第137話 ドラちゃん
「でも、なんで翻訳されてないの?」
ムーアが転移魔法に仕込んだ翻訳の魔法がかかっているにもかかわらず、由紀にはアンナとクレアの話している言葉が全くわからない。
「これは…テレビの影響でしょうか?
アナとクレア様が話しているのは、向こうの大陸共通語です。
ですが…私にはこの質問されている方の言葉もわかりますね。
ゾーイさんはどうです?」
「私にも両方の言葉がわかります」
どういうわけかはわからないが、テレビを観ている人間には、アンナたちの声が本来の言葉で聞こえるようだった。
「あ…レポーターの人が困ってる」
二人の容姿からレポーターは英語で一生懸命質問しているが、どうやら二人はそれにまったく答えず、一方的にまくし立てているだけのようである。
「ええっと、クレア様は…それよりも幹太が近くにいはずなの…あなたどこにいるか知らない?…って聞いてますね」
「…アナはこの辺りに美味しいラーメン屋さんがないかと聞いています」
「そうなんだ…この場所って…」
由紀は画面の端に映る地図に目をやった。
「鹿児島…天文館っ!?」
その場所の表記を見た由紀は愕然とした。
「由紀さん…もしかして遠いんですか?」
「うん。すんごい遠いよ…」
「そんな…クレア様…」
そうしてしばらくの間、英語で喋るレポーターと、訳の分からない言葉で話す二人の美少女という奇妙な場面が三人の前で流れ続けた。
「…でも、やっぱり幹ちゃんの近くにいるんだね」
「そうですね…たぶんムーア導師の場所のわかる機械が正常に作動しているんでしょう」
「でしたら芹沢様と合流している可能性も…」
「えぇ…それはありますね」
「私、ソフィアさんが最後まで幹ちゃんと手を繋いでたのは見てるんだよね…」
「だとすると、ソフィアさんは幹太さんと?」
「うん、そうだと思う。
それにさっきは言わなかったけど、もうちゃんと合流してる気がするの…」
「由紀さんの勘ですか…」
シャノンの記憶が正しければ、こと幹太に関して、この親友の勘がハズレたことはない。
「確か…幹太さんもムーア導師から機械を渡されていましたよね?」
「うん、持ってた」
「でしたらシャノン様、お互いに場所がわかっているということですか?」
「えぇ、そのはずです」
「そうだ!ちょっと待っててっ!」
と、そこで由紀はようやくスマホを取り出し、鹿児島から東京までの移動を検索した。
「一人三万円っ!?
幹ちゃん、絶対そんなに持ってないよ〜」
「…アナもそれほど持ってなかったと思います」
一度こちらに来たことがあるシャノンは、大体の日本の貨幣価値を把握している。
「由紀様、でしたら迎えにいくというのはどうです?」
「ん〜一応頼んでみるけど、行ったところで今どこにいるかもわかんないし…」
少なくとも三人の往復と四人の交通費ともなるとかなりの額である。
「とりあえず一度帰ってみようか…」
「ですね。そうしましょう」
「はい」
せっかく来た東京の街ではあるが、アンナたちの居場所がわかった今となっては、このまま捜索ついでの観光を続けるのは難しい。
なので三人はひとまず柳川家へと戻った。
「なら行けばいいじゃない♪」
そして三人が帰宅してすぐ、由紀から事情を聞いた春乃はそう言った。
「えっ!鹿児島だよ、お母さん!?」
「まぁ電車とか飛行機はムリだけど、ドラちゃんならいいわよ♪」
「ドラちゃん…ってことは車!?」
春乃は家の車をそう呼んでいた。
「…車ですか?
