第173話 小麦粉
徐々に新しいラーメンに近づいております。
引き続きよろしくお願い致します。
そして翌日、
「やっぱりダメだった…」
幹太はほとんど眠れずに朝を迎えた。
「けど広川さん、あの後もちゃんと手伝ってくれたんだよな…」
昨晩、幹太へ想いを伝えた澪は、由紀の部屋で幸せそうにスヤスヤと眠っている。
とそこで、
「幹太さ〜ん、起きてますか〜?」
というアンナの声が、部屋の外から聞こえた。
前回も芹沢家にお世話になったアンナとシャノン、そして今回が初めてとなるソフィアは、幹太の部屋の隣にある両親の部屋で寝起きしていた。
「はーい、起きてるよ〜」
「では!失礼しますっ!」
バンッ!
アンナはそう言って勢いよく襖を開け、幹太の部屋へと入ってくる。
「おはようございます、幹太さん♪」
「う、うん、おはよう。アンナ、朝からどうしたの?」
朝からあまりに元気なアンナの様子に、幹太は思わずそう聞いた。
「私、昨日は片付けをサボってしまいましたから」
「あ、そう言えば…アンナはいなかったな」
「フフッ♪今までわからなかったんですか?」
アンナはクスッと笑いながら、幹太の部屋のカーテンを開けた。
と同時にまだ登ったばかりの朝日が差し込み、脱ぎ捨てた仕事着が点々と散らかる部屋の中を明るく照らし出す。
「…うん。昨日はちょっと衝撃的な事があって…」
その上、隣で黙って作業する澪に何か返事をした方が良いのではないかという気持ちもあり、幹太は昨夜の片付けのことをほとんど覚えていなかった。
「なるほど、そうですか♪」
「うん」
「…まぁですから、今日はお手伝いしようと思って早起きしたんです♪」
「あ〜そうだ、それに今日は麺を試してみようって…」
「ハイ♪アンナ麺です♪」
それは昨日の営業中の出来事だった。
「私、こっちの材料で麺を打ってみたいです!」
と、客足が途切れたところでアンナが言ったのだ。
「おぉ…だったらこの店の麺もアンナに作ってもらおうかな…?」
アンナが向こうの世界で仕込んでいた麺は、どれもこちらの世界で通用するものだった。
『アンナがこのスープに合わせて麺を作ってくれたら、たぶんもっと美味いラーメンができるはず…』
幹太がこちらの屋台で使っている麺は、自分の希望を麺工場に伝えて作ってもらった中太ちぢれ麺である。
幹太は今のアンナなら、それ以上の麺が作れると思っていた。
「もちろんです♪任せてください!」
そういう訳で、アンナは朝イチからやる気マンマンだったのだ。
「よし。そんじゃ朝飯食ったら仕入れに行こう」
幹太のように小さな屋台でやっているラーメン店では、注文して配達してもらうだけでなく、自分でも市場に行って仕入れをするのだ。
「ハイ♪」
それから手早く朝食済ませた幹太、アンナ、シャノンの三人は、芹沢家近くの国道沿いにある総合市場へと向かった。
芹沢家に残ったソフィアは、転移事故で削り取られた家の片付けを買って出ていた。
『ひとまず広川さんのことは置いといて、仕事に集中しよう…』
と、久しぶりにこちらの世界の市場の空気に触れた幹太は気合いを入れ直した。
「え〜と、野菜はいつもんとこだろ、あとは…小麦粉とかん水だな」
「そうでした!こちらの市場ではそれもあるんですよね♪」
「うん。しかも小麦粉はラーメン向きのやつがいくつかあるはずだぞ」
「ハァ〜♪ニッポン最っ高ですっ♪」
幸せな気持ちに包まれたアンナは、人が行き交う市場の入り口でクルリと華麗にターンを決めた。
麺打ち王女のアンナにとって、ラーメン向けの食材が簡単に買えるこの世界の市場は天国のような場所なのだ。
「しかし、私たちの国の市場とはだいぶ違いますね…」
「ほぇ?シャノンは初めてでしたか?」
そう聞くアンナは、前回日本に来た時にこの市場を訪れている。
「はい」
「たぶんこっちの市場って、ほとんど一般の人がいないからじゃないかな」
ほぼほぼ飲食店向けの市場であるこの場所は、いつも独特の緊張感に包まれている。
先程幹太が気合いを入れ直したのには、そういう理由があったのである。
「あれだけスーパーがあるのに、やはり市場で買った方が安いのですか?」
