第百二十一話 お姉さんの役割
今週末でようやく出張が終わります。
すでに帰りのサービスエリアにあるラーメン屋はチェックしました。
そして翌日、
姫屋の定休日ということもあり、アンナはひとり自室で思い悩んでいた。
「うっかり口に出してしまいましたね…」
幹太達にとっては突然と思えるアンナの脱・王女発言だが、アンナ自身としては、なにもその場の思いつきで言ったわけではない。
『果たして私はクレアほど国の役に立っているのでしょうか…?』
そう。
彼女はリーズ公国でクレアに会って以来、ずっとそのように思っていたのだ。
『新しいものだけでなく、その土地の昔からあるものに価値を見いだす…』
ラーメンに目をつけて幹太を誘拐するなど、一見なにも考えていないようなクレアであったが、いざ会って話をすると、自分以上に国のことを考えて行動していたように思える。
「レイブルブルーも素晴らしかったですし…」
ビクトリアの発案で、クレアがガラス職人たちと協力して作ったレイブルブルーの食器は今後、定期的にシェルブルックに輸入されることが決まっていた。
「これは一から考え直さないと…」
コンコン。
と、アンナが思考の泥沼にはまりかけたところで、彼女の部屋のドアが控え目にノックされた。
「はい。どなたでしょう?」
「アンナさん、私です〜」
どうやらやって来たのはソフィアらしい。
「ソフィアさん?…どうぞ中へ」
と、アンナは若干不思議に思いつつドアを開ける。
「お邪魔します〜♪」
「どうなさったんですか?
今朝はお母様とお庭に行ったんじゃ…?」
ソフィアは昨晩、ローラ王妃から彼女の持つ広大な庭園に誘われていたのだ。
「もちろん行ってきました〜。
一緒にお庭の手入れもしてきましたよ〜♪」
「…まだ七時なんですが…?」
「はい〜♪
お庭で見る朝焼けがとっても綺麗でした〜♪」
「…そうですか」
どうやら夜が明けてすぐの集合だったらしい。
「それでどうしたんです?
もしかして…幹太さんの理性の壁を破る方法が思いついたんですか?」
ソフィアが自分の部屋に来る要件としては、それが一番あり得るとアンナは本気で思っていた。
「わ、私としては、一緒にお風呂ぐらいから攻めていこうかと…」
アンナは隣国の温泉で、しっかり手ごたえを感じていたのだ。
「アンナさん、私達でラーメンを作りませんか〜?」
しかし、ソフィアの要件は至極まともなものであった。
「私達だけでですか…?」
「はい〜♪」
それから数十分後、
アンナとソフィアは、庭園内にあるローラのログハウスに来ていた。
昨日のアンナの様子を見たソフィアは、あらかじめローラからここのキッチンを使う許可を得ていた。
本来の持ち主であるローラは、現在王宮のキッチンで愛妻料理を調理中である。
「でもソフィアさん、二人だけでラーメンを作るって本当に大丈夫でしょうか?」
「なぜそう思うんです〜?」
「それは…えっと…あれ?なぜでしょう?」
「フフフッ♪でしたらやってみましょう〜♪」
「…ですね。やってみましょう!」
まず二人は、いつも幹太がやっている通りにラーメンスープを作る事から始めた。
「ん〜?どのラーメンにしましょう?」
「幹太さんのスープはたくさんありますからね〜♪」
日本にいる時から幹太のラーメン作りを手伝っていたアンナはもちろん、こちらでの旅の途中で出会ったソフィアでさえ、幹太が仕込んだ何種類ものラーメンスープを見ている。
「…わかりました。
私達はスープ初心者です。だったら基本でいきましょう」
「賛成です〜♪」
「ということは…」
「鶏ガラスープですか〜?」
「はい。少なくとも、幹太さんの基本と言えばそれです」
大抵の場合、一般的なラーメンのスープは豚骨と鶏ガラを混ぜて作るものなのだが、こと幹太においては、日本の屋台でも作っていた鶏ガラのみでダシを取る東京ラーメンが基本なのだ。
「では、まずは何をしましょ〜?」
「えっとですね…」
アンナは頬に手を当て、毎日のように見てきた幹太の手順を思い出す。
「まずはガラを洗います!
ソフィアさんは寸胴にお湯を沸かして下さい!」
「は〜い♪」
ソフィアはニコニコと返事をして、調理台の上に吊るしてある小さな寸胴鍋に水を入れて火にかけた。
この鍋で一度洗った鶏ガラを茹でた後、再び水洗いするのだ。
「こっちもやりますね〜」
「はい、お願いします」
振り返ったソフィアはそのまま流し台に向かい、アンナが保冷庫から取り出した鶏ガラを一緒に洗い始める。
普段はそれほど仕込みをしないソフィアであるが、元々の高い家庭料理スキルにより手際はかなり良い。
「なんだかドキドキしますね♪」
「えぇ、私もです〜♪」
アンナとソフィアは、幹太のいないこの状態で一からラーメンを仕込むということを楽しみ始めていた。
「アンナさん、お野菜はどうしますか?」
「玉ねぎと人参と、あとは…生姜でですね」
「えっと…玉ねぎと人参〜、アンナさん、ニンニクは〜?」
「あ、はい!お願いします」
アンナから分量の指示はないのだが、ソフィアは持ち前の料理感で野菜の量も決めていく。
そもそも今回の試作と普段の営業ではスープの量が違うため、いつもの分量は参考にしかならないのだ。
「アンナさん、昆布はどうします〜?」
「そうですね…昆布と煮干しは入れときましょう」
「りょ〜かいです〜♪」
と、そんなやり取りをしている内に小さな鍋の中はあっという間に食材で埋まり、それを再び火にかけたところで二人はひとまず一息入れることにした。
「たぶんこれで…うん、妙な味にはならないと思います。
やればできるもんなんですね…」
「当たり前です♪アンナさんならできますよ〜♪」
「ソフィアさんはどうしてそれを?
