ〜」
というより、ネットにあったのは全て怪しい情報だったのだ。
「でしたら、やはり導師が迎えに来てくれるのを期待するしか…」
「あの、シャノンさん〜?」
「ソフィアさん…?なにか良い考えがありますか?」
「帰るのに必要なのは〜二人分の魔力なんですよね〜?」
「えぇ。そうですけど…」
「でしたら、これは使えませんか〜?」
そう言ってソフィアが胸元から引き抜いたのは、こちらで買った紫レースのブラジャー(Gカップ)であった。




