第178話 お説教タイム!
昔住んでいた家の近所に、小さなワンちゃんを連れて営業しているラーメン屋台がありました。
時代が変わった今となっては色々とムリだとは思いますが、とっても雰囲気が良い屋台だったのを覚えています。
そして次の日の夜、
澪は営業の終わる頃に、いつも通り飼い犬のきっちゃんを連れて幹太たちの屋台を訪れた。
「あ、澪さん♪こんばんはです♪」
「う、うん。アンナちゃん、こんばんは。
きょ、今日のお手伝いはアンナちゃん一人?」
そう言いながら澪は辺りを見回すが、幹太や他の人の姿は見当たらない。
「いえ、今日はソフィアさんがいますよ。
今は幹太さんと飲み物を買いに行ってます」
「そうなんだ…」
どうやら本当に帰り際だったらしく、イスやテーブルもすでにワゴンの中に積み込まれていた。
「澪さん…もしかして、幹太さんにご用事ですか?」
「…うん」
そう答えた澪の顔を、アンナはジッと見つめる。
「なるほど…でしたら、私とソフィアさんは歩いて帰ります♪」
アンナは、澪の瞳から並々ならぬ決意を感じ取った。
「そんな!アンナちゃんとソフィアさんだけでなんて危ないよ!」
澪は思わずそう叫ぶ。
「大丈夫。私たちなら心配いりませんよ、澪さん♪」
「だ、大丈夫じゃないよ!」
深夜とは言えない時間ではあるものの、アンナやソフィアほど魅力的な女性を二人で歩かせたら、万が一がないとも限らない。
「フフッ♪本当に大丈夫なんです。
シャノン!」
「…はい」
「わっ!」
アンナの掛け声と共に澪の背後から現れたのは、なぜかいまだに自衛隊の礼服を着ているシャノンだった。
「ビ、ビックリした!
シャノンさんはいつからここに?」
澪はドキドキする心臓を抑えながらそう聞いた。
澪の足元では、パグ犬のきっちゃんも目をひん剥いた状態で固まっている。
「ずっといました」
「ずっとって…アンナちゃんがお仕事してる間もずっとってことですか?」
「はい。警護官ですので…」
とはいえ、営業中ずっとこうして隠れていたわけではない。
時には客席の端に座ってラーメンを食べたり、お客の食べ終えたどんぶりを下げたりもしている。
「今日はゾーイさんもいらっしゃいます」
「こ、こんばんは、澪様」
と、シャノンの背後から顔を出したゾーイも、なぜか先日クレアが着ていた自衛隊の礼服を着ていた。
「わっ!ほ、本当だ…」
「フフッ♪ですから、私とソフィアさんの心配はいりません♪」
「う、うん」
「ですけど…なぜゾーイさんまでここに?」
「理由はわからないんですけど、突然クレア様が、アンナ様たちの様子を見に行きなさいとおっしゃって…」
「あ、ということは…」
と、アンナは少し離れたところにある茂みに目を向けた。
その茂みの中からは、
「あ、バレたわね…」
「あの…クレア様、もうちょっとそっちにいけませんか?」
「お、おい!押すなって由紀!」
「ご、ごめん亜里沙!」
と、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「はぁ、やっぱりですか…」
「どうしたのアンナちゃん?」
幸運にも、澪に今の声は聞こえなかったらしい。
「い、いえ。なんでもありません…」
とそこで、アンナは足元で自分を見上げるきっちゃんに視線を移した。
「…澪さん、きっちゃんさんのお散歩も兼ねて、お二人を迎えにいきませんか?」
「えっ!けど、車は大丈夫かな…?」
「それなら心配いりません。
見張りはたくさんいるようですから♪」
アンナはしゃがみ込み、きっちゃんの頭を撫でた。
人懐っこいきっちゃんは、まったく嫌がることなく気持ち良さそうにアンナに撫でられている。
「…?そ、そう?じゃあそうしようかな…」
「はい♪
ではきっちゃんさん、一緒にお散歩にいきましょう♪」
「ワン♪」
一方その頃、飲み物を買いに行った幹太の方も、一緒についてきたソフィアに散歩をしようと誘われていた。
「散歩つっても、アンナを一人にしてて大丈夫かな?」
「アンナさんなら大丈夫ですよ〜♪
シャノンさんがいらっしゃいましたから〜」
「あ、そういや外回り手伝ってくれてたよーな?」
幹太の仕事場であるワゴンの中からは、客席の端の方は見にくいのだ。
「幹太さん〜」
「ん?」
「澪さんに何か言われましたか〜?」
「ブッ!」
普段はポヤポヤのお姉さんから繰り出された直球の質問に、幹太は思わず飲んでいたコーラを吹き出した。
「ソ、ソフィアさん、なぜそれを…?」
「フフッ♪見てればわかります〜♪」
「…そっか」
穏やかな笑顔で隣を歩くソフィアを見て、幹太は思い切って相談してみることに決めた。
「実は告白されてさ…」
「やっぱりですか〜♪
それで、どうなさるんです〜?」
「まぁ返事は聞かれなかったんだけど…」
「…だったら、お返事をしなくてもいいと〜?」
「そ、そうは言ってないよ…」
取り繕うようにそう答えた瞬間、幹太は気づいた。
『もしかして俺、返事を聞かれないのを都合よく考えてないか…?』