シャノンはそもそも近くにスーパーがあるのに、なぜここで買い物をするのかがわからなかった。
「いや、実は野菜なんかはスーパーの方が安かったりもする…」
自社農園や契約農家を持っている大企業のスーパーでは、市場で買うよりも野菜や肉などが安い場合もある。
「えぇっ!本当ですかっ!?」
どうやらその事実は、アンナも知らなかったらしい。
「ではなぜここに…?」
もしそうならば、自分たちの世界であれだけ仕入れ値を気にしていた幹太が、なぜここで仕入れをするのかがますますわからない。
「ん〜と、まずは種類と量だよな。
さっきも言った通り、小麦粉だけでもいろんな種類が揃ってるし、量もキロ単位で買える」
一般的なスーパーでは小袋に分けられた小麦粉を売っているため、さすがに価格も市場の方が安い。
「あとは…全部専門店だから、わからないことは聞けば大体教えてくれるんだよ」
そう説明しながら、幹太は二人を粉類の専門店まで連れてきた。
「こんにちは〜」
「はい!いらっしゃい!」
店に入ってきた幹太に威勢よく迎え入れたのは、ちょいと恰幅のいいおばちゃんだった。
「ラーメンの麺を…」
「だったらこっちだよ!」
と、店主はあっという間に幹太を店の奥へと案内する。
「シャノン!」
「はい!」
アンナとシャノンは、その後を慌ててついていった。
「ラーメンの小麦粉はこの辺りだね」
そう言って、店主のおばちゃんは棚に積み重なる紙袋をいくつか引き抜いて床に下ろした。
「これは強力粉?」
そう聞きながら幹太が指差した袋には、小麦粉としか書かれていない。
「そうだよ。そんでこっちが準強力粉」
おばちゃんは二つの袋の紐をほどき、中の小麦粉を三人に見せた。
「見た目じゃわかんないだろうけど、タンパク質が多い小麦粉を強力粉とか準強力粉って呼ぶのさ。
スープに負けない歯応えのある麺にしたいなら強力粉、どんなスープにでも合う万能の麺にしたいなら準強力粉の方がいいと思うよ」
「あの…」
と、そこで手を挙げたのはアンナだった。
「二つを混ぜて使うことはできますか?」
「あれま、こりゃまたえらい可愛いお嬢ちゃんだね」
「まぁ♪ありがとうございます♪」
「そうだね。そりゃもちろんできる…」
「でしたら、混ぜて配合を変えれば色々と…」
「…けど、そんなことしてたらキリがないからね。
まずはどれか一つ気に入った小麦粉を見つけて、あとはかん水で調整した方がいいと思うよ」
そう言って店主が見上げた先の棚には、かん水のボトルが並んでいる。
麺のための小麦粉を買いにくる客のため、粉の専門店であるここでもかん水を取り扱っているのだ。
「あっ!そういえば私、向こうではそうしてました!」
「ア、アナ…?あなた、そんなことまで出来るようになってたんですか…?」
さすがのシャノンも、王女である自分の妹がそんな職人の様なことまでできるとは思っていなかったらしい。
「当たり前ですよ!
でなければ、幹太さんが今まで作ってきたスープに合わせられません!」
「そ、それはそうですけど…」
「う、うん。改めて聞くとすごいお姫様だよな…」
と、幹太は今更ながらアンナの製麺スキルに驚く。
「最近じゃかん水にも色々あるからね。
お嬢ちゃん、説明聞いていくかい?」
「ハイ♪よろしくお願いします♪」
と、アンナは最高の笑顔で返事をして、店主と共にかん水の置かれた棚へと向かった。
「幹太さん…」
そんな王女の背中を見送る幹太の肩に、シャノンが手をかける。
「…アナもう王女には戻れないかもしれません」
「あ…もしかして俺、えらいことしちゃった?」
「はい…」
「そっか。
了解。お、俺…これからの一生をシェルブルック王国に捧げます」
と、本人はなるべく動揺せずに言ったつもりだったが、その唇は細かく震えていた。
「えぇ…ぜひお願いします」
そもそもアンナと夫婦になる時点で、そうなることは決まっていたのだ。
「けど…俺、ラーメンばっか作ってるけど大丈夫なのか?」
「…たぶん大丈夫です。
今となってはアナも一緒ですから」
そうして幹太たちは一通りの仕入れを終え、昼前には芹沢家へと戻ってきた。




