第176話 アイドル
間隔が空いてしまって申し訳ありません。
前までのお話に合わせて、少し改稿いたしました。
「私は市場のお店の方に、小麦粉と混ぜても匂いの出ないかん水があると教えてもらっただけですけど…」
「へっ?そうなのっ!?」
「はい。ですから、当然幹太さんも知っているものと…」
「いや、知らない…俺、麺は最初に伝えたものをずっと同じ工場で作ってもらってたから…」
「えぇっ!そうなんですか!?」
「う、うん。恥ずかしながら、あんまり麺は改良してこなかったんだよ」
たぶんアンナがいなければ、今回のように麺を変えようとは思わなかったろう。
「しかし、今はそんなかん水があるんだな…」
幹太はアンナの使っていたかん水のボトルを手に取り、裏に貼られた成分表を見た。
「よくわからないけど、モンゴル産ってのは初めて聞くな…」
かん水には天然のものと人工のものがあり、その多くは国内産か中国産である。
「産地が違うだけでこんなに違うのか…」
これまでかん水の匂いを消すために、多くのラーメン屋がさまざまな苦労してきたはずだ。
しかし、このかん水はそのまま水で割れば匂いのしない麺ができる。
「アンナ、これ値段はいくらなんだ?」
「普通の物よりちょっと高いとおっしゃってましたね。
どこか値札が貼ってありませんか?」
「お、あったあった」
値札に書かれた価格は、幹太が知る普通のものより二割ほど高かった。
「けど、麺屋に頼むのとアンナが打つのとどっちが高いかっつったら微妙な気もする…」
麺専門の業者に頼む場合、当たり前だが、価格に材料費や手間賃、運送費などが上乗せされている。
いくらか食材の値段が高くとも、自家製麺の方が安くつくのは当然であった。
「でしたら、後でちゃんと計算してみますね♪」
「お、そりゃ助かる。
けど、どちらにせよ麺はこれで行こう」
「へっ?いいんですか?」
「あぁ、絶対こっちの方が美味いからな」
結局、一番大事なのはそこなのだ。
「アンナやりました♪採用ですっ♪」
アンナは華麗にクルリと回り、拳を突き上げた。
「…フフッ♪すごいわね」
「えぇ、クレア様。私もそう思います…」
「あ、やっぱり?」
「はい。まさか幹太さんを越えるとは…」
そう話しながら、クレアとシャノンは厨房の中で頭にタオルを巻き、粉まみれの顔で喜ぶアンナに目をやった。
「もう一人前のラーメン屋さんね♪」
「はい…」
「ね〜♪スゴイね、アンナ♪」
と、二人の話を聞いていた由紀は、笑顔でラーメンを啜る。
「うん。ホントにちょっと美味しくなってる♪」
世界で一番幹太のラーメンを食べている由紀が言うのだから間違いない。
「さて、そんじゃ次は俺の番だな」
幹太はそう言って、柄杓でスープを掬った。
これは彼が、今朝から仕込み始めた試作のスープである。
「俺の番って…どういうこと、幹太?」
「そっか、クレア様には話してなかったっけ?
アンナとクレア様のコラボラーメンの試作を始めたんだよ」
「えっ!本当にこっちで作り始めちゃったの!?」
京都でも言ったことだったが、クレアには自分たち世界と食材が完全には同じでないこの世界で、なぜ試作を始めるのか全くわからない。
「あ〜まぁ組み合わせっていうか、あとは必要になりそうなものの準備もできるってことで…」
「準備って…こっちから何か持っていくの?」
「ん〜まぁそんなとこです。
アンナ、麺まだ余ってる?」
「はい♪まだまだありますから、好きなのを使って下さい」
「お!そりゃありがたい。
だったら、さっきの喜多方ラーメンっぽい麺にするかな」
「ってことは、メインは豚骨と鶏ガラですか?」
と、アンナが覗いた寸胴鍋の中には、予想に通り茶色く透き通ったスープがグツグツと沸騰しながら対流していた。
「あ♪当たりっぽいです♪」
「うんにゃ、これは鶏ガラと魚介ダシのスープだよ」
「鶏ガラと魚介…ってことはつまり…」
「うん。アンナと一緒で、今回の旅を参考にしてみたんだ」
幹太はそう言って、スープの中からお玉で麻袋を引き上げた。
麻袋の中には、幹太の叔父の会社である丸和水産の特級鰹節の荒削りが入っている。
「リーズの名物は海産だったし、カツオも鰹節も向こう市場で見たから、なんとかなるかなって思ってさ」
「あ!準備ってそういうことね♪
だったら、こっちにいる間に叔父様に作り方を聞いておかなきゃ♪」