確かに澪に返事を聞かれていない今の状況ならば、自分からアクションを起こす必要はないと高を括っていられるのだ。
「幹太さん〜♪」
「な、何かな、ソフィアさん?」
「私、幹太さんとこういうお話をするのは二度目です〜♪」
そう言いながら幹太に近づくソフィアの笑顔は、先程までと何かが違う。
「あの時お話ししたこと、ちゃんと覚えてますか?」
「は、はい!」
幹太が近づいてきた顔をよく見てみると、ニッコリと笑っているはずのソフィアの瞳だけが、まったく笑っていない。
「…私、なんて言いましたっけ?」
「へ、返事をどうするのかと言われました…」
思い返してみればあの時も、アンナたちからの告白にしっかり返事をしたのは、ローラから出された婚約の条件をクリアした後だった。
アンナが先走って国王に指輪の話をしてしまったことが原因なのだが、だとしてもかなり遅い。
「はい。正解です。
でしたら、今回はどうしますか?」
「で、できれば、もう少しだけこのままで…」
「はっ?なんですか?」
そう聞き返してくるソフィアの表情は、背筋が凍るほど冷たい。
「…なるべく早く、キチンとお返事させていただきます」
「よろしい♪
いいですか、幹太さん。
女性から気持ちを伝えられたら、できるだけ早くお返事をしないとダメですよ♪」
ソフィアは幹太の胸を押し、クルッと振り返って再び歩き始める。
『そうだよ…俺、あの時もソフィアさんと話したのがキッカケだったんだ…』
王宮の庭で、ソフィアにアンナと由紀への返事をどうするのかと問われ、さらにソフィア自身からも気持ちを伝えられたからこそ、幹太もしっかりと自分の気持ちに向き合い、返事を返すことができたのである。
「そういえばソフィアさん…」
「はい?なんです?」
「は、話し方が…」
「フフッ♪話し方がどうしたんですか〜?」
「あ!今のはズルい!」
「フフフッ♪ズルいのは、すぐに返事をしない幹太さんの方ですよ〜♪」
「グッハッ!い、痛いところを…」
幹太はヨロヨロとよろけて膝をつき、近くのベンチにもたれかかる。
「あぁ…けど、俺ってどうなんだろ…?」
「ご自分の気持ちですか〜?」
ソフィアはそう聞きながら幹太をベンチに引っ張り上げて座らせ、自分もその隣に座った。
「広川さんはさ、由紀ほどじゃないけど幼馴染で、ずっと同じ学校に通ってたんだよ…」
その上、これまた隣同士の幹太と由紀ほどではないが、澪の家は二人の家から徒歩圏内にある。
「よく話すようになったのは高校からなんだけど、なんていうか…大切な人だっていうのは絶対に間違いないんだ」
「それは私たちに対する気持ちとは違うんですか〜?」
「だと思う…けど…」
「どこが違うんでしょ〜?」
「ちょ、ちょっと待って、今…」
幹太はキラキラと街灯の灯りを反射する池の水面を見つめながら考える。
『大切で守りたいのは由紀やみんなと一緒だよな…』
その時、
「…あっ!」
と、幹太の視線の中に、突然なにかが飛び込んできた。
「きっちゃん?」
「ワン♪」
幹太に呼ばれたパグ犬はそうだよと言わんばかりに吠え、二人のいるベンチに向かって一直線に走ってくる。
そしてその後ろには、見慣れた人影がついてきていた。
「芹沢君!」
「ソフィアさん!きっちゃんさんを捕まえて下さいっ!」
と、アンナが叫んだ時点で、当のきっちゃんはすでにソフィアに向かってジャンプしていた。
「はーい♪いらっしゃいです〜♪」
「ワゥッ♪」
そのままソフィアに抱っこされたきっちゃんは、気持ち良さそうに彼女の柔らかい谷間に埋もれている。
「ハァッ!ハァッ!はぁ〜良かった…」
「ご、ごめんなさい、澪さん。
私、ヒモを離してしまって…」
どうやらきっちゃんのリードを任せられたアンナが、うっかり手を離してしまったらしい。
「ううん。たぶん匂いに釣られちゃったんだと思う。
きっちゃん、ラーメンの匂いが大好きだから」
「フフッ♪可愛いです〜♪」
澪の言う通り、きっちゃんはソフィアのエプロンの匂いを嗅ぎまくっている。
「広川さん、今日もお散歩?」
「う、うん」
「ハハッ♪なんだか懐かしいな」
「そっか…芹沢君、向こうに行ってたから…」
「うん。コイツと会うのも久しぶりだ♪」
幹太はそう言って、ソフィアに抱かれたきっちゃんの頭を撫でた。
それと同時に、幹太の頭の中でこれまで澪を過ごしてきた時間が思い出される。
『そういや学校以外で広川さんと会う時は、いつもきっちゃんの散歩の途中だったっけ…』
幹太の屋台に通い始めた最初の頃、澪が連れていたのはまだ子犬だったきっちゃんであった。
『そうだ…あのノートは本当にありがたかったな…』
あのノートとは、澪が東京中のラーメン店を調査してまとめたものである。
『あぁ…俺、広川さんにも支えてもらってたんだ…』
そうなのだ。
こちらの世界で幹太を支えていたのは、なにも由紀や柳川夫妻だけではない。
当たり前のことではあるが、幹太が澪を大切にしている以上に、澪の方もずっと幹太のことを大切に思っていたのだ。
幹太は今、そのことに初めて気付いたのである。