もしかして、由紀さんは操縦を?」
「うん。免許…国の許可証は持ってるけど…」
「ふむ…ならば大丈夫なのでは?」
「いや、けど私、今の車は運転したことないんだ…」
「そうなのですか?」
「うん。それに…私じゃお父さんが許してくれないでしょ?」
「バレなければ大丈夫よ♪」
都合のいいことに、自衛隊員である由紀の父親は数日間の出張中だった。
「まさか…その間に行って帰ってくるってこと?」
「そうね♪」
「か、鹿児島か〜」
免許を取りたての頃は、ラクロスの練習の移動などで頻繁に運転していた由紀であったが、最近はほぼペーパードライバーである。
「…行きましょう」
そう言って、シャノンは葛藤する由紀の肩に手を置いた。
「こちらで待っているのは春乃様にお願いすれば十分です。
たとえ出会える可能性が少なくても、私たちはそちらに向かった方がいいかと…」
「シャノン…でも、本当に遠いんだよ…」
「ゆ、由紀様と春乃様はいつでも連絡は取れるのですよね?」
「う、うん。それは大丈夫だけど…」
「でしたら私も行きたいです!」
結局のところ、二人の従者はお互いのお姫様のことが心配なのである。
「う〜ん、ゾーイさんもか〜」
「フフッ♪行ってあげなさいな、由紀ちゃん♪」
「…うん。わかったよ」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます、由紀様!」
「けど、スリル満点の旅になるよ…」
「「大丈夫です!」」
そしてその翌日、
ゾーイは出発して早々、昨日の自分の発言を後悔していた。
『しゅ、出発前にイヤな予感はしてたんです…』
猛烈な加速に体を押さえつけられながら、ゾーイは心の中でそう呟いた。
「お、お願いだから覚悟する時間をちょうだいっ!」
昨晩の話し合いの後、由紀にそう頼み込まれた二人は、目の前に現れた車を見て、それが必要な時間であったことをなんとなく悟ったのである。
「お、お待たせ〜」
と、引きつった顔の由紀が乗ってきた車は、ドロドロと重低音を響かせるド紫色のアメ車だった。
由紀の家の車は、ダッジというブランドのチャレンジャーSRTヘルキャットという、このエコな時代に真っ向からアゲンストしたマッスルカーである。
春乃はそのヘルキャットという単語を、ドラ猫と解釈してドラちゃんと呼んでいたのだ。
「これですか?これが…」
「うん。ウチの車…」
「…いいですね」
「えっ!シャノン、こういうのが好きなのっ!?」
「色が素敵です♪」
そう言ったシャノンは、珍しく笑みを浮かべていた。
「な、なんとかクレイジーって色らしいんだけど…」
「いいです…すごくイイです♪」
どうやらシャノンは、自分の軍服と同じようなこの紫色がお気に入りらしい。
『よくわかりませんけど…なんだか危なそうです….』
しかし、シャノンの少し後ろに立っていたゾーイは、その車になにやら邪悪なものを感じていた。
そしてその予感通り、この後ドラちゃんに乗車した三人は混沌の渦に飲み込まれたのだ。
「ゆ、由紀さんっ!ワ、ワンちゃん!ワンちゃんがいますよっ!」
「わ、わかってるよ、シャノンっ!」
「う、うぅ…き、きぼちわるいです」
出発してしばらくの間の車内は、まさに阿鼻叫喚の地獄であった。
久しぶりの運転だった由紀は、全ての操作をやり過ぎてしまうのだ。
それに加えて、マッスルカー・ドラちゃんの持つハイパワー、ハイストッピングパワーである。
これでは全神経を集中させて運転している由紀はさて置き、同乗している二人はたまらない。
「ゆ、由紀ざば…でぎたらもうずこじやざじグ走っ…ウプッ!」
「だ、だって!アクセルがすごいんだもんっ!」
ちなみにドラちゃんのエンジンは6.2リッターのスーパーチャージャー付きであり、とにかく速い。
「由紀さんっ!ドラちゃんさんが次を右にとっ!」
「ええっと…み、右〜右ね〜」
「シャ、シャノン様…わ、私、このまま生きてクレア様に会えるでしょうか?」
そう聞かれたシャノンは、ナビから一ミリたりとも目を離さずに答える。
「それは…私にもわかりません」
「だ、大丈夫…高速乗っちゃえば大丈夫…」
そもそもこの手の車は、細かなストップ・アンド・ゴーを想定して作られていないのだ。
「あぁ…着いた」
必死の思いで中央高速の調布インターにたどり着いた由紀には、その料金所が天国の門に見えた。
「由紀さんっ!これっ当たりませんかっ!」
「ぶっ、ぶつかりますー!」
一方、ETCを知らないシャノンとゾーイには、このゲートがかの有名な地獄の門に見えている。
「も、もうダメです…アナ、幹太さんと仲良く…」
「お、お元気で…クレア様…」
「もうっ!そんなに心配しないで大丈夫だよ!
ホラッ♪」
「「えぇっ!」」
そうして三人を乗せたドラちゃんは、当然ながら自動で開くETCゲートを楽々と通過し、合流車線を加速していく。
「あっ!」
とそんな中、高速に乗って少し余裕できた由紀は重大な事実に気がついた。
「この車、五人乗りだ…」