私、自分でもわかりませんでした」
「フフッ♪それはですね、私がずっとお二人を見てるからです〜♪」
「そ、そんな単純なことなんですかっ!?」
「でも不思議だったんです。
なぜアンナさんは自分でもスープを仕込んでみないのかなって…」
幹太とアンナに出会って以来、ソフィアはほぼ毎日二人と一緒にいる。
しかし、アンナが仕事面で新しい役割を幹太に求めるところをソフィアは見たことがなかった。
「た、確かに…自分でスープを作ろうと思ったことはないです…」
「ですよね、そんな気がしました。
それで私、思ったんです…」
「な、何をです?」
「アンナさん、幹太さんに遠慮してるんじゃないかって…」
「遠慮…してますか?」
「はい。私が初めてお二人に会った時から、幹太さんはアンナさんと一緒にお店やっているとおっしゃられてましたし、アンナさんもそうおっしゃられてましたけど…」
「けど…?」
「アンナさん、姫屋のことに関してはぜーんぶ幹太さんの指示に従っているんです」
「あぁ…」
そう言われてみれば、確かにそうだ。
「そうです…私、今やってる麺の仕込みも幹太さんに任されてからやりました…」
「バザーの時もそうでしたけど、もしかしてアンナさん、幹太さんに意見するのを無意識のうちに躊躇っていませんか…?」
「…そうかも知れません」
そのことにソフィアが気づいたのは、結婚の許可を得るために、幹太がローラのバザー向けたラーメンを試作していた時だった。
「ラーメンの試作をすると、幹太さんはまず由紀さんに食べてもらうんです」
幼馴染である由紀は、幹太に対して意見することにまったく遠慮がない。
それは職人がラーメンを作る上で、とても貴重なものなのだ。
そしてその事は、薄々アンナも気づいていた。
「た、確かにそうです…」
「もちろんラーメンのことについては一から十まで幹太さんに教わったんですから、ある程度は仕方ないと思いますけど…」
「はい…」
「こちらに世界に来てからは毎日のように幹太さんと姫屋をやっていたのですから、アンナさんはもっと自信を持っていいと思いますよ」
「そ、そうでしょうか?」
「そうですよ。
それにそれは、お姫様のアンナ様にも言えることです」
「…ソフィアさん」
「いくら王家の人間とはいえ、この国のために別の世界に行くなんてこと、アンナ様にしか出来ません」
「そ、それはお姉様だって…」
「いいえ、アンナ様。ビクトリア様が貴方とシャノン様のいない世界に行くなんて有り得ないです…」
「そんな事はっ!…ま、まぁ、あるかもしれません…」
アンナは自分の姉のことをしっかり理解していた。
「私は…このシェルブルックの国民である私は、あなたがどれだけこの国とって必要な存在であるかを、あなた自身よりもよく知っています。
だから、お姫様でなくてもいいなんて絶対に言わないで下さい…」
そう言って、ソフィアは両手でアンナの手をやさしく包み込む。
ソフィアが今日、アンナと二人でこの様な場を設けたのは、どうしてもそのことを伝えたかったからであった。
「ソフィアさん…。
わかりました、私が王女として何かできるか、もう一度考えてみま…」
「あとは王族であるアンナ様のお陰で、私も大好きな幹太さんと結婚できます♪」
と、くい気味に言ったソフィアは満面の笑みだった。
「あぁっ、そうですっ!それ重要です!」
「フフッ♪思い出しました?」
「えぇ、それはしっかりと。
そういえば…ソフィアさん?」
「はい、なんでしょう?」
「ずいぶん前から喋り方が変わってますけど…」
「えぇっ!本当ですか〜?」
「あ、いま戻りました♪」
「わ、私、いつもと変わらずお話しているつもりでした〜」
「大丈夫です。ソフィアさんの気持ち、ちゃーんと受け取りましたよ♪」
「で、でしたらいいんですけど〜」
「アナ、ソフィアさん」
とそこへ、二人の様子を見にシャノンがやって来た。
「あ、シャノン。午前の訓練は終わりですか?」
「まだ由紀さんと数名が残ってます…」
そう答えつつ、シャノンはフツフツと沸き始めた寸胴の中を覗き込んだ。
「これは…もしかしてラーメンスープですか?」
「えぇ、二人で仕込んだんですよ♪」
「頑張りました〜♪」
「それで、完成はいつに?」
「いまから六時間ですから…晩ご飯には出せますね」
「…そうですか。
でしたらアナ、ぜひ皆さんで頂きましょう」
「いいですね〜♪そうしましょう〜♪」
「み、皆さんですか…」
と、アンナはなぜかそう言ったまま硬直する。
「フフッ♪アンナさん、作った以上は幹太さんにも食べてもらわないと〜♪」
「あぁ、そういうことですか…。
私も覚悟を決めた方がいいと思いますよ。
だいたい師匠である幹太さんに良いか悪いか判断してもらわないと、作った意味がないんじゃないですか?」
「ま、まぁそれはそうですけど…」
とアンナが渋々認め、彼女達にとって初めてのラーメン試食会が開かれこととなったのだ。