「うん。そう思って、実は今朝おじさんに資料を送ってもらえるように頼んだんだよ」
普通の鰹節や昆布などは向こうの世界にもあるにはあるのだが、やはりこちらの世界の物の方がクオリティーは高い。
もちろん普通だったら簡単に教えてくれるものでもないだろうが、先日の訪問以来、英治は甥っ子の幹太に激甘になっている。
その証拠に、英治はすでに大量の資料を東京へ発送していた。
「フフッ♪やるわね幹太♪」
先ほど幹太が言った準備というのは、必要なものを買うことももちろんだが、向こうに行った後に食材自体を作れるようにするということも含まれていたのだ。
「はい。お待たせ」
それから数分後、幹太のスープとアンナの麺を使った試作ラーメンが出来上がった。
「あ♪美味しいです〜♪」
そして、まず最初にソフィアがそう言った。
「これって塩ラーメンですか〜?」
「そう。
とりあえずシェルブルックの名産品ってことでジャクソンケイブの塩湖の塩をイメージして作ったんだけど…由紀、ちょっといいか?」
「うん。どうぞ、幹ちゃん♪」
幹太はレンゲを取り、由紀の試食していたラーメンのスープを一口飲んだ。
「ん〜?やっぱりジャクソンケイブの塩のがいいかな…」
「そう?これもけっこう美味しいと思うけど」
「だったら、由紀はこっちの世界の塩の好みってことかな…?」
幹太が今回のラーメンのタレに使ったのは、イスラエルにある死海の塩だった。
これは元々、幹太がラーメンの研究をしていた頃に集めていたものである。
実際に塩ラーメンがメインのラーメン店では、イスラエルやフランスなど、外国産の塩を使う店は割と多い。
「味はピカイチだったんだけど、ウチじゃ高すぎて塩湖の塩は使えなかったんだよなぁ〜」
「えっ?だったら、私たちのラーメンにも使えないんじゃないの?」
「いいや、クレア様。ソフィアさんの村の塩湖の塩はそこまで高くないんだよ」
「まだまだ湧いてますからね〜♪」
見た目は乾燥したように見えるが、ソフィアの村の塩湖は今だに塩が沸き出ているらしい。
「まぁでも、だからこそあのラーメンはジャクソンケイブのご当地ラーメンなんだし、できれば新しいラーメンは他のタレでいきたいとこだな。
とりあえず、今回はスープの味をみるための塩ラーメンってことで」
もちろんそれぞれのタレに合わせたスープというものもあるが、塩ラーメンで美味いスープは、醤油や味噌ダレに合わせても美味いというのはラーメン業界の常識である。
「ん〜私はちょっと苦手ね…」
一通り、麺とスープを食べてそう言ったのはクレアだった。
「わ、私もちょっと…」
続いて、申し訳なさそうにそう言ったのはゾーイである。
「そういや二人は強い魚介の匂いが苦手なんだっけ?」
思い返してみれば、この二人はレイブルストークのご当地ラーメンを試作していた時にも同じような感想を述べていた。
「そうね。そのまま食べるのならぜんぜん平気なんだけど、ラーメンのスープになるとなんかダメなのよ」
「私もクレア様と同じです。
このムアッとくる魚の匂いがどうもダメで…」
「あ〜そうなんだ。
私はこの匂いは大丈夫だけどなぁ〜」
そう言う由紀は、すでにラーメンを食べ切っていた。
「由紀と俺は鰹ダシに慣れてるからなぁ。
そりゃ平気なはずだよ」
「私も美味しいと思いますよ〜♪」
「そうですね…私もこのラーメンは好きです」
どうやらソフィアとシャノンも、このラーメンが気に入ったようだ。
「今回は鰹のダシがよくわかるように鶏ガラだけを合わせて仕込んでみたんだけど、やっぱりこれだと好みがわかれちゃうよな…」
いくら鰹や昆布、煮干しなどの風味を大事にしたくとも、魚介系のダシだけでは麺や具材にどうしても負けてしまう。
なので一般的に、魚介類の食材は豚骨や鶏ガラと合わせてスープに使うのだが、幹太は今回、魚介類の香りを強く残すために、あえて鶏ガラだけを合わせていた。
「とりあえず、第一回のスープは失敗ってことだな…」
万人に愛される二人の王女のラーメンは、もっとたくさんの人に受け入れられるものでなくてはならない。
『こりゃ相当な難題だぞ…』
幹太はこのコラボラーメンの難しいさを、改めて確認したのだった。
最近では、本当に匂いの無いかん水が存在します。
初めて食べた時は驚きました。




